翁

 オキナの話をしようか。そう、それはもうずっと昔の話なんだよ。
 オキナは海の向こうからやってきた。白い眉とひげをしていて、いつでも笑い顔のおじいさんだった。オキナはもう一人、色の黒い、小さな猿のような人を連れていた。オキナはこの人をサンバと呼んでいた。
 二人は山の方へ行くと沼のほとりに小屋を造って住んだ。浜辺には海人たちが住んでいたし、山の上の方には山人たちが住んでいたので、山のふもとの汚い沼のほとりに住んだのだよ。
 オキナはすぐ子供たちと仲良くなった。オキナはいろんなことを知っていて、面白く話をしてくれたからだ。もっともオキナはちゃんとした言葉がしゃべれなかったのだけれども、身振りや手振りで子供たちにはちゃんとわかった。
 サンバは何もしゃべらなかったけれども、子供たちはすぐに好きになった。サンバは鳥やけもののまねがとても上手で、それにとてもおかしい踊りを知っていたからだ。オキナが木を叩くのに合わせて、サンバは葉っぱのついた枝を持って踊った。
 オキナは歌も歌った。とうとうたらりたらりら、という風なおまじないみたいな歌だった。
 ところが大人たちはオキナのことを好きにならなかった。オキナはよそ者だし、得体が知れなくて気味が悪かったからだ。それに、海人と山人は仲が悪かった。海人の子供たちがオキナに会いに山の方へ、山人の子供たちがふもとへ行くのが、よくないことだと思ったのだ。
 大人たちはオキナに、子供たちに変なことをしないでくれと言った。オキナは何も変なことなどしていないと思っていたのだけれども、大人たちにはオキナの言うことがわからなかった。最後に大人たちはとうとうあきらめてしまった。
 オキナは子供たちに星の話をして聞かせた。それから、雲や風や、雨の話。土や木や草や、薬の話。土や石の話。海や山に住むいろいろな生き物の話。海の上にある道の話。オキナが昔いた遠い土地の話。それから旅をして歩いたいろんな土地の話。その中にはサンバのいた土地もあった。そして昔の人の話。子供たちはいろんなことを聞いてみた。オキナは何でも知っていた。
 そのうちにオキナは沼を埋めてしまった。やがてそこには一面に青い草が生えた。
 大人たちはまたオキナのところに行って、オキナに変なことをするなと言った。沼を無くしたりしたら沼の神様のたたりがあるぞ、と言ったのだ。それでもオキナはにこにこ笑っているばかりだった。大人たちはあきらめて、オキナは狂っているから近寄らない方がいいと言い合った。子供たちにもオキナに会ってはいけないと言って聞かせたが、子供たちはやっぱりオキナのところへ行くのだった。
 やがて沼の草は粒々のついた穂をつけ、そしてやがて黄金色になった。それは稲というものだった。稲から取った米はとてもおいしかった。子供たちはそれを家に持って帰って大人たちに見せた。大人たちは気味悪がって手をつけようとしなかったが、子供たちがうまそうに食べるのでおそるおそる口に入れてみると、びっくりするほどうまかった。
 大人たちはオキナのところへ行ってそれを分けてもらおうとした。しかしオキナは、全部食べてしまわないで次の種を残しておくのだと言った。大人たちにはわからなかったので、サンバが籾を播き、稲を育て、米を取る仕草をまねて見せた。それがあまりおかしかったので、大人たちは皆笑った。
 山のふもとに新しい村ができた。それは稲を作る村だった。稲はよく実り、その村のおかげで海人と山人もだんだん仲良くなっていった。
 オキナは大人たちにもいろいろなことを教え、天候を占ったり、病を治したりして、誰からも尊敬されるようになっていった。
 オキナはそれから百年あまりも生き続け、ある日また舟に乗って海の向こうへ行ってしまったそうだ。村人たちはその後もオキナをしのんで、毎年オキナをまつる踊りをしたそうだよ。

(了)


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