タムラ3414

 長いトンネルを抜け出る時のような感じで、どんどん視野が拡がりつつあった。ワープの終わりに近づいているのだ。空間のゆがみが消え去るのを待って、俺はテレサイトスコープのスイッチを入れた。もどかしい思いで見つめる俺の目の前で、走査中を示すシグナルが点滅を繰り返し、やがて緑色になる。フォーカスが決まった。
 突然、メインパネルに巨大な球が出現した。俺は息をのんで、久しぶりに見る青い色の星の姿に見入った。地球を飛び出して以来初めて見る、美しい水の惑星だった。

 俺が地球を離れたのは、俺自身の時間で、もう何年も前のことだ。二度と帰るつもりはなかった。とにかくこんな遠くまで来てしまえば、固有時間の相対性収縮でもとの時代の地球にはもう戻れないし、俺は浦島太郎などにはなりたくない。
 信じてもらえないかもしれないが、俺はここにたどり着くまで、ほとんどと言っていいほどためらいを感じなかった。太陽系の外縁まで出て、最初の恒星間ワープのために亜空間に飛び込んだ時も、吸い込まれるように消えていく太陽の映像を平然と見送ることができた。
 母なる地球と永遠の訣別をするという感傷はなかった。俺は冷血漢なのだろうか、と自分でも思った。しかし涙などはこれっぽっちも出てこなかったし、もしそんな弱気がちょっとでも感じられたら、取り返しのつくうちに引き返して、こんな遠くまで来ることはなかっただろう。
 なぜ俺は地球を捨てたのか。
 俺は2559年に生まれた。その頃の地球といえば、地表の大部分はおろか、海底や地底までが生活圏として開発され、居住性ということに関してはすでに飽和状態に達していた。その100年前に発足した地球連邦会議は、その成立前後の危機を乗り越える過程でかなり過激な環境調整を行う権力基盤をうち立てていた。そのおかげで、生産と消費、エネルギーの循環は地球規模の管理下におかれ、からくも微妙なバランスを保ち続けることができた。そうでなければ、人類は本当に窒息してしまっていたろう。
 しかし、そうして成立したバランスというのは、早く言えばそれは全地表が集合住宅と化したようなものだった。生産と供給のシステムは海上と地下に張り巡らされたプラントネットワークに納められ、いかなる場所であれその恩恵にあずかることができた。
 もはや秘境という場所は地球上に存在しなかった。それどころか、地球上のあらゆる動植物が人類の管理下に置かれ、長い間人々が自然という言葉で呼び慣わしてきたもの自体が存在しなくなっていた。
 もちろん、俺が物心ついた時はすでにそういう状態が当たり前のことだったから、それに対する疑いなどは持たなかった。俺が我慢できなかったのは、ひとえにあの生活の単調さだった。それは、ただ生きるための、しかも地球で生きていくための唯一の生活の方法だった。俺は自分がこれから、あと何万回かの同じような一日を繰り返して生涯を終わるのだと知った時、もう二度と逃れることのできない深い虚無感に捕らわれた。
 回りを見れば、そこには気楽そうに暮らしている人々がいる。彼らはこの単調な生活に飽きているのかいないのか、それともそんなことすら感じなくなっているのか。
 ある者は学問や芸術に没頭していた。俺も一時期はその一人だった。しかしそのうち、俺はそれもやめた。何を学ぼうが何を主張しようが、結局生活は一通りしかないのだ。変える余地のない世界や人生について、何を考えるというのか。官能を刺激してつかの間の充実を味わうという思いは、俺の虚無感をいっそう深めるばかりだった。
 俺の悩みに答えてくれるものは、何もなかった。
 宇宙移民という希望を抱いたこともある。しかしそれが巨大プラントを中心とした大船団によって構成され、地球での日常以上に自由の少ない、管理され尽くした生活を要求されると知って、あきらめた。そして同時に、その移民の未来を想像して俺はため息をついた。宇宙のどこか遠くに、結局はこの地球と同じような、平穏にして無意味な生活というものを築くだけのことではないのか。
 俺は絶望した。ただのあきらめではない。それまで心の拠り所にしていたものすべてに対する愛着を、失ってしまったのである。
 俺は宇宙船を盗み出して、地球を飛び出した。アンドロイドかサイボーグが乗り込むような長距離探査艇を改造し、無理矢理サバイバル用のプラントを積み込んだ代物である。生還どころか、生きてどこかにたどり着けるかどうかさえわかりはしない。それでもかまわなかった。
 俺が何か求めていたとすれば、それは「楽園」だったかもしれない。俺という有機生命体を、同じ有機的な連鎖で構成された環境が包み込んでくれる、そんな世界が宇宙のどこかにあるのなら、……そんなことを夢見ていたのかもしれなかった。

 母船をその惑星の衛星軌道に乗せると、俺は着陸探査用のポッドに乗り込み、緑色の植物群生が観測された地点へ向けて降下していった。草原と言っていい光景が見られるはずだ。スペクトル分析では地球の植物に酷似した組織を持っている可能性が高い。大気組成から見てもこの星は地球型の、正確に言えば昔の地球型の生物相を持っていると期待してよさそうだった。
 もともと太陽に似た恒星を頼りにして銀河を巡ってきたのだから、確率は高かったわけだが、それにしてもこれほど地球に似た星に、こんなに早く出会おうとは思ってもみなかった。
 俺は気密服を着けずに外へ出ることにした。コンピュータの環境測定評価はAAランクの安全を示していたが、もちろん万一ということはある。しかし、その万一は俺にとってどうでもいいことだったし、何よりもこの星を自分の肌でじかに感じてみたかったのだ。
 俺は意外に柔らかい、短い草の上に降り立ち、胸一杯にこの星の大気を吸い込んだ。すがすがしい、しかし独特の香りをもった空気だった。この星の匂いというべきものかな、と俺は思った。
 その時、俺は思わず自分の目を疑った。草原の彼方から、何かが近づいてくるのが見えたのである。
 冷静に考えてみれば、この星の生物相には当然動物も含まれているはずだったから、それは当たり前のことだったのかもしれない。しかし俺には一瞬それが奇妙な、あり得ないことのように思われた。たぶん、俺の考えていた楽園というものがきわめて植物的なイメージだったからなのだろう。
 しかし、こちらへ近づいてくるものの姿がはっきりとわかった時、さすがに俺はもう一度信じられない思いを味わった。なんとそれは、人間だったのである。
 いや、それは人間ではなかった。次第に近づくにつれ、それははっきりとわかった。二本足で直立歩行をし、二本の腕を持ち、頭には目と口、おそらくは耳と鼻もある。素材はわからないが、衣服すら身につけている。俺自身と驚くべき相似形を持ったその生き物は、それでもやはり人間ではあり得なかった。皮膚の色つや、各器官の形状、バランス、そのすべてが、彼が俺とは異なる由来の生物であることを物語っていた。
 彼、と言ってみたものの、もちろん男か女かもわからない。それどころか、男女性という概念がこの異星人に適用できるかどうかさえわからないのだ。俺がそんなとりとめもないことを考え続けている間に、「彼」はどんどん俺に近づいてきた。「彼」が俺を目指して真っ直ぐ歩いてきているのは明らかだった。
 どうすべきか、何も思いつかず、ぼんやり眺めているだけの俺の目の前まで来ると、「彼」はいきなりそこへ座り込んで、何か訳のわからぬ言葉らしきものを発しながら、俺に向かって頭を下げはじめた。俺は途方に暮れたまま、ジャケットのインカムからコンピューターが「言語解析を始めます」と冷静に報告するのをまるで他人事のように聞いていた。
 そして小一時間もたったろうか、根気よくしゃべり続ける「彼」の言葉がやっと翻訳されてインカムから流れ出した。
「……こうして、お待ちしておりました」
「何を待ってたって」
 俺の言葉が逆に翻訳されたのだろう、スピーカーから耳慣れぬ音声が流れ、彼の顔に喜びの、らしく思える、表情の変化が現れた。
「おお、やっと通じたのですな」
「何を待ってたと言ったんだ」
 俺は繰り返した。彼はもう一度身構え直すと、はっきりと答えた。
「あなた様をでございます」
「この俺をか」
「そうです」
 そう言いながら彼は片手を胸の前で前後にぶらぶらと振った。妙な感じだったが、それが肯定の身振りなのかもしれない。
「しかし、あんたはこの俺を知らないはずだ。何百光年もの彼方からやってきて、初めてこの星にたどり着いたばかりなんだからな」
「あなた様はこの星を救うためにおいでになったのです」
「この星を救う、だって。そんな大それたことがこの俺にできるもんか。だいいちお前らに何かしてやるような義理なんか、どこにもない」
「そんな……」
 彼はショックを受けたように、両腕を抱え込んだ格好でぴくぴくと痙攣した。俺はそのオーバーな身振りに思わず慌ててしまった。
「おい、そんな大げさに驚くなよ。とにかく訳を聞いてみるから、落ち着いて話してくれ。俺の名は……タムラ」

 後にわかったのだが、あの大げさな身振りはどちらかといえば強い疑問を表すものだったらしい。それはともかく、彼の話というのはおおよそ次のようなものだった。
 彼の名はエンチン。俺には見当がつかなかったが、彼の種族の基準では相当な高齢だった。彼の身分は、ある宗教的な職官、いわゆる僧侶にあたるものらしい。彼が俺を待っていたということも、実はそのことに関わっているのだ。そもそもことの始まりは、彼が生まれるよりもさらに遠い昔にさかのぼる……。

 どのくらい以前のことかははっきりしないが、かつてはこの星の種族も宇宙へ進出した時代があった。同じ恒星系内の惑星に基地を作ったり、さらには他の恒星系までも到達した。そうして、文明の絶頂期を迎えようとしていた時期のことである。彼らは遠く離れた恒星の惑星で、異種の生命体と接触した。それはその惑星の原住種族ではなく、彼らと同じく他の星からやってきた宇宙進出の先鋒隊であった。そして、何が原因だったのか、今となっては知る由もないが、それら二つの種族の間に争いが起こったのだ。
 衝突は次第に激化し、とうとうその惑星を巡っての戦争にまで発展してしまった。その星には貧弱な資源しかなかったとも言われているが、戦いは泥沼となって長い年月続いた。そして最終的に、彼の種族は戦争に敗れてしまった。それ以来、この星では宇宙へ出ていくための工業技術を奪われてしまい、その異星人、彼らがチカタと呼ぶ種族の植民地として支配されることになったのである。
 チカタは、行政官らしきものをこの星に置かなかった。何度か試みられたことはあったが、いずれも失敗した。それほどに生活、文化の異質な相手だったのだ。チカタは、その代わりに略奪の形をとった。年に一度、収穫のいちばん多い季節にやってきて、有機貯蔵物、鉱物、工業製品などを大量に奪っていったのである。そのたびに小さな衝突や摩擦は絶えず起きたが、長い間のうちに両者の間には妥協が成立するようになっていった。あからさまに言えば、この星の種族が反抗するだけの気力を失い、チカタにおもねるようになったのである。
 エンチンが生まれたのは、すでにそういう状態の頃であった。彼は少年の頃から、なぜ自分たちはこういう苦しみを受けなければならないのか、悩み苦しみ、宗教にその答えを求めようと決心した。しかしそんな答えなどはどこにもなく、彼の目に映るのは、この星の社会の内部においてすら、荒涼とした力のぶつかり合いだけだった。絶望した彼は聖職の道に入るのをやめようとさえ思ったが、そんなある日のこと、不可思議な出来事が彼の上に起こったのである。
 それは彼が瞑想にふけっている最中のことであった。どこかから、彼の名を呼ぶ声がした。辺りを見回しても、誰もいない。彼は立って、その声の聞こえてくると思われる方へ足を向け、知らず知らずのうちに歩きだしていた。どれほど時間がたったのか、気がつくと辺りはもう暗く、彼は人っ子一人いないような、山の上に立っていたのである。
(ソウダ、エンチン、オマエハココデマツノダ)
 彼はようやく、その声が自分の頭の中で響いているのだということに気づいた。
「待つとは、何を待つんです」
 彼は問いかけるようにつぶやき、空を見上げた。そして、「それ」が降りてくるのを見た。彼はまたもや放心状態になり、再び我に返ったとき、今度は金色の光の中に包まれていた。
 それはただの宇宙船だったのかもしれない、とエンチンは言った。しかしその時はそれが神であると、彼は信じたのである。そして彼の前に、やはり光り輝く人影が現れ、彼に話をした。それは彼自身と同じような、いや、今となってみるとむしろタムラによく似た姿形をしていた。それは自らセンジュと名乗り、ひとつの予言をしたのである。即ち、いつの日か天空の彼方から一人の戦士がやって来て、チカタの手からこの星を救うであろうと……。

「そして、今までずっと待ち続けたのか」
「はい」
 エンチンは然り、と強調するように手をぶらぶらと振った。
「疑いはしなかったのか」
「もちろん、何度も迷いました。自分で言うのもなんですが、あまりに突拍子もないことですからね。しかし私はそれを信じて、再び聖職の道を行く決心を固めたのです。それどころか、私が聖職者として生きるよすがになったと言ってもいい。早い話が、それは今日まで、私が生きるための唯一の希望だったのですよ」
「そしてその実現がこの俺だ、というのか」
 老人は黙って片手をぶらぶらとさせた。
「ばかな、むちゃくちゃだ。この俺が、どうやってひとつの星を救えるっていうんだ。俺がこの星へやって来たのはただの偶然なんだし、きっと人違いさ、そうに決まってる」
 エンチンは顔をゆがめた。苦しみと悲しみの入り混じっているのが直感でわかるような、そんなゆがみ方だった。
「……私がここへきて、あなたを見たとき、私にはわかりました。あなたがその人だと。これは私の聖職者としての直感でもあるのです。あなたは何事かを成し遂げるにちがいありません」
「坊主の直感なんて、あてになるもんか。何事か成し遂げるって、何をやればいいんだ。俺には何も思いつかないぞ」
 エンチンはいきなり立ち上がった。
「いつまでこんな話をしていても埒があきません。私があれに出会ったところへ行ってみましょう」
「そこに、なにかあるのか」
「センジュの残した、石碑です」
 俺は黙ってエンチンの後に従った。こんな遠い異境の星で、何かが俺を待っていたなどとはとても信じられなかったが、不思議な予感は俺の中にも芽生えていたのかもしれない。
 俺たちはなだらかな山の斜面をまっすぐに登っていった。俺はすぐに息が切れはじめた。宇宙船の長旅でさすがに体がなまっている。こんなざまで何が星を救うだ、とエンチンに言ってやりたくなったが、彼の真剣な横顔を見て口をつぐんでしまった。
 黙々と登り続け、そしてようやく頂上らしいところまでたどり着いて、彼は振り返り、俺を促すように手を振った。俺は最後の一息を登りきり、彼の横に立ってその前方を見渡した。そこにはほぼ円形の広大な盆地が拡がっていた。
 カルデラだな、と俺は思った。直径数キロはありそうだ。エンチンはさらにその盆地の中央を目指して緩やかな勾配を降りていく。見たところかなり古い山らしく、湖だったこともあるのではないかと思えた。居住性は悪くなさそうなのに、なぜ人っ子一人いないままで放置してあるのだろう。そう考えて、これは人工が極限に達した地球式の思考だと気づき、俺はひそかに苦笑した。
 平らになった盆地の底をさらに進み、ほぼ中央まで来たところに、それはあった。見たところ、ちょっと大きめの平たい岩である。自然のもののようであり、特別なところは見あたらない。しかし、近寄ってその表面に彫り込まれたものを見たとき、おれはこの星に来て二度目の、いや、今度こそ最高の衝撃を受けた。そこに刻まれていたのは……。
「読めるのですか」
 エンチンは興奮した声でささやき、俺の顔をのぞき込んだ。俺はうなずこうとして、ふと気がつき、代わりに片手をぶらぶらと振ってやった。
「おお……」
 畏れのこもった小さな叫びがエンチンの口から漏れた。俺だって叫びだしたかった。それは、……それは、日本語だったのだ。
 日本語。俺が生まれる数世紀も前に使う民族がなくなって、文献と音声記録の中だけに残されていた古典言語である。俺の母方の直系が日本人だったので気まぐれにマスターしてみたのだが、俺の知る限りほとんどの人にとっては存在すら知られていなかった。それがこんな、何百光年もの宇宙の果てに、いったい誰が彫り残したというのだろう。センジュという、エンチンに予言を残したそいつは、地球人だったのだろうか。そしてそいつは、やがてこの星にやってくる、日本語を読める者のために、これを残したというのだろうか。この俺が、待たれていた者なのだろうか。……俺は混乱した頭を押さえるように、その、日本語の中でも最も簡略化された表音文字の行列を見つめ続けていた。
−ナンジコノトコロニアツテイチニンノダンナヲマチダイガランヲコンリウスベシ。

 汝、この所にあって、一人の檀那を待ち、……これはセンジュがエンチンに命じたそのことであり、檀那というのが俺に当たるわけだろう。だが、大伽藍を建立すべし、とはどういうことだろう。大伽藍というそのままの、宗教的な建築物を造れというのか。どこに、……このカルデラにか。もしそうだとすればどのくらいの大きさのものを。この盆地の中央に、千人も入るような礼拝堂を建てるのか。それとも盆地全体を覆うような巨大なものでもぶっ建てるか。……我ながらばかばかしいことを考えているのはわかっているが、自嘲の笑いも非現実的に響く。
 よし、とにかくなんでもいいから建てたとしてみよう、それでどうなるか。チカタはやはりやってくるだろう。チカタの略奪に対して、それはなんの役にも立つまい。同じことが繰り返されるだけだ。それとも、精神的にこの星の人々を救えというのか。そんなこと、俺にはできやしないし、したくもない。エンチンがそれをやるのだろうか。だとしたら、なぜ俺が待たれていたのかがわからない。それに彼は……、エンチンのことを思い浮かべて俺は首を振った。彼がそんな解決を望んでいるとは思えない、そのことについては奇妙なほど強い確信があった。あいつは俺とは違う。自分の星を捨ててこんな遠くまで逃げてきた俺なんかとは……。
 俺は腰をおろした地面に身を投げ出して、混乱した頭を露を含んだ草の上に押しつけた。ひんやりとして気持ちがいい。頭上にははるか、無数の星が輝いている。ここには俺の求めていた自然の空間があった。
「どうしました」
 エンチンが俺の横に来て、腰をおろした。
「碑文の意味を考えていたのさ」
「わかりましたか」
「さっぱり、さ」
「タムラ……、あなたは自分の星を捨ててきた、と言いましたね」
「気に入らないか」
「いえ……、もし私だったら、と考えるのです。ご存じのように、この星には宇宙船がありません。しかし、もしあったら、私は逃げ出すこともできたはずです。それでも、もしあったとしても、私はそうしなかったろうと思うのです」
 俺はエンチンの目を見つめた。彼は言葉を選ぼうとするように、ちょっと口をつぐんだ。
「それは……私には、苦しみを共にする幾千万の人々がいたし、明確な敵であるチカタの存在があったからだと思います。タムラ、あなたが地球を離れることができたのは、あなたが孤独で、なんの目的もそこになかったからではないですか」
 俺は思わずうなずいてしまったが、エンチンはその仕草をわかってくれたようだった。
「今のあなたを見ていると、とても故郷を捨てられるような人には思えないのですよ、タムラ」
「そうかね」
 俺は悲しげな微笑を浮かべた。彼の言うことは当たっている。俺は今、地球を懐かしがっていた。
「もう地球には戻れないのですか」
「俺が地球を離れてから、地球ではもう800年以上たっているはずだ。ワープと言っても不完全亜空間を使ってやるものだから、一定の相対時差が生じるのさ、疑似亜光速飛行と言ってもいい。俺は800年以上もの間、一人で宇宙をさまよっていたわけだ」
 エンチンはいたましげな目で俺の顔を見つめていた。俺は目をそらし、星空を見上げた。
「センジュがやってくるってのは、どっちの方角なんだ」
 エンチンは夜空に向かって迷わず指を上げ、見慣れぬ並び方の星の一角を指し示した。この星でも星座があるのか、あれはなんという星座かな、などと考えているうちに、何か、俺の頭の中で結びつこうとしているものがあった。信じられぬ思いで、俺はそこから導かれる結論がなんなのか、あれこれ考えようとしてみた。しかし、憶測だけではなんの意味も持たない。データが要るのだ。
 俺はびっくりしているエンチンを横目に、インカムで母船のコンピュータを呼び出し、もどかしい思いで指示を出した。時差、星図、そして、歴史だ。
「どうしたのです、タムラ」
「エンチン、チカタのやってくるのはいつ頃だ」
「収穫月の後半です。それはほとんど動きません」
「あと何日ぐらいあるのか知りたい」
「二百と……七、八十日ぐらいです」
「この星の自転と公転周期は計測済みだ。275日プラスマイナス10日で挿入する」
 エンチンはもの問いたげな様子だったが、俺が複雑な計算に取りかかったのがわかったらしく、黙って見守ることにしたようだった。母船のコンピュータと時折やりとりし、膨大な量のデータをモニターする。いつのまにか空の一角が白み始めていた。
「あったぞ」
 俺は思わず歓声をあげた。エンチンがはじかれたように近寄ってくる。
「わかったのですか」
 俺はデータの奔流から拾い上げた一粒の砂金のようなその結果を読み上げようとして、顔をしかめた。
「これは、しかし……」
「どうしたのです」
「……反陽子ミサイルの群れが、この星をめがけて飛んできているんだ」

 ここでまた、過去のことに触れなければならない。
 それは、地球連邦会議が発足するよりもさらに十数年前、2445年のことである。それまで有力な国際協議の場がなかったために、すでに一千年紀末から顕著になっていた武力による政治均衡はいよいよその色を濃くしていたが、21世紀に開発された反陽子爆弾の配備によって、とうとう決定的な段階を迎えた。それまでの放射性核爆弾なら、大規模な地下シェルターによって生き延びる可能性もあったし、あるいは宇宙に避難するという方法も考えられた。しかし、反陽子爆弾は最強のものなら一発で地球を砕くことができるのだ。それと同時に、反物質エネルギーの応用で射程性能も飛躍的に高まった。地下はおろか、宇宙へ逃げ出しても狙い撃ちにされる。そしてうまく回避したとしても、帰るべき大地はもうない、そういう状況になってしまったのだ。
 もし本当にあの時戦いが起こっていたらどうなっていたか。おそらく地球が粉みじんになるだけでは済まなかったろう。月はもちろん、脱出した人間が生存可能と思われるところはみな破壊の対象となったはずだ。その結果は、惑星も衛星もすべて無数の岩塊と化し、太陽系は小惑星と彗星が飛び交うだけの宇宙の墓場になっていたに違いない。2400年には全世界で、地球を数千回粉々にできるだけのミサイルが保有されていたのである。
 しかし、最悪の危機は回避された。人類は最後の最後で理性の光を取り戻した。たとえそれがいかに滑稽なやり方だったにせよ。
 まことにばかばかしい話なのだが、武装解除というのは一方的に強制するのでなければ完全に足並みがそろわなければならない。ミサイルのコントロールはすべてが巨大な軍事システムに組み込まれ、党の政府ですらややこしい処理を経なければ手をつけられない状態になっていた。単純に一発のミサイルを無力化すれば、その瞬間に軍事バランスが崩れ、緊急事態宣言が飛び出しかねない。もう一つ、それだけの膨大なエネルギーを爆弾でなくしてしまった場合、とても処理しきれない余剰が生じるという問題もあった。
 その結果が、あのお祭り騒ぎであった。すでに処理済みのものと、他のエネルギー源に転用するものをのぞいて、世界中の反陽子ミサイルを一斉に宇宙へ向けて発射したのだ。信管もつけたままで、空の一角へ消えていくロケットの火を見つめながら、人々はそれを世界平和を祝福する花火のように賞賛したという。
 たしかにその後地球には平和な時代が来た。しかし発射されたミサイルの群れが最終的にどこへ行き着くのか、誰もまじめには考えていなかったのだから、無責任だと思わずにはいられない。その頃の観測装置や軌道計算の限界、あるいは外宇宙への進出がまだ夢物語だったことを割り引いても、である。俺だってそんなことはこれまで忘れていたのだから、人のことは言えないが。
 そう、それは近づきつつあった。コンピュータのデータベースに残っていた軌道記録は、この星の近傍をミサイル群が通過する可能性を示唆していた。
 俺には何か責任があるだろうか、と思った。昔の地球人の不始末の尻ぬぐいをしろ、というのはあまりにも理不尽だとは思うが、この星の連中の言い分としてはわからなくもない。だが、どうすればいいというのだ。相手は秒速数千キロで突進してくる、生の爆弾なのだ。手のつけようなどあるはずがなかった。
 俺が期待していたのは移民船団か何か、一応の武装を持った援軍になるようなものであって、まさかこんなことだとは思ってもみなかった。誰かが新たにやってくる可能性が消えたわけではないが、それよりまず危険が迫っているのだ。下手をすればチカタどころか、この星そのものが吹っ飛ぶことになりかねない。俺は他のことはさておいて、反陽子ミサイルの群れを探し出すことに全力をあげた。とにかくその正確な軌道だけは割り出さなければならない。

 丸三日かかって、俺はようやくそれらしき移動物体を捕捉した。テレサイトスコープは真性のワープ効果を使っているので相対時差はないが、極端な遠距離や高速度の移動体に対しては明確な像を得ることが難しい。旧式のレーダー像のように明滅する光点から、それでもかなり正確な軌道を計算することができた。
 一千年近くもの間宇宙を飛んでいたのだから、途中で何かとぶつかってとっくに消滅しているのではないかとも思ったのだが、幸か不幸かそれは相変わらずこちらめがけてまっしぐらに進んできていた。
 幸か、なんてことがあるのだろうか。軌道計算の結果、この星が直接衝突の的になる危険性はほとんどないことがわかった。宇宙空間の広大さから見ればすれすれのところをかすめていくことになるが、不幸中の幸いと言ってもいいかもしれない。しかし俺の頭の中には、これがもしかしたらとんでもない幸運なのではないか、というばかばかしい考えが浮かび上がってきていた。迷ったあげくエンチンにそのことを話すと、さすがの彼も信じがたいという表情を隠さなかった。
 俺の考えというのはこうだ。反陽子ミサイルの群れはこの星の数十万キロ付近まで最接近することになる。その時期はあと273日。チカタがやってくる収穫月の後半にちょうど一致する。ひょっとするとチカタの船団とミサイル群が鉢合わせすることになるかもしれないのだ。一発でも衝突したが最後、チカタなんぞかけらも残らない。
「しかし」
 エンチンは真剣な顔で言った。
「チカタがぼんやりミサイルの群れと衝突するのを待っているでしょうか」
「ミサイルの速度は秒速千キロ以上だ。チカタがもしワープか、それに類似した航法を採っているとすれば、そのワープ終了直後にそれをよけることは不可能だ。ワープの間はまるっきりの盲目になるんだからな」
 エンチンは難しい表情を崩さなかった。俺はちょっといたずらっぽい興味で彼の口元を見つめていた。
「たしかに、そういうことが起こりうるとは認めましょう。しかしそれは、時間的にも、空間的にも、ただ一点に両者が一致しなければなりませんね。その確率は」
 俺は両手をあげて降参のポーズを作ってみせた。
「ゼロさ、ほとんど確実にね。あんたのいうとおりだ。まず、あり得ないことだろうな」
 俺はエンチンが落胆するだろうと思っていた。ところが彼は、相変わらず真剣な表情をしていた。
「しかし、もし仮にそうなるとすれば、あの碑文の意味はどうなるのですか」
 意味だって、そんなもの、と言いかけて、俺は愕然とした。それがあったのだ。もし本当にそれが起こるとすれば、すべてつじつまが合う。しかし……。俺は自分でも効き目を信じていない薬を売りつけようとするセールスマンみたいに、あやふやな顔でエンチンにそのことを説明した。
「もし、反陽子ミサイルがチカタの船団とぶつかったとすれば、大爆発が起きて大量の放射線が発生するはずだ。爆発の規模と距離にもよるが、ひょっとすると危険な量の放射線がこの星まで降り注ぐかもしれない。大伽藍、というのがもし巨大なドームを意味するのだとすれば、それは放射線を遮蔽するシェルターを作れということになる」
 エンチンはじっと体を固くしていた。何を考えているのか、俺にはまるでわからなかった。いきなり彼は立ち上がると、命令するような調子で言った。
「タムラ、私といっしょに来てください。そしてシェルターを作るのに力を貸してください」

 エンチンが何を考えているのか、俺には理解できなかった。奇跡を信じているようにも見えたが、彼がそんなに非合理的な考え方をするというのが、俺には納得いかなかった。センジュの予言を信じていることを知っていながら、奇妙なことだが、俺にはそんな風に思えたのである。しかしそんなことを話してみる暇もなく、工事は始まってしまった。
 何しろとんでもない大事業である。どんな方法で人々を説得したのか知らないが、彼は俺が思ったよりもずっと権威のある人物らしかった。俺はシェルターの設計と工事の指揮を任されて、すぐに忙しくなった。エンチンの方は同じようなシェルターを各地に作るよう呼びかけるためにあちこちを飛び回っているらしく、しばらくは会って話をすることさえできなくなってしまった。
 石碑の立っていたカルデラに、俺はドームを作ることにした。実に恰好の場所で、完成すれば数十万人を収容することができるだろう。電磁波、荷電粒子、重質量粒子を遮蔽するために、三層の天蓋を作らねばならない。最低限の生活が営める設備も必要だし、ことによると、動物や植物までをも収容しなければならないかもしれないのだ。自給自足が可能と思われる一般住居があれば、おのおのシェルターに改造できるように指導もした。しかし工業力の余剰はあまりなく、そちらへ回せる資材は少なかった。それより何より、時間がなかった。
 工事には相当な人数があたっているようだったが、俺が直接交渉するのは十数人の各部門の責任者たちだけだった。俺にはどいつもこいつも同じように見えてしまい、名前と役柄を覚えるのがひと苦労だった。異星人である俺に対して心を閉ざしているせいなのだろうが、俺には彼らがたいした感情も持たず、ただ黙々と働いているようにしか見えなかった。エンチンに見たような豊かな感情の片鱗も、彼らの中に見いだすことはできなかった。俺にはそれが不気味なものに思えた。しばらく会わないでいるうちに、エンチンまでも、実はその正体は見るもおぞましい怪物なのではないか、などという妄想を抱いたりもした。
 しかし、それとは別に俺はある事態を恐れていた。あまりにも事がうまく運びすぎていた。そして、恐れていたとおりのことが現実となって現れたのは、工程がやっと半ば近くにさしかかるという頃だった。

 まだ年の若そうな、街の住民らしく見える一団が、俺に会いたいと言ってきた。俺はすぐに会って彼らの話を聞いた。彼らは俺の指揮している大ドーム建設について、問い質しに来たのだった。俺の推測は的中していた。エンチンは彼らに嘘をついていたらしいのだ。工事の内容が技術者などから伝わったらしく、事と次第によってはただではすまさないという、緊迫した空気が彼らの態度に表れていた。
 いったい何を話していいものやら立ち往生しているところへ、どう聞きつけてきたのか、エンチンが姿を現した。
 久しぶりで見る彼の顔へ、懐かしさと疑問のこもった視線を投げかけると、彼はわかっているというように黙って目配せした。若者たちの視線が彼の方へ集中する。その中の代表格らしい一人が口を切った。
「エンチン、私たちはあなたにお尋ねしたい。このばかげた大工事の真の目的はなんなのか」
 エンチンはごまかせない雰囲気を悟ったようだ。ゆっくりと、探るような口調で、予言のこと、俺の来訪、そしてその結果起こるべき事態と、この工事の必要なことを語った。
「では」
 ざわめき立つ仲間を抑え、若者は言った。
「あなたはその予言を信じているのですか」
 エンチンは重々しく片手を振った。
「詳しいことはわからないが、そんなことの起こる確率はきわめて低いはずだ。もしそれが起こらなかった場合には、どうなさるおつもりです」
「どうするとは」
「チカタがこのドームを見たときに、我々の反逆の意志と感づくかもしれません。その上これだけの大工事をやれば、彼らの略奪できる物資も少なくなります。そうなるとチカタの態度が攻撃的になる危険性を考えなければなりません」
「それで」
「それで、とは」
「チカタの支配にこのままずっと甘んじるべきだというのか」
「そうは言っていません」
「そういうことになってしまうのだ」
 エンチンの口調には静かな怒りがこもっていた。
「だからといって、あなたの言うような無謀な賭をすることはできない、と言っているのです」
 若者の顔は、言葉の鋭さに比べて平静そのものだった。俺には、エンチンの胸の中がじりじりといらだっているのが手に取るようにわかった。
「わかった。これ以上話し合っても無駄だろう。工事はこのまま続ける。事後の処理はわしが責任を持って引き受ける。わしを信じられないというのなら、市会議でも宗法庁へでも訴え出ればよかろう」
 エンチンのきっぱりとした態度に、さすがに若者たちもたじろいだ様子で、まだふんぎりのつかない表情のままで立ち去っていった。
 二人きりになり、エンチンは大きくため息をついた。そして俺の方を見やると困ったように微笑んでみせたが、すぐにその悲しげな表情は隠してしまった。
「しばらくぶりでしたね、タムラ」
「ああ」
「工事の方は、順調に進んでいるようですね」
 俺のもの問いたげな視線から、エンチンはまぶしがるように目をそらせた。
「なんとも……お恥ずかしいことです」
「本当のことを隠して工事を始めたことがかい」
「それもありますが、しかしそれより、あの若者たちのことです」
 俺はそうか、とうなずいた。
「あれが、今のこの星の社会の一般的風潮そのものなのです。あなたも気づいたかもしれませんが、これだけの大工事に相当な人数が携わっていて、特に目的を知らされてもいないのに、疑うこともなく働いている。与えられた立場にひどく従順なのです。その点では今の彼らも同じようなものだ。あのような性質が、チカタの支配を続けさせている要因なのです」
「でも、彼らのいうことは理にかなっていると思うがね」
「そうですね、あれはあれで文句のつけようのない論理です。しかし一方には、命を捨てても支配に抵抗するという論理だってあります。私が言うのも変ですが、彼らの論理は老人のものです。あまりに臆病すぎる。多少チカタの機嫌を損じたからといって、それは現状と対して変わったものではありませんよ。大きな目で見るならね」
「エンチン、君は……本当に奇跡が起こることを信じているのか」
 エンチンは首を傾げ、それから横に振った。
「信じたがっているのは認めますが、信じてはいません」
「それならなぜ、あえてシェルターを作ろうとするんだ。賭か」
 エンチンは黙って足元に目を落とし、それからおもむろに口を開いた。
「賭です、しかし、あなたが言うのとは違う意味での。たしかに、チカタの撃滅という夢のようなことも考えないではいられません。さっきの若者たちの話のとおりの危険性も考えに入れなければならない。しかしもっと切実な問題があるのです。チカタとぶつかるにせよ、そうでないにせよ、反陽子ミサイルが接近しているのは事実です。この星に直接当たることはまずないということですが、しかしそれ以外の危険性もゼロではありませんね」
 俺は強くうなずいた。
「チカタとではなくとも、ミサイルがこの星の付近で何かと接触するかして爆発しないという保証はどこにもありません。チカタを度外視して考えても、種族の滅亡という危機が万に一つの確率ですが迫っているのです。今世界各地でここと同じようなシェルターを作っていますが、せいぜい数百個が限界でしょう。一か所に平均十万人収容したとしても、合計一億に達しません。この星の人口は約十億です。もし殺人的な放射線に見舞われたとしたら、滅亡は免れてもたったの一割しか生き延びられないということになります」
 十億の命。俺は今までそのことにまったく考えの及ばなかったことに、我ながら唖然とした。
「ですからこれは、我々の種族を守るための、割に合わない、それでもやらざるを得ない、そういう賭なのです」
 おれはこの小柄な老人を、尊敬のまなざしで見つめていた。エンチンは面映ゆげに声を落として言った。
「わかっていただけましたか」
「ああ、よくわかった。だが、なぜそのことをさっき彼らに話さなかったんだ」
「それは、こうです。もし今言ったようなことをすべての人にうち明けたら、果たしてどうなります。十億の人々を残らず収容できるだけの施設を作れればいいが、私でさえ迷うような問題にみながどのように反応するでしょうか。もっと悪いことは、パニックが起こるかもしれないということです。そしてさらに、いつかも話し合ったように、動植物の種を保存するということも考えねばならないのですから……」
 俺の視線は次第に驚嘆と畏怖の色を加えていった。
「ああ、そんな目で私を見ないでください、タムラ。私は聖人なんかじゃない、ただの哀れな老人です。私にとって一人一人の命より、現在保たれているこの世界の調和の方が大切なのかもしれないのです。だから今まであなたにも話さずにいたのですし、どうか、わかってください……」
 おれはこの異郷の老人を、不思議な感動を持って見つめていた。そのあまりに巨大な悩みを負って震えている小さな肩を、抱きしめてやりたい衝動が、俺の胸にこみ上げてきていた。

 その事件をのぞけば、工事はきわめて順調に進んでいった。エンチンに対する訴追がどこかで起きたという話も聞かなかった。心配して彼に尋ねると、彼は苦笑いして、権力ですよ、と言い捨てた。俺はそれ以上そのことには触れなかった。
 お互いに忙しい合間を縫って会うたびに、俺はエンチンと、宇宙や人生や思い出や、そんなことについてとりとめもなく語り合った。彼の哲学的な素養はたいしたもので、情報の蓄積や整理についてははるかに優れた地球の文化水準から見ても、決して見劣りすることはないと思えた。もっとも、俺には理解できないような部分もあるのだから、こちらが優れていると思うこと自体根拠のないことだったろう。それに、俺にとっては知識よりも、彼の心の核に触れることが大きな喜びだった。
 彼の話を聞きながら、見慣れぬはずの星空を眺めていると、俺自身の思い出までがその星々に込められているような、そんな気持ちになってくることがあった。この星の夜空が、俺にとってだんだん親しいものになってきていた。その星も日が経つにつれ少しずつ天空を移動していった。俺にはそれといっしょに止めようもなく流れていく、時というものの名残惜しげなまなざしが見えるような気がした。
 街には、活気のある、しかしそれと同時にどこか虚しさを抱え込んだような、妙な雰囲気が漂い始めていた。収穫月が巡ってくるのだ。今年もまたチカタの襲来に惨めな思いをしなければならないのだろうか。それとも、そんなものは比較にならないような恐ろしい運命が待っているのか。しかしそんなことはほとんど誰も知らない。俺はそんな日々の平穏さを不気味な思いで見守っていた。
 エンチンはいったいどちらを待っているのだろう。俺には正直言ってわからなかった。俺は、……俺はもちろん、この大仕事が無駄になることを祈っていた。センジュがエンチンに告げたという俺の運命とやらが、いったいこの、今起こりつつある現実の中でいかなる意味を持つのか、俺にはいまだによくわからなかった。ただ、ひとつだけ俺に突きつけられた運命があることだけは認めざるを得なかった。広大な宇宙空間とはるかな時を越えて、地球人であるという宿命が俺を追いかけてきているのだということ。
 凶暴な力を秘めた猛獣の群は、宇宙の暗黒の中を、音もなくまっしぐらに突き進んできていた。

 大ドームは完成した。カルデラにすっぽり蓋をしたようなその偉容は、気の遠くなるように長ったらしい外周の縁だけを生々しい白銀色に輝かせて、四方のふもとを見下ろしている。
 できるだけ精密な観測を元に、ミサイルがこの恒星系半径内に到達する前日の日没を、籠城の開始時刻に決めた。新しい施設の試験使用と称して、市民の全員を収容したのである。万一の場合を考えても、十数時間でミサイルは危険区域を通過するはずである。……何事もなければ。
 どうしてもドームに入ろうとしない人々もいたが、結局それはやむを得ず放置するしかなかった。九割方の市民が入ったドームは、それでも過密気味だった。すべての出入り口を密閉封鎖したあと、まず各居住区に向けてエンチンの演説が放送された。説教と言った方がいいかもしれない。それはかなりの長時間にわたるもので、俺は専用にあてがわれた個室の中で聞いていた。独特の宗教用語らしきものが多用されているらしく、あまりはっきりと翻訳されない部分が多かった。気象変動がどうのこうのという話が出てきたのは、このドームの用途の説明のためなのだろう。
 しかし俺は話の中身はよく聞いていなかった。不安な予感が胸をしめつけて、思考を混乱させていたからだった。
 夜になっても、俺はなかなか寝つけないでいた。エンチンは忙しくて、とうとう手が離せない様子だった。床に入ってからも輾転反側して一向に熟睡できなかった。うとうとしかけた夜明け前ぐらいだったか、警報のブザーが俺の目を覚まさせた。跳ね起きて通話器を取り、管制室を呼び出すと、動力制御区域の一つに侵入者の形跡があったが、機器の異常は発見されていないとのことだった。俺はさらに連絡を待って起きていたが、それきりなんの音沙汰もなく、俺はいつのまにか眠り込んでしまった。

 目が覚めて、頭が徐々に元に戻ると、いやな胸騒ぎがした。もう、朝としてはかなり遅い時間である。俺は起きあがってエンチンの部屋へ通話を試みたが、応答がなかった。個室を出ていくとすぐに異常な気配が感じ取れた。俺は足を速めた。
 胸騒ぎは的中していた。観測室も兼ねているドーム中央の広間へ入っていくと、もうそこはひどい人いきれだった。しかもまだ通路から集まってくる人々は増えつつあるようだ。運のいいことに、すぐエンチンの姿を見つけることができた。
「エンチン!」
 彼はおびただしい人の群れに取り囲まれて何事かわめいていたが、俺に気がつくと、来るな、という身振りをしてみせた。だが俺はかまわずに人混みをかき分けて近寄っていった。すさまじい喧噪だった。やっと肩の触れ合うようなところまで来た俺たちは、怒鳴るようにして話した。
「どうしてここへ来たのです、タムラ」
「いったいどうしたんだ」
「これがチカタに抵抗するための籠城だとデマを流したものがあるらしいのです」
「いつかのあの、若者たちか」
「え、なんですって」
 俺はもう一度同じことを怒鳴った。
「そうかもしれません。しかし今は、この騒ぎを収集するのが先決だ。あなたがここにいると」
 エンチンはさらに続けて何事か言ったが、それはひときわ高い群声にかき消されてしまった。それが収まりかけたところへ、今度は拡声器を通した声が響いた。
「みんな、聞いてくれ!」
 人々の視線は声の方へ集まった。俺もそちらを見た。間違いなく、いつかのあの若者だった。数人の仲間を従え、拡声器を構えている。
「みんな、我々はだまされているんだ。このドームの天井が何でできているか、知っているのか。高エネルギーの放射線を遮蔽することができる三層の構造壁なんだぞ。何のためにそんなものが必要なんだ。エンチンは我々に嘘をついている。彼は我々に内証でチカタに反抗しようとしているんだ。これはそのための要塞だ。彼は我々をだましてここに収容して、そしてもう籠城は始まっているんだ。みんな知っているか。もうどこの出入り口も何重にも密閉されて、我々は外へ出ることさえできないんだぞ」
 ざわめきが高まった。俺とエンチンは二人取り残された恰好で人垣に取り囲まれている。いつのまにか俺たちと若者の一団は対決するように向かい合っていた。
「そこにいるのは、見てのとおり異星人だ。やつの話によれば、反陽子ミサイルとやらがこちらに飛んできていて、それがチカタの船団にぶつかるのだそうだ。だが冷静に考えればわかるとおり、そんなことは確率的にほとんど起こりえない。まして素性のしれない異星人の言うことだ。どこまで本当のことかわかったものじゃない。エンチンはやつに踊らされているのだ」
 やったな、と俺は群衆の視線が集まるのを感じながら苦い後悔を味わっていた。しかし、それと同時に俺の頭の中でかすかな警戒のシグナルが点滅していた。どこか、変だ。この違和感は何だろうか。
「こんなところへ立てこもっても、チカタにかなうわけがない。下手に抵抗をすれば、かえってチカタを刺激して、それだけ被害が大きくなるばかりだ。みんな、やめるなら今のうちだ。だまされてはいけない。私の言ったことが本当かどうか、エンチンが話してくれるはずだ」
 群衆は騒ぐのをやめ、息を詰めてこちらをじっと見守っていた。となりでエンチンが体を固くしているのがわかった。息づかいが乱れている。俺は思わず一歩前へ踏み出していた。
「ちょっと待った、その前に、……君」
 俺は内心ためらいながら、しかしそれを悟られないようにできるだけ確信のある振りで、若者の後ろに控えている仲間の一人を指さした。
「いや、君じゃない、そっちの、小さいやつ、そう、お前だ、……きさま、何者だ」
 俺が、取り返しのつかない失敗をしたんじゃないかと頭の隅で考えるのとほとんど同時に、そいつは身を翻して駆けだした。
「待て、そいつをつかまえろ!」
 俺は叫ぶなり後を追って駆けだした。手が腰のレイガンに行きかけたが、俺はそれを抑えた。しかし次の瞬間にはもうそんな抑制は不要になっていた。振り向きざまにそいつの手から毒々しい輝線がほとばしって、俺のそばをかすめた。背後で肉の焦げる音と叫び声があがった。一呼吸で左右に割れた人垣を通して、俺の手に握られたレイガンの照準は、走っていくそいつの背中を捉えていた。俺はためらわず引き金を引いた。気味の悪い悲鳴を上げて、ねじくれた手を奇妙な形に泳がせながら、床へ倒れ込んでいくのが見えた。
 俺は広間から通路へ出る手前に倒れている、そいつのそばへ近寄っていった。もう、ぴくりともしないそれは、なんとも異様な死体だった。衣服の繊維が焼き裂かれている下に、プラスチック製のような皮膜がはぜて、その中から褐色と緑色の入り混じったような粘液状のものがはみ出していた。
 チカタだ、チカタだぞ。そんな声が湧き起こってざわめきとなり、波のように広間を伝わっていった。俺は死体のポケットから取り出したものを手にして、呆然としている若者のリーダーの方へ近寄っていき、その足元に小さなケースを放り投げた。
「起爆装置らしい。おそらく騒ぎを大きくしておいて、動力炉かどこかを破壊するつもりだったのだろう」
 若者は血の気の失せた顔を、がっくりと垂れていた。

 エンチンは賞賛と驚嘆の入り混じった目で俺を見つめていた。今度は俺が照れる番だった。
「いったいどうやって、あいつがチカタだということを見破ったのですか」
「いや、チカタだということがわかったんじゃないんだ。ただ、どこか他の者とは違ったところがあるように思ったんだ。……そうだな、やつには、宇宙を旅したことのある者だけが持つ、独特の雰囲気があったということかもしれない」
 エンチンは面白そうに微笑んだ。とてもあと少しで巨大な運命の審判が下る、その瞬間を待っている者の顔には見えなかった。
 チカタのスパイが出現したことによって、かえって落ち着きを取り戻した群衆に向かい、エンチンはほとんどありのままをうち明けた。危険が迫っていること。それはもうまもなく決着のつくこと。そして今日一日を辛抱してくれることを皆に納得させた。何も起こらなければ、あとの事態にはすべてに彼が責任を持つことを約束して。
 そうしてからは、なんだか俺もエンチンも、不思議な透明な気持ちに包まれてしまったようだった。いまさら何を思い悩んでも無駄なのだということが、絶対的な時間の限界をもって、実感となって迫ってきていた。
 日が暮れると、広間の天井には全天の夜空が映し出された。それは肉眼で見るのと変わらないぐらい美しく、ともするとシェルターの中にこもっていることを忘れさせるほどだった。
 しかし、それもつかの間のことだった。すでに反陽子ミサイルは直接レーダーで捕捉されていたし、それはあと数分でこの星に最接近するはずだった。俺は正確な直線をたどってくるちっぽけな光点ののろさに耐えられず、レーダーの画面のそばを離れてしまった。エンチンは初めからそんなものは見ようとしていなかった。俺はエンチンの隣に立ち、ちらりと目を見交わすと、黙って天井のパネルを仰いだ。星空は静かだった。
「あと1分で最近点に達します」
 50秒、40秒、機械的に秒を読む声だけが広間に響いた。30秒、20秒、10秒、9、8、7、6、5、4、3、2、1、
「通過します」
 静かに、ゆっくりと、人々のため息が漏れていった。しかし、運命はその瞬間を待っていた。
「あっ」
 レーダーにかじりついていた技師が、叫んだ。
「何か別のものが現れました、これは……」
 技師は絶句した。しかし、もう説明はいらなかった。天井に映し出された夜空の一角に、明るい星が出現したかと思うと、それは見る見るうちに輝きを増していった。何の音もしなかった。もはやそれは星どころではない、まぶしいほどの光芒にまでなっていたが、俺は目をそらすことができなかった。その時、何かが俺の手に触れた。俺はそっと、しかし夢中でその指先を探り、しっかりと握りしめ合った。光はもう目を開けていられないほどに強くなっていた。
 突然、視界が真っ暗闇に閉ざされた。一瞬俺は自分が視力を失ったのかと思ったが、すぐに事態が飲み込めた。大量の放射線で全天カメラが破壊されてしまったため、パネルが光を映さなくなったのだ。目が強い光になれていたところだったので、弱い光を感じ取れなくなってしまっているのだ。まるでそれは、頼るものの何一つない、無限の宇宙空間に放り出されたような感じだった。
「タムラ……タムラ……」
 エンチンのか細い声がどこからともなく聞こえてきた。俺は思わず握り合った手に力を込めた。
「エンチン、俺はここだ、ここにいるぞ……」
 やがて、目が慣れてくると、周囲の様子が変わっていることに気づいた。広間にまた人々が集まってきているのだ。しかし今度は明らかに騒ぐためではなかった。エンチンと俺を取り巻いた人々は、誰からともなく床にひざまづき始めた。俺はとまどってしまい、傍らのエンチンにすがるような目を向けた。エンチンは真剣な表情で言った。
「みんな、あなたに感謝しているのです、タムラ。どうか受けてあげてください」
 俺の胸に鋭い痛みが走った。
「エンチン、俺は……」
 エンチンは押しとどめるように俺の言葉をさえぎった。
「何も言わないでください、タムラ。わかっています。私も何も言いません。それをわかってくださるのなら、どうかもう、何も言わないでください、お願いします……」
 俺は苦しく顔をゆがめて、叫びだしたい衝動を抑えつけた。
 この人たちは何も知らない。たしかに、チカタの船団は撃滅できた。しかしそのために、かけがえのない、恐ろしい犠牲が払われようとしている。九億の人々と、数え切れない種類の無数の動植物たちの生命が、破滅的な危機に襲われているのだ。なるほどそれは、直接俺に責任のあることではないかもしれない。俺がやってこようとこまいと、この大惨事は起きただろうし、もし俺がいなければこの星は滅亡してしまったかもしれない。しかし、理屈がたとえどうであろうと、俺は地球人だった。故郷を捨てた流浪の旅人であろうと、俺はまぎれもなく、あの反陽子ミサイルという気違いじみた代物を宇宙へ放り出した奴らと同じ、地球人だった。仕方のないことだったかもしれない。やむなく処理したミサイルがこんな結果を引き起こすなどと予測することは不可能だったかもしれない。しかし、こんな凶暴な破滅的なエネルギーを蓄積した奴らの歴史そのものが、言い逃れようのない罪ではないか。
 次第に増え続ける群衆の真ん中で、俺はいたたまれない気持ちをやっとの事で支えながら立ち尽くしていた。

 籠城は七日と七晩続いた。計測不能なほどの膨大な中性子流が計測器自体を破壊してしまったために、外部が安全な状態になったかどうか確かめるすべがなかったのである。七日目の朝、万全を期して外へ出された自動計測器はすべてが終わったことを告げた。

「やはり、行ってしまうのですか、タムラ」
 俺とエンチンは、あの初めて出会った草原に立っていた。その草原も宇宙線にやられて変色したり、まばらに生き延びているありさまである。風だけが変わらずに吹いている。
「本当ならここに残って、この星が元通りになるのを見届けなくちゃならないんだろうが……」
「いえ、そんなことではありません、ただ私は……」
「わかってる、俺もさ。……正直言ってここにはいたたまれない気持ちがするのもたしかだ。でも、俺がまた旅立つのは、俺の運命というものを、もっと見つめてみたいからなんだ」
 エンチンはうなずいた。
「俺はその、俺の出現を予告したというセンジュとやらに会ってみたい。そいつには会えなくても、その一族でもいい。いや、そいつの星さえ探し当てられないかもしれないが……」
「きっと見つかりますよ、タムラ。あなたはたしかに、あなたの言う運命に導かれています」
「ありがとう、エンチン。しかし俺は、別のことも考えているんだ」
「なんです、それは」
「いや、やめよう、あんまり……」
 うまい具合に突風が語尾を運び去ってくれた。エンチンも別にそんなことを追求しようとは思わないようだった。多少後ろめたくもあったが、ここら辺がいい潮時だろうと、俺はエンチンに手を差し出した。
「もう、会えないのですね、タムラ」
 エンチンは俺の手を、暖かい小さな両手で包み込むように握りしめた。俺はふと、エンチンがいっしょに連れて行ってくれと言い出すのではないか、と思った。しかし、そんなことはあり得なかった。彼にはこの星の人々がいたし、ここが彼の生きる場所だったから。
 握り合った手を放すのは、とても難しかった。

 どんどん小さくなっていく青い星の映像を眺めながら、俺はエンチンに言えなかったことをもう一度考えていた。それはあの碑文の謎についてである。日本語で書かれた、反陽子ミサイルの到来を暗示するメッセージ。それが俺の来訪にドンピシャで用意されていたのが単なる偶然とはとても思えない。それは俺の先祖に連なる一族によるものなのか、それとも、あり得ないこととは思うが、未来からもたらされたものなのか。それはひょっとすると俺の子孫か、それとも俺自身が……。
 むちゃくちゃな思いつきである。我ながらおかしくなって、俺はいつの間にかひとりぼっちの宇宙船の中でくすくす笑いを止められなくなり、しまいには大声で笑っていた。
 面白いじゃないか。いつかタイムマシンを完成させた俺が時をさかのぼり、少年時代のエンチンにメッセージを届けに行く。一途にその星を愛する少年と、いつかその星を訪れることになる孤独な男に、生きる力と目的を与えるための予言を。
 俺はエンチンとの不思議な再会を想像して、一人胸を躍らせた。俺はもう絶望も退屈もしていなかった。宇宙はこんなにもわくわくする場所なのだ。
 俺の宇宙船は、再び長い亜空間の旅へ入るために、時空の狭間へと突き進んでいった。

(了)


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