月の移民の歴史には、よく知られておらん部分が多い。それは最初の移民らしい移民が政府によって組織されたものでなく、民間の企業によって、しかも非合法に送り込まれてきた労働者たちだったことから始まっておるのじゃ。その企業という奴がまた、いかがわしい代物ばかりで、山師同然の連中が都市で食い詰めたならず者どもをかり集め、後先の考えもなしに月へ送り込んだものだそうじゃ。ろくな計画もないから、もちろん事故も多い。初期の移民の大部分は犬死に同然じゃったろうな。
月にウランが出るなどと、誰が言いふらしたものかのう。もちろんデマじゃった。しかし、瓢箪から駒と言うのか、それがまるきりのデマではなくなった。もっとも出てきたのはウランではなく、もっと希少な放射性元素の鉱脈じゃったがな。その噂が地球へ伝わるや、月への非合法移民は爆発的に増加した。企画も大規模になり、始めからタウン――居住区を建設して、そこへ移民団を送り込むという方式が普通になっていった。それらは皆、政府の目を逃れるため地下に作られたが、しかしそれ以前にも同じようなタウン――街がすでにできておったのじゃ。それは帰るあてもなかった最初の移民の生き残りたちが、採掘の傍らにできた地下洞を住めるように細工して作っていったものじゃった。その時中心になって皆を指導した男、街の創設者の名にちなんで、そこはトオル・シティと呼ばれておる。
お前さんも名前を聞いたことぐらいはあるじゃろう、お若いの。しかしそれがどこにあるのか、どのくらいの大きさなのか、正確なことは誰も知らんはずじゃ。生粋のルネアン――月人以外はな。わしか? わしはもちろんれっきとしたルネアンさ。ルネアンとは、最初にこの月に住みついた者たちとその子孫のことじゃ。そして、わしの名はトオル。トオル・シティを作ったトオルは、わしのひいじいさんなんじゃよ。
地球では、月に住みついた者たちをひっくるめてルネアンと呼んでいるらしいが、その中には少なくとも四種類の人間がおる。一番目は、自分たちの力で街を作って生き延びた者たち。二番目は、地下に作られた居住区に送り込まれてきた労働者とその家族たち。三番目が政府によって組織され、入植した正規の移民団。四番目はそれを管理するために派遣された、政府の犬どもさ。もちろんルネアンと呼ぶにふさわしいのは、一番目のわしらだけじゃ。わしらの祖先たちは、わしらを支配し搾取しようとする奴らと戦い、独立を勝ち取ってきた。トオル・シティは誰の支配も受けぬ、わしらだけのものじゃ。ルネアンという言葉には、わしらの誇りが込められておるのじゃよ。
わしらの次にやって来た非合法の移民たちも、ある意味ではわしらの仲間じゃった。彼らが違っていたのは、始めから企業の強力な管理下に置かれ、過酷な条件下での労働を強制されていたことにある。わしらの先祖が劣悪な環境の中でそうなっていったのと形こそ違え、彼らのほとんどが放射能障害に冒されていた。誘導式ロボットを使用する程度の原始的な採掘作業の中で、多くの者たちが倒れ、新しく送り込まれてきては次から次へと死んでいった。月の歴史の中で最も悲惨な記憶の一つじゃ。
彼らにはもはや、いかなる意味においても故郷というものがなかった。わしらルネアンの本当の戦いは、彼らを解放するという目標を掲げてから始まったとも言える。それは長い戦いじゃった。一方では非合法の採掘業者に対する政府の監視が厳しくなり、地下居住区が否応なしに孤立していくにつれ、企業の締め付けは極度に厳しくなっていった。しかしわしらは勝利し、より大きな形での独立を成し遂げた。彼らが自分たちのことをもルネアンと称し、トオル・シティを伝説の聖地のように語るのもよくわかるじゃろう。
しかしそれはまた、より大きな戦いの始まりでもあった。彼らも含め、わしらルネアンはどこまで行っても非合法の存在じゃ。わしらの生きるすべは、密輸によるほかはない。そればかりか、わしらが地下居住区をすべて開放するよりも以前に、政府の方でも月の開発に本腰を入れ始めてきた。その正規の移民団は、わしらと違って堂々と地上に街を作り、採掘法も最新の技術によるもので、政府の管理下で安全な生活を営んでいた。
そんな彼らがうらやましかったから、敵対したわけではない。わしらの側から彼らを排除しようとしたのではなかった。ただ彼らが政府という名のもとにわしらの存在を否定し、排除しようとしたのじゃ。双方の勢力が拡張していけば、いずれ接触することは避けられなかった。そして彼らが武力でわしらを圧迫しようとすれば、わしらも戦わざるを得なかった。食うか食われるかなのじゃ。
わしらにはルネアンとしての誇りがある。自分たちの力で月を開拓し、生き抜いてきたという誇りが。政府がわしらを保護してくれたわけではない。月はわしらの故郷じゃ。彼らがどんな大義名分を振りかざそうが、わしらにとってはただの侵入者以外の何者でもないのじゃ。わかるかな、お若いの。
わしらは正規の移民たちを決して憎んではおらなんだ。どうして憎めよう。もとは同じ地球の人間同士じゃ。同じ夢を抱いて月にやってきた者同士じゃ。……ルナ・シティを知っておるか。わしらのトオル・シティのように、彼らにとっての都と言えるものじゃ。わしも見たことがある。あれは美しい街じゃ。長い夜の間はドームを透明にして、直に地球を仰ぐことができる。月から見る地球は空の一角を動かない。太陽に照らされた部分は、大陸の巡りと雲の動きが微妙な模様の変化を見せ、そしてゆっくりと満ち欠けしていく。
ああいう所に住めたら、そう思わぬ者があるはずはない。しかしわしらは拒まれたのじゃ。違法の徒として。そればかりか、放射能に冒された、触れてはならぬ化け物とさえ言われた。わしらは研究材料としてまるで実験動物のように扱われ、あるいは残忍な慰みの道具としてなぶりものにされて死んでいった者たちのことを、決して忘れはしない。
わしらは再び武器を取った。わしらの本当の敵は何だったのか。政府の犬どもか。政府そのものなのか。それともわしらを否定する一切の権威だったのか。わしにはよくわからない。
戦いの行き着く所などは分かりきっておった。いずれは核兵器がすべてを消滅し尽くしてしまうだろうことぐらいは。それでもわしはその最期を見届けてみたかった。
お若いの。あんたは地球から来たのだろう。ルナ・シティはどうなったのか。そしてトオル・シティは。……いや、聞かなくともわかる。わしにはお前さんの見てきたものが、目に見えるようだ。人間は馬鹿じゃ。あれほどに美しいものを作り出す力を持っていながら、美しさを感じる心を持っていながら、それをみな破壊してしまう。あとに何も残らぬと知りながら、それ以上に人間が人間らしくあり得るものなど他にないのに、すべてを破壊してしまう。
なあ、お若いの。今は、夜か。地球は、見えているか……。
老人は静かに目を閉じた。睡眠槽に入る前に相当の老齢だったのだろう、蘇生時の変調に耐えきれなかったらしい。しかし、これ以上生命を維持することは、この老人にとって必要のないことだったろう。
私は睡眠槽の動力を切った。それはそのまま老人の棺となった。私は地底深く、真の闇となったシェルターをあとにして、再び月の地上に立った。
ルネアン戦争から三十余年。私は故郷へ帰ってきた。私の名はトオル。あの老人は私の祖父であった。私の父は戦争の前に、老人の娘であった私の母を連れて地球へ逃れ、そこで私は生まれた。私は老人にそのことを告げることが、最後までできなかった。老人の語る物語は厳粛であり、その最期に心を乱すことをためらわせるものがあった。そして何よりも、老人の抱くこの月の面影が、手を触れることをためらわせるほど美しいものだったからかもしれない。
私はルナ・シティの跡に立った。それは一面の廃墟であった。真っ暗な空には、ほとんど真円に満ちて巨大な光球となった地球の姿があった。
−ここから見る地球が一番美しいだろう。
私は老人の声を聞いたように思った。その時私には、老人があの地球に、そしてそこからやってくる総てのものに抱いていた、せつないほどの慕情がわかるような気がした。
(了)