金太郎先生の能(3) 「西行桜と遊行柳」
能の舞台ではあまり大きな事故というものを見かけないが、ごくたまに冷や冷やすることもある。ちなみに、小さなミスなら数え切れないほどあるが。
金太郎先生が「遊行柳」を舞ったときのことである。開演がずいぶん遅れて、やっと始まるかと思ったら、どうも様子がおかしい。笛方が舞台に出てきていないのである。そのうちになんと、笛なしで能は始まってしまった。小鼓と大鼓だけで、登場の囃子が奏され、能は進行していく。
このまま笛なしで最後まで行くのかと思っていたら、後場になってようやく笛が加わり、すばらしい序の舞を舞って、そして能は終わった。その笛も出演予定の人ではなく、その息子だった。あとで聞くと完全な笛方のポカで、全然違う場所に行っていたとのことであった。
いつもと違う舞台の様子に観る側も緊張していたのは確かだが、この「遊行柳」は笛が前半不在だったにもかかわらず、名演として私の記憶に残っている。異常な事態に直面して出演者全体が気を張りつめ、それが舞台に反映したことが最大の要因であろう。
それともう一つ、能の骨格は大小、即ち大鼓と小鼓が形作るのだということを鮮やかに示した舞台でもある。この時大鼓を打っていた、安福春雄という名人ならではの技でもあろうが、この考えは基本的に間違っていないと思う。とは言え、笛なしで序の舞を舞わせるのはさすがに無理だろうとは思う。もし笛の代役が間に合わなかったらどうするつもりだったのだろうか。
さて、この「遊行柳」をさらに上回る名演だったのが「西行桜」である。名前が似ているように曲も似ている。「西行桜」は世阿弥の作、観世信光が「西行桜」を手本にして書いたのが「遊行柳」だと言われている。
金太郎先生の「西行桜」は、それはもう絶品だった。序の舞はゆったりとしたテンポで時間も長くかかり、下手な人が舞うと退屈してしまうが、この時は退屈するどころではなかった。もう始めから終わりまで目が離せないというか、面白くてわくわくしながら、至福の時を過ごしたという印象である。
この時は能研の観能日で、1年生たちもいっしょに観ていた。私は、それまでに自分が観た能の中で、最高級の能だと思っていたので、終わった直後に、どうだった、と声をかけてみた。正直なところ、能に触れて半年くらいで、数回目の観能では折角の名舞台も十分には味わえないだろうと思っていたのである。ところが、あにはからんや、後輩たちは興奮醒めやらぬ様子で、面白くて目が離せませんでした、と言うのである。
目から鱗が落ちたのは私の方であった。多少能が分かるようになったという、自分の思い上がりが恥ずかしくなった。本当にいいものは初心者にも分かるのだ。それはもう掛け値なしに、そうなのである。この舞台の思い出があるので、私は誰にでも自信を持って断言できる。能は難しくありませんと。