金太郎先生の能(4) 「葛城」
葛城は古い伝説のある山らしい。「土蜘蛛」でも、土蜘蛛の住みかが葛城山となっている。土蜘蛛というのは、古くから山に住んで、朝廷に随わなかった少数民族である、という解釈もある。さて、「葛城」の元になった話というのは、こうである。
昔、役行者が一言主という神を召し使って、葛城山に岩橋を架けようとした。ところが、一言主は自分の姿形が醜いのを恥じて夜の間しか働かなかったために、岩橋はなかなか出来上がらない。それを知った役行者は怒って一言主を蔦葛で縛り上げてしまった、というものである。これも、労役にかり出された被支配者のサボタージュとして読めば、それなりの物語になりそうだ。
役行者は修験者の大元締めのようなもので、馬琴の「八犬伝」にも、伏姫に珠を授ける守り神として出てくる。ほとんど神様みたいなものだが、それにしても、れっきとした山の神様をこき使って縛り上げてしまう、というのは意外な展開である。
さて、能の詞章でも、「神の岩橋かけざりし」とか、「索はかかる身を縛めて」とか、以上の伝説を踏まえていることは明らかなのだが、一つイメージにそぐわないところがある。伝説では姿形が醜い、と言うのだが、能の舞姿はそれこそ神々しい美しさで、なぜ恥ずかしがっているのかが理解できないのである。
これは、姿の醜さというよりは、神様は姿を露わにしたがらないものだ、という考え方に基づく演出と考えられる。能に出てくる神や亡霊は、特に醜いという設定でなくとも、「恥ずかしや」とか「浅ましや」とか言って顔を覆う仕草をすることが多い。そう考えれば「葛城」の神も、伝説の言うように醜いのではなく、むしろ神秘的なまでに美しく、それだからこそ人目に触れることを厭う、という逆転の解釈が成り立つのである。
「葛城」は能の故郷である大和に縁の深い曲ということもあり、金太郎先生の得意の能でもあった。雪笠の陰からのぞく女の面差しは冴え冴えとして美しく、面とは思えない艶めかしさを感じさせた。初同の地に「葛城山」と言う所で正へ山なりに指す型も殊の外面白く、雪に閉ざされた深い山里の風情がしみ渡るような舞台だった。
金春流は能の中で最も古い流派であり、「葛城」はまた大和の能として金春には縁の深い能である。「大和舞」という小書は「葛城」の本来の演出かと言われている。横道萬里雄はこの曲を夜神楽物と分類して四番目にまとめるが、鬘物や脇能にも数えることができる。また金春の謡には古い拍子当たりが残されていると言われるが、それはキリの大ノリ地で、「月白く雪白く」とハシって謡うあたりのことらしい。
古代へのロマンをかき立てる題材と言い、古い猿楽を偲ばせる数々の伝承と言い、興味の尽きない能なのである。