金太郎先生の能(6) 「加茂」

 「加茂」は、私が初めて金太郎先生の能を観た、その時の能である。また、1年の大学祭で連吟をやり、3年の宝春会で仕舞をやった。そして最後は卒論のテーマにもした、非常に思い入れの深い曲である。
 私の田舎は福島県の最南部で、水戸から郡山へ通じる道のちょうど中間に位置する。西には白河の関、東には勿来の関があり、奥州への入口としては間道といったところなのだろうか。そこから南へ下ると、矢祭から袋田というあたりが美しい渓谷をなしており、奥久慈という観光地になっている。ところが、さらに上流の私の家あたりでは逆に平凡な風景になってしまい、何もなく、東西を山並みに挟まれた、川沿いの村落である。
 夏には山へ行ったり、川で遊んだりする。東側の布引山には毎日のように入道雲が立った。白くまぶしく輝くその雲と、真っ黒になって雷を落とし、夕立を降らせる雲とが同じものなのだとは、ついぞ思いもしなかった。
 「加茂」の謡を習ったときに私が思い浮かべていたのは、そんな田舎の夏の風景だった。神域の清らかな水を汲むために集う乙女、清冽な水の流れ、一転して湧き上がる雲が光を遮り、轟く雷鳴と閃く稲妻の下、沛然たる夕立のしぶきが世界を包み込む。
 そこに描かれていたのは、私が生まれ育ち、そして今でも生きている自然の世界そのものである。私たちは生きていることの意味を、己れ個人の意志や行為の結果に求めようとしてあがきがちだが、世界はそれよりも前に厳然としてある。
 と、いうようなことを卒論には書こうと思ったのだったが、当然うまくは書けなかった。能楽研究の世界で統一イメージとか、統象とかいう言い方で論じられる、主題というよりはもう少し象徴的なもの、それが「加茂」の場合には「水」なのだということは間違いないが、どうにも踏み込みの足りない論文だった。
 さて、肝心の金太郎先生の能である。多分2回目くらいの観能なので、細部はほとんど覚えていない。ただひたすら強烈に印象に残っているのは、前シテの謡の不可思議なほどの精妙さである。それが、今現在自分が習いつつある謡と同じものなのだとは、どうしても思えなかった。
 今でもあの謡は、節の形を想像することさえできない。死ぬまで稽古に打ち込んでも、その領域に触れることはできないだろう。そして、金太郎先生以外にあの謡を聴かせてくれる人は、誰もいないのである。

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