金太郎先生の能(7) 「藤戸」
吉成は、金太郎先生以外の舞台は見たことがないのか、とお思いの方もいらっしゃるかもしれないので、今回は決してそうではない、というところを書いてみようと思う。
さて、「藤戸」という能は、戦の犠牲になった庶民を主人公にしているということで、反戦能という扱いを受けることが多いようだ。私はあまり偏った見方がこびりつかないでほしいと思っているのだが、時代によって受け取り方にも流行りがあるのは是非もないことである。
「藤戸」は前後でシテの役が別々になっており、前シテは戦のために息子を殺された、年老いた母親、後シテがその殺された息子の漁師である。そしてこの能の見どころは、前場と後場それぞれにある。
藤戸の浦の新しい領主は、この前の戦で功績のあった侍で、彼は着任早々住民の心をつかもうと、訴えたいことがあれば申し出るようにと、触れを出す。そこへ年老いた女が現れるが、女が訴えたのはなんと、領主本人だった。この新しい領主となった侍は、戦で手柄を立てるために、浦の浅瀬を渡る道を一人の漁師から聞き出したのだが、このことを他に漏らされては折角の手柄がふいになると考えた侍は、無惨にも漁師を殺してしまった。そして、今目の前にいる女こそ、その漁師の母親だったのだ。女は領主の非をなじり、息子を返せと詰め寄る。ここが前場の山場である。
金太郎先生の謡は誰もが認める一級品だった。つややかな声の響き、流麗な節回し、そして何よりも大事なのはしっかりとした骨格を持っていること。「藤戸」のような演劇的なやりとりのある能の中で、この骨格の確かさは非常に明快な表現力となって現れた。領主に詰め寄る母の姿は、誰の目にもくっきりとした印象を結ぶ、非の打ち所のない演技だったと思う。
さて、後場になって漁師を弔う領主の前に、その亡霊が現れる。シテは自分が殺されたその経過を仕方話で物語り、苦しみを訴える。「氷の刃を抜いて」と、杖を刀に見立て、自らの体を貫くところが特に有名である。
この「藤戸」の後場で私の心に強い印象を残してくれたのは、宝生流の近藤礼だった。お兄さんの近藤乾三が名人で、その陰に隠れてしまって地味な存在だったようだが、すばらしい芸の持ち主だったと思う。
後シテの亡霊が橋掛かりを通ってシテ柱を過ぎ、常座に立ったとき、私は目を疑った。舞台の床板が、鏡のような水面に見えたのだ。暗い夜の、底知れない、深く冷たい水、その表面には波一つなく、しんと静まりかえって、そこに声もなく佇む、孤独な者の影。私はあの光景を決して忘れないだろう。