金太郎先生の能(8) 「百万」

 私の田舎の家の隣りに「百万屋」という小さな雑貨屋があった。宝くじで百万円当てて、それを資金にして開業したのでその名前にしたのだという。そこの娘と私は同級生で、その兄貴がまた私の兄と同級生だった。ジャムパンが好きなので、あだ名が「ジャムパン」だった。「ジャムパン」と私の兄と私は3人とも誕生日がいっしょだった。そして、私が大学1年の時に生まれた姪も同じ誕生日である。これらは全く能とは関係がない。
 「百万」の場合、百万というのは女性の名前である。中世の庶民がどういう名前を持っていたか、興味はあるがまだ調べたことはない。能に出てくる女性で固有の名を名乗るのは、ほとんど身分の高い者たちに限られている。
 さて、百万という女性は実在した。観阿弥が曲舞を習った乙鶴の師匠に当たる、加賀の百万という曲舞の芸人がそれである。彼女がこの能のシテのモデルになったと思われるが、百万という名前はもちろん芸名だろう。
 百万というこの名前の由来は、百万遍の念仏から来ていると思われる。能の「百万」は清涼寺の大念仏を舞台とし、シテの百万は念仏を得意とする芸人なので、曲舞の名手であった実在の百万も、同じような風景の中に生きていた可能性はある。
 金太郎先生の「百万」を、私は能では見ていない。その代わりに、車の段を仕舞で見たが、実に面白かった。白眉は「牛の車の常とわに」というところで、まるで牛が車をごとごとと引いているような感じが目に見えるようだった。これは単なる当て振りと言うのとはちょっと違う。ここで表現されているのは百万という芸人で、面白い芸をしているところをリアルに描いているわけだ。その結果、彼女を取り巻く念仏の庭の雰囲気までが舞台に出現することになる。
 というようなことは、私が頭で考えた仕組みであって、金太郎先生はおそらく意識してやってはいなかっただろうと思う。先生の中にあるのは、「百万」という能に対する直感的な把握の仕方であり、それに加えて先生独特のユーモアを含んだセンスの良さが、あのような形になって現れたのだろう。
 さて、能にはもう一人、百万という名を持つ芸人が登場する。「山姥」のツレで、善光寺詣りの途中で山姥に出会う女芸人の名前が「百万山姥」、と書いて、ひゃくまやまんば、と読む。彼女は山姥のことを曲舞に謡って舞うのを持ち芸にしている。この「山姥」と「百万」の中で謡われる曲舞はいずれも由来が古く、また楽曲としても本来の完備型に最も近いとされているのである。

もどる能研