金太郎先生の能(9) 「井筒」
櫻間眞理(現・右陣)先生の祖父、櫻間道雄先生は人間国宝だった。道雄先生が名人として認められていたのは、もちろん本人の芸が優れていたからだが、金太郎先生の力も大いに与っていたと思う。
道雄先生が能を舞うとき、地頭はたいてい金太郎先生が勤めた。この地頭の比重というのは一般に考えられているよりも大きいと、私は思っている。能の出来を左右するのは、第一に地頭、第二に大小の鼓、第三にシテが来るのではないか、とさえ考えている。
大小が骨で、謡が肉となり、能の形は作られる。美しい舞姿はその上に現れる皮の部分といってもよい。その肝心の謡の胴体の部分を受け持つのが地頭なのだから、その重要性は計り知れない。私は一時期、音だけ聴いていれば能の出来が分かるのではないか、と思っていたくらいだ。
金太郎先生という謡の名手を地頭に迎えての舞台であるから、悪くなろうはずがない。そんな道雄先生の能の中でも「井筒」は一番鮮明に記憶に残っている。それは能のどのあたりかもはっきりとは分からないのだが、舞台の隅々までがくっきりと、まるで永遠の瞬間という感じで心に焼きついているのである。
能はもう後場で、シテは舞にかかっている。動きの少ない、じわりと謡の流れているような、序の舞の前か、それともキリかも定かではない。それを私は脇正の方から見ている。その時、柱で囲まれたあの三間四方の舞台が、全く独立した、別の空間のように見えてきたのだ。
井筒の庭、という言葉が私の心に浮かんできた。それがどれほどの時間だったのか、それとも一瞬の間のことだったのか、今考えても全く分からない。ただ、しんと静まりかえった夜の空気の中に、ひっそりと佇む何者かが、私には意味の聞き取れない物語を紡いでいる、そんな光景だけが残った。
後に、やはり道雄先生のシテで「野宮」を見る機会があった。この二つの曲はともに本鬘物で、構成もよく似ており、旋律レベルまで分析してもはっきりした違いは見出せない。ところが実際に舞台で見ると明らかに違いが分かった。「井筒」で感じた静けさと対照的に、内に籠もった激しさを感じたのである。このことを新川先生に話したことがあるが、それは相当に高いレベルの舞台だったのだろう、というご意見だった。
静けさが印象に残った道雄先生の「井筒」だが、本来はもっと違う激しい能で、序ノ舞ではなくカケリを舞っていたのだ、という堂本正樹氏の説がある。これを地で行くような解釈の演能があった。それは金井章のシテだったが、公平に見て成功したとは言い難い。地頭の方は普通の「井筒」を謡っていたために、シテ一人が浮き上がってしまったのだ。これも地頭の重要性を示す証拠として私の記憶に残っている舞台である。