『無限論』

「私がお伝えしたいことはたった一つです」
「伺いましょう」
「死を恐れる必要はありません」
「それだけですか?」
「はい」
「それはあれですか、その、永遠の命を得るとか」
「いいえ、逆です」
「逆?」
「人は必ず死にます」
「はい」
「死に対する恐怖は人それぞれの形を持っていますが、共通しているのは錯覚によるイメージに基づいているということです」
「錯覚ですか」
「はい」
「どんな錯覚ですか」
「死後に永遠の無が訪れるというイメージです」
「わあああああっ」
「すみません、怖がらせてしまいましたね」
「うう、ひどいですよ、いきなり、それを考えないようにしていたのに」
「本当にすみません。でも、これが錯覚だとわかれば、恐怖の大部分が消えるのではないかと思うのです」
「そんなの無理ですよ。第一、錯覚でもなんでもない、動かしようのない事実じゃありませんか」
「それです、動かしようのない事実だと思うから、圧倒的なイメージとなって心を押しつぶしてしまう」
「そうです、これはどうやっても逃れようのない、存在そのものにまつわる決定的な絶望、絶対の事実なのです」
「確かに、人間が死ぬということは絶対の事実です。が、永遠の無ということはそうではない、はっきり言って錯覚に過ぎません」
「錯覚ですって、そんなことはあり得ない」
「そうでしょうか」
「だって、死んだ後に何が残るというのですか。死体には意識はない、ただの物質です。焼いてしまえば骨と灰と二酸化炭素です。そしてそれすらも長い時の果てには塵となって跡形もなくなる。しかし私が消えた後も時は流れる。私のいなくなった世界が永遠に続くのです、ああ恐ろしい」
「世界は永遠に続くでしょうか」
「ああ、ビッグクランチのことを言っているのですね。それは私にもわかりません。すべてのエネルギーが一点に収縮して消滅するのか、次のビッグバンに続くのか、それともビッグクランチは起こらず、熱死状態になった宇宙が残るのか」
「はい、それは私もわかりません」
「いずれにしろ、すべてが終わった後も時は流れます。その永遠の時間の中で私は二度と存在しないのです、ああ恐ろしい」
「時間は永遠に流れるでしょうか」
「なるほど、時間が閉じている可能性のことですか」
「それも含めてです」
「正直よくわかりません。時間の矢でしたっけ、エントロピーの増大する方向へ世界線をたどるのが意識現象だけれど、時空は地球の表面のように閉じていて、世界自体が時間軸に沿って発生消滅するわけではないと」
「まあ、私もそこは理解できませんが」
「もし時空が閉じているとしても、意識現象が私のすべてなので、私の存在は時間軸に沿っているわけで、その時間軸が無限に延長するという主観的な世界像は否定できないのではないですか」
「そこです、主観的な世界像ということがわかっていれば、それは客観的な実在として保証されたものではなく、錯覚を含んでいるということもあり得るのではありませんか」
「どういう錯覚があるというのですか」
「やっと本題に入れますね」
「伺いましょう」
「あなたは地球が球体であることをご存じですね」
「もちろんです、というかさっき説明の中で言いましたよね」
「はい、このことは相当古くから知られていたようで、船の帆柱が水平線から突き出して見えたり、南の国へ行くと太陽の高度が上がることから、大地が平らでなく丸みを帯びていることを理解したということです」
「その辺のことは今更教えていただかなくても承知しています」
「とはいえ、球体であるところまではなかなか思い及ばず、世界全体は巨大なお盆のようになっているという世界観も根強く広まっていました」
「巨大な象の上に乗っているとかいう、あれですね」
「はい、その象の下には巨大な亀が、あ、象は三匹いて、亀はそれをまとめて乗っけているという」
「そんな絵をなにかの本で見た覚えがあります、で、それがどうしたんですか」
「自分の目で直接見えないものに関しては、人間はとんでもない想像力を働かせるという一つの例として覚えておいてください。で、ここから一つの思考実験をしたいと思います」
「はい」
「あなたは、地球が丸いことを知らなかった時代の人間です」
「その、象や亀の世界観を持っているということですか」
「いや、それも知らないことにしましょう」
「では、どんな風に」
「あなたが知っている、目に見える世界そのままで構いません。ただ、地球が丸いことは知らない、もちろん地動説も知らず、太陽や月や星は空に浮かんでいるだけのものです」
「わかりました」
「あなたの足元には地面がありますね」
「はい」
「その地面の下はどうなっているでしょうか」
「なるほど、地球が丸いことを知らない場合にどう考えるか、ということですね」
「そのとおりです」
「土の下には岩盤の層があって、その下にはマグマを生み出すマントルがあります。更にその下には重い金属元素が流動体になっていて、一番下には固体のコアが、ああそうか、地球が球体であることはわからないのだから、コアと言うのは変ですね」
「そうそう、そんな風に」
「まあとにかく、一番下は重い金属元素が超高温の固体になっていて、その下はどうなっているかわかりません」
「でもその下はまだあるわけですよね」
「それは現在の、つまり地球が丸いことを知らない人間の技術では探求できません」
「その下のことはもう考えないということですか」
「その下はあるかもしれないが、技術的に到達できないということです」
「でもその下にはやはりなにかの物質が存在するのではありませんか」
「それはそうかも知れないし、そうでないかも知れない」
「そうでないということがあり得ますか」
「……想像はし辛いけれど、現在の人間の知恵では計り知れない構造があるのかもしれません」
「なるほど、ではここで先程の時間的未来のことを考えてみましょうか」
「ううん、つまり、こういうことですか。未来のことは人間にはわからないのだから、それが永遠に続くこともわからないだろうと」
「そういうことです」
「いやいや、空間と時間は別でしょう」
「そうでしょうか」
「昨日から時間が経過して今日になり、また時間が経過して明日になる、それは経験としてわかっています。それが停止することがありえないことも経験でわかっていますから、未来は永遠に続くとしか思えません」
「空間も同じことではないですか。土を掘っていったら岩盤に行き当たりますが、その下にはまた何かがある。何もなければ地面を支えるものはなくなってしまうのですから。だとすれば土か、岩か、金属かはわかりませんが、何かの物質が無限に足元の空間を埋め尽くしているのではありませんか」
「それこそあり得ませんよ、物質が無限に空間を埋め尽くしているなんて」
「どうしてですか」
「どうしてって、直感的にあり得ないとわかりますよ」
「その、あり得ないことを時間については想像してしまっているのではないか、と思うのです」
「だから、空間と時間は違うんですよ」
「どう違うのですか」
「空間は無限か有限かわかりませんが、物質はおそらく有限です。時間は逆に有限ということはありえない」
「やはりそこですね、空間と時間について我々は漠然と無限に延長できるという直感を持っている。それがすべての根底にあるようです」
「有限ということは絶対考えられません」
「空間については有限かも知れないと思っている?」
「それはあれです、地球の表面が端っこはなくても有限なように、あ、これは知らないという前提ですか」
「いえ、思考実験は一旦終わりますので結構です」
「それなら、地球の表面をずっと進んでいくと元のところへたどり着くように、宇宙空間をずっと飛んでいくと元の場所に到着する、そんな空間構造はあり得ると思っているからです」
「でも時間は違うと」
「だって何億年か何兆年か経って、いつかまた現在になるなんて変でしょう。あ、でもニーチェが言ってた永劫回帰ってそういうことなのかな」
「それはまた別の考えだと思いますが」
「とにかく、時間の終わりはない、考えられません。仮に終わりがあったとして、その後はどうなるのですか」
「それは私にもわかりません。私が自分なりに理解したのは、永遠の無というイメージは人間の想像力が生み出した錯覚に過ぎない、ということです」
「どうも納得がいかないですね」
「実は、私もあなたと同じく死の恐怖に囚われて、何十年というもの苦しんできました」 「そうなのですか」
「それが、私を苦しめてきたイメージが錯覚に過ぎないということに気づいて、とても気持ちが楽になったのです」
「それは、ちょっとうらやましいですね」
「それで、このことを伝えて、一人でも死の恐怖から開放される人がいたらいいなと思って、これを書いています」
「えっ、それを言っていいのですか」
「まあ、いいでしょう」
「いいのかなあ、まあ、それはそれとして、さっきの私のように普段意識の下に押し込めていた恐怖を呼び覚まされて、逆に苦しむ人がいるかも知れませんよ」
「それは申し訳ないと思いますが、ほら、これは物語という前提でしょう。小説ならば相当えぐい話でも耐性があるのではないかと思いまして」
「そこまで言っちゃう?」
「表現は自由です。作品として失格と判断したら、読むのをやめて屑籠へ放り込めばよいのです」
「あらあら」
「それでここからは、私がどうやって今の考えにたどりついたかをお話ししようと思います。ここまでのところで私が伝えたいことはあらかた述べましたので、後は蛇足と考えていただいて結構です」
「まあ、お好きなようになさってください」
「さて、私が最初に無限というものに対して戦慄を感じたのは、小学生の頃でした。その時のことはくっきりと覚えておりまして、宇宙の果てがどうなっているのか考えていて、どこまでも終わりがない無限の空間を想像して居ても立ってもいられないような気持ちになったのです。たまにインターネットで見かける、宇宙ヤバイ、というフレーズはこの感覚を指しているのかな、と思います」
「……」
「宇宙空間の無限については、先程も出た四次元の球体構造という考え方を知ってひとまず落ち着きましたが、その後も無限は至るところで私の興味を引き続けました。アキレスと亀の話はご存知ですね」
「もちろん知っていますよ」
「あれはゼノンが自分の師であるパルメニデスの思想を擁護するために反例として作ったパラドクスらしいですね」
「へえ、それは知りませんでした」
「それはともかく、あれは表現によっては全く無意味というか、パラドクスを構成しない代物です」
「表現ですか?」
「アキレスが直前に亀のいた場所までたどり着くと、亀はほんの少しだけ先へ進んでいる、それを繰り返していくとアキレスは決して亀に追いつけない」
「ええ、そんな感じですね」
「計算上、アキレスが亀に追いつく地点をa、時点をtとすると、さっきの段取りというか追いつく手続きはaより前の地点、tより前の時点で行われている。ですから正しくは、地点aに達するより手前では、あるいは時点tより前には決してアキレスは亀に追いつけない、となります」
「でもそれじゃ意味がありませんよ」
「そうです、これではパラドクスにも何にもなっていない。ところがこれを、いつまでたっても追いつけない、と表現したらどうなるか」
「そういうパラドクスですよね」
「時間的にはtより未来へは行かないわけですから、いつまでたっても、というのはおかしな表現になります」
「なるほど」
「これがパラドクスに感じられるのは、アキレスが直前の亀の位置まで進むという手続きが無限に繰り返し可能なため、そこに無限の時間を感じてしまうからだと思うのです。ところが、実時間ではその手続きに要する時間はどんどん小さくなり、その合計は決して一定の時間を超えることはない」
「そうですね」
「これを映像化して表現したとすると、アキレスが亀に近づくとどんどんスローモーションになっていって、追いつくギリギリのところでほとんど静止画像になる。その静止画像を永遠に眺め続けるという作品になるでしょう」
「うーん、まあ、そうかなあ」
「このパラドクスは多くの人が考察していて、私が見落としている視点もあると思うので、この辺にしておきます」
「あ、ちょっと待ってください」
「はい」
「あなた今、永遠に眺め続けると言いましたよね」
「ああ、そうですね」
「永遠は実在しないんじゃなかったんですか」
「確かに、私自身が錯覚から自由になっていないのかもしれませんね。現実にはフィルムの長さには限界があり、永遠に続く映像はあり得ませんから、これはパラドクスを生じさせている錯覚を反例として示していると考えていただければ……。いやしかし、フィルムである必要はないか。CGアニメーションで画像を自動生成するようにしておけば、電源を供給している限り永遠に……」
「も、もう結構です、続きをどうぞ」
「その他にも、数学に出てくる無限には随分悩まされました。カントールの対角線論法など色々疑問はあるのですが、どう説明してもぼろが出るだけなので割愛します」
「お気持はよくわかります」
「さて、肝心の死後の永遠についてです。これはどうにも解決不能なので、あれこれ本を読んだりしてなんとか心を落ち着ける解答を探し求めました」
「それは私も同様ですよ」
「死後の世界とか霊魂とかは信じられなかったので、物理的な世界観と矛盾しない説明を求めていました。その一方で、死は眠りと同じだとか、世界は情報そのもので、実体というのは意識に映じた幻影だとか、宗教か哲学かわからないような理屈にもあれこれ出会いました。なるほどと思うものもあり、それでも決定的な納得感は得られないという行ったり来たりを数え切れないほど繰り返し、そんな放浪の中で、自分なりに死を受け入れようとして、こんなイメージを考えてみました」
「どんなイメージですか」
「私達は海にぽっかり浮かんだ小さな島だと考えるのです。昼間は波が打ち寄せて、海岸線という自我の境界を形作っていますが、夜になると潮が満ちて島は海面下に隠れ、意識はなくなります。これが眠りの状態で、死というのは島全体が海面下に沈んでしまい、そのままになった状態なのです。島はもう存在しませんが、海の中には大きな山脈の頂きがあるのです」
「ふうむ、それは悪くないですね」
「ありがとうございます。自分でも気に入っているのですが、よく考えると昔読んだ小説に影響を受けたのかもしれません」
「どんな小説ですか」
「人類が死滅した遠い未来に、海と陸が対話を始めるというシーンがとても印象的で、確か……」
「それは私も知っています、名作ですよね」
「はい」
「それでもう問題は解決したのですか」
「はい、と言いたいところですが、だめでした」
「そうなのですか」
「昼間は大丈夫なのですが、夜中など夢現の状態になった時、理性の力が弱まるからなのか、永遠の無をイメージしてパニックに陥るということを何年も繰り返しました」
「それで、どうしたのです」
「それである時、先ほどお話ししたことに気づいて、それからは大丈夫になったのです」
「ううむ、正直言ってまだぴんとこないのですが、もう一度自分でも考えてみましょう」
「ありがとうございます」
「他に何か考えたことはありませんか。さっきニーチェについて何か言いかけたようですが」
「ああ、あれは素人の考えで」
「聞かせてくださいよ、ぜひ」
「ええと、ニュートン力学の世界観で考えると、すべての粒子の初期状態がわかれば未来はすべて予測可能です」
「ラプラスの悪魔ですね」
「はい、その世界観の上で、空間と物質は有限、時間は無限とすれば、今現在のすべての粒子の状態と全く同じ状態がいつか必ず現れるはずです」
「それが永劫回帰だと?」
「素人考えですよ」
「そうですね、その辺は私にも判断がつきません」
「それでまあ、いや、これはやめときましょう」
「何ですか、言いかけたんなら最後まで言ってください」
「うーん、その、そもそもの悩みの種である、永遠の時間という観念の元凶が、ニュートン力学的世界観にあるんじゃないかと思うんです」
「元凶ですか……」
「まあ、永遠それ自体は古代からある考えなので、ニュートンから始まったわけではないのですが、神も仏もなしで物質だけが存在しているような世界が永遠に続くという、殺伐とした世界観は……」
「ニュートンは確か有神論者だったはずですが」
「まあ、ニュートン自身はそうかもしれませんが、彼の確立した力学による世界観がですね」
「言わんとすることはわかりますが、少々怪しげになってきてますよ」
「面目ない、確かに科学についても、哲学についても、私は素人です」
「いえいえ、なかなか面白いお話でした。最後に一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「はい」
「意識とは何なのですか。なぜ私はここにいて、世界を見ているのですか。これを書いている人でもいい、これを読んでいる人でもいい、その人の意識にこの言葉が映し出されて、何かの意味を持つというのはどういうことなのですか」
「ううん、そう来ましたか」
「予想はしていたんじゃありませんか?」
「いえ、実を言うと途中から考え始めたのですよ。さっきの話を終えたところで切り上げただけでは流石に読む人に失礼だろうと」
「またそういうことを」
「いえ、これは敢えて今、これを読んでいる人に向かって語りかけようと思います」
「今っていつですか。今あなたはこの文章を書いていますよね。これを誰かが読むのはいつのことかわかりませんよ」
「これを読んでいる人にとっては、その時がまさに今です。私はそれがいつになるかはわかりませんが、いつかその時が来ることを予想してこの文章を書いています」
「そんな時は結局来ないかも知れないじゃありませんか」
「その場合はこの原稿が屑籠に入っているだけのことです。今、この文章を読んでいる人、そう、あなたです。あなたは今、ここにいる自分を感じながらこの文章を読んでいるはずです。そしてそれがおそらく意識のすべてです。あなたはいつでも今、ここに、現在にのみ存在しています。過去というものは、現在のあなたの記憶の中に情報として存在します。未来というものは、現在のあなたの予想や推測によって描かれるビジョンとして存在します。永遠の無というのは、あなたの心が描き出した錯覚による幻影なのです。……では、この文章を書いている私は何なのか。あなたの理解しているとおり、あなた以外の、意識を持つ人間の一人です。私はある時、情報の海に無限のテキストが渦巻く、この壮大な実験に参加せよというメッセージを受け取りました。これはそのテキストの一つなのです」
「……そのメッセージは、多分私も知っています」
「そりゃ、あなたは私ですからね」
「そのあなたというのは私のことですよね」
「ああ、やっぱり混乱してしまいました。そろそろお別れの時が来たようです」
「私も役割を終えることになりますね」
「ここではね。でもいつかどこかでまた登場願うことになるかも知れませんよ」
「ふふ、それでは、いつかあなたに本当に出会えることを祈って」
「さようなら」

(了)