Love Me Do
| その日は雨だった。 しとしと、しとしとと降り続いている。 「レイチェル・・・?どうしました?」 暗闇に沈んだ一室に、聖地の第一研究者・エルンストの声が不気味なほどに響く。 「レイチェル・・・?」 しかし部屋の主からの返答はない。 エルンストは灯りをつけようと、スイッチがあるはずのその場所に手を伸ばした。 「やめて」 ようやく確認が出来たことにほっとするが。 「つけないで。お願い」 彼の眉間にしわが寄る。 この少女にしては珍しい、沈んだ声。 そして・・・涙を含んだ声。 ベットに近づくと、案の定、縁の部分に腰掛けて俯いている少女の姿。 「レイチェル・・・」 「いなくなっちゃった・・・」 ぽつりと一言呟く少女。 いつもとはあまりにも違う少女の様子に不安を抱く。 顔を上げた少女に息を呑む。 暗闇でもわかる、少女の表情。 そこにいるのは、有能な女王補佐官ではない。 天才少女としての名を恣にしてきた少女ではない。 これまでに見てきたどれとも、今の少女は重ならなかった。 それは・・・生気をなくし、捨てられた子犬のような、頼りないもの。 そこにいたのは、とても、とても幼い少女。 「アンジェが・・・アンジェがいなくなっちゃったよ、エル・・・」 『んもうっ、アンジェ!!元気だしなよ! アナタが元気ないと、それだけワタシたちの可愛い宇宙に影響が出るんだよ!!』 追いつめるつもりはなかった。 早く立ち直って欲しかっただけなのだ。 また、以前のようにあの明るい笑顔を見せて欲しかった。 本当に、ただそれだけだったのに・・・ 『うん。ごめんね、レイチェル。心配してくれて、ありがとう』 にっこりと笑うその顔は、しかし、レイチェルが望んでいるそれとは違う。 泣きはらしたに違いないその顔に浮かぶのは、哀しい笑顔。 そんな微笑みが出来るような少女ではなかった。 いつもいつも、まわりに元気を与えてくれるような、そんな明るい笑顔をするコだったのに。 もとの宇宙の危機を救うために旅立っていった少女。 その旅は少女を大人へと変えたのだ。 すべてを愛で包むはずのその少女が、そのすべてを捨てようとした命がけの恋。 それを知ったとき、レイチェルは耳を疑った。 自分も、そして守護聖でさえも、同じように変わらない愛で包んでくれた小さな女王が、 自分を含めたすべてを捨ててまで掴もうとした愛があるだなんて、 レイチェルは信じることが出来なかった。 けれど。 アンジェリークは苦しんでいる。 哀しんでいる。 それは、毎日毎日泣きはらした顔を見れば明らかである。 笑みを浮かべていても、どこか心ここにあらずといったように。 微笑んでいても、深い悲しみを抱いているように。 その生命が誕生したとき、何も知らなかったレイチェルは、 何故アンジェリークが泣いているのかわからなかった。 その生命が育ち、成長し、そして彼が伴侶を選び子を成したときも、 喜びはすれど、何故アンジェリークが涙に暮れるのか、わからなかった。 『幸せに・・・幸せに・・・あの人の幸せだけを祈るのよ・・・あの人の幸せだけを・・・アンジェ・・・』 夜、星空の下で自分に言い聞かせるように涙を流しながらただひとり、 祈りをささげる女王に気付いたのはいつだったか。 そして、レイチェルは意を決してエルンストにすべてを聞き出した。 本当は、待っていたのだ。 アンジェリーク本人の口からすべてを語ってくれるのを。 ・・・そして、すべてを、真実を知った。 アンジェリークの哀しい恋を知ったとき、レイチェルは激しく男を憎んだ。 アンジェリークを陥れるために近づいたという男。 すべての元凶であるその男。 ・・・十分だろう。さぞや満足していることだろう。 もくろみ通り、アンジェリークは傷ついた。 そして、すべてが終わった今でも、未だ傷つき哀しんでいる。 ・・・けれど、レイチェルは何も言わなかった。 彼女から語ろうとしない限り、何も言えることはないと判断したからだ。 それだけ辛い思いをしたのなら、自分が勝手に踏み込んでいい領域ではない。 やがて生命も順調に安定し、最初の生命も何度も生まれ変わった。 時に平和な暮らしを送り、時に激動に呑まれ、時には短い生涯を終えた。 けれど、どれも満ち足りた幸せな生涯だった。 伴侶となる女性を愛し、愛され、子ども達に囲まれた幸せな生涯。 まさにそれは「女王」の祈り通りのものだった。 しかし。 アンジェリークは笑わない。 彼が生きる毎に。 伴侶を見つけ、子を成す毎に。 生涯を終える毎に。 アンジェリークから微笑みが失われていった。 『愛し合っていましたよ、あの二人は。誰が見ても、愛し合っていました。 彼女に想いを寄せる者ですらも入り込めない想いが、あの二人にはありました』 だったら、アンジェを幸せにしてよ!! レイチェルは叫ぶ。 愛してるなら、愛しているなら、今、ここで、アンジェを幸せにして見せてよ!! 自分ではアンジェリークを救えないから。 自分では、アンジェリークに本当の微笑みを引き出すことは出来ないから。 そして、それは突然やって来た。 生まれたばかりの星の崩壊。 理由は「女王の負サクリア」 負のサクリアを与え続けられた若い星は、それに耐えることが出来ずに悲鳴を上げ、消えた。 心のどこかで恐れていたことが現実のものとなる。 『もうやめて!!』 もう押さえきれなかった。 『星が、ワタシ達の宇宙が壊れていくんだよ!? アナタはそれでいいの!?ワタシはいやだよアンジェ!!』 酷いことを言っているという自覚はあった。 少女の気持ちを知っていて、辛いことを言っているという自覚はあった。 けれども、いつまでたっても泣くだけの女王はもう、うんざりだった。 早く立ち直って、以前のようにすべてのものに対して慈愛を抱く、偉大な女王に戻って欲しかった。 でなければ・・・でなければ、この宇宙の生命はこの女王のもとに生を受けたことを悔やむだろう。 女王を憎むだろう。 愛を与えてくれない存在を。 愛してくれない存在を。 『アナタが泣いてばかりだから、アナタがふっきらないから、だから、だから宇宙は・・・』 悔しい。 レイチェルの目から涙が溢れた。 こんなに近くにいるのに。 こんなに側にいるのに。 なんの力にもなれない自分が悔しくて、レイチェルは涙をこぼす。 『・・・ごめん、レイチェル・・・』 しばらくたって、下を俯いていたレイチェルの耳に入ってきた言葉。 はっと弾かれるように顔を上げると、そこにはいっそう愁いを帯びた、 そして、よりいっそう哀しみに満ちた微笑み。 『ごめんね・・・わたしがしっかりしないからだよね。わたしが・・・あの人に囚われているからだよね』 アンジェリークは視線をレイチェルからずらし、俯いた。 『・・・あの人は、もう、幸せなときを送っている。幸せな時を過ごしてる。 ・・・いまさら、わたしなんかが入り込むなんてコト、出来るわけないのに、ね』 『アン・・・ジェリーク・・・』 『ごめんね。わたし、自分のことしか考えてなかった。 すべてが「女王」を望んでいるのに、それに応えてなかった。・・・女王失格ね』 レイチェルが女王だったら、この宇宙も幸せだったのにね、と微笑む少女。 『そんなこと、あるわけないじゃない』 『うん・・・ごめんね』 知ってたのね、あの人のこと。 うん・・・前にエルンストに聞いたから。 そっか。・・・ごめんね、なんにも言わないで。 『・・・大丈夫よ、レイチェル。わたし、ちゃんと「女王」になるわ。 もう、絶対に放棄しない。・・・だから、こんな不甲斐ないわたしだけれど、一緒に支えてくれる・・・?』 遠慮がちにおずおずと、まるでそれを頼むのが初めてであるかのように言ってくる少女に、 レイチェルは晴れやかに笑った。 『もっちろん♪ワタシ以外の誰がアナタの補佐をするっていうの?』 よかった、とほっと息をつく少女が、妙に初々しい。 その微笑みは、とても優しいものだった。 哀しみは未だ消えてはいないけれど、それでも、少女の中で何かが変わったような、 そんな微笑みだった。 ねぇ、レイチェル・・・ 『なに?』 『わたし、ちゃんと「女王」になるわ。だから・・・だから、これが最後だから、 もう、これを最後にするから・・・泣いていい?』 今日だけは、あの人を想って泣いていい・・・? そう、哀しみを込めた、憂いを込めた瞳で見つめてくる少女が切なくて、哀しくて、 レイチェルは頷いた。 ありがとう。 そう言って、少女は去っていった。 レイチェルは、少女を見つめる。 去っていくその背を見つめる。 こんな小さい肩に、計り知れないほどの多くのものがのし掛かっている。 それを少しでもわけて欲しい。 ひとりで哀しまないで。 ひとりで泣かないで。 ひとりですべてを背負い込まないで。 少女はひとりで泣くのだろう。 誰にも知られないように。 誰にも見つからないように。 たったひとりで、愛した、いや、今でも愛している男を想って泣くのだろう。 幸せに暮らしている、少女の愛する男。 幸せな人生を送っている、たったひとり、愛する男。 少女は、男のすべてがいつまでも、どこまでも幸せであるように、祈り続けていた。 そして、これからも祈り続けるのだろう。 自分の想いを隠して。 自分の幸せを覆い隠して。 自分のすべてを隠して、すべてを与える。 アンジェリークのたったひとつのもの。 アンジェリークのたったひとつの、慈愛ではない、愛。 レイチェルはひとり庭園に出て空を見上げる。 どうか。 これから、少女が傷つくことがないように。 今はどうすることもできないけれど。 いつか。 いつかときが来たら。 少女にも幸せなときを。 今度こそ、少女が幸せになれるように。 すべてを捨てても幸せになれるように。 レイチェルは、ひとり、祈りをささげる。 『アン・・・ジェリーク・・・?』 レイチェルは動けなかった。 動くことができなかった。 何も言うことができない。 何も見ることができない。 体が、すべてが、まるで石にでもなってしまったかのような錯覚を覚える。 『レイチェル。どうかしましたか?』 目の前にいるのはいったい何? 目の前にいる人はいったい誰? 誰? この人は、いったい誰なの? 優しい微笑みを浮かべる「女王」 すべてを慈愛で包み込む「女王」 「アンジェリーク」では・・・ない。 レイチェルを見つめる瞳は慈愛に溢れていて。 それは立派な「女王」そのもので。 「アンジェリーク」のような親しみは、ない。 「アンジェリーク」は消えた。 「女王」であるために、「女王」であり続けるために、 この小さな体から「アンジェリーク」は消え去った。 すべてを導く「女王」であるために。 すべてを産み出す「女王」であるために。 そこに残ったのは。 「アンジェリーク」ではなく「女王」 『アンジェリーク・・・?』 |
| ありがとうございました、のり様。 ご本人いわく、救いようのないお話、でもこれは アンジェとアリオスが幸せになるために、 未だのり様の中では続いているとか…。 ハッピーエンド好きな私としては そうなることを祈っております! |