ホテルの大広間。パーティーが行われているこの部屋の壁際に2人はいた。
「ねぇアリオス〜。機嫌直してよぉ…」
アンジェリークは彼を見上げて困ったように眉を寄せている。
本気ではなくフリをしていただけのアリオスはそろそろ許してやるかと
内心苦笑する。しかし表情はあくまでも渋々と。
「だったらお前が直してみせろよ」
壁についた両手で少女を閉じ込める。
「…いま、ここで…?」
うそぉ……とひきつる少女に彼は意地の悪い笑みを浮かべる。
「こんな壁際、誰も見やしねぇよ」
今年の12月24日、クリスマスイブは振替え休日だった。
つまりその前日は祝日で連休、ということになる。
結果、当然のごとくアンジェリークは22日の夜から
彼のマンションに泊まることとなった。
あまり寝てないので(笑)、マンションでのんびりしているのもいいが
イブのデートらしく外に行こう、ということになり
ブランチをすませて街へ出かけた。
ファッションビルを一緒に見てまわったり、新しいカフェに入ってみたり…と
気ままに街を歩いていたが、時計を見てアンジェリークは言った。
「あ、そうだ。夕方行きたい所があるって言ってたじゃない?
そろそろ行こうか」
「そういや、前からそんなこと言ってたな…」
アンジェリークは行きたい所があるから、その日は他の店を予約したり
しなくていいと前々から言っていたのだ。
いったい何があるのだろう、と少女の行く先についていけば
とあるホテルの大広間。
そこを借り切っていたのはアリオスが所属しているプロダクション。
「アンジェリーク……」
アリオスは溜め息混じりに少女の名を呼んだ。
この後の展開は簡単に想像できるが…一応問わずにはいられない。
「なに?」
アンジェリークはきょとんとアリオスを見つめ返す。
「まさか…これに出席するってのか…」
もちろん、とばかりに頷いて招待状を2枚取り出す。
「アリオスの分も一緒に預かってたの。
オリヴィエさんに突然誘って驚かそうって言われて」
びっくりした?と微笑む少女はそれはもう可愛らしいが…。
あいにく彼はそれを素直に喜べる心境ではなかった。
華やかな会場に入って、事務所の社長オリヴィエに2人は捕まった。
「いらっしゃ〜い。やっぱりあんたを連れ出すにはアンジェちゃんだね☆」
「…?」
首を傾げるアンジェリークにアリオスはわざとらしく大きく息をついた。
「俺はこのパーティー真っ先に断ったんだ」
「え? どうして? もったいないじゃない」
「そうだよ。みんなでぱーっと楽しもうじゃないさ」
「よく言うぜ…」
業界の人間が集まることもあり、看板モデルのアリオスがいた方がいいと
いうのも口実のひとつだが、彼が連れてくる『アンジェリークとクリスマスを
楽しもう』と企んでいる輩が1人や2人じゃないことも事実だった。
会場内に視線を巡らせチェックする。
目の前のオリヴィエ、そして向こうで複数のレディ達と話しているオスカー。
賑やかな席は好まないはずのセイランまでもいる。
アンジェリークは彼らのお気に入りである。
本気で手を出したりしたらこの独占欲の強い恋人に締め上げられるので
なんとかお気に入りでとどまっている。
しかしお気に入りでとどめているからこそ、その距離を武器に
少女を猫可愛がりしていたりする。
別に手を出そうというわけじゃないんだからいいだろう?と。
今もアンジェリークは大企業の社長という肩書きを持っているにも関わらず
陽気でくだけた印象を放つチャーリーに歓迎の抱擁を受けている。
「久しぶりやなー、アンジェちゃん」
「チャーリーさん〜」
アンジェリークは真っ赤になってどうしよう、と固まっている。
「触るな」
簡潔な言葉と共にアリオスは少女を奪い返す。
「こいつを抱いていいのは俺だけだ」
そのやわらかな身体も可愛らしい反応も自分だけのものである。
「まーったく心狭いやっちゃなー。なぁ、アンジェちゃん。
どうせこの連休ずっと一緒だったんとちゃう?
少しぐらいえーやん」
アンジェリークはアリオスの腕の中で頬を染めてこくこくと頷く。
「アリオス…チャーリーさんはお友達よ?
別にアリオスが気にするようなのじゃ……」
それでもしばらく彼はアンジェリークを抱いたまま離さなかったとか…。
今まで他人に執着を見せなかった彼がこんなにもあからさまに
妬く姿など以前からの知り合いは想像もできなかったことだろう。
また、そういう新たな一面が楽しくて…親しい彼らはあえて
からかいの意味も込めてアンジェリークを可愛がるのだが。
何か仕事の話があるらしく、アリオスはマネージャーのエルンストと共に
アンジェリークの側を離れた。
「この酔っ払いどもには気をつけろよ」
という言葉を残して。
「失礼しちゃうねぇ」
「まったくだな。俺達のどこが酔っ払いなんだか」
アンジェリークの周りを囲んでいる人物達は揃いも揃って
酒に強い人種ばかりである。
「ちょーっとお酒のおかげでいい気持ちになってるだけやん」
「それを酔ってるって言うんじゃないのかい?」
顔色すら変わらないセイランがワイン片手に突っ込むが誰も気に止めない。
「他人に迷惑かけない酔いならオッケーでしょ☆」
「はいv」
自分はアリオスにきつく止められているため飲めないが
(それ以前に『未成年』ということを誰も気にしないのも問題だが…)
この人達の輪の中にいるのはとても楽しい。
オリヴィエの言葉にアンジェリークはにっこり笑って頷く。
「というわけでアンジェちゃん?」
「はい?」
アンジェリークの同意にオリヴィエはやけに楽しそうな表情で少女の肩を掴む。
「オリヴィエ社長のメイクアップ教室、出張版ー♪」
「え、ええ〜〜!」
何度か彼にメイクをしてもらったことはあるが、それはあくまでも
控え室やそういう必要がある時だけで…パーティーの余興でのそれは
さすがに逃げ腰になる。
しかも止めようとする人間は誰もいない、どころかとても面白がっている。
……完全に酔っ払いの悪ノリである。
「あら、楽しそうね。アンジェちゃんなら飾りがいあるわv」
挨拶回りを終えてきたトップモデルのサラも進んでオリヴィエの
手伝いをし始めた。
(ふぇ〜ん……エルンストさん、アリオス〜!)
この場にいたら止めてくれたであろう唯一の常識人と
独占欲のやたら強い恋人の名をアンジェリークは心の中で呼んでいた。
仕事の話を終えて戻ってきたアリオスはすぐに少女の変化に気付いた。
「またこいつ使って遊んでたのかよ」
憮然とした表情で少女を腕の中に仕舞い込む。
「アリオス〜」
「ったく、気を付けろって言ったじゃねぇか」
「そんなこと言ったって…」
このメンツ…気を付けたからといって太刀打ちできる者などそうそういないだろう。
アンジェリークはそう呟きながらアリオスを見上げた。
「……っ…」
「な、何?」
メイクしてから初めてまともに顔を合わせて、アリオスは一瞬目を見張る。
その反応にアンジェリークは不安になる。
「オリヴィエさん…もしかしてヘンなメイクした?」
アンジェリークは慌てて作成者に問いただす。
本当に彼にまかせっきりで自分では鏡すら見てなかったのだ。
「そんなことするわけないじゃない。ちゃーんと可愛いよ」
そして心の中で付け足す。
(ただ…いつもとちょっと路線変えてみたけどね☆)
「ねぇアリオス?」
オリヴィエはにやりと意味ありげに微笑む。
「…まぁな」
眉を顰めながら頷いたアリオスはアンジェリークを人の輪から連れ出した。
「顔も出したし、一仕事終わらせた。
これで義理は果たしたことだし行くか」
「え、もう?」
自分はゆっくりとパーティーを楽しめたがアリオスは忙しそうだった。
それなのに良いのだろうか、とアンジェリークは瞳を丸くする。
しかしアリオスは違う意味で取ったらしい。皮肉げな笑みで尋ねる。
「お前は俺と2人きりじゃ不満か?」
あいつらと一緒にいる方が楽しいと?
その言葉にアンジェリークはふるふると首を振る。
「そんなことないよっ」
絹糸のような髪がさらりと揺れる。
そして困ったように首を傾げた。
「アリオス…どうして突然機嫌悪くなっちゃったの…?」
もともとこのパーティーに乗り気でないのは顔に出していたが
こんなふうにさっさと退場するほどではなかったはずだ。
そして話は冒頭部分へと繋がる。
間近での見つめ合いに負けたアンジェリークは視線を逸らし、呟く。
「ここじゃ…やだ」
例え注目されていないと言われても人が多いこの部屋で彼の
リクエストにはとても応えられない。
「だったら、場所変えようぜ」
勝者の笑みでアリオスはアンジェリークの頬に口接けた。
「ア、アリオスっ」
少女を抱き寄せ、出口へと向かうアリオスにオスカーが声をかけた。
指先でアリオスに耳を貸せ、と示す。
「なんだよ?」
面倒臭そうに眉を顰めるアリオスにオスカーも苦笑する。
「俺だって野郎に接近するより、お嬢ちゃんの方が良いさ」
そして何事かアリオスに囁いた。
アンジェリークには内容まではわからない。
しかし、彼の言葉にアリオスはくっと笑みをもらした。
機嫌が直ったようだし、きっと彼にとっては良いことなのだろう。
アンジェリークは2人のやりとりを不思議そうに見上げていた。
パーティーを抜け出して外に出てみれば、雪が静かに舞っていた。
「わぁ〜、アリオス! ホワイトクリスマスだよっ!」
夜空を見上げて嬉しそうに手を伸ばす。
そのまま子犬のように駆け回りかねない表情で降り続く雪を見つめる。
「寒くねぇか?」
「ん、大丈夫。寒いけど雪は嬉しいv」
にっこり微笑む少女の肩を抱き寄せると歩き出した。
「だったら少し寄り道して行くか」
「うん? どこに?」
「着いてからのお楽しみってやつだ」
賑やかな大通りを少し歩いていくとちょっとした公園が視界に入った。
「寄り道って公園?」
なんでわざわざ今ここへ…と浮かんだ疑問はすぐに解けた。
「すごい〜! きれいだねっ」
公園内の灯りはクリスマス仕様のイルミネーションが輝いている。
周囲にあるビル群の灯りまでもが違和感なく一体化している。
おまけにライトアップされた周囲のおかげで舞い降りてくる雪まで
輝いて見える。
この瞬間だけしか見られない幻想的な景色。
都会だってこんなに綺麗な風景が見られるのだ、と嬉しくなった。
「アリオス、ありがとうv」
嬉しくて、その気持ちを伝えたくて、彼に抱きついた。
その拍子に彼のマフラーがずれてしまい、アンジェリークはごめんね、と
慌てて直そうとする。
ちなみに彼への今年のクリスマスプレゼントがこのマフラーだったりする。
「アンジェ…礼ならこっちがいい」
軽く顎を持ち上げられ、アンジェリークはアリオスを見上げた。
「アリオス…」
真っ直ぐ見つめてくる魅力的な瞳に捕らわれる。
いつまでも慣れることができなくてどきどきする。
彼のマフラーを掴んだまま動けなくなって、ただ見つめ合う。
視線が絡んだ一瞬後、アリオスの吐息が触れる。
アンジェリークは瞳を閉じて受け止めた。
「…っ…アリオス…」
強く抱き締められて、いつもより長くて情熱的なそれにアンジェリークは
酔わされる。
「待っ……」
身体に力が入らない。もう1人ではきっと立てない。
なのにやめてほしくない、と思う自分に呆れてしまう。
「続きは部屋でな」
アリオスは名残惜しげに軽く口接けると少女を抱き支えながら
車へと歩き出した。
アンジェリークはぐったりと助手席に身体を沈めて呟いた。
「アリオス、絶対今日ヘン」
機嫌が悪くなったかと思えば直ったり…。
いつもよりずっと激しいキスだったり…。
火照る頬を押さえる少女にアリオスは苦笑しながら言った。
「鏡見てみろよ」
「?」
言われた通りに車内の鏡を覗いてみる。
そこに映るのはオリヴィエに化粧を施された自分の顔。
「これが…?」
オリヴィエがちょっと路線を変えてしたそれは
本人には分かっていないようだった。まだ首を傾げている。
「わからねぇならしょうがねぇな。そのまま悩んでろ」
「もう、いじわるっ。教えてくれてもいいじゃない」
アリオスは膨れる少女に覆い被さり唇を奪う。
「答は見せてやったんだぜ? 後は自分で考えるんだな」
オリヴィエがしたメイクはいつもの可愛らしいだけのものではなかった。
2割増で女らしさも引き出していた。
艶やかな唇はいかにも食べ頃の果実を思わせて…。
普段と雰囲気が違う甘い目元もチークも似合っていた。
はじめてそんな彼女を見て、喜んだけれどそれは一瞬で…。
後は誰にもこの少女の姿を見せたくないと…そう思ってしまった。
さすがに気付きもしない本人にそれを言うのは躊躇われたが。
「ところでアンジェ…」
「なに?」
「家に着いたらオリヴィエ達からのプレゼントもらうからな」
「?」
アリオスはアンジェリークの髪を優しく梳き、髪飾りに触れた。
最初はただ下ろしただけの髪型だった。
だがメイク後の今は髪を一部結んでいる。
そのとてもクリスマス仕様な髪飾りは、実は高級シャンパンの飾りリボンと
手近なクリスマスツリーの飾りを失敬してセイランが即興で作ったものである。
「丁寧にラッピングまでしてくれたようだしな」
「ええっ…それって…」
もちろんラッピングされているのはアンジェリーク自身である。
『せっかくの2人きりの時間を少しとはいえ、奪ったお詫びだそうだ』
オスカーから伝えられたオリヴィエの言葉。
ちょっと特別なメイクと口実となるラッピング。
どうせ口実などなくても結果は同じだろう、と
当人を含めて誰もが予測できていたが(笑)
利用できるものは利用させてもらう。
アリオスは楽しげに微笑むとアンジェリークに宣言した。
「マンションに着くまでは寝てていいぞ」
どうせこれから寝かせてやれそうにないしな、と。
「そんなこと言われて素直に寝れないよぉ…」
アンジェリークがこれからのことを考えて眠りについたか
マンションに着くまで起きていたかは推測しかねるが
その後の展開は誰にでも予測できるだろう。
〜fin〜
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