Imitation Love

夜中の静けさに波の音だけが響く。
闇色の暗い波が寄せては返していく。
夕波の島の浜辺をアリオスは一人、歩いていた。
頭を冷やして考えたいことがあった。
「………」
明らかに波が打ち寄せるのとは別の水の音に視線を向けると、
波打ち際にアンジェリークがいた。
こちらには気付かず、裸足になって水と戯れている。
優しく淡い月の光の中、きらめく飛沫に囲まれて微笑む少女は
名前の通り、天使のようである。
こんな夜中に何をやっているのか…理解できない少女だ、と思う。

だけど、いつからだろうか、目が離せない。
もしかしたら初めて彼女を見つけた時からかもしれない…。
最初、気になったのは失った彼女に似ているからかと思っていたが、
それは思い違いだったことに気付いてしまった。
彼女だからこそ、強く惹きよせられてしまう。
…彼女こそが悩みの元凶。
今さら自分の計画を止めることなど不可能だというのに。
しかし…彼女を愛しく想う気持ちが存在するのも事実で…。
相反する気持ちがぶつかりあい、いまだに決着がつかないでいる。
だから、今はまだ『アリオス』として彼女に声をかける。

「なにやってんだ? こんな夜中に」
「アリオス? きゃ…っ…」
突然声をかけられた驚きと、振り向こうとして波に掴まったこともあり、
アンジェリークは小さく悲鳴をあげて、波間にしりもちをついた。
さすがのアリオスも距離があったので助けることは出来なかった。
だから、いまだにずぶ濡れで座りこんでいる彼女に歩みより、
手を貸してやる。
「ったく、お約束通りのやつだな」
「だって…アリオス急に後ろから声かけるんだもん…」
「お前が浜辺に背を向けてんだ。どうやったって
 『急に』『後ろから』声かけるしかないだろ」
「…そうだね…」
アリオスの手を取り、アンジェリークは真面目に納得している。
そんな彼女の様子に微笑みがもれてしまう。

「早いとこ着替えろよ」
「う、ん…でも…」
「なんだ?」
「今から長老さんの家でばたばた着替えるのも迷惑になるな…て」
皆が寝静まったこの時間、服を探したり明かりをつけたりしては起こして
しまうかもしれない…。世話になってる身としてはそれは避けたい。
「…いいや。この島あったかいし。そのうち乾くよね。
 この服なら乾くの早いと思うし」
ひとまわりしてる間に乾くだろう、と彼女は言った。
彼女が着ているのは、戦いの衣装ではなくラフなワンピース。
確かにいくらか待てば乾くはずだが…。
「バカ。服が乾く前にお前の体温が奪われるだろうが」
「そっか…」
即座に却下されたアンジェリークはふと頭に浮かんだ考えを示すように
ひとつの建物を見た。アリオスもそちらに目を向ける。
それは以前、突然のスコールを避けるために飛び込んだ空き家だった。



「これでも着とけ。何もないよりはましだろ」
アリオスは自分のシャツを脱いで手渡すと、外へ出ていった。
「…うん」
アンジェリークはおとなしく言うことを聞き、濡れたワンピースを干し、
まだ温もりのある彼の白いシャツを羽織った。
袖を通し、ボタンをとめて、苦笑する。
先程まで着ていたワンピースと丈が大差ない。
「アリオス…?」
ドアから顔だけを出して彼の名を呼ぶ。
たぶん近くにいる、そう思ったから。
アンジェリークの予想通りアリオスはすぐ近くにいた。
ドアのすぐ側の階段に腰掛け空を見上げていた彼が振り向いた。
「終わったのか」
「うん」

窓から入る月と星の光だけが唯一の光源。
薄暗い部屋に戻り、アリオスは苦笑した。
「バカだな、お前。なんでわざわざ呼び戻してんだよ」
「なんでって…」
「もうちょっと警戒するもんだろ? 普通。
 そんな格好してるわけだし」
「え?」
アリオスに指摘されて初めて気付いたようにアンジェリークは
頬を赤らめた。何か言い返そうとしたようだが、それは彼女自身の
くしゃみによって妨げられてしまう。
アリオスはわざとらしく溜め息をつき、少しは明るい窓の下に座った。
「来いよ」
その隣に少し距離をあけて座る少女を引き寄せ、抱きしめた。
「ア、アリオス?」
「黙ってろ。また俺に看病させる気か?」
アンジェリークの冷えた身体を温めるようにアリオスは彼女を包みこんだ。
 
単なる応急処置にすぎない、とアリオスは言った。
「だからそんなに緊張すんな」
「アリオス…」
シャツ1枚を隔てた背中越しに彼の鼓動を感じる。
自分を包みこんでくれる体温を感じる。
アンジェリークはそれに安心して、彼に体を預けた。
「アンジェリーク…?」
しばらくしてアリオスは訝しげに彼女に呼びかける。
彼女の頬には涙が伝っていた。
「なんでもない…」
「なんでもなくて泣く奴があるかよ」
両手は彼女を温めるために塞がっているので、流れ落ちる涙を唇で拭う。
その優しい仕種にアンジェリークはますます泣いてしまう。
「だって…なんで涙が出ちゃうのか自分でも分からない…」

「あのね…たぶんほっとしたんだと思う…」
落ちついてからアンジェリークはぽつりと涙の理由を言った。
それまでアリオスは何も言わず、何も訊かず、ただ抱きしめていた。
「…今日…結婚式やってたの知ってる?」
「ああ」
突然の話題変換にとりあえずアリオスは合わせて答えてやる。
「あの花嫁衣裳ね…セイラン様と一緒に織るのを手伝ったんだけど…」
「またいつものお人好しがでたな…」
「もう、いいでしょ。困ってる人を放っとけないじゃない」
アンジェリークは涙に濡れて赤くなった目で抗議する。
「彼女、すごく綺麗だった。幸せそうだった」
そしてアンジェリーク達へのお礼を伝える際、彼女は言ったのだ。
『あなたにも幸せが訪れますように』
式で使っていた花をアンジェリークに渡して。
そうだといいな、と微笑んだアンジェリークに
彼女は自信を持って言ったのだ。
『誰でもいつか大切な人とそういう時を迎えるわ』
その笑顔がとても綺麗だったから、アンジェリークも笑って頷いた。

「だけど…私にはたぶん無理…」
幸せいっぱいの彼女の前ではとても言えなかったけれど。
「花嫁衣裳なんて…きっと着られない…」
俯いているアンジェリークの表情は後ろにいる彼からは窺えない。
「女王だからか…?」
「………そうだね…」
答えるまでの間と、歯切れの悪さが違うと言っている。
後ろを振り向き、アリオスを見つめる瞳が正しい答えを示している。

『アリオスの隣以外では花嫁衣装を着たくない。
 だけどそれは決してありえないこと。許されないこと。
 その現実は認めざるを得ない…』 と。

それに気付かないアリオスではない。
しかし彼女が口にしないのならば、自分もそれには触れない。
「それでいろいろ考えることがあって、こんな夜中に出歩いてたわけだ」
「うん…。はじめは海見てたんだけどね。なんか気付いたら遊んでた」
「そのへんがお子様だよな」
くすくすとアンジェリークは笑う。やっと彼女に笑顔が戻った。
「お子様でいいもん」
そして体の向きを変え、アリオスに抱きつく。
「お子様でもいいから…そばにいて…」
限られた時間の中だけでもかまわない。
別れの時が来るその瞬間までは離さないでいて。
アリオスの首に腕をまわし、切なげに言うその表情はお子様のものでも
少女のものでもないけれど…。
「ああ。…そばにいてやる…いつだって」
その願いを叶えてやりたい。
気持ちを伝えるかのようにアリオスも強く彼女を抱き返す。
こうしてまた嘘と罪がひとつ、増えていく。


「…お前を見てると心配になる」
「なに?」
「どうしてそんなに他人に尽くせる? 
 なぜ簡単に人を信じる?」
何も身に纏っていない彼女の白い肩を抱き寄せ、
答えを探すかのように海色の瞳を見つめる。
「こうしてお前を抱いている俺の素性さえ、お前は何も知らない。
 騙されている、とは考えないのか?」
「別に…そこまで考えてないわ。
 私の場合、疑うよりも信じる方が楽なだけ」
それがどれだけすごいことなのか、彼女は自覚していないようだが。
「裏切られることまで考えてないのか」
「裏切られるその瞬間まではその人のこと信じるわ」
「たいした天使様だな…」
彼女の真っ直ぐな瞳が眩しすぎる。

「もし、俺がお前を裏切ったらどうする?
 憎むか? 恨むか?」
「どうしたの急にそんなこと…」
「なんとなく…思っただけだ」
彼女の髪を梳き、軽く口接けたアリオスに
そうなの? とアンジェリークはどこか悲しげに微笑む。
「アリオスのこと、憎んだりしないよ。そんなことできない。
 だってもうこんなにあなたのこと好きなのに…」
「だからこそ捨てられたら恨むもんじゃないのか?」
「そうか…。…どうせならもっと長い間騙しててくれれば良かったのに、
 とは思うかもね」
くすりと笑う少女の微笑みはまるで慈愛の女神。
何度罪を重ねても、その神聖さは失われることがない。
「アンジェリーク…」
愛している、その言葉は意志の力で飲みこみ、彼女を抱く腕に力を込めた。

『アリオス』は所詮つくりもの。紛い物。
そんな人物が抱いた気持ちなど偽物の愛。
そう割り切ろうとして、いまだに自分に言い聞かせている。
しかし、純粋に彼女を想う気持ちは紛れもなく真実で…。
「アリオス」
少女の甘い声が偽物の自分の名を呼ぶ。その度に思う。
「アンジェリーク…」
近い将来、俺の本当の名をお前はどんなふうに呼ぶのだろう。
敵である自分の名を…。

「アリオス…。愛してる。何があってもあなたのこと好きだから」
「どうした?」
「わからない。今日の私ヘン…。
 どうしてこんなに涙がとまらないんだろう…」
アリオスの抱える感情を感じとっているのかもしれない。
彼女は人の気持ちに無意識に敏感なところがあるから。
「もう、泣くな…」
「…うん」
今はただ…何もかもを忘れて。
名前も立場も忘れて…波の音に包まれて、堕ちてゆく。



彼が葛藤の末、選んだ道は我が身の消滅。
制止する彼女の泣き声が聞こえる。
他の全てを捨ててでも自分を選ぶと言い切った少女。
彼は最期の瞬間まで彼女を見つめていた。
人の財産とは金でも名誉でもない。
死を迎える瞬間、その瞳に何を映していたか、だという。
その通りかもしれない、と彼は思った。
そして想いを伝えるかのように微かに微笑む。
「また会おう。俺の天使」

彼女を攫ってしまうこと。
少しも考えなかったといえば嘘になる。
しかし、彼女を自分のために堕としたくはなかった。

すぐに会いに行く。
次にあった時には、偽物の愛とは比べ物にならない
本物の愛を教えてやる。
だから泣くな。
お前を愛し続ける俺がそばにいてやる。
 
                               〜fin〜




タチキ様のリクエストで
切ない話&アリオスの苦悩。
久しぶりに書いたシリアスです。

なんで彼は本編でのラスト、『アンジェとともに生きる』
という選択をしなかったのー!?
その私なりの解釈のひとつがこれです。
アンジェを自分の位置まで堕とすのではなく、
自分が彼女のところまで昇りたいから。
そのために無理矢理にでも
紛い物の愛、と思いこんで
一度彼女への想いを断ち切ろうとした。
あくまでも私の解釈のひとつですけどね。
私の中でさえ、まだいくつもの解釈があります。

しかし、『天空』の彼は難しいですね…。
パラレルで書くような、「純粋にアリオス」や「純粋にレヴィアス」ではなく、
「レヴィアスでもあり、アリオスでもある彼」
を深く突き詰めてしまうと本当に難しい…。


 

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