とてもびっくりしたの。
大樹の下に立つあなたを見つけた時。
まさか、という思いと私があなたを絶対に見間違えるはずがない、という確信。
最初の一瞬は驚きしかなくて、嬉しさはあとからあとから大きくなっていった。
――― …また会えた ―――
でも記憶を無くしてしまったあなたは、あなただけどあなたじゃないような…。
過去も私のことも思い出してほしいと思う反面、過去はもう済んだ事と割りきって
新しい未来だけを見つめていってほしいとも思う。
複雑な気持ちで私は約束の地に通う。
…驚いた。
自分のことも何もかも忘れた俺を知っている人物に会うなんて。
天使の名を持つ少女。
複雑な表情で俺を見つめていた。
本当に嬉しそうに笑ったり、苦しそうに微笑んだりする。
目が離せない。なぜか心に引っかかる存在。
彼女のことを知りたいと思った。
俺の記憶を取り戻すきっかけになるからかもしれないし、
純粋に少女に興味があったからかもしれない。
どちらの理由にしろ、俺は約束の地で彼女を待っていた。
「馬鹿だな…お前」
木の下で幹とアリオスに凭れて眠る少女に囁いた。
さっきまでいろいろと話していたが、いつのまにか眠ってしまっていた。
なぜかこの少女は必ずこの地を訪れる。
この大陸の現状を聞き、彼女の使命も聞いた。
疲労を抱えているのにそれを顔には出さず、こんなところに通っている。
「……っと」
かくん、と倒れそうになった身体をアリオスは抱き止めた。
「…本当に馬鹿だな、アンジェリーク…」
どうしてこんな記憶を無くしたやつのところへ、忙しいだろうに何度も足を運ぶ?
しかもなぜそんなやつの前で無防備に熟睡できる?
「俺とお前はどういう関係だったんだ…?」
だけど彼女は話さない。話せない、というようにも見えた。
単なる知り合い、ではないだろうと思う。
それなら話すことを躊躇う理由など無い。
…躊躇わせるほどの『何か』が自分達の間にはあった。
「どんな過去が出てこようと…お前のことを思い出したい」
「きっと思い出せるよ」
アリオスの独白にアンジェリークは答えた。
「なんだ、起きてたのか」
華奢な肩を抱いていた腕をあっさりと離す。
それがアンジェリークには少々寂しい。
「今起きたの。ありがと、支えてくれてたんだ…」
「そうしなかったら、その低い鼻がまた低くなるところだったからな」
「もうっ」
からかう彼にアンジェリークは頬を膨らませる。
こういうところは以前と変わりない…。
ただ…私のことも彼自身のこともなにも覚えていないだけ。
「疲れてんだろ? 帰って休んだらどうだ?
どうせ、俺はまだなんにも思い出せてねぇし」
「まだっ、次の予定までは…もう少し時間があるのっ。
ここにいさせて…? ここにいたいの…」
どこか必死な様子で言う少女にアリオスは苦笑する。
「別にお前がいいならかまわねぇけどな。ただこんなところで居眠りすんなよ?
俺がいる時はともかく…一応女だって自覚持てよ?」
「一応ってなによぉ。それに私、どこでもお昼寝するわけじゃないもん」
「どうだか」
「本当だもん…アリオスの傍が眠りやすいだけよ」
安心して眠れるのは彼の傍だけ。
自室で厳重な警備が施されていても、不安は晴れない。
霊震はいまだに増えつづけているし、それに対して何も策が打ち出せない。
浅い眠りが続いていた。
アリオスが何か対抗策を持っているわけではない。
それなのに彼の傍にいると安心できた。
「くっ、それは誘い文句ととるべきか?」
いつもの意地悪な笑みでアリオスは少女の顎を捉える。
「そ、そんなんじゃないもんっ」
アンジェリークは真っ赤になって逃げようとする。
しかし、彼はいつもと違って離してくれなかった。
「アリオス?」
どうしたの? と首を傾げる少女の頬に触れた。
「…その瞳と唇には絶対見覚えがある」
「…アリオス…」
優しさと強さを兼ね揃えた海色の瞳。その輝きを誰よりも間近で見つめたはず。
桜色の唇が自分の名前を何度も呼んでいた。そのやわらかさも甘さも覚えているはず。
きっと…おそらく…自分達はそういう関係だった。
「童話なんかじゃお姫サマのキスで奇跡が起きたよな?」
「アリオス…」
アンジェリークは瞳を閉じかけて…だけど触れ合う寸前に逃げた。
「やっぱり…今はだめ」
してほしいけど、触れてほしいけれど、こんな試すようなキスは嫌だ。
「思い出しても思い出さなくても関係ない…。
私を好きなキスじゃなきゃやだ…」
「アンジェリーク」
「…ごめん、なさい」
アリオスは息をつくと、子供にするようにアンジェリークの頭をぽんぽんと叩いた。
「泣くなよ。冗談に決まってるだろ」
「もう、からかったのね…アリオスのバカ…」
泣き笑いの顔でアンジェリークは囁いた。
本当は2人とも冗談などではないとわかっていたけれど、今はまだそういうことにしておいた。
「雪か…」
沈黙を埋めるかのように空から白いものが舞い降りてきた。
「珍しいね、この大陸ではじめて見たわ」
「そうだな」
2人、しばらく空を見上げていると、アリオスがポツリと言った。
「こうして、お前と一緒に雪を見たことがないか…?」
「え?」
アンジェリークは空から彼へと視線を転じた。
「側には暖炉が燃えてて…お前の吐く息が窓を白く曇らせてた」
「そんなことがあったね…。私も…よく覚えてる」
「なん…だって?」
「私、あなたと雪を見たわ。窓際で2人で…あの時はすごく暖かかった」
「雪が降ってたのにかよ?」
「降ってたけど…暖かかったの」
アンジェリークは頬を染めて、くすりと笑った。
「…特別な夜だったから」
「思い出せたらいいのにな。お前のこと。
思い出していい記憶かどうかはわかんねぇけど、もっと…お前を知りたい」
「…アリオス…」
「ま…思い出したところで、どうせ、ろくでもねぇ話ばっかなんだろうけどな」
「もう、ひどいわ、アリオスったら!
それは、確かに…迷惑ばっかりかけた気もするけれど…」
不満げにアンジェリークは呟いている。
「そんな怒んな。かわいい顔が台無しだぞ」
「っ!」
瞬時に顔を真っ赤にさせる少女を見てアリオスは楽しそうに笑う。
「…アリオスのバカ…」
「くっ…飽きねぇな、お前は。 …いつのまにかやんじまったな、雪。
そろそろ帰ったほうがいいんじゃねぇか?」
「…うん」
名残惜しそうに頷く少女にいつものように微笑んでやる。
「また来い。待っててやるから」
「うん」
『次』の約束をすると少女はほっとした顔で微笑む。これもいつものことだった。
「っ!!」
アリオスは手を伸ばそうとして、そこで目が覚めた。
「…くそっ…」
うっすらと空が明るくなりかけているのを窓から入る光で感じながら、
長い前髪をかきあげた。
消えたはずの記憶。ガラスの破片を集めるように断片的に夢に見る。
夢の中の少女は霞がかっていてはっきりとは見えない。
最初は誰だか分からなかったが、彼女と会ってからは半ば確信していた。
アンジェリークだ、と。
『そばにいて…』
苦しそうに息をつきながら、自分を探す少女の手を握ってやった。
『あなただけを選ぶわ…。
あなたになら殺されてもかまわない』
穏やかな笑みを浮かべて物騒なことを言っていた。
どこかの城の中、泣きながらこちらに手を差し伸べていた。
祈る声がいつまでも胸に残っている。
『忘れないで…』
だけど自分は何も覚えていなかった。
『これだけは忘れないで。
今度こそ、私の宇宙で幸せになって。
…できれば私のこと…覚えていて…』
「アンジェリーク…」
「アリオス!」
駆け寄って来る少女を見つめ、アリオスは冷たい笑みを浮かべた。
「待ってたぜ。すべて思い出した。お前のことも、俺自身のことも…。
そりゃ話すの躊躇うよな、こんな過去」
「…アリオス…」
「お前、本当に馬鹿だな。俺の過去を知ってて、それでも何度も足を運ぶなんてよ。
ったく、信じらんねぇ。
いつ記憶を取り戻して刃を向けてくるか、わかったもんじゃないんだぜ。
それとも俺のことを信用してるとでも言うつもりなのか?
ンなわけねぇだろ? お前は、俺を憎んでるはずだ」
「そんなことないわ!…どうして…どうしてそんなことを言うの!?」
「どうして、じゃねぇだろ! いいかげんにしろ。
お前の甘さには呆れ返るぜ!
お前、女王なんだろ? 宇宙が大事なんだろ?
それを傷つけようとするものを許すなよ。
一度裏切った人間は結局それだけの奴なんだ。
今がどうであろうと、信用する価値なんてねぇ。
…お前を見てると吐き気がするぜ」
「………」
反論は許さない、とばかりの彼の意見が辛い。
彼はまだ自分で自分を許せないでいる。それが悲しくて、腹立たしくて…。
「同情や哀れみはいらない。俺は一人で生きていけるから、気にする必要などない。
だから…もう来るな。俺のことなど放っておけ」
「アリオス…!」
アンジェリークは背を向けて立ち去ろうとする彼のところへ駆け寄った。
彼の目の前に来て、進路を阻む。
「アリオスこそバカだわ!」
「おい…」
アンジェリークは彼のジャケットを掴んで叫んだ。
「本当にわからないの? なんで私があなたのところへ足を運んだか。
全部思い出したくせにわからないの?
同情や哀れみなわけないじゃない。
あなたは一人で生きていけるかもしれない。だけど私は…一人じゃ生きていけない」
泣きながら小さな拳で彼の胸を叩いた。
「『レヴィアス』は何の為に死んだの?
最期まで皇帝の意思を貫いて、そして次の生で幸せになろうって…
…違うの? 私が勝手に思ってただけ?」
「…アンジェリーク…。俺はいつ消えるかわからない男だぜ。
…お前も知ってるだろ。互いを理解できたとしても、どうせまた別れが来るんだ。
俺たちはそういう運命にある。
目の前で逃げていく紐の先を追いつづけるなんて、楽しくないだろ?
…もう、やめようぜ。時間の無駄だ」
「時間の無駄だなんて思わない。
確かに私達、2度も別れたわ…」
アンジェリークは瞳を伏せた。
一度目は故郷の宇宙を救う旅で敵対して。
二度目はラ・ガに利用されアンジェリークを襲うことになったが、
理性も記憶も取り戻し、彼女への忠誠を誓った直後。
「だけどその度にまた出会えたわ。別れる運命なら、また出会える運命でもあるのよ。
私、諦めたりしない」
たとえ、最後に待つものが別れでも。
何度出会えても別れる運命だったとしても。
「延々と終わりのない悲劇を繰り返すことになっても、あなたといられるならかまわない。
一緒にいるその瞬間は幸せだから」
「………」
「それに、あなたを失うのはいやなの。
今度こそ、ハッピーエンドにしたい」
「アンジェリーク…俺にはそんな資格はない」
「どうして?」
「俺は…たとえ記憶を失ってもお前の事だけは忘れてはいけなかった。
なのに…」
彼の記憶にあったのは微かな既視感と断片的な夢。
「それだけあれば十分じゃない。思い出した時点で問題ないじゃない。
何より、私があなたを必要としてるの…」
アンジェリークは必死で説得した。
もう二度と離れたくない。泣きたくない。
「何を怖がってるの…? もうあなたは幸せになってもいいのに」
珍しく鋭い指摘にアリオスはぴくりと反応した。
「…確かに…光に触れることに躊躇いは感じたな。
闇の中で生きてきた俺はお前にふさわしくない」
「そんなこと関係ない。私はアリオスじゃなきゃだめなの。
アリオスは…? それだけの問題でしょ。
どうしてもこのまま別れようっていうなら私を嫌いだと言ってから行って」
過去だとか運命だとかお互いの立場とか…
そんな理由で別れるなんて納得してあげない。
単に両想いにはなれなかったから別れる、の方が受け入れようと努力はできる。
惚れさせることのできなかった自分の責任だから。
「………。 やれやれ。まいったぜ。
たいした愛の告白だな、アンジェリーク?」
「…アリオス?」
「降参だよ」
アリオスは苦笑しながらアンジェリークの頬を伝う涙を拭った。
「絶対諦めないんだろ? しかたねぇ、とことんつきあってやるよ」
アンジェリークはアリオスの腕の中に閉じ込められた。
「…じゃあ…?」
アリオスはアンジェリークの顎を持ち上げながら微笑んだ。
「今度は逃げんなよ?」
「…ん…」
転生してからは初めてなのに懐かしいキス。
唇が離れたあと、アンジェリークは瞳を潤ませて微笑んだ。
「おかえりなさい、アリオス」
「…ただいま」
アリオスも穏やかな笑みで微笑み返した。
「俺の帰るべき場所はお前だ」
やっと素直に認められる。
こうして、他の方々には内緒の逢瀬が繰り返されることとなった。
〜fin〜
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