朝のドライブ

  
   アリオスと付き合い始めて1年以上、アンジェリークは彼の隣で目を覚ました。
   いつものようにそっとベッドから出る。
   「…ん…何時だ……」
   「あ、起こしちゃった? 6時ちょっと過ぎ」
   引き寄せられるままに朝の挨拶をし、その先へ進もうとするアリオスを慌てて制止する。
   「学校遅れちゃう…シャワー浴びてくる」
   アリオスに借りて、ちゃんと着ていたはずのシャツのボタンをとめなおしながら、
   ドアの方へと歩いて行く。
   内心では彼の瞬間芸に冷や汗を浮かべている。
   「昨日あんなにしたばっかりなのに…アリオスのエッチ」
   真っ赤になって抗議するとアリオスは楽しそうにくっと笑った。
   「誰だって好きな女といればそうなるさ」
   さらりと言い返されるとアンジェリークは何も言えなくなる。
   この余裕は年の差なのだろうか、かなわないと思う時がある。
   負けたな、とは思わないけれど。アンジェリークはふぅ、と息をつくと笑顔で言った。 
   「もう少し寝てていいよ。ごはんできたら呼んであげる」
   仕事上、寝不足はまずいでしょ、と。
   「ああ、そうだな」
   もう何度も2人で迎えた朝。そんなやりとりにも慣れた頃…。
   聞き慣れない声が響いてアリオスが再び目覚めるのはもう少したってから、である。
   
   
   6時30分をまわった頃だろうか、ゼフェルは我が家に帰ってきた。
   一緒に住んでいる兄のため、その兄と付き合っている同級生のために
   ゼフェルは頻繁にさりげなく友人の家に泊まる。
   実際その気使いが役立つのは、アリオスの仕事の都合、
   アンジェリークの事情もあり、ごく一部なのだが。
   昨晩はその3人のタイミングが珍しくあった、というわけである。
   ゼフェルは出来れば友人宅からそのまま学校へ行きたかったが、
   制服を取りにやむを得ずマンションに帰ってきた。
   昨日は休日ゆえ、制服は着ていないし、友人の家に持っていこうという考えも
   すっかり抜け落ちていた。
   「あー。ねみぃー…」
   夜中ずっとゲームをしていたせいでひどく眠い。
   顔でも洗って目を覚まそうと洗面所のドアを開けた。
   マンションというのはたいてい洗面所とバスルームは近くにある。
   よって洗面所は兼脱衣所となっていた。そしてタイミングが良いのか悪いのか、
   そこにはバスルームから出てきたアンジェリークがいた。
   
   
   「………」
   「………」
   お互い、しばしそのまま硬直する。我に返ったのはアンジェリークが先だった。
   「きゃあああっ」
   その声でゼフェルもハッと我に返り、慌ててドアを閉める。
   「わりィ!」
   そしてずるずるとドアを背に座りこみ、大きなため息をつく。
   (あー、びっくりした…なんでいんだよ……)
   ちなみにアンジェリークの今のような悲鳴というのは実に珍しい。
   あまりきゃーきゃーわめくタイプではないのだ。
   3秒としないうちにアリオスが飛んできた。
   「アンジェ!? …とゼフェル? 帰ってきたのか」
   「あ、ああ、今…」
   「もしかして今の悲鳴は…」
   「………あー、そのー、つまり…俺、ドア開けちまった」
   言いにくそうに、目を合わせずに白状するゼフェルにアリオスは一瞬『粛清』という
   単語が浮かんだが、とりあえず後回しだ、と思い直す。
   座りこんでいたゼフェルを長い足でどけて躊躇わずに洗面所に入っていく。
   
   
   「アンジェリーク?」
   「アリオス…」
   こちらもタオルを巻いた格好で座りこんでいた。アリオスを見上げ、涙目で言う。
   「びっくりしたよぉ」
   「あとでアイツにお仕置きだな」
   アンジェリークを立ち上がらせて、かなり本気っぽい目で言うアリオスをなだめる。
   「それはちょっと、ゼフェル可哀相かも…」
   「甘いんだよな、お前は…」
   滲んだ涙を拭いながら呆れたようにアリオスは言う。
   しかし次のアンジェリークの一言で彼の機嫌は直った。 
   「……アリオス以外の人に見られた……」
   言外に心も身体も自分のものだと言われたようで。
   もちろんアンジェリークにそんなつもりはなかったが。
   「お前は俺を喜ばすのがうまいよ、本当に」
   「?」
   無意識でやっているならなおさら愛しい。抱きしめて頬にキスをする。
   「俺の理性が残っているうちに服を着るんだな」
   「そ、そうよっ。遅刻しちゃう。早くしなきゃ」
   
   
   アリオスは慌てたアンジェリークに追い出され、リビングへと向かう。
   そこにはゼフェルがミネラルウォーターのボトルを片手に、
   ソファに行儀悪く乗っかっていた。
   「よぉ、ゼフェル」
   大きな手の平を頭の上に感じ、ゼフェルはおそるおそる声の主を見上げた。
   「どこまで見た?」
   簡潔な問いはかなり圧迫感があった。
   ちらりとからかってやろうか、という思いがよぎったが兄の目を見て考え直す。
   ここでふざけようものなら半殺しだ。そう悟った。
   「…ちゃんとバスタオル巻いてたぜ。露出度でいやぁ水着ん時の方が高いぐらいだ。
    ただ風呂上りってんでびっくりしたんだろうなぁ」
   「そうか」
   アリオスの表情が和らいだのを確認してからゼフェルは続きを言った。
   タイミングを間違えるとこの兄は本当に恐ろしい。

   「だけどなぁっ、あんまり派手にアト残すなよ!」
   赤くなってゼフェルは忠告する。バスタオルの下に隠れることのなかった
   鎖骨の上、胸元、白い肌の上には赤い花びらが散っていた。
   ゼフェルもけっこうしっかり見るとこは見ていたのである。
   「学校あるんだぜ。体育でもあったらどうすんだよ。あれ、めちゃくちゃえっちくさいぞ」
   アリオスはそれがどうした、といわんばかりに平然と返す。
   「久々だったからな。お互いに燃えたな」
   「………」
   「そこで想像するな、むっつりスケベ」
   「なっ…」
   そうなるようなセリフをわざと言っておきながら、苦笑しつつつっこむ。
   図星をさされてゼフェルは膨れて言い返した。
   「実際にやってる奴に言われたくねぇよ」
   「んだと…。この俺に口答えか?」
   「…どっちもどっちよ。……バカ」
   不毛な口ゲンカを終わらせたのは耳まで赤くしたアンジェリークだった。
   
   さっきまで着ていたシャツをアリオスの頭にばさりとかぶせる。
   「朝からなんて会話してるの…。それに、上になんか着ないとカゼひいちゃうよ?」
   アリオスはベッドから飛び出てきたので上半身は何も身につけていない。
   「お前の匂いがする」
   かぶせられたシャツの隙間からアンジェリークをじっと見つめてそう言うと、
   彼女はそれだけで頬を赤らめた。
   「も、もぉ…アリオスったら…またからかってる」
   パタパタとキッチンへ逃げるアンジェリークを見送ってアリオスは口の端を上げる。
   「かわいいだろ」
   「ケッ、バカップルが…」
   それでもゼフェルがあれほどまでに素直に反応する彼女を、確かにかわいいと思って
   しまうのは仕方のないことだろう。
  
  
   「じゃあ、行ってくるね」
   ゼフェルから渡されたヘルメットを抱えながら、アンジェリークはアリオスの
   部屋をのぞいた。今朝のように居合せた場合、ゼフェルのバイクに乗せてもらって
   学校へ行く。もう何度かそんな登校手段を使っている。
   「行くぞ」
   「はーい…きゃっ」
   ゼフェルの呼ぶ声に返事をしたその時、突然なにかが投げられた。
   とっさに受け取ったそれは車のキーだった。
   飛んできた方向を見ると身支度を整えたアリオスがいた。
   
   「俺も出る」
   「…? 10時入りじゃなかったっけ?」
   早いんじゃない?という瞳で聞くと軽く額を弾かれた。
   「送ってってやるって言ってんだよ」
   「そんなこと一言も言ってないじゃない」
   嬉しそうな顔で文句を言う彼女からヘルメットを取り上げる。
   「察しろよ。ったく、鈍いな」
   「どーせ鈍いもん。ゼフェルー。アリオスが送ってってくれるって」
   「なに言ってんだよ。アリオスが俺を乗っけてくかよ。
    どーせギリギリまで車ん中でイチャつくつもりだろ」
   「わかってるじゃないか。お前もゼフェルほど聡ければなぁ」
   「う…。 ゼフェル〜」
   一緒に行こうよ、という視線に心がぐらついたが、彼女の後ろからさりげなく
   睨みをきかせる兄を見て言う。
   「ンな睨まなくても乗らねーよ。帰りバイクないと困るし。
    じゃ、アンジェリーク、教室でな」
   「うん…」
   「さて俺達も行くか」
   「そうだね」

   アリオスの髪にも負けないシルバーメタリックな輝き。スマートな車体。
   車に疎いアンジェリークでさえこのスポーツカーは素敵だなと思う。
   その助手席に乗り込み、アンジェリークは一つ忠告する。
   「この前みたいなのはもうヤだからね。冗談でもダメだからね」
   「本気なら良いのか?」
   クックッと笑うアリオスに、本気でもダメ、と勢いよく首を振る。
   アリオスはそんな彼女を見て再び笑いながら車を動かした。
   
   2人が話題にしていること、それは―――――
   以前アンジェリークはいきなりシートを倒されたのだ。
   狭くて逃げ場もないしで泣きそうになりながら止めさせたのだ。
   ところがアリオスは最初からそんな気はなく、からかってみただけだと言う。
   アンジェリークはもはや怒る気にもなれず、たださして効果のない文句を
   述べるしかなかった…。
   
   
   ずいぶんと遠回りをしてきたが、まだ教室に入るには早い。
   アリオスは学校の近くのコンビニの駐車場に車を停めた。
   煙草をくわえ、煙を吐き出す。隣にアンジェリークはいない。買い物に行っている。
   だからこそ、気兼ねなく吸えるのだ。
   「ごめんね。ノートなくなってたの忘れてた…」
   アンジェリークが戻ってきて助手席のドアを開けると、まだ長い煙草の火を揉み消す。
   「これ、おみやげ」
   スタジオに行く途中、もしくは撮影中にでも飲んでね、とお茶を渡す。
   中身は最近彼女のお気に入りのジャスミンティーである。
   アンジェリークは自分の分のふたを開けて一口飲む。時計を確認する。
   「…ちょっと早いけど、もうそろそろ行こうかな…」
   「まだ大丈夫だろ。始業ベルが鳴るまでに着けばいいんだ」
   「!」
   気付けばすぐ側にアリオスの吐息を感じた。唇が触れ合う。
   だんだん深くなってゆく口接けにアンジェリークはぼんやりと溺れていく。
   ジャスミンの香りと煙草の匂いが混ざり合う。
   
   「アリオスのばかぁ…」
   すでに力が抜けてしまい、胸にもたれかかる彼女の文句にアリオスは苦笑する。
   「これから学校行くんだから…」
   「だからこれだけにとどめてやっただろ?」
   「………」
   もう、とアリオスの腕の中から抜け出し、車のドアを開ける。
   彼女が降り、車から離れたのを確認してからアリオスは駐車場内で方向転換をした。
   車が道路に出る前、停止した所でアンジェリークは運転席の窓へと近づいた。
   「いってらっしゃい」
   天使の笑顔が彼を見送ってくれる。

   そこへバイクに乗ったゼフェルが通りかかった。
   兄の車とその側に立つ少女に気付き、その手前を歩く友人にも気付く。
   アンジェリークはそのどちらの存在にも気付いていない。
   車内の相手とにっこり笑って言葉を交わしていたが、
   ふいに不思議な顔をして屈み込んだ。その直後、顔を赤らめ車から飛び退る。
   兄が何をしたのか一目瞭然なゼフェルは慌てて友人に声をかけた。
   「ランディ!」
   「ん? やぁ、おはよう。ゼフェル」
   まさにアンジェリーク達の目の前へと行きそうだったランディが立ち止まり、
   後ろからの呼びかけに振り向く。
   そして駐車場から出てきたスポーツカーがすりぬけていった。
   
   「あ、アンジェリークもそこにいるよ。誰かに送ってもらってきたのかな」
   「中の奴見えたか?」
   「? 一瞬だけ。それがどうかしたのか?」
   この様子だと先ほどのことは見られていないようだ、と胸をなでおろす。
   基本的に兄と彼女が付き合っていることは誰にも知らせていない。
   また、自分の兄が有名人だということも秘密にしている。
   いろいろと面倒が増えるからだ。
   (なのに…学校のすぐ側でなにやってんだよ、アリオス…)
   「でも、どこかで見た事あるような気が……」
   ランディのうーん、という声に、ぎくりとゼフェルの顔が強張る。
   「気のせいだろ」
   「そうかもしれないな」
   ランディがどこかでアリオスの顔を見ていても不思議ではない。
   彼の顔は、ポスター・CM・看板etc.街の至るところで見るのだ。
   通りがかったのが誤魔化しのきくこいつでよかった、とゼフェルは心底ほっとした。
   これがそういった事に聡く、頭の回転のよい、しかもアンジェリーク大好きの
   レイチェルだったりしたらそうはいかない。
   いまだに頬を染めたまま、それでもゼフェルとランディに笑顔を向ける
   アンジェリークに応えながら、ゼフェルは痛い頭を押さえたのだった。


                                          〜 fin 〜



tink様、いかがでしょうか…?
バカップルもの、うちのパラレル設定で狼アリオスと赤頭巾アンジェ。
このフレーズの通り、今回アリオスさんの狼度が高くなっております(笑)
というか、勝手にアリオスが動いてしまいました。
そしてそれを誤魔化すため壁紙は
かわいく、さわやかにとあがきました(笑)


 

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