The old days

「アリオス…。私、今日本っ当に余裕ないから…」
朝食の席でアンジェリークは切羽詰った表情で言った。
今日は1週間ほど続いていた連休の最終日。
せっかくの連休だし旅行にでも行くかということになり、昨日までリゾート地で
楽しい時間を満喫していたのだが…。
満喫しすぎたようである。特に旦那様の方が。
「今日1日頑張って、宿題終わらせないと…」
「ああ…結局終わってなかったのか」
連休といっても学生であるアンジェリークには宿題が出されていた。
それがまだ終わっていないのである。
ハムエッグを口に運びながらアンジェリークはアリオスを睨んだ。
上目遣いの可愛らしいそれはとても効果はないのだが…。
「半分はアリオスにも責任があるんだからね〜!」

アンジェリークはちゃんと旅行にも勉強道具一式を持って行った。
昼間は観光をして、ホテルに帰ってきてから少しぐらいはやる時間があるだろう、
と考えていた。…というかやるつもりだった。
しかし旦那様は旦那様の方でやる気十分だった(笑)
結局、睡眠時間の確保がやっとの旅行となったのである。
残ったのは手付かずのままの宿題。
提出日は明日。
けっこう量があるので頑張らねばならない。
そんな彼女の様子に、アリオスはコーヒーを飲みながら言ってやった。
「分かった…。今日は家事やんなくていい」
「え?」
「俺が代わりにやるから勉強に専念してろ?」
「ホント?」
使い終わった食器を流しに運んで行く彼の背中を見つめる。
「ああ、俺にも責任あるんだろ? だったらちゃんと責任とらねぇとな」
冗談めかして言う彼の背中にアンジェリークは抱きついた。
「ありがと。がんばってすぐに終わらせるわ」


「もう洗濯は終わってるから…。掃除とお昼と夜のごはんかな」
「OK。じゃあ頑張れよ」
「うん」
やるべきことを彼に伝えてアンジェリークは自分の机に向かった。
アリオスが家事を受け持ってくれると言ってくれただけで頑張れる気がする。
彼女がここまで追い込まれる原因を作ったのは彼だと言うことは
もはや頭にはない。幸せな奥様であり、得している旦那様である。


もともとアンジェリークは勉強はできる方である。
集中力もそれなりにある。
勉強できる環境さえ整えば、さくさくと進めていくことができた。
「アンジェ」
アリオスの声にアンジェリークはペンを置いた。
「昼飯できたけどどうする?」
今食べられるか、それとも後にするか、と聞かれた。
「え?もうそんな時間? もちろん食べるわ」
気が付けば数時間が経過していた。

完璧なまでに綺麗に掃除されたリビングを見渡して、アンジェリークは伸びをした。
「不思議よねー。アリオスみたいに動いてないのにお腹は空いたわ」
「その分、頭働かせてただろ?」
「そっか…。何作ってくれたの?」
「期待すんな、材料ねーんだし簡単なもんしか作ってねぇよ。
 夜はましなの作ってやる」
確かに昨日まで旅行に行って、冷蔵庫の中身は空に近かった。
そんななか、用意されていたのはホットケーキだった。
「なんか懐かしーv 昔よく焼いてくれたよね」
メープルシロップをかけながらアンジェリークは嬉しそうに笑った。
「そうだな」
アリオスも昔を思い出すようににやりと微笑んだ。
「おふくろが出かけてる時も、うちに来ては俺に作らせてたよなぁ…」
「む、昔のことじゃない…」

今思えばかなりすごいことを彼にさせていたと思う。
クラスメイト達にはとても想像できないことだろう。
あの『アリオス先生』が一回りも年下の女の子にせがまれてキッチンに立つ姿など。
頬を赤らめてアンジェリークは弁解した。
「あの頃はそういうこと気にしなかったし…。
 私は火、使っちゃダメって言われてたし…」
「くっ。わかってるって。あの頃のお前は怖いもの知らずなお姫様だった」
「もぉ…またからかう…」
アンジェリークは居心地悪くて、楽しそうな彼を睨み返すが、それでも
目の前にあるホットケーキは昔と同じ味がしてなんだか嬉しかった。

「じゃあ、あの頃を思い出したついでに夕飯もお願いしちゃおうっと」
「いいぜ、リクエストは?」
「あのね、懐かしのメニュー第2弾、オムライス!」
「了解。楽しみにしてろよ?」
「うんっ」
アンジェリークは続きを食べながら嬉しそうに話した。
「アリオスの家にお泊まりする時、作ってくれたよね」
「あの頃のレパートリー少ない俺が作れて、お前が喜びそうなものなんて
 それくらいだったもんな」
「あら、私アリオスが作ってくれたものはみんな好きよ?」
残したことないじゃない、と言うとアリオスは頷いた。
「まぁな…。さすが育ち盛りのガキだな、て感心してたぜ」
「…なんか、昔の話すると圧倒的に私が不利な気がする…」
今でもとても勝てるとは思えないが…。
「俺に勝とうなんざ100年早いぜ」
不敵な笑みを浮かべる彼の笑みも昔と変わらない。

「…すごくね、楽しみだったの。お泊まり」
「ん?」
「大好きな『おとなりのお兄ちゃん』と一緒にいられる時間なんて
 そんなになかったから」
物心ついた頃、彼は中学生。
幼稚園に通う頃には彼は高校生。
小学校に通ってる間に彼は大学を卒業してしまった。
お互いの両親の仲が良く、家族ぐるみの付き合いもあったことにより、
『単なる隣人』よりはずいぶんと面倒を見てもらった気はするが…。
「小さい時の11歳差ってすごく大きかったなぁ」
完全に異なる生活サイクルのおかげで一緒にいられる時間は多くはなかった。
「いっつもアリオスモテてたし…」
彼と同年代の女性達は自分から見れば大人っぽくて、早く大きくなりたいと心から願った。
「そんなこと考えてたのかよ」

「む〜…ヘン?
 …だからパパとママが出かけちゃってお隣に
 預けられるの実はすごく嬉しかったの。
 その時だけはアリオスのこと一人占めできたもの」
「ヘンじゃねぇよ。ガキの頃からしっかり女だったんだな」
苦笑しながら抱きしめてくれる腕に身を委ね、アンジェリークも苦笑した。
「アリオスのせいよ」
いつもあなたが傍にいたから…。
気がついたら彼しか目に入らなくなっていた。
「他の誰かを見る前にアリオスのこと好きになってたもの」
柔らかく微笑む少女にアリオスはいたずらのようなキスを仕掛けた。
「他の男なんか見なくていい」
「うん…」



食事と甘い一時を楽しんでからアンジェリークは続きに取りかかった。
「もう半分くらい終わったの。早く終わったらお買い物一緒に行こう?」
「ああ」
そんな会話をし、再び黙々と英文と格闘して数時間。
アリオスは3時の休憩用にアンジェリークお気に入りのアップルティーを淹れて
彼女の部屋を訪れた。
しかし呼んでも返事はない。
もしや、と思ってドアを開けると案の定机の上でうたた寝している少女の姿があった。

「寝てる、ってことはもう終わったのか」
広げているノートを覗き込むとそれは宿題のものではなく、
コンテスト用のノートだった。
彼女には、他の生徒達とは別の課題も課されていたことを改めて知らされる。
「よくコンテストに出場できるほどの腕になったよな…」
昔はアリオスに作らせていて…その度に「大きくなったらいっぱいお返ししてあげるね」
と一生懸命言っていた小さな少女の姿が思い出される。
音を立てないように気を使ったつもりだが、置いたソーサーが机に触れる微かな音で
アンジェリークは目を覚ました。

「あ、あれ? 寝ちゃった?」
「…のようだな」
少女の柔らかな頬に触れ、ノートの跡がついてるぞ、とその線をなぞる。
「や、やだ…。
 …あ、お茶持って来てくれたんだ、ありがとう」
「宿題とやらは終わったのか?」
「うん、おかげさまでv」
紅茶を飲みながらアンジェリークは微笑んだ。
「だからお買い物行けるよ」

そして2人で買い物に出かけることとなったが…
いつものごとく幸せそうなその姿は周囲の羨望の眼差しを集めていた。
今晩の材料をカートに詰め込んで、お菓子の食材コーナーで立ち止まる。
「今度の出品…何を出そうかな…」
材料集めは皆と町に出てするものと分かっていても
やはり気になってしまうようである。
「せっかく予選出場者に選ばれたんだもの。本選出られるように頑張るわ」
「ああ、そうだな」
「アリオスだったら何食べたい?
 今度の出品は、コーヒーかゼリーかパフェの予定なの」
「…コーヒーは後回しにしとけ」
「なんで?」
「担当が気に入らねぇ」
憮然とした表情が意外に子供っぽくて思わず笑ってしまった。

「オスカー先輩はみんなに優しいのよ?」
別に特別じゃないわ、と諭すように言ったら大きな溜め息をつかれてしまった。
この少女は自分に向けられる好意に疎い。
もともとアリオスしか見ていないからあまりそういったことにまで気が回らない
といった方が正しいかもしれないが。
このスキだらけの少女…見ている方は気が気でない。
自分達の関係をバラせたらそんな心配はなくなるが
別の面倒がいろいろと起こりそうでできるわけがない。
「?」
そんなアリオスの苦悩には気付かず、アンジェリークは首を傾げていた。
それさえ可愛いと思ってしまう自分は重症だと…嫌でも自覚してしまった。



夕食は彼女のリクエスト通りの品が食卓に並んだ。
「やっぱりアリオス料理上手だよね…」
いただきます、と手を合わせながらアンジェリークは言った。
「くっ、お前が言うか?」
彼女の料理の腕はコンテストに出場できるレベルである。
「…だって、すごくおいしいし、手際も良いし…作ってる時なんか思わず見惚れちゃう。
 実際にシェフって男の人の方が多いんだよね」
「俺が上達したのはお前のせいだろ?」
「え?」
「俺はお前にしか作ってねぇよ」
「アリオス…」
実際、自分一人だけなら外食とかですましてしまう人である。
嬉しくて、でもそれと同時に恥ずかしくてアンジェリークは逃げるように立ち上がった。
「あのね、ワインがあるんだ。開けてあげるね」
アリオスは苦笑しながらワインと彼女を待った。


「今日はありがとう。家事やらなくてすんだおかげで助かったわ」
感謝を込めてアンジェリークは微笑んだ。
「たまにはな」
「宿題も終わったし、コンテストの準備も進められたし」
「じゃあ、もうしなきゃならねぇことはないんだな」
ふいに抱き寄せられ、アンジェリークはうろたえた。
「でも、まだ…」
「まだ、なんだ?」
「英語は終わったけど数学が…」
英語は量はけっこうあったが、提出するだけでかまわないので気が楽である。
ただ数学の方は宿題が出なかった分、連休明けにここ最近の範囲の小テストが
行われるのだ。山のような課題は出さないが、自分で理解できるくらいには
なっておけという教師の方針だった。

「少しおさらいしとかないと」
「お前はできるから大丈夫だ」
「そんなこと言っても…」
「三角関数の還元公式と加法定理言ってみろ」
リビングで押し倒され、突然出された問題に戸惑いながらも
頭の中に浮かんだそれぞれの公式をすらすらと読み上げる。
「それだけできれば十分」
あとはその公式を出された問題に当てはめていけばいいだけである。
「え、待っ…アリオス〜?」
数学教師でもある旦那様は不適に笑った。
「できる生徒で嬉しいぜ?」
明日のテストは心配いらないから今夜は楽しもうと口接ける。
「教師が生徒の勉強の邪魔しちゃいけないと思うの〜」
「いつもちゃんと教えてやってんだろ?」
「う…」

分からないところはいつも家で質問し、教わっていた。
学校ではたくさんの生徒が質問に来ていたりして、ゆっくり教えてもらう
時間はとれないのである。
「勤務時間外の授業料はきっちりもらうぜ?」
「なんだか…いつもいつもアリオスの方が有利じゃない?」
「そうでもないけどな」
「うそだ〜」
「俺がお前に惚れてるって時点で、お前のが有利だろ」
「アリオス…」
アンジェリークの瞳が嬉しそうに潤む。
「愛してる」
「私も」
「だからしようぜ?」
「うん…あっ」
つい頷いてしまい、しまったと口を押さえる。
アリオスは言質を取ったとばかりに微笑む。
絶対丸め込まれている、と思いながらもアンジェリークはアリオスという名の
誘惑にはとても敵わなかった。


翌日の数学のテスト…。
彼の言った通り、内容自体に困るような問題はなかったが
アンジェリークは睡魔と戦うのに苦労していたようである。


                                    〜fin〜


すごくお久しぶりなこの設定でのお話です。
バカップルはこのサイトではすでに当たり前ですが
夫婦となるとさらに輪をかけた感じが…。
「主夫アリオス」というリクエストでしたので、
じゃあ、このカップルしかないな、と
選ばせていただきました。

しかし、ちゃんと主夫になったんでしょうか。
あまりそれらしい部分が……まぁ
料理をする彼、ということで大目に見てください(笑)、裕之様。
今回はこの2人の過去も少しだけ触れて見ました。

 

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