雨のちオオカミ

「ふぇ〜びっしょりだよ」
アンジェリークは頭から被っていたアリオスのサマージャケットを確かめて眉を寄せた。
「アリオス、大丈夫?」
2人は突然の夕立に降られてアリオスのマンションに戻ってきたところである。
タイミングの悪いことに近所に夕食の材料を買いに行くだけだったので車は使わなかった。
「これ私が取っちゃったから…」
何もないよりはましだと降り出した時にアリオスが被せてくれた。
「気にすんな。俺が濡れてもたいしたことねぇよ」
「でも…」
ずぶ濡れ状態で玄関から部屋に上がるのを躊躇っている少女をアリオスは抱き上げ、
さっさと歩き出す。
「お前には必要だったんだよ」
「え?
 私そんなに身体弱くないよ」
本気でぼける彼女にアリオスは小さく息をついた。
そして一言。

「透けてるぞ」
彼の言葉と視線にアンジェリークはやっと気がついた。
「や、やだやだ見ちゃダメ〜」
慌てて自分の身体を庇うように抱きしめる。
「ばか。今は隠す必要ねぇだろうが」
他の男共には一瞬たりとも晒す気はないが、自分一人の時は別である。
むしろ楽しませてもらう、と口の端を上げる。
「どっちがバカよ。
 アリオスのバカ〜。降ろしてよ〜」
抱き上げられているこの状態では逃げることもできない。
それでもアンジェリークは真っ赤になって逃げようとする。
「こら、暴れんな」
「だって…」
「落としたところで襲うからな」
紛れもない脅し文句にアンジェリークは完全に動きを止めた。
少しでも動いたらわざと落とされてそのまま…という展開が待っていそうな気がする。
「なんだよ、もう暴れないのか?」
にやりと笑う彼の表情を見て、その予想は間違いじゃないなとアンジェリークは確信した。
「…もぉ、ばか…」

アリオスはそのままアンジェリークをバスルームに運んだ。
「ほら、あったまってこい」
「あ、ありがとう。すぐに出るね」
後でシャワーを使うアリオスへの気遣いからの言葉だと分かる。
「くっ、どうせ気ぃ使うんなら『一緒に入ろう』ぐらい言ってくれた方が嬉しいけどな」
「それはダメ」
じゃあね、と手を振るとドアを閉め鍵までかけてしまう。
その慌てた様子にアリオスは苦笑した。
「前回いじめすぎたか…?」
先日のバスルームでのコトを振り返ると思い当たる節がいくらでもあるアリオスだった。



「アリオス、これありがと」
「ああ」
アンジェリークはアリオスのシャツを羽織ってリビングに現れた。
「やっぱりおっきいね。
 袖なんかこんなに余っちゃう」
袖を折りながらどこか嬉しそうにアンジェリークは笑っている。
少女の洋服は濡れていてとても着られる状態ではなかった。
だからアリオスのシャツを出しておいたのだ。
シャツだけというあたり完璧にアリオスの趣向…なのだが。
「冷えちゃった?」
コーヒーを用意していたアリオスの腕に触れ、心配そうに尋ねる。
「平気だ」
そんな様子が愛しくてアリオスはアンジェリークを抱き寄せた。
「そう?
 でも早く温まってきた方がいいね」
自分を抱く腕もいつもより冷たいし、銀色の髪もまだ濡れている。
「アリオス!」
ふいにアンジェリークがびくりと身体を強張らせて睨んだ。
「なんだ、着けてたのか」
シャツの裾から浸入した手がアンジェリークの身体を撫で上げていた。
背中に添えられていたはずの手がまろやかな曲線を辿る。
「あ、当たり前でしょっ。
 も〜いつまでお尻触ってるのよぉ〜」
もう片方の腕でしっかり拘束されているので逃げようとしても身を捩ることしかできない。
柔らかさを楽しんでいる手はそのままに、アリオスはシャツの上から軽く胸元に口接ける。
「こっちは着けてねぇだろ」
「だってそっちは濡れちゃってたんだもん…ってどうしてわかるのよ」
素直に頷きかけて今度こそアンジェリークは後退さった。
「えっち!」
逃げられたアリオスは笑って肩を竦めた。
「どうしてって…わかるもんはわかるんだよ」
「〜〜〜っ」
アンジェリークは居心地悪そうな表情でアリオスを睨む。
「お前のカラダなんて俺の方がお前より知ってるぜ?」
「………」
堂々と言い切られてアンジェリークは呆気にとられる。
「ば、ばかなこと言ってないで温まっておいでよ」
真っ赤な顔を背けながらアリオスを浴室に追い立てるしかなかった…。




「雨…まだ止まないなぁ」
特にすることもないので窓から外を眺める。
ここはマンションの最上階なので眺めは良い。晴れている時ならば…。
しかし今は視界が悪くなるほどの激しい雨。時折辺りが青白い光に包まれる。
「1、2、3…」
空が光ってから呟くように数を数える。
何度目かの秒読みを終えて小さく息をつく。
「近い…」
光ってから音が聞こえるまでの間隔が段々と短くなっている。
ふいに光と同時に大きな音が響いた。
「っ!」
どこかに落ちたのだと思うよりも早く、雷の影響が周囲に現れた。
アンジェリークは振動すら感じる落雷の音と突然訪れた暗闇に驚いて
その場にぺたりと座り込んでしまった。
「…びっくりした〜」
どこか呑気にもとれる口調。
「この辺一体真っ暗だぁ」
騒がず怯えず外を眺めるようすは意外なようで…
でも、アンジェリークらしいと言えばアンジェリークらしかった。
「アリオス、どうしたかな」
バスルームに入ったばかりの彼をちらりと思い浮かべる。
「どうせ何事もなかったようにシャワー浴びて来るんだろうなぁ」
彼はこれしきのことでは慌てないだろう。
アンジェリークの予想は半分当たり、半分外れだった。

相変わらず派手で騒がしい空を見上げ、アンジェリークはフローリングの床に
座り込んだまま自分の身体を抱きしめた。
「アリオス…早く戻ってこないかなぁ」
使用中のバスルームに駆け込む程恐くはないが、こんな真っ暗闇に
一人きりな状況は心細い。明かりがないからよけいに雷光が派手に思える。
「アリオス、遅い〜」
抱えていた膝にこつんと額を当てる。
「そりゃ悪かったな」
返事が返って来ると思ってなかったアンジェリークは耳元の囁きと
自分の身体を包み込む腕に驚いて顔を上げた。
「あれ? アリオス、早かったね」
「お前、言ってること矛盾してるぞ」
アリオスは喉で笑いながら後ろから彼女を抱く腕に力を込めた。
「ふふ…そうかも」
アンジェリークもくすりと笑う。
「でも、待ってる私としては『遅い』だけど…
 入ったばかりのアリオスにしてみれば『早い』でしょ?」
「まぁな」
「もしかして心配して急いで出てきてくれた?」
「別に。真っ暗んなかでのんびりシャワー浴びてんのも間抜けだろ」
普段冗談では恩着せがましいことを言うのに、こういう時はなんとも言わないあたりが彼らしい。
それがなんだか嬉しくてアンジェリークはふわりと微笑んだ。
「でも…ありがと」


「しかし意外だな…」
「なにが?」
「もっと怖がってるかと思った」
アリオスの言葉にアンジェリークは苦笑した。
「どこかに落ちた時はびっくりしたけど、怖いっていうのはないかな」
きっと今頃寮は大騒ぎだろう。雷を怖がる子は多い。
そんなことを思っているアンジェリークの心を読んだようにアリオスが言った。
「雷苦手な女は多いだろ」
「そうみたいだけど…外にいたら私も怖いかもしれないけど…
 家の中は安全じゃない?」
どうして皆あんなに怖がるのか分からないとばかりにアンジェリークは小首を傾げた。
意外に冷静な少女にアリオスはほっとした半面、がっかりもしていた。
役得を期待していなかったと言えば嘘になる。
「俺を呼んでたくせに」
「テレビも雑誌も見られないのは退屈じゃない…」
本当なら買ってきた食材を使って夕飯を作りたいのだが…
暗闇で料理をするなどまず無理である。
「俺は退屈しのぎってわけか」
からかうような笑みを浮かべるとアンジェリークは慌てた表情で訂正する。
「あ、や、その…退屈しのぎって…そんな…」
「くっ…だったらお姫サマを飽きさせないようにしなくちゃな」

「ア、アリオス?」
ふいに押し倒されてアンジェリークは目をきゅっと瞑った。
覚悟した床への衝撃は背にまわされた彼の腕のおかげで全くなかった。
アンジェリークはちょっとほっとしながら彼を見上げる。
「あの、今日…ごはん一緒に食べるだけの予定じゃ…」
まだ数えられる程にしか経験してない彼女は彼の行動が冗談だか本気だか判断できず、
呑気すぎる程のセリフを口にする。
だからアリオスは鈍い恋人にはっきりきっぱり宣言してやった。
「予定変更。お前もいただく」
「うそつき〜」
また親友に外泊の裏工作をさせることになってしまう。
そんなことを思って頬を膨らませると宥めるように口接けられた。
「目の前でこんな恰好されたら逃がせるわけねぇだろ」
「っ!
 こんなってアリオスが用意してくれたんじゃない」
アンジェリークは倒れた拍子に臍がのぞく程めくれていたシャツの裾を慌てて直した。
しかし、すらりとした脚は惜し気もなく晒されている。
「これに懲りたら自分の服1、2着くらい置いておくんだな」
「〜〜〜っ」
悪びれもせずに微笑む彼に何も言い返せない。

「こんな時にこんなコト…」
時折辺りを照らす雷光に縁取られた彼を見つめてようやく思いついた
逃げ台詞もアリオスに軽く一蹴される。
「暗闇で2人きりっつったらこれしかねぇだろ」
常識だろ、と彼は口の端を上げる。
「普段平気で常識を無視するくせに〜」
それ以前にこれを常識とするのも問題じゃないかとアンジェリークは内心呟く。
「じゃあ、お前は他に何したい?」
「え〜と、お話しするとかぁ…」
考えながら今できる事を挙げようとするが思いつかない。
しかも彼と一緒にいて話すだけで終わった時などあっただろうか…
という事にアンジェリークは気付いた。
いつでもどこでもなにかしらのスキンシップはあった。
これに関して多少の照れはあるものの、違和感を感じたことはなく、
当たり前のように受け入れていた。
今気付いた事実にアンジェリークは固まる。

「あ〜…その…」
少女の表情の変化を楽しみながら、その思考も正しく読んでアリオスは微笑んだ。
「反論があるなら聞いてやるぜ?」
しかしすでに細い首筋をキスが辿る。
「っん」
アンジェリークはびくりと身体を竦ませる。
「ア、アリオス〜」
逃げることもできずに困りきった表情で強引に迫る恋人の名を呼ぶ。
「観念しろって」
器用にボタンが外され、肌が晒されてていくのをどうしよう、とぐるぐる考えながら
ただ見つめることしかできない。
「…んな顔すんなよ」
指先が頬の輪郭を辿り、桜色の唇をなぞる。
「手加減できなくなるだろ」
「…ア、アリオスっ!」
唇への刺激のせいか、それともあまりにも魅惑的な笑みのせいか、
少し低めに抑えた囁きのせいか…。
そのどれもが要因だとも考えられるが、アンジェリークは一瞬固まってから慌てて我に返った。
なんとか上半身だけ向きを変えて、彼に背中を向ける。
「ず、ずるいずるいずるいアリオス〜」
真っ赤になって恨み言を言う。

「なんだよ」
アリオスは白い肩に口接けながら少女の意外な反撃を楽しむように問いかけた。
「だって…」
あんな風に迫られたら拒めない。
男の人なのにあんなに色気があるなんて。
「ずるいよ…」
彼の魅力にひきずり込まれる。
「だからなんでだよ?」
喉で笑い、肌に触れないかわりに栗色の髪を弄ぶ。
「私、そういうつもりで来たんじゃないのに…それに…」
レイチェルがうまくやってくれているとはいえ、無断外泊は良心が咎める。
「それに?」
「あんないじわるなこと言うし…」
頬を染めて視線を逸らす仕種がどれだけアリオスを煽るか本人は気付いていない。
「ふぅん…意地悪ねぇ」
アリオスはにやりと笑って囁く。
「嘘偽りない本音だがな」
「…じゃあ根がいじわるなんだ…」
ぽつりと呟いたアンジェリークはアリオスに額を軽く弾かれる。
「俺は優しいだろうが」
先程までの緊張が解けたようにアンジェリークはくすくすと笑う。
「いじわるだよ。あんなこと言うし…どんどん私を変えていっちゃうんだもん」
「?」
前半はともかく後半部分に疑問を覚え、アリオスが問うように見つめていると
アンジェリークは真っ赤になって白状した。

「本当にこんなつもりで来たんじゃないし…あんなコト言われて困っちゃうんだけど…」
触れそうなほど近くだからこそ聞き取れる小さな声。
「…だけど、いつのまにか…その…」
「くっ、聞こえねぇよ」
端整な顔を寄せられアンジェリークはますます赤くなる。
「だから…その、最初はそんな気なかったのに、
 いつのまにか…してほしいって思っちゃうのっ。
 アリオスのせいで!」
「………」
「自分でも信じられないよ…」
アンジェリークは吐息混じりに呟いた。
アリオスは一瞬止まって、そしてくっくと笑い出した。
「な、なんで笑うの〜?
 私、怒ってるんだよ?」
笑いながら強く抱きしめられたアンジェリークはじたばたともがいた。
「つまり『してもいい』ってことだよな?」
「っ……。
 〜〜〜うん…」
アンジェリークは頬を染めて相変わらず抱きしめて離さない腕にそっと触れた。

「…でも、本当はダメなんだからね?」
本来外泊は週末のみの予定だったはずなのだ。
そこは忘れないでよ?と念を押す。
「これに懲りたら服の2、3着はここに置いておくんだな」
「え…?」
「またそんな格好してたら逃がさないと思うぜ?」
「………そうするよ」
この格好をさせたのはアリオス本人なのに…と確信犯の笑みを見上げながらアンジェリークは頷いた。


我ながら甘いと思うけれど、好きだから仕方ない。
きっと惚れた弱みなんてこんなものなのだろう。
だけど外泊ばかりになるのはまずい、と思う気持ちもちゃんとあって…。
今日のように「なしくずし的にお泊り」にはならないようにしようとアリオスの言う通り
何着かの着替えや小物などを彼の部屋に置くようになったのだが…。





「今日は帰るの〜」
前回に懲りて替えの服があるアンジェリークはシャワーを浴びた後、それらを着て
アリオスの腕の中でじたばたともがいていた。
艶やかな銀髪から伝う雨の雫が少女の頬に落ちる。
「早くシャワー浴びといでよ〜。冷えちゃうよ」
「その間にお前帰る気だろ」
「う…」
完全に行動を読まれ、アンジェリークの動きが止まる。
「だって〜、レイチェルに悪いじゃ…」
「勝手に帰られて1人残される俺には悪いと思わねぇのかよ?」
「………アリオスには前科があるもん。知りません」
ぷい、と顔を背けてつれないことを言うものの先程までの勢いはなくなっている。
「そうか」
「アリオス?」
ずいぶんあっさりと解放してくれた腕とアリオスを意外そうに交互に見る。
「じゃあ、しょうがねぇよな」
「…うん?」

どこか楽しそうな笑みに疑問を覚えつつアンジェリークは頷く。
さっさと「だから帰るね」と言って行動に移れば良かったのだ。
しかしアンジェリークにそんな真似ができるわけがない。
「あの、また今度ね?」
がっかりしてるのかなと思い、週末はお泊りするからと彼の顔を見上げる。
「それは御免だな」
「きゃあっ?」
ふいに視界が反転して、高くなる。
一瞬遅れてアリオスの肩に担ぎ上げられたのだ、と気が付いた。
「え、え?」
「今日泊まれとは言わねぇよ。
 ちゃんと門限までに寮に送ってやる」
さすがに前回のこともあるし、ここで無理を言ったら
真面目な彼女のことだから本気で機嫌を損ねるだろう。
「うん…?」
「だから俺のシャワーに付き合えよ」
別な意味の無理は通すところがやはりアリオスだが…。
なんでもないことのように不敵に笑って誘って…
すでにバスルームに向かっている彼に運ばれ、アンジェリークは真っ赤になる。
「なっ…。
 私もうシャワー浴びたってば〜」
「気にすんな」
「黙って帰ったりしないからっ。
 アリオスが来るの待ってるから、アリオスのお部屋でにしようよ〜」
最大の譲歩でアンジェリークが懇願してもアリオスに却下される。
「んな『いくらでもどうぞ』ってとこでやったら今夜帰してやる自信ねぇぞ?」
「………」
「どうしてそこまで嫌がるかな…」
溜め息混じりの恋人にアンジェリークは消え入りそうな声で訴える。
「だって…恥ずかしい、じゃない…」
「………。
 くっ…じゃあ慣れさせてやらねぇとな」
「ええ〜!
 や、やだ〜。アリオス〜」
無自覚でアリオスを煽るアンジェリークにも問題があったかもしれない…。
結局、アンジェリークはバスルームに連行された。



その夜。
寮まで送ってもらう車の中でアンジェリークはぽつりと呟いた。
「アリオスのとこに服置いても関係なかったじゃない…?」
「あー、そうだなぁ。
 まぁ、毎回泊り込み準備しなくてもよくなっただろ」
今までは大きなバッグに必要なものを詰め込んで…という小旅行並のお泊りグッズを持ち込んでいた。
いいじゃねぇか、と返す運転中のアリオスの横顔を見つめてアンジェリークは頷く。
「確かにそうだけど…」
おかげで連れ込みやすくなった、などと内心で笑っているアリオスを
疑いもしないアンジェリークはこうして本人の思惑とは裏腹に…
頻繁にマンションに泊まるようになってしまったという…。


                                             〜 fin 〜



アリオス…確信犯(笑)
しかしお題は「オオカミアリオス」と「雷」だったんですけどね。
「雷」の出番が少なく雨ばっかりだったような…。
でもそれより多かったのはオオカミアリオスか…。
2人が付き合い始めてちょっとたった頃のお話です。

すみません、サミー様。
お待たせしたのにこんなので。



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