天使陥落
「ねーアリオス。例のモデルやった子の連絡先知らない?」 オリヴィエの唐突な質問に、アリオスは眉をしかめて答えた。 「なんでだよ」 彼の不機嫌そうな顔を見てオリヴィエは誤解しないでよ、と手を振った。 「別にスカウトしようとかそういうんじゃないってば」 オリヴィエは出来あがった写真を見て、すぐに気付いた。 アリオスにとって彼女は『特別』だということに。 なぜなら、今までの彼の作品とは明らかに空気が違っていた。 そこにはいつもの近付けば切れるような空気ではなく、柔らかい雰囲気があった。 そして彼女を自分の相手役として選んでおきながら、使ったのは後ろ姿だけ、と 見世物にしなかったのは彼の独占欲からだろう、と見抜いていた。 「口説こうとかそういうんじゃなくて…。モデル料、払わなきゃ。 タダ働きさせるわけにはいかないでしょ」 「ああ、なるほど。…だけど残念だったな。知らねぇよ」 「うそでしょ? 携帯ナンバーぐらい聞き出してないの?」 あんたなら得意でしょ、といわんばかりの視線にアリオスは憮然とした。 「…人をなんだと…。だいたい俺は聞いたことねぇよ。 いつも向こうから勝手に教えてくるんだ」 「はいはいごめんなさいねー。で、結局どうやって渡そっか」 「俺が直接渡してくる。あいつがどこにいるかぐらいは知ってる」 「…そ。じゃあお願いするわ」 「あんたには一応感謝してるぜ」 「?」 「あいつに会えたのは、前日あんたが俺を無理矢理 飲みに連れてったおかげだ」 いつもなら車で移動するアリオスがなぜその日に限って 電車通勤だったかというと…。 前日に彼は強引にオリヴィエに飲みに連れて行かれ… 結局、車は事務所に置いたままタクシーで帰るはめになったのだ。 あの時は文句しか出てこなかったが、おかげで彼女と会えた ということを考えるとむしろ感謝さえしたくなる。 「そうなの? んじゃー、その分稼いで恩返ししてよね☆」 「…了解」 アリオスは不敵に笑って頷いた。 アンジェリークはここしばらく一枚のメモを見つめて考え込んでいた。 それはあの日、撮影後にアリオスと行ったカフェのテーブルにあった紙。 『顔は出ないから、お前に迷惑がかかることはないと思うが…。 もし、何かあったら連絡しろ』 そう言って書いて渡してくれた彼の携帯の番号。 「何かあったら連絡しろってことは…、なにもなかったら かけないほうが良いのかな…。 でも、番号教えてもらっといてなんの音沙汰もなしっていうのも…悪いかなぁ」 アリオスとしては例え用がなくても、かけてくれたほうが断然嬉しい というよりもむしろ狙い通り、なのだが…。 アリオスには気の毒だが相手はアンジェリークである。 この少女はそんな恋愛の機微など到底気付かない。 結局、超人気モデルアリオスの携帯ナンバーというプレミアものを前に のんびり悩みながら数日が過ぎていったのだ。 アンジェリークは帰り道の途中にある公園で、見覚えのある車が 停まっているのを見つけた。 「あ…あの銀の車って…」 近寄って車内を覗いてみたが、誰もいない。 「? どこ行っちゃったんだろ…?」 「おい」 「きゃっ。ごめんなさいっ」 ぽん、と肩を叩かれアンジェリークはなぜか謝ってしまった。 そんな少女を見てくっくと彼…アリオスは笑っていた。 「なに謝ってんだよ」 「アリオス…一瞬違う人の車かと思った」 「煙草が切れたんで買いに行ってたんだよ」 彼の手にはまだ開けてない煙草のケースがあった。 「そうなんだ…」 「でも、会えてよかった。もう少しですれ違っちゃうとこだったね」 花のような笑顔にアリオスは一瞬見惚れた。 そして誰にでもこの笑顔が向けられているのかと考えると 自分だけのものにしたい、と心から思った。 他人に関心のなかったはずの自分が、意外に独占欲が強かった ことに初めて気付かされた。 「ほら、アリオスに携帯の番号教えてもらったでしょ。 何かあったら連絡しろって。でも何もないのにかけたら迷惑かな、とか 思ってかけられなくて…」 「…そんな遠慮すんなよ。俺が進んで女に番号教えるなんて そうそうないんだぜ? 有効に使えよ」 「…うん。そうするね」 含まれた意味に気付かず、アンジェリークはにっこりと天使の微笑みを返した。 アリオスは内心溜め息をつき、この鈍い少女をどうやって攻略すべきか 考えていた。 はじめて本気になった少女だ。逃がすつもりはない。 なおかつ早めに勝負を決めたい。 まさしくゴーイングマイウェイ、という言葉がぴったりあてはまる思考だった。 「今日は渡すものがあって来たんだ」 アリオスはそう言って封筒を差し出した。 実は、もともと直接彼女の所へ、これを届ける口実を作るために あえて連絡先は聞き出さなかったのだ。 それを受け取り、中を見てアンジェリークはアリオスを見つめた。 「なんで…?」 「例の写真のギャラだ」 「だって、もらえないよ。あれは助けてもらったお礼ってことで 出たんで…もらう必要ない。ペンダントだってもらったし…」 「まぁそれは俺とお前の交換条件みたいなもんだな。 ビジネスはビジネスとして正当な報酬が払われたんだ。 臨時のバイトだと思って受け取っておけよ」 「でも……」 「そうしねぇとその金の行き場がなくなって、預かった俺が困るんだよ」 そう言われたら受け取らないことの方が悪いような気がしてしまう。 「…じゃあ」 「よし、これで今日の仕事は終わった…と。 どうせだから寄り道してかねぇか?」 時刻は2時を少し過ぎたころ。 寮に帰るまでにどこかに寄っても問題はない。 それにアンジェリークに彼の誘いを断れるはずなどなかった。 「寄り道ってどこに行くの?」 「今から行けるような近場で、制服でも差し障りのないとこか…。 海でも行くか」 「海?」 アンジェリークは嬉しそうに瞳を輝かせた。 その表情を見てアリオスは微笑んだ。 「決定、だな」 「ねぇ、アリオスってこの辺詳しいの?」 「ん?」 「だって…学生証見て、その日のうちに学校まで来れたし…。 今も…なんかこの辺の地理知ってる感じがした」 「まぁな。家がこの近くにある、ってのもあるし。 お前の学校、俺の母校なんだよ。ついでに言うなら、弟が今通ってる」 「え? いくつ? もしかして会ってたりするのかなぁ」 「たぶんな」 「…てことは高等部に通ってるんだ。同じ学年?」 「自力で見つけるんだな」 「教えてくれてもいいじゃない」 「わざわざお前に男を紹介する気はねぇよ。 俺で我慢しとけ?」 「そ、そんなつもりで言ったんじゃないもん」 アンジェリークは頬を染めて、窓の外に視線を移した。 「あ、アリオス! 海見えた!」 浜辺をはしゃいで歩いていたアンジェリークはアリオスを振り返った。 「ありがとう。アリオス」 「なにがだ?」 「私、今年の夏は海に行ってなかったんだ」 「今からじゃ泳げねぇぞ」 「もう、分かってるよ…。来れただけで嬉しいの」 しばらく浜辺を散歩したところで、二人は舗装された上の道へと登っていった。 そこは海を眺められる遊歩道だった。 ところどころに休憩所として東屋が建っていた。 しばらく二人はそこでのんびりと過ごしていた。 時折、潮の香りのする風がすり抜けていく。 「アリオスはよくここに来たりするの?」 「ああ。静かだし、人があんまりいないからな」 「そっか…。そういうの気にしなきゃいけない人なんだよね、アリオスは」 普通に話していたので忘れかけていたが、彼の何気ない ひとことに現実を思い知らされた気がした。 波の音を聴き、真っ直ぐに海を眺める彼がなんだか遠い人 のように感じ、アンジェリークはじっと彼を見つめた。 風になびく銀の髪、見惚れてしまう横顔。 「なんだ?」 彼女の刺さるような視線にアリオスは微笑んで問う。 「今、ね…。アリオスが遠くの人みたいでちょっと寂しいな…て思って」 素直な少女にアリオスは苦笑した。 きっと彼女本人はこの言葉の意味を分かってないのだろう。 彼女のこういうところが愛しくてたまらない。 「すぐそばにいるだろ」 彼女の手を取って、アリオスは自分の頬にあてた。 「え、あ…うん。…アリオス…?」 アンジェリークはどぎまぎしながら、変わってしまった彼の空気に首を傾げた。 そんなアンジェリークの頬を両手で挟んで、上向かせた。 優しい、触れるだけの一瞬のキス。 「ア、アリオスっ…」 それだけで彼女は耳まで真っ赤になってしまった。 「残念だがここまでだ…一雨きそうだ」 アンジェリークは彼の視線を追った。 いつのまにか空は重い鉛色になっていた。 「駐車場までもつと良いんだがな」 「今にも降りそう…」 「アリオスッ! あなた実は雨男でしょう」 アンジェリークはずぶ濡れのまま楽しそうに笑った。 結局戻る途中で盛大に降られてしまったのだ。 ここまで降られると逆に気持ち良い。 「失礼だな。水も滴るいい男、と言えよ」 長い前髪を掻き揚げ、アリオスも笑った。 「………」 なまじ彼が言うとしゃれにならない。 一瞬自分を見つめる優しい表情に本気で見惚れてしまい、 アンジェリークは瞳を逸らした。 「あ、えーと…。制服…明日までに乾くかな…」 車からタオルを出し、アリオスは彼女を包みこむように手早く拭いて 助手席に座らせた。 もたもたしていると車の中まで濡れてしまう。 「うちで乾かしていくか?」 「…えーと…」 さすがに躊躇うアンジェリークにアリオスは笑った。 「安心しろよ。弟も一緒に住んでるマンションだ」 だからといっていつもその弟がいるとは限らない…。 狼の家に行くということに気付かないアンジェリークは やはりのんびりやさんなのだろう。 「ほら、乾いたぞ」 「ありがとう」 結局アンジェリークはアリオスのマンションに邪魔することになった。 制服を乾かし、冷えた身体を温めるためシャワーまで借り、彼の服を借りていた。 物があまり置かれていないリビングで、アリオスとコーヒーを 飲みながら服が乾くのを待っていた。 皆様の期待を裏切って、そこまで据え膳状態で手を出さなかった アリオスは表彰ものだろう。 彼が席を外してくれている間にアンジェリークはすばやく着替えた。 「ホントにいろいろありがとう」 戻ってきたアリオスにきちんとたたんだ服を返す。 「遅くなっちゃったね。弟さんも帰ってくるんじゃない? そろそろ帰らなくちゃ…」 「帰さない、って言ったらどうする?」 アリオスはにやりと意地の悪い笑みをみせた。 「え……」 ソファに座ったままアンジェリークは固まってしまった。 隣にいる彼を見上げて動けないでいる。 そんな彼女を見てアリオスは喉を鳴らした。 「クッ。冗談だよ」 「も、もう!心臓に悪すぎ…」 アンジェリークの文句は途中で途切れてしまった。 「アリオス?」 アリオスはアンジェリークを優しく抱きしめたまま言った。 「お前、俺のものにならないか?」 耳元で聞こえる艶やかな声にアンジェリークはぼうっとしてしまう。 「今度は冗談じゃない。 お前が好きだ。たぶん初めて会った時から」 「え、えと…その…」 ぶつかる真剣な瞳。嘘じゃないということは分かる。 だけど自分の気持ちがまだよく分からない。 「確かに…アリオスのこと嫌いじゃない… アリオスと一緒にいると楽しいし、 どっちかって言えば好きだけど…」 自分の気持ちにさえ鈍い少女はこの状況で悩んでしまった。 アリオスは苦笑して彼女の唇をなぞった。 「さっき、イヤだったか?」 「…イヤじゃなかった」 そういえば一度キスされてしまったのだ、とアンジェリークは思い出し、 頬を染めて否定した。 「こうしてるのはイヤか?」 「ううん」 彼の腕の中はなぜか安心する。 アンジェリークは首を振った。 「それじゃ問題ねぇな。自分の感覚信じろよ」 アリオスは自信を持って言い切った。 もともと彼女の様子を見ていれば自分に好意を持っているかどうかはわかった。 ただ厄介なのは、本人がそれに気付いていなかったということなのだ。 だからこそ、多少強引でも大丈夫、と踏んだ。 というか…それくらいしないと一生気付かないだろう、と思ったのだ。 「悪いようにはしないぜ?」 ついアンジェリークは吹き出してしまった。 「アリオス…。それ悪役のセリフ」 緊張がとけ、天使の笑みが浮かぶ。 アリオスは彼女の顎を持ち上げると、アンジェリークは素直に瞳を閉じた。 海でのキスとは全然違う、深いキスにアンジェリークはめまいを覚えた。 座っている自分の身体を支えることさえできない。 アリオスはそのままアンジェリークをゆっくりとソファに横たわらせようとした。 「アンジェリーク…このまま………」 しかし彼の誘いの言葉は途中で遮られた。 一方、もう一人の住人、アリオスの弟ゼフェルも雨に降られて帰ってきた。 ドアを開け、玄関にある他人の靴を見つけ、珍しいと思った。 兄は男でも女でも他人を部屋にあげることは滅多にない。 「やっと彼女作ったのか…?」 それなら兄の部屋には近付かず、すぐに着替えてまた出かけよう、と思った。 そして濡れた髪をタオルで拭きながら、なんともタイミングの悪いことに 彼はリビングへの扉を開けてしまった。 ドアの開く音に言葉を止めたアリオスはその張本人を かなり本気で怒った瞳で睨む。 幸いアンジェリークは意識がぼんやりしているせいで 微かなドアの音には気付いていない。 ゼフェルは突然の刺激的な現場にかなりうろたえたが、さすがに どこかへ行ってろ、という兄の怖い視線を読み取ることぐらいはできた。 (こんなトコですんなよ…) わりぃ、と片手をあげてこっそり戻ろうとした瞬間、兄に押し倒されかけている 相手の服が見慣れたスモルニィの制服であることに気付いた。 (ちょっと待てっ……) ぎょっとしてゼフェルは止まってしまった。 もしかしたら自分の知ってる少女かもしれない、と思っただけで 胃が痛くなった。 さっさと逃げよう、と思ったゼフェルに少女の柔らかな声が聞こえた。 「アリオス……やっぱりダメだよ…こんな…」 それは聞き覚えのある声。 「アンジェリーク!?」 突然の叫び声にアンジェリークはハッと我に返った。 「ゼフェル!?」 流されかけていた自分に気付き慌ててソファに座りなおす。 そして真っ赤な顔で呆然と呟いた。 「アリオスの弟…ってゼフェル…?」 同時にゼフェルもアリオスに声をかけていた。 「アリオス!よりによって俺のクラスメイトに手ぇ出してんなよっ」 「……ゼフェル」 アリオスの静かな呼びかけにゼフェルはやばい、とひきつった。 「今月の小遣いカットだ」 アンジェリークはあれからすぐ、車で寮まで送ってもらっていた。 今日は一度にいろいろなことがありすぎた。 恋人となった隣の綺麗な青年をじーっと見る。 「流されるトコだったわ……」 「あと少しだったのにな」 「アリオスッ」 反省の色がまったく見えない彼にアンジェリークは赤くなって抗議する。 「もうっ…明日ゼフェルとも顔合わせづらいなぁ…」 アンジェリークはひとつ溜め息をついた。 「ほら、ついたぞ」 「うん。…あのね、アリオス…。私言い忘れてたことがあって…」 「なんだ?」 「きっとね…。私もアリオスのことが好き」 はにかんだ彼女の笑顔にアリオスも優しく微笑んだ。 まだまだ自覚に欠ける少女だけれど… 第1段階はクリア、といったところだろうか。 アリオスは彼女を引き寄せ口接けた。 「アンジェリーク、また落としてるぞ」 ポケットに入れておいた学生証がいつのまにか落ちていたらしい。 アリオスは助手席のシートから拾い上げ、すでに車から降りた アンジェリークに声をかけた。 「あ、ありがとう、アリオス」 アンジェリークは運転席側の窓に近寄り、受け取った。 「面白いこと教えてやろうか」 口の端を持ち上げ、アリオスは微笑んだ。 「なに?」 「一度、駅でこれ落としただろ?」 「うん」 「あれな、お前と別れる前に気付いてたんだ。落ちてたの」 「………気付いてて教えてくれなかったの?」 「そしたら、あの場で終わっちまっただろ?」 「そうだね…」 くすくすとアンジェリークは笑い出した。 「そうしてくれなかったら、きっと私…アリオスを好きになったことにも 気付かなかったかもね」 「感謝しろよ?」 「うん」 そこで頷いてしまうのがアンジェリークがアンジェリークである所以なのだろう。 アリオスのさりげなく強引なところも原因なのだろう。 二人がお互いにベタ惚れ状態のバカップルになるまでにそう時間はかからなかった。 〜fin〜 |
「アンジェリークを落とそうと小細工をするアリオス」 別名、アンジェget編でございます。 しかし小細工になったのかな…これ。 yuki様、どうでしょう。 このシリーズのアンジェをオトすところだけ、 というプレゼントになってしまいましたが。 しかも…どちらかといえばストレートにアタック(笑) っぽくないですか? これ。 アリオス…手が早すぎるよ…と内心焦った部分がありました。 どことは言いませんが。 やはり彼は書き手の意思を無視してくださる…。 |