わがままが許される日

「アンジェリーク」
朝、教室に入ったとたんゼフェルに声をかけられた。
「どうしたの?」
「昨日、アリオスがダウンした」
「えっ!?」
鞄を落としそうになり、慌てて持ち直す。
「エルンストの話だとなんかいつもより大人しいなぁ、て
 思ってたらかなり熱があったって…」
「…アリオス…。どうして昨日教えてくれなかったの?」
我が事のように真っ青になる少女にゼフェルは苦笑した。
「昨日の夜中に病院に運ばれたんだ。連絡できねぇよ」
昨夜その電話で彼は起こされた。
そして、病院へ行って兄の容体を見るとそんなにたいした事ないし、
彼がアンジェリークにはわざわざ夜中に教えなくていい、と
言ったこともあり、今朝伝えることとなった。
「…夜中でも…教えてほしかった…」
彼が大変な時に、ぐっすり寝ていたなんてイヤだった。

傍に居たかった、と必殺の潤んだ瞳で訴えられゼフェルは頬を染めた。
兄以外にそういう表情をしないでほしい、と思いつつ。
もちろんそんな気持ちに気付かず、アンジェリークは落ちこんでいる。
「最近すごく忙しかったもんね…」
ここのところ、会う時間さえ作れなかった。
彼は海外に行ってたので、時差のおかげで電話もろくに役に立たず、
国内に帰ってきてからも引き続き、仕事が立て込んでいたようだった。
「…今日は自宅で強制的に療養。そろそろマンションに着いてる頃じゃないか?」
病院にいれば、いろいろと面倒も多い。
ファンに見つかるのも困るが、世話をする看護婦達も落ち付かない。
誰が彼の担当になるかで一騒動あったとかなかったとか…。
アリオスはたいした事ないから、と面倒事を避けるため、
即帰ろうとしたところをとりあえず朝まで拘束されていたのだった。

「ゼフェル…あの…」
「放課後にでも見舞ってやったら喜ぶんじゃねぇ?」
「今から行ってもいい?」
「…ってお前、学校来たばっかりだろ」
「でも…」
兄ですら敵わないこの少女のお願いに自分が勝てるはずなどない。
「…上手く言っといてやるから、看病してやってくれ」
そう言うしかなかった。
アンジェリークと入れ違いでやってきた日直のレイチェルに
なんで学校サボらせてまで狼のところへ行かすのよ〜、と
文句を言われるのはあと数分後。
(大丈夫だろ…。いくら狼でも今は病人だし…)
例え病人でも狼は狼である。
まだまだゼフェルは甘かった。




アンジェリークは彼を起こすのを避けるため、チャイムは鳴らさず
もらった合い鍵を使ってドアを開けた。
真っ直ぐにアリオスの部屋へ向かう。
そっとドアを開け、部屋を覗くが誰もいない。
「?」
なんでアリオスがいないんだろう、と首を傾げた少女に後ろから声がかけられた。
「何やってんだ?」
「きゃ!」
驚きのあまりぺたんと座り込む少女を呆れたような表情で見つめる優しい眼差し。
しかし、いつもよりそれはどこか熱っぽくて…。
久しぶりに会った感動はどこへやら…不謹慎ながらどきどきした。
(だ、だって……してる時と同じような瞳なんだもん…)
彼以上に熱がありそうな少女は頬を染めたまま彼を見上げた。
「…お見舞いに来たの。アリオスこそなんで寝てないの?」
「水飲みに行っただけだ」

少女と視線を合わせるため、アリオスもその場にしゃがみこんだ。
近付く額にアンジェリークは小さな手の平を当てた。
たいした事ないと言っていたけれど、全然態度には出ていないけれど、まだ熱い。
「熱測った?」
「帰ってからは測ってねぇな」
答えを聞いて、アンジェリークは体温計を探しに立ち上がろうとした。
「お前が測ればいい。お約束だろ?」
「………っ」
体調が悪いこの状況でよく言える…。
アンジェリークは半ば感心しながら彼の額と自分の額を触れ合わせる。
彼との距離に少女自身の体温も上がる。
「熱いよ…でもこんなんじゃわかんない」
こんなことで熱が測れるわけがない。
自分よりも熱いことしか分からないではないか。
ドア付近で座りこんでいたアンジェリークは一緒に彼も立たせ、ベッドへと押しこむ。
「おとなしく寝るっ」
そう言って今度こそ体温計を探しに行った。

「38℃…」
「下がったな」
「下がってない〜〜」
相変わらずな彼の様子にアンジェリークは拳を握り締める。
「昨夜に比べたら下がった」
「……」
一時は40℃あったとゼフェルは言っていた。
「確かにそうかもしれないけど…」
アンジェリークは冷たいタオルを彼の額に乗せた。
「辛い時は辛いって言って…?」
彼はポーカーフェイスだから…例え恋人でも気付けない時がある。
本当は彼みたいに相手のことはなんでも分かるようになりたいけれど…。
人一倍彼が鋭いことと、人一倍自分が感情を表しやすいことは
少女の頭からは抜け落ちていた。

真っ直ぐ見つめる純粋な瞳にアリオスは苦笑した。
「少しだるいけどな…。お前がいると楽になる」
「ホント…?」
そんなんだったら医者など要らない、アンジェリークは疑わしげに問い返した。
「気分的にな」
「だったら治るまでそばにいるね」
本当に嬉しそうに微笑むから愛しくてたまらない。
だから、少女の頬に触れ、引き寄せた。
素直に瞳を閉じる少女の唇に触れる寸前、
アリオスはちょっと止まって頬にキスをした。
「アリオス…」
頬を染めたままアンジェリークはあたふたと立ち上がった。
「ごめんっ。こんなんじゃ寝られないよね。
 あ、あの、何か食べられそう? 作ってくる」
時計がそろそろお昼時を示すのを見て、アンジェリークは逃げるように
部屋を出て行った。
残されたアリオスは落ちたタオルを拾いながら、可笑しそうに笑った。
「分かりやすいやつ…」


しばらくして、アリオスはキッチンから漂ってくる良い匂いで目が覚めた。
そしてぱたぱたと近付いてくる足音。
静かにドアを開けた少女が顔を出した。
「あれ、起きてる…」
ちゃんと寝たの?という顔をする少女に頷いた。
「今起きた」
「そ…。おかゆ作ったの。食べられる?」
「ああ」

アリオスはふと思い出したように口の端を上げた。
「そういやぁ…約束したよな」
「?」
何か企んでいるような笑みに、ベッドサイドに持ってきた椅子に座っていた
アンジェリークは首を傾げていたが思い当たったのか、ふいに頬を染めた。
「約束したけどぉ…本気?」
「さぁな」
意地の悪い笑みにアンジェリークは抱えているトレイを見下ろす。
「アリオス…体調悪くても変わらないよねぇ…」
もっと弱ってたならば抵抗なくできるのに、ともらしている。
「う〜ん…。でも、病人のわがままはきいてあげるのがお約束よねぇ。
 今日は特別だからね」
彼女の場合、常に彼のわがままをきいている気もするが…。
幸い、というか不幸にも、というべきか…本人は気がついていないらしい。

ちょっと躊躇ったあと、アンジェリークはスプーンを持った。
バカップルの基本(笑)、『食べさせてあげるv』である。
以前成り行き上、アリオスが寝こんだらしてあげるね、と約束したのである。
アリオスが寝こむなんて、その時は想像もできなかったからあっさり
OKしてしまったが…これは相当恥ずかしい。
「アリオス…」
「なんだ?」
「絶対、面白がってるでしょう!?」
アリオスよりも真っ赤な顔のアンジェリークは頬を膨らませた。
実際、彼の中ではしてほしい、という気持ちよりも
照れながらしてくれるその様子を見て楽しいと思う気持ちの方が強かった。
……どこまでも意地悪な彼である。
それでも素直にいうことをきいてあげるアンジェリークはさすがとしか言いようがない。


「はい、食べたらお薬」
水と薬を渡して、アンジェリークは言った。
「そして、ちゃんと寝る」
「はいはい」
「じゃないと治らないよ?」
アンジェリークは彼の手をきゅっと握って呟いた。
「アンジェ?」
「…すごくびっくりしたの…アリオスが倒れたって聞いて」
その手をやわらかな頬に当てて、溜め息をついた。
「本当にたいした事なくて良かったけど…。
 ちゃんと休まなくちゃね」
彼が倒れた原因は簡単に言えば、過労。
というよりも、しばらく続いたハードで不規則な生活により、弱っていたところへ
風邪のウイルスが忍び込んだ、という。
少女の微笑みに、アリオスはおとなしく頷いて瞳を閉じた。
濡らしたタオルを取り替えてアンジェリークは銀色の髪を梳いた。
「早く良くなってね…」
「ああ」




「ん……」
アンジェリークはぱちぱちと瞬きをした。
「えーと…あ!」
慌てて彼のベッドに凭れかかっていた身体を起こした。
窓の外はもうすっかり暗くなっている。
あれから彼の寝顔を見つめていて…午後の日差しがとても心地良くて…
いつのまにか自分も眠ってしまっていたらしい。
「よぉ、お目覚めか?」
優しく自分を見下ろす彼と目が合った。
彼はベッドの中で身を起こし、手帳を開いていた。
「アリオス…」
看病するはずの人間の方がよく眠っていたなんて、身の置き所がない。
困ったような顔をして彼を見上げる。
そんな仕種はとても愛らしい。

「アリオス…具合はどう?」
「もう大丈夫だ。熱も引いた」
「本当? 無理してない?」
「仕事の話ができるくらいだから平気だろう」
彼の手の中には手帳。ベッドサイドには携帯電話。
「もう仕事の話してたの?」
休んでなきゃだめじゃないの、と不満そうにアンジェリークは彼を睨んだ。
「スケジュール調整だけだ。もう少しゆっくりする為にな」
「…それならいいんだけど。
 ほら…ちゃんと休まなきゃ治るものも治らないじゃない…?」
「もう治った」
にやりと笑う彼にアンジェリークは素直に微笑む。
「良かった」
「お前が早く良くなれって言ったからな」
「アリオス…?」
期待に応えてやらねぇとな、と微笑む彼に『何か』を感じ、
アンジェリークはやや逃げ腰になる。

「きゃ…」
あっという間に押し倒されていた。
「確かに、言ったけど…」
アンジェリークは視線を逸らしながら呟いた。
だって、けっこう強引にコトを進める彼なのに…
移してはいけない、という配慮なのだろう。キスすらしてくれないのだ。
(私かまわないのに…)
だから、彼の身体を心配していたのも本当だけど…
私的にも早く良くなってほしかった。
そんな気持ちを見透かされていたのだ、と思うと穴があったら入りたい、ではなく
掘ってでも隠れたかった。

「アンジェ」
優しく響く低い声と金と翡翠の瞳にアンジェリークは降参した。
「…キスして?」
可愛らしいお願いに彼は微笑んだ。
そして、今度は頬にではなく唇にキスを贈る。
じゃれるように何度もキスを繰り返して、アンジェリークはくすくすと笑った。
しかし、その笑い声がふいに止まる。
「ア、アリオス?」
いつのまにか制服は脱がされかかっていて、彼の手を素肌に感じた。
「や、病み上がりでしょ〜。私、キスしかお願いしてない〜。
 今日はダメ…」
逃げようとする少女を押さえこんで、彼は不敵に笑う。
「今日はわがままきいてくれるんじゃなかったのか?」
「だって、もうアリオス病人じゃないもん」
「じゃあ、しても問題ねぇだろ?」
「え………と…そう、なるの…かな…?」

今日は彼は病人だからわがままくらいきいてあげなきゃ、と思っていて。
でも、彼はもう回復したらしい。
だけど病み上がりでこんな事をするのはどうだろう…。
でも、もう大丈夫と言い切る彼は健康な部類に入るのだろうか…。
なんだか頭が混乱してきた。

ぐるぐると悩む少女にとどめとばかりに彼が耳元で囁く。
「お前とするのが一番の薬だぜ?」
「…アリオスのばか、えっち…」


結局、病人であろうとなかろうと彼はしたいようにするし、狼は狼なままである。
そのお相手の少女も彼のわがままに付き合うことが当たり前、と
いう状況に慣らされている。
彼のわがままが通ったのは言うまでもないだろう。


                                       〜fin〜

 

本当にお待たせしました、tinkさま。
アリオスさん、なんだか倒れたにしては
まだまだ元気な感じがしますねぇ…。
私の修行不足です。

しかも相変わらずバカップルで…。
この二人、いい加減に止めてあげてください(笑)

もちろん返品可ですよ、tinkさま。