White Cage

 

アルカディア大学病院。
春らしい穏やかな日暮れ時、一人の少女が運ばれてきた。
看護婦からの報告を聞いていたアリオスがふいに立ち上がった。
「オスカー。俺が行く」
「ってお前、さっきオペ終わらせてきたばかりじゃないか。大丈夫なのか?」
同僚の言葉を受け止めながらも彼は不敵に微笑んだ。
「俺を誰だと思ってる?」



夜中近くアンジェリークは白い部屋の中で目を覚ました。
瞳を開けてぼんやり薄暗い天井を見ながら自分の状況を思い出す。
(…あ…そうだ…私…)
固定されている足を見て、小さく溜め息をついた。
その時、気遣いが感じ取れる静かなドアの開く音がした。
「…目が覚めたか」
「アリオス先生…」
知っている人物の登場にアンジェリークはほっとした笑みを見せる。
「気分は悪くないか?」
「大丈夫です。……先生もしかして今、勤務時間外…?」
今の彼はいつもは着ている白衣を着ていなかった。
「まぁな…ただお前の様子を診てから帰ろうと思ってな」
「…じゃあ、コレ治療してくれたの先生?」
「ああ」
「ありがとうございます」
アンジェリークはふわりとした笑みでベッドサイドの椅子に座る彼にお礼を言った。

彼女の足の具合を診ながらアリオスは呟いた。
「…お前が患者になるとは思ってもみなかったぜ」
「いつもは付き添いで来てたから…」
アンジェリークはここの付属校の生徒である。
そしてバスケ部のマネージャーをしていて…しょっちゅう怪我をする
ランディやゼフェルを連れて同じ敷地内にあるこの病院に来ていた。
多少の怪我なら救急箱で済まされるが、なぜかこの2人…特にランディは
病院行きの負傷がやたら多い…。
自然と外科病棟の医者・看護婦とは顔なじみになっていた。
「まぁ…すぐに退院できるだろ。たいした怪我じゃなくて良かったな」
「本当ですか?」
「ああ」
どれくらいの怪我だったんだろう、と密かに心配していたアンジェリークは
嬉しそうな表情になった。

しかし、反対に青年の顔は不機嫌そうに顰められている。
「事故の原因を聞いたぞ」
「あ…」
アンジェリークはその低い声にびくりと身を竦ませた。
「子犬助けようとして車道に飛び込むなんて何考えてんだ」
それを聞いた時、確かに彼女らしいとは思ったのだが…。
「だって…」
「放っておけとは言わないが…そういうのは自分の運動神経考えてから行動に移せ」
「はい…」
冷たい声にアンジェリークはうなだれながらも彼を見上げた。
すぐそばの切れそうな鋭い視線が怖い。
本気で怒っているのが分かる。
「俺がどんなに良い腕を持っていても…死んだ人間は生き返らない」
「…ごめんなさい…」
部屋を出ていく彼にアンジェリークはそれしか言うことが出来なかった。



「アーンジェ、心配したよ」
翌日レイチェル達が花を持ってお見舞いに来てくれた。
昨日もアンジェリークの家族同様少女の側にいたのだが、目覚めないまま
面会時間が終わってしまったため、帰ることとなったのである。
「ごめんなさい…」
「でもすぐ退院できそうなんだってね」
「良かったじゃねぇか」
ランディとゼフェルの言葉にアンジェリークは不思議そうに尋ねた。
「なんで知ってるの?」
「そこで先生とアンジェのママが話してた」
レイチェルが答えるのと同時に金色の髪をした看護婦が部屋に入ってきた。
「コレットさん、回診ですよ」
「はい」
「あ、リモージュさん。こんにちはー」
彼女の名前も少女と同じなため、区別をつけるためレイチェル達はそう呼んでいた。
「じゃ、私達部活に戻るね」
邪魔にならないようにと3人は高等部へと戻っていった。


「………」
怪我の様子を診察している彼をアンジェリークはただじっと見つめていた。
銀色に輝く髪も、診察のため伏せられた瞳も、バランスのとれた長身も素敵だが、
彼の無駄のない作業に見惚れる。
いつも怪我した部員を連れてきてはそれに見惚れていたが、いざ自分がやってもらうと
なんだか恥かしい気もする。
(手…おっきいんだ…)
自分の足など軽く掴めてしまうのをはじめて知った。
ふいに伏せられていた瞳が上げられ、視線がぶつかった。
「…っ…」
アンジェリークは慌てて目を逸らした。なぜだか頬が熱くなる。
そんな様子を気にすることもなくアリオスは診察を終えた。
アンジェリークは一度、目が合ってからはずっと俯いていた。
視線を合わせるのが怖かった。
昨日の彼の瞳が忘れられない。
炎のように激しいのに、氷のように冷たい印象を与える左右色違いの瞳。
いつも彼は誰に対してもからかうような皮肉めいた表情と態度。でも、底に窺える優しさ。
これが大人の余裕なのかな、と思っていた。
なのに昨夜の彼には全然そんな様子はなくて…。
本当に怒っているのが分かって…。
怒らせたのは自分だということが悲しかった。
「少ししたら松葉杖使って歩く練習して…それができるようになったら退院だな」
「はい…」

彼の姿が見えなくなってからアンジェリークは大きな溜め息をついた。
「どうしたの?」
金の髪のアンジェリークが少女を覗き込んだ。
「なんだか2人とも様子が変だったわ」
「そう…ですか?」
困ったように微笑んでアンジェリークは呟いた。
「…今日はすごく緊張したから…」
そして昨夜の出来事をアンジェリークは話した。
「だから…いつもみたいにうまく話せなくて。というか…目を合わせるのも怖くて…」
「あらあら…」
事の次第を聞いた可愛らしい看護婦さんは、ただ微笑んでいた。
「う〜ん。こればっかりは私にはどうにもできないわねぇ…」
「あの…どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
「ナイショ。自分で気付かなきゃダメよ」
怪訝そうな顔をするアンジェリークに彼女は笑って答えてくれなかった。



それ以降アンジェリークは診てもらう時、相変わらず彼に見惚れているクセに
視線を合わせることは出来ず、会話も最低限なまま数日が過ぎていった。
「…散歩してこよ」
沈みがちになる気分をどうにかしようとアンジェリークは部屋を出た。


「アリオス先生♪ 今お暇ですかぁ?」
彼に仕事が入っていないのを承知の上で彼女は声をかけた。
「あ? リモージュか。オスカーじゃなくて俺かよ」
あいつが今のセリフ聞いたら怒るぜ、とからかいの笑みを浮かべる。
「もう…せっかくいい事教えてあげようとしたのに」
「お前のいい事ってあてにならねぇからな」
「そんなことないですー。庭へ行くと良いことがありますよ」
「はぁ?」

いってらっしゃい、と彼女に背を押されアリオスは仕方なく庭へと向かった。
そして慣れない松葉杖を使いながらゆっくり進んでいる少女を見つけた。
「…そういうことかよ、リモージュ…」
彼女の思惑を察し、彼はアンジェリークの危なっかしい足取りを離れたまま見ていた。
「…っしょ…と…きゃあっ」
ほんの少しの段差に躓き、アンジェリークはバランスを崩した。
「…?」
しかし後ろから支えられたおかげで転ばずにすんだ。
細い身体を包む腕と背に当たる温かな広い胸。
視界の隅に入った白衣の裾にアンジェリークは驚いてその人物を見上げた。

「アリオス先生…」
慌てて彼から離れようとし、でも自分の身体が思うように動かないことを忘れていた
少女は再びバランスを崩し、彼に抱きしめられることとなった。
「落ちつけって…怖がらなくていい」
その声がとても穏やかで優しく響いたから…アンジェリークは大人しく彼に抱かれていた。
「どこに行くところだった? 危なっかしいから連れてってやる」
「…あの、部屋に戻ろうとして…」
「分かった」
彼は少女を軽々と抱き上げると院内へと入っていく。
「や、やだ。先生っ。恥かしい…みんな見てる」
アンジェリークの非難には聞く耳持たず、彼は少女をそのまま連れていった。


「あいにくお前のスピードに合わせてたら休憩時間がなくなるんでな」
「…ありがとうございました」
運び方に言いたいことはあったが、ベッドに下ろされたアンジェリークはお礼を言った。
しかしいまだに彼の顔をまともに見られない。
アリオスはそんな彼女の隣に座り、苦笑する。
「怖がんなくていいっつったろ?」
「……先生?」
久々に彼の笑顔を見て、アンジェリークは戸惑いながらも安心し顔を上げた。

ずっと…ずっと怖かった。彼を本気で怒らせたこと。
嫌われた? と思った瞬間、悲しくて切なくて…。
彼を好きだったことに気付かされた。
彼を目で追ってしまうのに、またあの時の瞳を見るのが怖くてすぐに逸らしてしまった。
気持ちを自覚したとたん、今まで通りに振る舞うのが難しくなってしまっていた。
「あの…」

彼女の言葉をアリオスが遮った。
「悪かったな。あの日…キツい言い方をした」
あの日…運ばれてきた患者の報告を聞いて、それがアンジェリークだと
気付いた瞬間、心臓が凍るかと思った。
彼女の容体を知りたくて、彼女を自分が助けたくて
大きなオペを終わらせたばかりだというのに自分が飛び出していた。
たいした怪我でないことにほっとして、それと同時に苛つきもした。
「お前の性格なのはわかるが…もっと自分のことを考えろ」
「アリオス先生…」
「俺のいないところで危ない真似をするな」
少し苦しいくらいに抱きしめられてアンジェリークは戸惑った。
すぐそばに彼の鼓動を感じ、触れる吐息に思考が止まりそうになる。
「先生?」

「お前が事故に遭ったと知って…この俺が怖くなった」
「……」
名医だからこそ知っている。医療技術の限界を。
彼女のそんな場面には出会いたくない。
「いまさら気付かされた。お前を失いたくない、と」
「先生…」
「お前が好きだ。アンジェリーク」
「先生…いいの? 私で」
「なんだよ、それ」
ここまで言われておきながらまだ自信なさげな少女にアリオスは眉を顰める。
「だって…先生すごく人気あるんだもの」
もとから分かっていたつもりだが、入院して改めて知った。
看護婦、患者ともに…彼はその容姿と実力で絶大な人気を誇っていた。
同僚のオスカーも人気があるが、彼に本命がいるのは周知の事実。
自然、彼らへの熱意にも差は出てくる。


アリオスは小さく溜め息をついて鈍い少女に言ってやった。
「お前がいいんだ」
呆れたような、でも愛しさ溢れる眼差しにアンジェリークは頬を染めて頷いた。
「私もアリオス先生が好き」
今までの不安が消えていく。
満たされる感覚にアンジェリークは微笑んだ。
そしてすぐ目の前の彼の頬にキスをした。
アリオスはふいをつかれたような表情をし、そのあとにやりと笑った。
「それじゃ足りない」
「え?…っん」
唇を奪われ、瞳を丸くする少女に実に艶やかに微笑んだ。
「教えてやるよ」
今まで見たことのない微笑みにアンジェリークはただ呆然と見惚れていた。
…そんなのんきな状況じゃないことに気付いた時はすでに遅かった。
思う存分深い口付けを味わされ、力の入らない腕が縋るように彼の白衣にしがみつく。
苦しげな呼吸の合間に囁いた。
「ずるい…いきなり、こんな…」
「すぐに慣れる」
余裕の笑みでそう返され、アンジェリークは文句を言っても無駄かもしれない…と思った。
彼女にしては珍しく鋭いことにそれは事実である。
「……いっか…。それでも好きだからね…」


「ほら、うまくいったでしょ。オスカー」
少女の世話に来たリモージュが入るに入れず、でも隣の恋人に微笑んだ。
「まったく…お人好しだな…」
「だって…両想いなのわかってるのよ? 
 それなのにあんなに辛そうにしてるんだもん…」
少女の話を聞いてすぐに確信した。
あの時はアンジェリーク自身気付いていなかったようだが…
彼を意識してしまうのは好きだから。
アリオスだって、わざわざ勤務時間外に様子を見に行ったり、
本気で彼女を心配し、滅多に人には見せない怒った表情を見せた。
単なる『知り合いの患者』の扱いとは違う。
そんな説明をしながら金色の天使は微笑んだ。
「幸せになってほしいでしょ? 私達みたいに」
「…そうだな」



それから…
彼女の病室では彼と彼女の戦いが繰り広げられることとなった。
「や、だ…めっ」
「別にいいじゃねぇか。キスくらい」
「人が来るかもしれないのにぃ…」
アリオスは少女の濡れた口元を拭うように口接ける。
それを中断させたのは彼を呼び出すアナウンスだった。
「ほら…先生、お仕事」
「…わかってる」
ちっと舌打ちをしながらも仕事に戻る彼をアンジェリークは見送った。
しかしアリオスは楽しそうにアンジェリークに微笑んだ。
「まぁ、どうせあと何日かは籠の中の鳥だしな…」
「え?」
「足が治ったら治ったで今度は家で続きを教えてやれるし」
「〜〜〜〜〜っ」
どっちにしろ楽しみにしてろよ、と魅力的な瞳で見つめられ、囁かれ、
アンジェリークは何も言い返せず、枕を投げ付けるしかなかった。


                                       〜fin〜

 


大きな怪我をしたことがないうえ、滅多に病院のお世話にならない私…。
設定が少々甘かったりするかも。
その点はお見逃しを。

しかしアリオスさん…職場で口説く&手を出すのはどうでしょう?(笑)
二人が幸せなら許されるかな…。

何気にお気に入りカップル
 オスカー・リモージュも登場です。

 

BACK