Forest
最終決戦を控えた夜。 セイランと話をした後、アンジェリークはまっすぐ部屋には戻らなかった。 ここは森林の村という名前の通り、周辺は木々で覆われていた。 その木々の上でちらりと見えた十字架がアンジェリークの気にかかったのだ。 「たしかこっちの方だったと……さっきまで晴れてたのになぁ…」 静かに降りだした細かい雨の中、森の奥の方へとアンジェリークは進んでいった。 そして霧雨に煙る古い教会を見つけた。 先程視界に入ったのは屋根の上から木々を見下ろしていた十字架だった。 霧雨の効果か、森の中でぼんやりと輪郭が滲む教会は幻想的だった。 「まるで夢の中にいるみたい…」 外れかけのドアをそっと開き、錆びれた礼拝堂に入った。 とりあえず、これ以上濡れなくてすむ。 ここは使われなくなってだいぶ経つようである。中の様子を見てアンジェリークは思った。 皇帝が支配してから人が訪れなくなった、という感じではない。 動くものは何もなくて、ただ時とともに静かに過ごしていく。 聖書のワンシーンを表したステンドグラスを見上げ、アンジェリークは呟いた。 「神様なんていない…いても助けてなんてくれない」 いざという時、頼れるのは自分と自分が信じた相手…。 礼拝堂の正面に置かれている優しげな像の前でアンジェリークは祈りを捧げた。 神に捧げる祈りではなく…彼へのもの。 ―――会いたい――― 「無防備にもほどがある…」 「…っ…」 礼拝堂の中は薄暗くて、はっきりとその姿は見えないけれど誰かなんてすぐに分かった。 泣きそうな顔でアンジェリークは微笑んだ。 (…ほら…やっぱり、神様に願うよりも彼に願った方がいい…) 少なくとも会いたいという願いは彼が今、叶えてくれた。 「一人でこんな所へ来るなど、自殺行為だ」 「…それでも会いたかったの。戦う前に二人で会いたかった」 近付いてくる彼を見てアンジェリークはぼんやりと思った。 今の彼は『レヴィアス』の方だな…と。 それでも彼は彼だから…。微笑んで持っていたペンダントを見せた。 それは十字架のペンダント。街で一目惚れして、アリオスに買ってもらった大切なもの。 つけてはいないが、ずっと持っていた。 「ほら、これとおそろい」 だから気になって来ちゃったの、とアリオスと話すように言った。 「そんなものを後生大事に持っていたのか…」 「宝物だから」 「愚かだな…。まだ幻想を見ているのか。アリオスはもういない」 「『あなた』がここにいる。それで十分だわ」 二人の距離があと一歩というところでレヴィアスは立ち止まった。 アンジェリークは微動だにせず、真っ直ぐな瞳で彼を見上げている。 「人知れず…殺されに来たのか?」 冷ややかな表情で見下ろされ、少女は首を振った。 「あなたはそんなことしない。明日、ちゃんとした舞台があるもの」 「我の何を信じられる? お前を騙し続けていた人間だぞ」 「そんなこと言われても…。好きになっちゃったらもう理屈じゃないもん」 ふと、過去を思い出すように視線をさまよわせた後、アンジェリークは問いかけた。 「…覚えてる? 夕波の島で…あなたが私を裏切ったらどうするって訊いたよね」 「………」 「あの時と答は同じだよ。まだ愛してる。 もっとずっと…ずっと騙してくれれば良かった、て思ってる」 気丈に見上げる瞳から涙がぽろぽろと溢れ出してきた。 頬を伝うそれをそのままに、アンジェリークは言葉を続けた。 「あなたが私のことなんとも思ってなくても、私にあの人を重ねていただけでも…」 「…!」 「エリスさんに会った…。私にそっくりな人。 あの人があなたが心を許した人だってすぐに分かった」 涙で視界が霞んでよく見えない。だから彼の表情は分からない。 「それでも好きなの…。身代わりの人形だってかまわない。 だって、一瞬でも私を見てくれた時あったでしょう?」 自惚れではなく、それは確かだと言える。 きっかけは昔愛した女性に似ていたから、かもしれない。 それはすごく悲しいことだけれど、そのおかげで彼と接触する機会ができた。 共に過ごすことができた。 話したり、一緒に歩いたりしたのは彼女ではない。自分である。 「自惚れでなければ…あなたが悩んでいた理由が説明できないわ」 旅の途中、辛そうな苦しそうな表情を何度も見た。 今ならその理由がわかる。 現在と遠くない未来の狭間で彼は苦しんでいた。 「自惚れにすぎぬ、と言ったら…? お前の考えは甘いと言っただろう」 「だったら…あなただって甘いんだからっ。 なんで冷酷になりきれないのよ。優しさが残っているのよ?」 彼は一行を皆殺しにできるだけの実力があった。 さっさとこの宇宙を支配できる力があった。 そして…アンジェリークは気付いていなかったが、戦闘中に彼が放った 魔導で少女が怪我を負った時、彼は微かだが確かに表情を変えた。 それでも放つ言葉は冷ややかなものだった。 「つくづく甘いな…それすらもお前を欺くための芝居にすぎぬ」 「…っ…じゃあ……本当に私の勘違いだったんだ…」 悲しそうに呟く少女に彼は追い討ちをかけた。 「そうなるように我が仕向けただけだ」 「そ…っか……わかった…」 かくん…と彼女の身体から力が抜けた。 そのままアンジェリークは涙が零れ落ちている床に力なく座り込んだ。 受けた衝撃が大きすぎて立ってなどいられなかった。 「あはは…変ね。 最悪の場合、それもあり得る…って覚悟してたのに…」 想像していたのと、実際にその言葉を突き付けられるのとではショックが全然違った。 「…こんなに苦しいとは…思わなかった。 …それでも好きだなんて…信じられない。 でも…しょうがないよね…。私だけ好きでも…いくら求めたって…」 座り込み、俯いたまま虚ろな声が礼拝堂に響く。 見開いた瞳は何も映せない。 せっかく、あの人に励ましてもらって前向きにがんばろうと 決意を新たにしたばかりなのに…。 その姿に彼の方が衝撃を受けた。 このまま目の前の少女は立ち上がらないような気がした。 動く力さえ失くしてしまっているように見えた。 心が砕けてしまっていた。それでも残るのは自分への強い想い…。 予想もしなかった事態に、思わず彼は用意していたセリフを別のものに変えてしまった。 苦しそうに顔をしかめ、顔を上げることさえできない少女を見下ろし言葉を紡いだ。 「…もう少しだけ…騙してやらなくもない」 「っ同情なんか…いらな…」 少女が望むのはほんの少しでもいい、自分を見てくれる彼だ。 単なる同情はいらなかった。だから、顔を上げて拒もうとした。 しかし彼の表情を見て、言いかけた言葉を最後まで発することができなかった。 彼の瞳でせめぎあう感情が揺れている。 必死で自分のあるべき姿を保とうとしているひと…。 バカがつくほど不器用な人…。 アンジェリークは泣き笑いの顔で、立ち尽くす彼に両腕を差し伸べた。 「…お願い…。もう少しだけ、今夜だけ…私を騙していて…」 久しぶりに口接けを交わした。やはりそれは前と変わらず、激しくて優しかった。 大きな長い机と彼のマントの上に横たえられ、アンジェリークは彼の首に腕をまわした。 白い指先が漆黒の髪に埋まる。 「私…あなたのダメなところもいいところも…全部ひっくるめて大好きよ」 これだけは忘れないで、と微笑んだ。 「こんな男に惚れるなど…物好きだな…」 相変わらず欲しい言葉は決してくれないけれど… 応えるように落とされたキスは悲しくなるほど優しかった。 「本当に…自分でも信じられない…」 首筋を吸われ、彼の髪越しにステンドグラスの静かな輝きが目に入った。 ここで最後にミサが行われたのはいつだろう…。 神聖な儀式が行われるべき場所で自分達は罪を重ねる。 (ごめんなさい…) なにに向けての謝罪だったのか、 自分でもよく分かっていなかったが心の中で一言呟いた。 だけど、今夜の霧が全てを隠してくれるから…。 霧雨に濡れて額に張り付く髪を梳き、冷えた身体を彼が温めてくれる。 素肌が夜の冷気に晒され、ぞくりと身を震わせた。 「寒いか…?」 「…っン…あっ…」 震えるその肩を抱き寄せられ、白い肌の上に赤い痣を刻み込まれる。 「すぐに熱くなる」 「うん……ぁ」 やわらかさを確かめるように触れた手にアンジェリークは身を竦めた。 なだらかなラインを辿るように口接けられ、きゅっと彼の頭を抱きしめる。 「あっ…」 彼を抱く細い腕が快楽に震える。 「…おね…がい…。もっと…もっといっぱい、証拠を残して…」 泣きながらそう囁いた。 「ずっと…消えないように」 「………アンジェリーク…」 言った本人も聞かされた相手も切なくて、それを振り払うかのように唇を重ねた。 何度も、唇がはれるほど求め合う。 薄暗い部屋の中、さらに濃い二人の影がひとつに重なりあう。 「っ!」 最初の一瞬、声を殺して耐える少女の唇に触れ、優しく囁いた。 「誰もいない…声を抑える必要はない」 「でも…」 「聞かせてくれ…」 「ん、あぁっ……やぁ…」 刺激が与えられる度、彼を締めつけ、アンジェリークは背を仰け反らせた。 彼女の敏感なところはもう知り尽くしている。 息を切らせながら、アンジェリークは彼の頬に手を伸ばした。 漆黒の長い前髪をそっと払う。現れるのは力を宿した金色の瞳。 碧と金の輝きを見つめ、アンジェリークは微笑んだ。 「きれい…大好きよ」 「アンジェ…」 「ずっと…一緒にいたいと思うのはいけないことなの…?」 目指す未来は明確なのに、どうすればいいのかが分からない。 まるで、ガラスの迷路の中で出口までの道を見つけ出せないよう…。 答えてやることはできないから、泣きじゃくる少女をあやすように抱きしめた。 「今は何も考えるな。忘れていろ。…いや、忘れさせてやる」 それから…彼が言った通り、アンジェリークは何も考えることはできなかった。 そんな余裕など与えてもらえなかった。 ただひたすら求めあった。 このまま…二度と離れられぬよう…ひとつになれたらいいのに。 そんなことを思いながらアンジェリークは意識を手放した。 「私、行くね…」 窓から差し込む朝日の中でアンジェリークは微笑んだ。 「ごめんね。私やっぱりまだ諦められない…。 さっき思い知らされた…」 「?」 何を謝っているのだろう、という表情をした彼に少女は照れたように言った。 「今はまだ身代わりでしかなくても…人形でしかなくても…。 そのうち『私』を好きにさせてみせるから」 だから、今日の戦い、決して負けないから、と。 勝って…あなたを手に入れる、と。 少女は強さを宿した瞳でそう宣言した。 「面白い…やれるものならやってみるんだな」 朝日の中、彼女自身の輝きが眩しくて、瞳を細めて皮肉げに微笑んだ。 「あのバカ…」 仲間の元へと戻っていく少女の後ろ姿を見ながら、彼は苦笑した。 彼女は肝心なところで鈍すぎる。 「誰が身代わりの人形なんかを朝まで抱くものか…」 決定的な言葉を彼女に言ってやらない彼にも責任はあるのだが。 少女が敵に会わず、仲間のところへ無事に戻れるよう、彼の力が彼女を包みこむ。 「お前をまた泣かせてしまうだろうが…未来はもう決まっている」 彼女を愛した時点でこの結末は決定していた。 彼女を絶対に殺しはしない。できない。 だとしたら残された道はおのずと見えてくる。 「お前の願いは…もっと先の未来で叶えてやる」 今は泣かせてしまうことを謝ることもできないけれど…。 ふと、机の上に置き去りにされていた古びた聖書が目に入った。 所々破れたそれが一瞬で炎に包まれる。 燃え尽きる前に、彼の姿は消えていた。 〜fin〜 |
…私の修行不足であんまり 裏っぽくできなかった気もしますが。 リクエストは天空本編での切ない裏 (アリオスでもレヴィアスでもOK)でした。 発想が貧困な私は、じゃあ…とベタに 「彼がいなくなる直前、アリアンで最後の夜」 か 「決戦前夜のレヴィアン」 どちらにします、とタチキさまにお伺いしました。 タイトルはまたもやLa'cryma Christi から。 ちなみにメジャーで出した『IN FOREST』ではなく インディーズの方の『Forest』がモチーフです。 ビジュアル的にこっちのがぴったりだなぁと思って。 …きっとこのネタ分かる人のほうが少ないと思いますけどね。 |