『MY ROMANTIC 〜ズルイひと〜』
人生、間が悪いと言うことはいつでもあるわけで。 週末の深夜、いつものように恋人のいるカジノバーにやってきた アンジェリークが見たものは、恋人である銀髪の青年と見覚えのない 女性との、いわゆる―――キスシーンだった。 挨拶がわりのキスがあると言うコトくらい、自分だって知っている。 頬とか額とか…唇も……あるかもしれない。 それだったら、多少ヤキモチを妬いたとしても、許そうと思う。 それは所詮、挨拶なのだ。 だからきっと、恋人同士のキスじゃない。 けれど目の前のは…… 青年の銀糸に絡まった、しなやかな白い腕。 まるで所有を表すように。 「あら」 半ば茫然としているアンジェリークに気付き、女性がアリオスから離れた。 驚いたように少しだけ目を見開き、まじまじと彼女を見つめると、艶やかな 赤い唇を妖艶に微笑ませた。 「ああ、あなたが」 納得したようにくすりと笑い、背後のアリオスを振りかえる。 「じゃあね、アリオス。今の話、考えておいて」 粘つくような声でそう言って、彼女は優雅な仕草でアンジェリークの横を通り過ぎていった。 その際、アンジェリークに視線を向けたかと思うと、おもしろそうに目を細めた。 「……っ」 見下したような瞳の輝き。 完全に馬鹿にされている。 湧きあがる怒りを押さえてきつく唇を噛んだ。 ここで怒り出すのは子供っぽいし、何より、さらに馬鹿にされる事が分かっていた。 「アリオス」 ドアに手を掛けて、女が振り向く。 彼女はくすくすと笑い、 「あんまり子供を本気にさせちゃダメよ」 ひどく気に障る笑いだった。 沈黙は海の底より深かった。 さらにそこにかかる水圧よりも重かった。 気まずいと言うよりも、周りの空気がぴりぴりしているような気がする。 しすぎて、肌が痛い。 いくらかして、アンジェリークはゆるゆると顔を上げた。 アリオスは相変わらずだった。 いつもと変わらずに店内の片付けをしていた。 それが哀しかった。 哀しくて、寂しかった。 「…言い訳、してくれないの?」 小さな声で尋ねれば、アリオスが僅かに視線を向けてくる。 しかしその手が止まる事はない。 「おまえの望む言い訳をして、おまえはそれで納得するのか?」 「……」 言われて口篭もる。 その通りだ。納得なんてできるわけがない。 けれどせめて、少しくらい言い訳が欲しい。 少しくらい、慌てて欲しい。 これじゃまるで…アリオスは私のこと何とも思ってないみたいじゃない。 それとも―――本当に? そう考えると、すごく自分がばかばかしくなった。 一人で盛り上がってただけ。 ほんとに、バカみたいだ。 俯いて黙り込んだアンジェリークに、アリオスは銀髪を掻きあげながら 溜め息をついた。まったく、最悪のタイミングだ。 今さら恨み言を言ったところでどうなるわけでもないのだが、そうは知っていても 言いたくなるのが人の常と言うもの。 「……アンジェリーク」 「ごめんなさい」 とりあえず落ちつかせようと少女の名を呼んだところで、いきなり予想外の言葉を 告げられて、アリオスは動きを止めた。 「……は?」 尋ね返したところで意味はなかったのかもしれないが、思わずそう口にしていた。 少女は再び繰り返した。 「ごめんね、アリオス」 …だから、何が。 当然のごとく浮かぶ疑問に眉をしかめる。 「おい、アンジェ……」 「あ、でも、安心していいよ。私、もう来ないから」 「………」 あっさりすっぱり言われた言葉に彼は一瞬目を見開き、それから納得した。 …要するに、別れ話をされているわけだ、自分は。 不自然に降りた沈黙に、アンジェリークが溜め息をつく姿が見えた。 こちらを見返した瞳は、怒っているというよりも、限りなく無表情。 そのまま、彼女はこう言いきった。 「じゃあね、アリオス」 店の扉が静かに開いて、やはり静かに閉まる。 暫くの沈黙のあと、アリオスはぐしゃりと銀髪を掻き上げた。 「…まいったな」 苦虫を噛み潰したように呟く。 まだわめき散らしてくれた方が対処のしようもあるというものだ。 もっとも、それはそれで面倒くさくはあるが。 翡翠の双眸を閉ざし、口元を押さえる。 湧き上がってくる不快感を何とか押さえ込もうとして、それでも押さえきれずに、 彼は手に持っていたタオルを忌々しげにカウンターに投げつけた。 期待を、していないこともなかったのだ。 たとえば追いかけてきて止めてくれるとか。 たとえば、電話がかかってくるとか。 していなかったといえば嘘になる。 …いや、はっきり言ってしまえば、していた。 多大なる期待をしていたと言ってもいい。 それが何の音沙汰もないまま一週間が過ぎ、二週間が過ぎ…一ヶ月が 過ぎてしまえば、所詮そんなものだったのかと、諦めざるを得なくなり。 かと言って今さらこちらから連絡をすると言うのも腹立たしく。 アンジェリークは寂しいと感じる気持ちを無理矢理ごまかして、毎日を過ごしていた。 「よう、お嬢ちゃん」 学校からの帰り道、掛けられた声にアンジェリークは振り向いた。 自分をこんなふうに呼ぶ人物など、ただ一人だ。 案の定、夕闇の迫る雑踏の中、赤い髪の長身の男が、薄い笑顔を浮べながら立っていた。 「オスカーさん」 呼び慣れた名を呼び、彼女は軽い足取りで男の方へと近寄った。 「お久しぶりです」 「ああ」 笑顔で挨拶すれば、オスカーは軽く手を上げて応えた。 「どうだ、折角だし。コーヒーでも」 「いいんですか?」 戸惑うように見上げれば、アイスブルーの切れ長の瞳がすっと細められる。 これがいわゆる『流し目』というものだと気付いたのは、彼の恋人でもある 従姉妹に教えられてからだった。 恋人がいる今でも結構頻繁にされるこの視線は、自称プレイボーイだったころの 名残かもしれない。 「もちろんさ。お嬢ちゃんに付き合ってもらえると、俺としても嬉しいんだがな」 やはり何処か芝居がかった―――けれど決してしつこくはない口調の青年に 小さく笑って、アンジェリークは笑顔で快諾した。 「そう言えば、アリオスとは最近どうなんだ?」 近くの喫茶店に入り、それぞれ注文をした後何気ない会話の後にさらに 何気なく尋ねられた言葉に、アンジェリークは不覚にも固まってしまった。 う、と言葉を詰まらせ、無意識にまぶたを伏せる。 もちろん、その変化がオスカーに分からないわけがない。 僅かに目を見開き、次いで、納得する。 「なんだ、ケンカでもしたのか?」 「……」 優しく柔らかな口調で尋ねられ、アンジェリークは首を振った。 「ケンカじゃないです」 「じゃあ…」 「別れました」 一瞬、沈黙。 オスカーはとりあえずその意味を考え、考えるまでもなかったのだと思い出した。 「なんだってまた」 会話の流れ上、そう聞くのは当然と言えば当然である。 「ああ、いや、別に言いたくないならそれでも―――」 かまわないんだ。 そう続けようとした彼を遮るように、少女は口を開いた。 「いいんです、別に」 それに、オスカーはアリオスと付き合うキッカケを作った人物の一人なのだから、 事の顛末くらいは知る権利もあるだろう。 気を落ち付かせるために、まだ湯気の立つコーヒーを口に含む。 そうして小さく息をつくと、アンジェリークは一ヶ月前の事を話し出した。 まあ、多少主観が入っている事は否めなかったのだが。 「ね、絶対アリオスが悪いですよ」 すべてを話し終えて、きっぱり断言したアンジェリークに、オスカーは返す言葉を 持ち合わせていなかった。 確かにアリオスが悪いと言えば悪いのだろうが、彼の性格を知っている 自分としては、複雑な表情をするしかない。 「それに、アリオスは私がいなくても全然平気に決まってますから。だからいいんです」 でなければ一ヶ月も連絡がないことはないだろうに。 きっと、真剣だったのは私だけだった。 強気なセリフを言って、けれど、すぐに寂しそうに紺碧の瞳を揺らした少女に、 オスカーは静かに苦笑した。 自分の気持ちを知ってるくせに、それでも頑なに認めようとしない少女の 年相応の子供っぽさは見ていて飽きない。 平たく言えば、かわいい。 もっとも、それを直接言ってしまえば嫌われることは目に見えているので、 口にする事はしないが。 彼は軽い溜め息をつき、優しくアンジェリークを見つめた。 「本当にいいのか?」 「…いいんです」 僅かな躊躇いのあと、それでもはっきりと返ってくる答え。 「本当か?」 「……オスカーさん、しつこいです」 「お嬢ちゃんの哀しむ顔は見たくないからな」 睨み付けてくる大きな瞳をあっさりと受け流し、オスカーは肩を竦める。 「あいつの性格は知ってるだろう?」 「……はい」 静かに尋ねられ、躊躇いがちに頷く。 知っている。 連絡なんか、まともにするような性格じゃない。 それでも連絡を待っていたのは、彼の気持ちを確かめたかったから。 「このまま意地を張ってても、いいことなんかひとつもないだろう」 今度は無言で頷く。 確かに、彼の言う通りだった。 忘れよう忘れようと思っても、その度に思う。 忘れようと願っている間は、結局忘れる事などできないのだ。 面影ばかりがちらついて離れない。 ―――本当は、寂しかった。 明かりを失って歩く夜の道のように、心細かった。 「こっちから行くのは癪だと思うが、あいつの場合は必要なんだ」 な、と顔を覗き込まれ、アンジェリークはやはり無言でこっくりと頷いた。 「…アリオスが、オスカーさんみたいな性格だったらよかったのに」 再び頼んだコーヒーを見つめながら、アンジェリークはぽつりと呟いた。 はふ、と疲れたように溜め息をつく。 「またどうして」 「だって、オスカーさん女の子の気持ちとか考えるのうまいし、 お世辞とかも結構言ってくれるし、連絡とかもまめにしてくれそうだし…」 せめて数分の一でもいいから、アリオスもそれに見習って欲しいと思う。 真剣に悩んでいるらしい少女の様子に、オスカーはくつくつと肩を揺らせた。 「お嬢ちゃんは、ああ言うアリオスだから好きになったんだろう?」 「……」 キザなセリフだと思った。 けれど確かにその通りだ。 無愛想、いじわる、面倒くさがりや。etc、etc……挙げればまったくキリがない。 自分はそれを納得した上で、あの青年を好きになったはずだった。 そしてその中に確かにある、彼の優しさも知っている。 それらを思い浮かべ、アンジェリークは頷いた。 その日、開店の準備をする為にどのスタッフよりも早めに出てきたアリオスは、 その扉の前に見知った顔を見つけて思いっきり眉を寄せた。 ここ一ヶ月で、すっかり顔なじみになった女がそこにいた。 恐らくは彼の気を引こうとしているのだろう、毎日のようにこのバーにやって来るが、 彼にしてみればうざったい以外の何者でもない。 女は目ざとくこちらに気付き、妖艶に微笑んだ。 「偶然ね。アリオス」 ―――大声で笑い出したい気分とは、こう言うことを言うのかもしれない。 表情には極力出さないようにしながら、それでも心の中では最大限に侮蔑の言葉を 浴びせ掛け、アリオスは女に近づいていった。 その真後ろに従業員用の通路があるのだから仕方がない。 「ねぇ、アリオス。今夜お店が終わったら…どう?」 しなだれかかるその仕草―――ヘビのようだ。 身体の線を強調した服、香水と化粧の臭いのする―――逆に言えば、それしかしない身体。 赤く彩られた唇から細く長い、爬虫類の舌が見えたとしても、アリオスは驚かなかっただろう。 不機嫌も露わに、アリオスは視線をきつめた。 誰もいさえしなければ罵詈雑言吐き放題なのだが、仮にもここは超高級ホテルの VIP階の真上。いくらゴーイングマイウェイなアリオスでも、さすがに常識くらいはある。 「お客さま…」 営業時の声音でそう言ったアリオスの言葉は、しかしその当の女の声で遮られた。 「あら」 何かを見つけたような声に振り向けば、見知った顔が二つ、 絨毯を敷き詰められた廊下の先にあった。 一人は赤い髪の見知った男。 そしてもう一人の姿を確認した瞬間、アリオスは軽く眉を跳ね上げた。 ホテルの淡い照明の中、久しぶりに見る恋人の姿がそこにあった。 こちらの姿を見つけたのだろう、男の方はともかく、アンジェリークは 明らかに動揺したようだった。 どうしてこう、いつもいつも間が悪いのだ、この少女は。 傍らにいた女が露骨に顔をしかめる。 「あなた、何の用?」 邪魔だと言わんばかりの口調に、アンジェリークの頬が引きつった。 「あなたこそ、何の用ですか。もうアリオスは仕事中だと思うんですけど」 柔らかな赤い絨毯を踏み締めて、ずかずかと近寄ってきた彼女は、女を睨み上げた。 それを女も睨み返す。 ―――空気が音をたてて凍りついた。 「…おまえ、何でここにいるんだ?」 苦笑しながら近づいてきた旧知に、さり気なく女の傍から離れたアリオスが声をかけた。 「街中でお嬢ちゃんと会ってな。おまえとケンカしてるってんで、仲介に」 「…余計なお世話だ」 「そうだったか?」 いけしゃあしゃあと答えて、オスカーはアンジェリークたちを見た。 無言の睨み合いは継続中だ。 ぴりぴりと空気が張り詰めている。 「しっかし、タイミングが悪かったな」 「いや、そうでもないぜ」 あっさりと言ったアリオスにおや、と目を見張り、オスカーは口の端を持ち上げた。 「どうだ、二人の女性が自分を巡って争うって言うのは。男冥利に尽きるだろ?」 「面倒くせェ」 「ひどいやつだな、おまえ」 笑いながら言うオスカーを横目でちらりと見やり、アリオスは煩わしそうに銀髪を掻き上げる。 そして溜め息をつくと、そのまま二人の方に近寄っていった。 睨み合いは最高潮に達していた。 いつ爆発してもおかしくない。 けれどその沈黙を破ったのはそのどちらでもなく、 アンジェリークの背後から伸びてきた、アリオスの腕だった。 「きゃあっ」 突然背後から肩を掴まれ、あまつさえ強引に後ろに引っ張られ、 当然バランスを崩したアンジェリークは、小さく悲鳴を上げた。 「…アリオス」 その名を呼び終わる前に、またもや強引に今度は彼の背後に押しやられる。 「…ちょ、アリオ…」 「お客さま」 焦ったような女に、彼は冷ややかに告げた。 「当店の営業は18時からとなっております。その時間にまたお越しくださいませ」 「…な……」 暗に迷惑だといわれ、女は絶句した。 つまりそれは、この男が自分より目の前の子供を選んだと言うことだ。 プライドを徹底的に傷つけられ、女の顔が怒りに歪む。 しかしここで騒ぎ出すのはさすがに気が引けたのか、彼女は歯軋りをすると くるりと踵を返してすたすたと歩き去っていった。 もちろん、その時にかなり凶悪な顔で睨みつけていく事を忘れなかったが。 「怒らせたんじゃないか? どうするんだ?」 「関係ないな」 からかい半分のオスカーにアリオスは肩を竦める。 これであの女が来なくなればこちらは万々歳だ。 客は何もあの女だけではない。 「…あのアリオス…」 背後から恐る恐ると言うふうに覗きこんで来たアンジェリークを、青年は無言で見やった。 紺碧の瞳が不安そうに揺れている。 今までの不安と、怒らせたかもしれないと言う不安、それから自分に対する不安。 彼はわざとらしく息を吐くと、少女の肩に腕を回した。 「え? ちょっ…」 質問の隙さえ与えず、強制的に従業員通路からカジノバーの中へと足を踏み入れる。 扉を閉める直前、アリオスはオスカーを振り向いた。 おもしろそうに笑うアイスブルーの瞳を見返して、翡翠の双眸が細められる。 「とりあえず、礼は言っておく。サンキュ」 「今度うまい酒でも奢れ」 それには答えず、彼はひらひらと手を振ってドアの向う側に消えた。 連れて来られたのはカウンターの裏にあるロッカールームだった。 店内の方からは数人のスタッフの声。 開店まで、もう余り時間がない。 「ね、アリオス…」 戸惑ったようにその人の名を呼んで、バーの制服に着替える長身の青年を見上げる。 「あの…」 「悪かったな、連絡もしないで」 どう言ったらいいのか戸惑うアンジェリークを遮って、アリオスが一言そう告げた。 「…あ……」 そして、沈黙。 「…何だよ」 一言だけ呟いて何も言わなくなったアンジェリークを怪訝に思い、 振り向いたアリオスは、らしくもなくうろたえた。 「なんで泣いてんだ、おまえは」 骨ばった指先が、頬を伝う涙を拭う。 その指先を拒むことはせず、けれど精一杯アリオスを睨み上げて、アンジェリークは訴えた。 「アリオスってば、卑怯よ!!」 「はぁ?」 「もう、これ以上はないってくらい卑怯だわ」 「……」 卑怯だと連発する少女を半眼で見やる。 「何がどう卑怯なんだよ、何が」 「だって……」 言いたい文句なんかいくらでもあった。 今回ここに来たのだって、半分くらいは文句を言ってやろうと思っていたのだ。 それが。 たった一言、『悪かった』と言われただけでどうでもよくなってしまった。 今までの文句も、怒る気力も、すべて消え失せてしまった。 こんなに都合よかっただろうか、自分は。 顔を俯かせ、喋る気のないらしいアンジェリークにアリオスははーっと溜め息をつき、 その小さな顎を捕らえて上向かせた。 バツが悪そうに見つめてくる瞳に唇の端を吊り上げる。 「悪かった」 もう一度繰り返して、掠めるだけのキスを送った。 一月ぶりのキスはとても懐かしくて。 その温もりをもっと感じたくて、アンジェリークは爪先立って青年の首に腕を回した。 「あのね…、あの人のこと…その、あの…………るの?」 幾度も繰り返されるキスの合間、か細く問い掛けられた言葉に、アリオスは眉を寄せる。 「何だって?」 「…だから、あの人のこと…抱いたこと……あるの…?」 顔から火が出そうだった。 恥ずかしくて恥ずかしくて、まともにアリオスの顔を見返せずに顔を俯かせる。 それを知ってか知らずか、アリオスはあっさりと頷いた。 「ああ、あるぜ」 「……っっ」 ショック、とはこういうことを言うのだろう。 分かっていたことだった。 分かっているはずのことだった。 アリオスは自分より遥かに大人で、経験も豊富で。 けれどそれを彼の口から聞くと、どうしてもショックを受けてしまう。 この腕に自分の知らない誰かが抱かれていたのかと思うと、すごくやるせなくなる。 こんなことを考えるなんて、子供の証明みたいでいやなのに。 ズーンと落ち込んでいたアンジェリークは、しかし次の瞬間、放たれた言葉に思わず叫んだ。 「誘われたらだいたいな。後腐れなさそうなやつと」 「女の敵ッッ!!」 アンジェリークの渾身の一撃をアリオスはふふん、と鼻を鳴らして受け流す。 「あの女もそのうちの一人だろ。あんまり覚えてねぇけどな。 一度は落としたはずの俺が、今度はカケラも相手にしないんで意地になってたんだろ。 ふん、甘いぜ」 何でもないことのように言って、唇を歪めて笑う。 その様子にアンジェリークは思わず溜め息をついた。 確かにいけ好かない人だったが、このアリオスの態度を見ていると 同じ女としてどうしても同情してしまう―――ような気がする。 「…アリオスって…女好きなんだ」 「何だよ」 疲れたように呟くと、アリオスが笑った。 「俺は誘ったことはないぜ。無理強いしたこともな」 少なくとも、これは事実だ。 そんなコトをしなくても言い寄ってくる女はいたし、第一、SEXへの執着がそれほど あったわけでもない。 結局、彼にしてみれば最低限の性欲処理と、義理以上のものではない。 いや、なかった。 この少女を知るまでは。 「ま、誘うのはおまえくらいだな」 「……ッッ!!」 顔を覗き込んでそう告げれば、少女は瞬時に顔に朱を昇らせる。 そのあまりの変わりように、アリオスは喉を鳴らした。 「ばっ…なっ、何言って…ッッ!!」 この反応が楽しい。 くるくるとよく変わる表情は、彼女の魅力のひとつだ。 いちいち返ってくるその素直な反応がおもしろくて、いろいろ ―――それこそ、『苛めて』いるのだと言ったら、確実に少女は怒るだろう。 まだ何か言いかけようとする彼女に目を細め、その唇を掠めるように奪い取る。 途端黙り込んだアンジェリークにククッと笑い、彼は再び唇を重ねた。 「…ふ…ぅうん…」 触れるだけだったキスは角度を変えるごとに深さを増し、熱を確かめるように舌が絡まる。 息苦しさから僅かに少女は身を捩り、それでも離れることはなかった。 強請るように抱き付いてきた細い腕が、甘えるように銀糸に絡みつく。 その指の動きがひどく艶かしく、ぞくりとした。 「ねぇ…アリオス」 額や頬に口づけを繰り返す青年に問いかける。 「ん?」 「さっき、誘うのは私だけだって言ったよね?」 「ああ」 「…それって…自惚れていいの?」 アリオスにとって私は特別だって、思ってもいいの? 不安と期待が入り混じった表情に、アリオスは口元を緩めた。 いつもは冷たい翡翠の双眸が温もりを宿す。 「さあ? どうだろうな」 楽しそうに答えられ、アンジェリークは唇を尖らせた。 けれど、その瞳は嬉しそうに笑っている。 「もうっ、知らないんだから。私、勝手に思い込んじゃうよ」 「勝手にしてろよ」 くつくつと喉を鳴らし、もう一度唇を寄せる。 その温もりに酔いしれて、少女はうっとりと目を閉じた。 明確な言葉が必要なときもあるけど、今はいいかな、と思う。 微笑んだ翡翠が、温もりと言うには熱いその熱が、確かに真実を伝えてくれるから。 だから―――――― その、年頃の少女らしい思考からアンジェリークを引き戻したのは、 身体を滑る、アリオスの手の感触だった。 服の上から胸の膨らみをなぞり、腰を通ってスカートの裾から指先が滑り込む。 「え…ちょ…アリオスッッ!!」 「黙ってろよ」 慌てる彼女の唇を強引に塞いで、半ば強制的に黙らせる。 逃げる舌を追い掛けて絡め取り、思うままに貪り尽くす。 「んん…ふぅ…っ」 息苦しさに塞がれた唇の隙間から吐息が漏れた。 その熱さに熱を煽られて、意識が朦朧とし始める。 そして、はだけられたシャツの隙間から潜り込んだ手の感触に、 少女が気付いたときには、もう遅かった。 「やっあ…っ!」 直に柔らかな膨らみを掴まれ、背が仰け反る。 「…やっ…アリオ…ッッここどこだと思って…っっ」 薄暗いロッカールーム。ここにいるのは自分たちだけでも、ドアを一枚隔てた その向うには店内スタッフがいて、その上あと少しで開店する。 そうなってしまえば…! どうしても行きついてしまう最悪な考えに、アンジェリークはうろたえた。 「ね、アリオスお願いだから…」 「鍵かかってるし、見つかりゃしねぇよ」 「そう言う問題じゃ…んんっっ」 叫びかけた唇は、すぐさまアリオスのそれによって塞がれてしまう。 深すぎる口づけに半ば意識を飛ばしかけているアンジェリークの耳元で、 低い声がくつくつと笑った。 「叫ぶなよ。見つかるぜ」 「…アリオス、が…悪いんじゃ、ない……」 朦朧としながらも、それでも何とか憎まれ口を叩く。 もうそれぐらいしか、抵抗は出来なかったけれど。 白く細い項に唇を埋めて、軽く吸い上げる。 途端浮かび上がる所有の証に満足そうに笑い、アリオスはおかしそうに囁いた。 「こっちは一ヶ月もおあずけくらってたんだ。ヤラせろよ」 「………」 あからさまな言葉に顔を赤くして、アンジェリークは目を閉じる。 自分を支える力強い腕に縋りつくようにして、彼の胸元に頬を寄せた。 「…ホントに、ずるいんだから」 熱を吐き出すような、甘い溜め息。 陥落の証。 青年は満足そうに喉を鳴らすと、もう何度目かも分からない口づけを、少女の唇に落とした。 力の抜けた足では立ちつづけることはひどく困難で、 アンジェリークはそのままその場に座り込んだ。 床と、押しつけられたロッカーの冷たさに身体を震わせる。 『何か』を求めて腕を伸ばせば、手を掴まれ、抱きしめられた。 その温もりに、安心した。 「…ぁ、くぅ…っ」 すでに硬くなり、その存在を主張する胸の頂に歯を立てられ、細い身体がびくん、と震えた。 痛みと快楽に仰け反り、吸い付いてくる生暖かい感触に甘く吐息を零す。 「ひぁ…っんぅうんっっ」 零れそうになる嬌声を必死で堪える姿に、アリオスはほくそ笑んだ。 必死に押さえようとしているその姿が、その声が、 どれほど自分を煽っているか、彼女は知らない。 知らせるつもりもない。 様々なところに口づけ、舌を這わせ、やがて辿りついた耳たぶに軽く噛みつき、 掠れた声で少女の名を唇に乗せる。 その声に少女が弱いことを知っていて。 使えるものは最大限に使う。 そうして溺れていくアンジェリークを見るのが、彼の楽しみだった。 「は…ぁうんっ、…やっいやぁっ…」 熱を含んだ声を耳元に感じながら、項に舌を這わせ、執拗なまでに愛していく。 細い身体を支えるように片腕を背に回して、軽く抱きしめた。 そのまま背筋に指を滑らせて、刺激に仰け反った喉元に唇を落とす。 その度に押さえた声を上げ、小刻みに震える少女に肩を揺らせた。 楽しい。 本気で、楽しい。 侵されているのは何も少女だけではない。 彼女の声に、肢体に、温もりに。 麻薬のように脳内が犯される。 ゆっくりと唇の端を持ち上げ、アリオスは獣じみた微笑を浮べた。 どうやって食らい尽くしてやろうかと考えながら。 そこに指先を滑らせた途端、くん、と細い身体が跳ねた。 零れる吐息と戸惑う―――もしくは懇願するような紺碧の瞳に目を細める。 「濡れてるな」 僅かに湿った音を立てて指先が花弁をなぞる。 「や…っ!」 焦らすような感触に上げた声は、少女自身にもその意味を考えることはできなかった。 痺れるような感覚に視界がぼやける。 その中で煌く翡翠の輝き。 冷たく感じるほど怜悧に―――けれどひどく優しく微笑んでいる。 彼はいつだってそうだ。 行為の間中、ずっとそうやって笑っている。 これが大人の余裕なのかもしれないと思うと悔しかったが、今の自分には何の手立てもない。 きっと、溺れるしかないのだ。 そして最後には―――その溺れさせた男に助けを求めるしか。 ―――縋りつくしか。 沈められた指が中を身勝手に動き回る。 あらゆる場所を擦られて、か細く悲鳴が上がる。 粘った水音に聴覚を犯され、理性を犯される。 「アンジェ」 耳元で囁かれる声。 僅かに熱を含んで、掠れた声。 「…随分と、感じてるみたいだな。こんなに溢れさせてる」 「いやぁっ!」 羞恥に叫べば、おかしそうな声が喉奥で笑った。 そんな何でもない仕草にさえ、魅せられる。 「嘘つけ。もう3本も飲み込んでるくせして。 …あんまり音させたら、店の連中に聞こえるんじゃないか? ああ、もう客も入ってくる頃だぜ?」 「…いじ、わる…っっ!」 「心外だな。こんなに可愛がってやってンのに」 「んんっっ…ふぁっ…あぁあっっ」 激しくなった指の動きに抗議の声どころか、思考さえ掻き消えていく。 掛け上がってくる熱に逆らう事もできず。 あとはもう―――――― 「ん…ぁ……っ?」 自分を導いてくれるはずのものを突然失い、アンジェリークは困惑気味に アリオスを見上げた。 「…アリオス…」 薄笑いを浮べた青年を責めるように見つめる。 彼はそ知らぬ顔で肩を竦め、少女の頬にかかった栗色の髪を払いのけた。 「言ってみな。どうして欲しいか」 蜜に濡れた指先で彼女の唇をなぞる。 それに浮かされて、アンジェリークは口を開いた。 「…お願い…欲しいの」 熱が。 殺されてしまいそうなほどの熱が。 クッ。 アリオスがもう一度笑う。 光に揺れる銀糸が近づいてきて、唇を塞がれた。 腰を滑る彼の手を感じた。 舌が絡まる。 唾液が顎を伝う。 引き寄せられ、脚を押し広げられる。 そして――― 優しさのカケラさえもなく。 熱く、貫かれた。 「ひぁ…っんんんんっっ」 解放された唇から漏れる声を、慌てて押さえる。 「見つかりたくなけりゃ、声だすなよ」 その声に怯えたように身体を震わせ、アンジェリークはきつく目を閉じた。 鍵がかかっているとは言え、扉の向うは正真証明のカジノバーで、誰かが来ないとも限らない。 そんな思いが、少女を僅かばかりの理性にしがみつかせていた。 「は、うぅん…っぅんっ」 それでも押さえきれずに、助けを求めるように青年の胸に抱きつく。 アリオスは僅かに目を細め、できる限りの優しさで細い肩に腕を回した。 逃げようとする身体を優しく―――けれど有無を言わさず押さえつけて、さらに深く繋がる。 思うままに突き上げて、快楽を貪った。 「…んっ…く……っぁっ、ァ…リオ……ッふ、ぅ…っっ」 「イクか?」 淡く染まった耳元に唇を寄せて囁けば、 熱に浮かされた白い腕が背に回され、きつく爪を立てた。 その腕の強さに軽く喉を鳴らして笑う。 「…ほんと、可愛いヤツ」 はだけた胸元から見える白い肌に口づけて、痕を刻みつけた。 誰にも侵すことのできない、自分のモノである証を。 「ふぁっ…んんっ、ひうっ…は………――――――ッッ!!」 身体の奥深く、本能にもっとも忠実なそこを抉られ、掛け上がる快楽に華奢な背が仰け反る。 声のない悲鳴を上げて、限界にまで高まった意識が砕け散った。 あとはもう、堕ちていくだけ――― 柔らかく降ってくる少し冷たい唇を感じながら、アンジェリークはそっと目を閉じた。 アリオスが制服に着替えてカウンターに出てきたのは、店が開店する直前だった。 数人のスタッフが忙しそうに動き回る中、アリオスは悠然と店内を見まわした。 それに気付いた一人が、僅かに咎めるような視線を彼に送った。 「何やってたんですか、チーフ」 「悪い、ちょっとな」 アリオスは何でもないように肩を竦める。 彼は不満そうだったが、それ上は何も言わずに自分の仕事へと戻っていった。 ―――アリオスが一体何をしていたのか少しでも察したのなら、 彼の反応はもっと違うものになっていたのだろうが。 その頃、ロッカールームの奥にあるソファの上では、アンジェリークが 半泣きになりながらアリオスに文句を言っていた。 「ア…アリオスのバカァッッ!! しっんじらんないっっ」 言いながら、乱れたままのシャツの胸元を引き寄せる。 そこには隠しようのない赤い痣。首筋やら二の腕やら、それこそいたる所に刻まれている。 その上、下半身が痺れてうまく立つ事ができない。 これでは、帰るに帰れない。 「どぉすんのよぅ…」 明日学校なのに…と嘆いても後の祭。 狼の懐に飛び込んだのは、紛れもなく自分なのだから。 この後、アリオスがアンジェリークを無事に帰したか。 アンジェリークは翌日学校に行けたのか。 それは誰にも分からない。 END |
ありがとうございました、タチキさま! ちょっとした話の成り行きで見事に ハスラーアリオスの裏創作をgetしてしまいました。 とっても嬉しいです〜v アリオスさん…この後それ相応の フォローはしてあげたんでしょうか(笑) |