ウソの代償



春休みのとある一日。
アンジェリークは待ち合わせ時間五分前にアリオスの事務所のラウンジへと向かっていた。
事務所の入り口の自動ドアの前に立つ少し手前で突然ドアが開き、
アンジェリークは身を竦めて慌てて立ち止まった。
下手をすれば正面衝突である。
きゅっと反射的に目を瞑ると、上からよく知った声が降ってきた。
「いらっしゃい、アンジェちゃん。
 待ってたよ☆」
「オ、オリヴィエさん?」
今日は確かに待ち合わせをしていたが、
その相手はこの派手な社長ではなく恋人のアリオスである。
それなのに、どうして彼が自分を待っていたのだろう?
首を傾げるアンジェリークにオリヴィエはウィンクをしてみせた。
「アリオスはちょ〜っと遅刻しそうなんだよね。
 カティスの店で待っててくれないかな?」
彼の言葉にアンジェリークは納得する。
それなら自分を待っていてくれたのも分かる気がする。
しかし、普通社長自らが伝言役を買って出るものだろうか…?
「メールで一言入れてくれるだけでも良かったのに。
 緊急の用事なんですか…?」
普段なにかあれば彼からメールが来る。
アンジェリークが新しい疑問に再度首を傾げていると、オリヴィエはにっこりと微笑んだ。
「ま、ね☆
 ごめんね。すぐに行かせるからさ」
「はい。オリヴィエさん、わざわざありがとうございました」
事務所に入るのをやめ、そのまま歩いてすぐのカティスの店に向かう
アンジェリークの後ろ姿を見送りながら、オリヴィエは髪をかきあげた。
「ちょっと悪いことしちゃったかな〜…?」
あの少女に真っ直ぐな視線でお礼を言われると良心が痛む。
「でしたら、最初からこんなことしなければよろしいのです」
呆れ顔で後ろからエルンストが声をかけた。
「でもさー。一年に一度のチャンスだよ?」
「そんなことに情熱燃やさず仕事をしてください。
 年度始めでなにかと忙しいのですから…」
「はいはい。コレが終わったらね」



オリヴィエは建物の中に入り、『待ち合わせ時間通りにラウンジに現れた』アリオスを
発見して楽しそうにそちらへ向かう。
「アリオス」
彼が振り向くと先程までの楽しそうな笑みはどこへやら…。
真剣な表情で彼に話しかける。
「あんたなんでこんなとこにいるのさ!?」
「悪ぃかよ。もう仕事は終わっただろうが」
「そうじゃなくて!
 アンジェちゃんがさっき病院に運ばれたって知ってる?」
「…なんだと?」
アリオスが訝しげに眉を顰めた瞬間、彼の携帯が震えた。
メールの着信を知らせるそれにアリオスは携帯を開く。
内容を確認した彼はさらに眉を顰めた。
「アンジェが…なんだって?」
顔を上げたアリオスはすでにいつもの不敵な笑みを浮かべていた。
「だから病院に…」
「じゃあ、これはいったいなんだよ?」
彼が無造作によこした携帯の画面を見てオリヴィエは固まる。

『アリオス、お仕事で遅刻するんだって?
 オリヴィエさんにカティスさんのお店で待ってるよう言われたんだ。
 待ってる間にケーキセット頼んじゃうんだから。
 アリオスの奢りだよ?
 …ウソよ。お仕事がんばってね』

病院に運ばれたことになっているアンジェリーク本人からのメールである。
「しまった。口止めするの忘れてたよ」
ちっと指を鳴らすオリヴィエにアリオスは冷ややかに笑う。
「あいつまで騙して何企んでやがんだよ。
 返答次第によっては…」
その悪党面にオリヴィエは笑って誤魔化す。
「も、も〜。やだな〜。
 ほんの軽いジョークじゃない☆」
「ったく…くだらねぇことに俺を巻き込むんじゃねぇよ」
珍しく約束の時間になっても姿の見えない彼女の居場所が分かったので
アリオスは早々と話を切り上げそちらへ向かう。
その後ろ姿を見送りながらオリヴィエは呟いた。
「失敗か〜」
そして携帯を取り出した。
「じゃあ、第2部隊に期待しようか」
通話を終えたオリヴィエにエルンストは眼鏡を指で押し上げながら言った。
「もうお気が済みましたか?」
「あともうちょっとであのアリオスを騙せたのにねぇ…。
 あ〜はいはい、もうちゃんと仕事するってば☆」
懲りない社長は睨む部下にひらひらと手を振って最上階の社長室へと向かった。





一方、オリヴィエの言う第2部隊はカティスの店へと入っていった。
カティスに挨拶をし、今日はカウンター席が空いていなかったため、
奥のテーブル席に座っているアンジェリークのところへと向かう。
「よぉ、可愛いお嬢ちゃんがこんな所で一人きりってのは罪だな。
 この俺がご一緒させていただいても良いかな?」
アンジェリークはくすくすと笑って頷いた。
「オスカーさんったら。どうぞ」
「私もいるから安心していいわよ」
「サラさん。お二人でデートですか?」
続けて席に着いた美女にアンジェリークは笑いながら言う。
「トップモデルサラも危険な恋も実に魅力的だが…
 あの旦那を敵には回したくないからな」
サラの夫パスハはアリオスと同様、敵に回してはいけない人物の上位に入る。
オスカーは苦笑しながら首を振った。
「あら、パスハは優しいわよ」
「サラにだけな」
「ところでアンジェちゃん。
 ちょっとお願いがあるんだけど協力してもらえるかしら?」
「なんでしょう?
 私にできることでしたら…」
「お嬢ちゃんにしかできないことなんだ」
首を傾げるアンジェリークの手を握り、オスカーは至近距離で見つめた。
アリオスの目の前でこれをやったならすかさず制裁が下る。
「あの…オスカーさん…」
「こ〜ら。離れなさいな」
オスカーの手をどかしてサラはアンジェリークに話を続けた。
「今日が何の日か知ってる?」
「今日…4月1日…。
 ……あ、エイプリルフール…?」
「あたり〜。
 私達、『あのアリオスの余裕顔を崩してやろう』と作戦立ててるワケ」
「はぁ…」
まさかと思いながらも答えたら、楽しそうな顔で頷かれてしまった。
大の大人が揃いも揃って…なんと言うか…平和な職場である。
「アリオスの奴、いつでもああいう態度だろう?
 たまには焦らせてやろうってわけだ」
「その気持ちは分からないでもないですけど…」
いつも彼は余裕な態度で自分をからかってばかりで…
こちらばかりが焦ったりどぎまぎしたりしている。
悔しいと思いつつも、反撃することなどできないのだ。
「だろう?」
「でしょ?」
アンジェリークの反応にすかさず二人は飛びついた。
その勢いにアンジェリークが驚いていると、オスカーの携帯が震えた。
「お、オリヴィエからの報告だ。失礼」
オスカーはウィンク付きで断ってからその場を離れ、すぐに戻ってきた。
「お嬢ちゃん、アリオスにメール送ったんだってな?」
苦笑混じりのその問いにアンジェリークはきょとんとしながら頷く。
「ええ。とりあえずちゃんとオリヴィエさんから
 伝言を受け取ったこと伝えておこうと思って…あっ」
答えながらアンジェリークはどうやら気付いたようである。
「もしかして…」
「その通りだ、お嬢ちゃん」
待ち合わせ場所に現れないアンジェリークが事故にあった、とか
他の男と歩いていた、とか…
そんな風にアリオスを驚かそうと企んでいたら
アンジェリーク本人がネタばらしをしてしまったのである。
「あ〜…ごめんなさい…」
「お嬢ちゃんが謝ることないさ。
 彼女としては当然の行動だろ?
 ちゃんと言わなかった俺達が悪いんだしな」
元を正せばそんなくだらないことを一生懸命する方に問題がある。
アンジェリークが謝らなければならないことなど本当に何一つない。
しかし人の良いアンジェリークは目の前にいる人達に対してすまなく思ってしまう。
…それが恋人であるアリオスを騙すことに繋がるなどと考えることもなく。

「で、だ。とにかくあのアリオスを驚かせるならネタとしては
 お嬢ちゃん関係が有効だと俺達は読んでるわけだ」
「そこで今度はアンジェちゃん自身に一芝居打ってほしいほしいなぁ、と思ったのよ」
「私が…ですか?」
上手く出来るかな、とアンジェリークは首を傾げる。
自分のつく嘘など彼にはすぐばれてしまう。
「それにどんなこと言えばいいのか…すぐには思いつかなくて…」
「他に好きなやつができたとか」
オスカーの言葉にアンジェリークとサラが同時に首を振った。
「そんなこと…」
「アリオスを見つけただけで嬉しそうな顔する子にはムリよ」
「そうだな…」
「………」
そんなに分かりやすいだろうか、とアンジェリークは俯いてしまう。
「そろそろアリオスが来るな…」
「よし、これよっ。
 オスカー、特にあなたこそこれ言われたら焦るんじゃない?」
「「?」」
二人は自信たっぷりに言うサラを見る。
「『できちゃったかもしれない』」
「サ、サラさんっ?」
「…ふっ、なにを言ってるんだサラ…この俺が焦るわけないだろう?」
視線を逸らし微笑むオスカーにサラはにやりと笑う。
「心当たりがたっくさんありそうね〜?」
「それよりもアリオスが来る。
 俺達は隠れるとしようか」
追求を避けるべく立ち上がったオスカーに続き、サラも立ち上がる。
アンジェリークははっと我に返って二人を見上げた。
「サ、サラさんっ、私、そんなウソ言えな…」
「アリオスのびっくりしたカオ、見られるかもよ?」
「………」
にっこり笑って去るサラにアンジェリークは言い返す間もなかった。



(アリオスの驚いた顔なんて滅多に見られないけど…でもでも〜…)
アンジェリークはどうしようどうしよう、と考え込む。
彼を驚かせる。
普段考えもしないアンジェリークにはそれはとても魅力的なことかもしれないが、
その内容がどうしても言いにくい。
言われるアリオスより少女本人の方が躊躇ってしまう。
冗談にしてはタチが悪いような気がする。
「なに考え込んでんだよ?」
「きゃっ?」
ふいに目の前が暗くなり声をかけられ、アンジェリークは驚いて小さく悲鳴をあげた。
見上げればアリオスが長身を屈めてアンジェリークを覗き込んでいる。
心の準備ができていないアンジェリークはドキドキする胸を押さえながら笑った。
「ア、アリオス…。早かったのね」
「ああ。たいした仕事じゃねぇからな。
 待たせて悪かったな」
アンジェリークがオリヴィエの嘘を信じているのだろう、と
思っているアリオスは適当に話を合わせて頷いた。
騙されそうになっていた本人なのにアンジェリークには律儀に謝ってくれるその態度。
どうしようか迷っていたアンジェリークの心は彼の言葉と優しい微笑みで固まった。

『騙せるわけがない』

隠れて成り行きを見守っている二人には悪いが、
アリオスにベタ惚れなアンジェリークに彼を騙せるわけがない。
そして続く気遣ってくれた言葉に先程までの悩みはすでに遥か彼方へと押しやられた。
「カウンター席も空いてなかったんなら暇だったろ?」
カウンターに座れればマスターであるカティスと世間話をすることもできたが…。
「ううん、平気だったよ。
 ケーキ食べてたし」
後はお茶が少し残っているだけのプレートを指し示しながらアンジェリークは微笑んだ。
それに実際はオスカーやサラがいたので一人の時間は短かった。
「アリオス、なにか注文する?」
「いや、俺はいい。もうお前飲み終わる頃だろ。
 それに合わせて出ようぜ」
「うん」



にこにこと笑う少女とそれを見守る青年の姿はどこから見ても幸せそうなカップルである。
一波乱起きそうな気配は微塵もない。
「これも失敗か…」
「アンジェちゃんにはやっぱりムリな注文だったかしらね…」
「まぁ、それはそれでいいさ。
 俺達も行くか?」
「そうねー。いつまでも覗いていてもしょうがないわね」
アンジェリーク達のいるテーブル席から少し離れた従業員用のドアの陰から
見張っていた二人は諦めの溜め息をついた。
あれだけ微笑ましい雰囲気を見せつけられたら文句も出ない。



「それにしても、今ケーキ食っていいのかよ?」
「え?」
アリオスが呆れたように頬杖をついてアンジェリークに声をかけた。
「これからメシ食いに行くんだろうが。
 食えなくなるぞ?
 それとも食後のデザートは今回ナシか?」
アリオスが連れていってくれるお店は味が確かで、食事だけではなく
食後のデザートもアンジェリークは楽しみにしている。
「これくらいなら大丈夫。
 もうちょっとすれば食べられるようになってるよ」
夕飯時までにはもう少し時間がある。
その間ウィンドウショッピングなり、アリオスのマンションで
くつろぐなりしていれば普通に食べられるようになるだろう。
「くっ、育ち盛りのお子様は元気でいいよな」
「もう、お子様じゃないってば」
頬を膨らませる様はまだまだあどけないが…。
アリオスはにやりと笑って囁いた。
「なんなら手っ取り早く運動して腹空かせてやろうか?」
「?
 ボーリングかどこか遊びに行くの?」
時間的にはちょうどいいよね、と壁にかかっている時計を見てアンジェリークは首を傾げる。
「ばーか。俺のマンションだよ」
深読みできない少女ののんびりさにアリオスは苦笑しながら
その栗色の髪をそっと引っ張り、
必然的に引き寄せられたアンジェリークの額にキスをした。
奥のこのテーブル席はあまり目立たないし、周りに人もいないので
見える場所ではないがそれでも焦る。
「ア、アリオスっ…」
「オトナの運動に決まってんだろ?」
低く囁く声にアンジェリークは真っ赤に染まる。
「なっ…!」
「お子様扱いじゃなく、大人扱いしてやるぜ?」
「…っ!!」


「行くか」
少しして立ち上がろうとしたアリオスをアンジェリークは慌てて見上げる。
「あの…本当にアリオスのマンションに…行くの?」
「ああ」
「えと…その、ごはん食べてから行こうよ。
 今は…ウィンドウショッピングとかにして…」
アンジェリークが頬を染めてしどろもどろに言うとアリオスは喉で笑った。
「くっ、さっきのは冗談だ。行っても今はしねぇよ。
 んなことしてたらメシ食いに行く気なくなるだろ」
行く気がなくなると言うより店の閉店時間が過ぎる可能性が多いにある。
「そう…」
ほっとしたようにアンジェリークが息を吐くと
アリオスは意地悪く口の端を上げて少女の耳元で囁いた。
「なんだよ。期待してたのか?」
「っ!
 アリオスの…ばかっ」
可笑しそうに笑う彼の表情にまたからかわれた、とアンジェリークは悔しくなる。
「期待なんかしてないもんっ」
そしてお返しとばかりに遥か彼方に押しやったはずの『嘘』をあっという間に引き寄せた。
「それに…今日はしないんだから…」
「へぇ…?」
まだ余裕の表情のアリオスを見てアンジェリークは思う。
本当にこの余裕を崩せるのだろうか?
でもサラ達が太鼓判を押していたので信じてみようかとも思う。
「それはまた…どうしてだ?」
ちらりとサラとオスカーが隠れているはずのドアを見て、それからアリオスに視線を戻す。
「…だって…」
嘘なのにこれを言うにはすごく勇気がいる。
「…赤ちゃん…いるかもしれないもん…」



「「言った!?」」
オスカーとサラの方が驚きながら顔を見合わせた。
諦めて帰ろうとしていた二人はタイミングを掴み損ねてまだドアの陰にいた。
声までは聞こえないが、なにやらアリオスがアンジェリークをからかっていたようだった。
それはいつものことである。
しかし、その後アンジェリークが『何か』を言った。
雰囲気からして先程依頼した『嘘』のようだった。



「アンジェ…本当か?」
「え…多分…まだ、よく分からないんだけど…」
真剣に見つめるアリオスにアンジェリークは戸惑いながらも頷く。
あのアリオスを騙せた?と内心驚きながらも嬉しく思う。
いつもいつもからかわれているのだ。
たまにはこっちがびっくりさせてみたい。
これで気が済んだアンジェリークはすぐに冗談だと白状するつもりだった。
「あのね、アリオス…今日は」
何の日か知ってる?とネタばらしをしようとした。
「まずちゃんと確かめねぇとな。
 今からなら病院まだ行けるだろ」
「へ?」
嘘だと白状する暇もなく腕を取られて立ち上がる。
「え、ア、アリオス…ちょっ…待っ…」
「恥ずかしがる必要はねぇだろ。
 もちろん俺も一緒に行ってやる」
「そ、そうじゃなくてね…あの…」
本当に病院に連れて行かれたらシャレにならない。
慌てふためきながらアンジェリークはアリオスに説明しようとするが、上手く言葉が出ない。
(アリオス…嘘なのに信じて…
 こんなに真剣になってくれて…)
もっと違う嘘にしておけばよかった、と申し訳なさまで覚えてしまう。
「アリオス…ごめ…」
「ちょっと待て、アリオス!」
「ストーップ」
涙ぐんだアンジェリークが謝ろうとしたのとほぼ同時に
従業員用ドアからオスカーとサラが出てきた。
「マジに取るな!
 エイプリルフールの軽いジョークだ」
「私達がアンジェちゃんにお願いしたのよ」
「ああ、分かってる」
「だから本気にして病院まで行かなくても……え?」
「おい、今お前…なんて言った?」
「アリオス…?」



目を丸くする三人を尻目にアリオスは皮肉げに笑ってみせた。
「お前らこそ、仕掛けた本人がマジに騙されてんじゃねぇよ」
「あの…アリオス…?」
腕を掴まれていたアンジェリークはきょとんとアリオスを見上げる。
「俺を騙したいんなら、もっと信憑性のある嘘にしとけよ」
「信憑性…十分すぎるほどあると思ったんだけど…ねぇ?」
話を振られたオスカーも頷く。
「ああ」
「くっ、お前が言われたなら青ざめるだろうけどな。
 あいにく俺がそんなヘマするかよ」
勝ち誇った笑みでアリオスはきっぱりと言った。
「そのヘンの事に関してはしっかり気を使ってるぜ?
 絶対有り得ねぇよ」
「アナタってば…」
サラが呆れたように髪をかきあげる。
なぜそこまで自信を持って言えるのだと聞きたいくらいだが、
アリオスならそれも可能な気がしてくる。
「じゃあ、最初から気がついていたの?」
「ああ、ほとんど最初からだな。
 アンジェがそこのドア一瞬見ただろ。
 お前らがいるの見えたからな」
オリヴィエの件もあるから、すぐに繋げることができた。
「なに企んでんだ…と思ってたらエイプリルフールだと?」
アリオスは見た者を怯えさせるような悪党面な笑みを浮かべる。
「こいつまで巻き込んでくだらねぇことしてんじゃねぇよ。
 オリヴィエと言い、お前らと言い…この貸しは高くつくからな」
「ちょっと〜、なんで貸しになるのよ?」
「お前、俺達を騙し返したんだからこれでドローだろ」
アンジェリークの手を引いて歩き、聞く耳持たないアリオスの後ろ姿に二人は文句を言う。
全てを見ていたカティスがくっくと笑いながら彼らに言った。
「あのアリオスを引っかけようとしたんだ。
 それ相応の報復は覚悟しておいた方がいいだろうね」
「そんな他人事みたいに〜…」
「とりあえずあの子のケーキセット代は君達からもらえると聞いているよ」
「…あいつちゃっかりしてやがる」
オスカーが渋々と財布を取り出した。
もともと今日の依頼を聞いてもらう代わりにそれくらいは出すつもりだった。
が、礼代わりにアンジェリークに払うのと
アリオスに押し付けられて払うのでは気持ち的に違う。
実に面白くない。
しかもこれで借りを返したことにはならないのだ。…おそらく。
分かってしまう自分が悲しい。
「来年リベンジする?」
「逆にされそうな気がするのは俺の気のせいか…?」
二人は顔を見合わせて苦笑した。





「おい、なにぼけっとしてんだよ」
あまりの展開についていけないまま車の助手席に乗せられたアンジェリークは
アリオスを見上げる。
「…つまり私達、アリオスに逆に騙された…ってこと…?」
「くっ、人聞き悪いこと言うなよな。
 お前らが俺を騙そうとしたんだろ?」
「う…」
事実そうなのだが…結果を見ればアリオスに騙されたような気がする。
「アリオス…お芝居上手なんだね。
 信じたのかと思った…」
本気で申し訳なく思って謝ろうとしたのに、
当の本人はそれを分かっていただけでなく逆に一芝居打っていたのだ。
拗ねたようにアンジェリークが呟くとアリオスは苦笑した。
マンションの駐車場に車を停める。
「お前が俺を騙すなんてできねぇんだよ」
「なんでよぉ」
なぜ自分のことなのにアリオスの方が分かっているように言えるのだろう。
「お前が嘘つけば俺には分かる」
「………」
「それにお前の身体も俺の方が知ってるぜ?」
「………」
意味深な眼差しにアンジェリークは視線を逸らした。
アリオスは逃がさないとばかりに少女の頬に触れ、自分の方に向けさせる。
「分かってんのか?
 俺はお前に惚れてるんだぜ?」
「アリオス…っ」
少し強引に唇を奪われ、慌ててアリオスの袖に縋る。
「…エイプリルフールのウソ、なんて言わないでね」
「言うわけねぇだろ」
再び唇を重ね、長くて甘いキスを繰り返す。
「だがな、アンジェ?」
「っん…なに?」
「俺を騙そうとしてタダで済むとは当然思ってねぇだろうな?」
「え…?」
なにやら嫌な予感がする。
アンジェリークは潤んだ瞳を不安そうに揺らめかせた。
「お前がそんなに子供が欲しかったとは知らなかったぜ?」
「ち、違…あれは……!」
「今からたっぷり予行演習してやるよ」
「い、今?
 ア、アリオス〜。ダメだってばっ。
 ごはん食べに行くんでしょ?」
「俺を騙そうとした罰として今回のは延期」
「ええ〜」
あからさまに残念そうな表情をする少女の頬に口付け、アリオスは口の端を上げた。 
「んな顔しても駄目だ」
「楽しみにしてたのに〜」
「今夜は適当に俺が作ってやる。
 それで我慢するんだな」
「ホント? アリオスが作ってくれるの?」
今度は嬉しそうな表情を見せる。
ころころと表情が変わって本当に飽きない。
「ああ。どうせお前、作れる状況じゃないと思うぜ。
 今夜は『お仕置き』しないといけねぇしな」
さらりと宣言されたアンジェリークは真っ赤になって固まった。
「や、やだ〜」
「知ってるだろ?
 ウソツキ狼少年は最後に狼に食われるんだぜ?」
「…アリオス〜…」
目の前の銀色の狼にアンジェリークは瞳で訴える。
「ごめんなさい〜。もうしません〜。
 だから…機嫌直して?」
「それはお前次第だな」
にやりと笑いアリオスは車から降りた。
外から助手席のドアを開け、手を差し伸べる。
「行くぜ。アンジェ?」





『ウソをついてはいけません』
幼い頃に誰もが教わること。
『アリオスを騙そうなんて考えてはいけません』
業界内では有名なこと。
エイプリルフールだからと言って、許されることではないのだと
身をもって知ったアンジェリークとその他数名であった。



騙された被害者面して実は一番人を騙したアリオスは『お仕置き』と称して
好き放題したことや、『貸し』を作って後日有効に利用していたのだが…。
なぜか納得できないアンジェリークだった。
「きっかけを作ったのは私だし、みなさんだけど…
 アリオス、なんの被害もないのに慰謝料だけ請求してない?」
ベッドの中、抱きしめてくれるアリオスを見つめて首を傾げた。
「なに言ってやがる。
 お前にまで騙されて俺は泣きたくなるほど深く傷ついたぜ?」
どこが、と言いたくなるほど余裕な笑みにアンジェリークは頬を膨らませる。
「ウソばっかり…」
泣かされていたのはアンジェリークの方である。
しかも明け方までかけて。
赤くなった目をこすってあくびをする。
「アリオス、朝ごはんも作ってよ」
「ああ。だけどいいとこブランチになるんじゃねぇか?」
閉めたカーテンの向こうがうっすらと明るくなってきている。
「どっちでもいい…おやすみ、アリオス」
もう限界だとばかりに呟いて、アンジェリークはアリオスの胸に頬を寄せた。
「おやすみ、アンジェリーク」
寝顔にかかる栗色の髪をどけてやると、アリオスもしばしの眠りについた。



                                            〜 fin 〜



嘘をついても良いのは午前中だけ…という説もありますが
まぁ、それは気にしない方向で…。
 




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