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3月14日朝、すでに春休みに入っていたアンジェリークはのんびりと朝食の後片付けをしていた。 キッチンからは食器を洗う水音が聞こえてくる。 そこへ、玄関のチャイムの音が鳴った。 「…なんだろ? こんな朝に」 アンジェリークが首を傾げると同時に彼女の旦那様、アリオスの声が書斎から聞こえてきた。 「悪い、いま手が離せねぇ」 「はーい」 たいてい玄関に出るのはアリオスの役なのだが、今日は彼女の出番らしい。 エプロンで手を拭きながらアンジェリークはぱたぱたと駆けていき、ドアを開けた。 「きゃあっ!」 アンジェリークはドアを開けたとたん、目の前に突然現れた大きな花束に驚かされた。 「こちらお届けものです、サインを…」 「あ、はい」 どうやら今日届けられるように手配されていたものらしい。 アンジェリークはサインをし、届けてくれたお兄さんにごくろうさま、と言ってから差出人を確かめた。 いろいろな種類と色の花の中にメッセージカードが埋もれていた。 見慣れた筆跡をたどり、それを読んだ少女の顔がみるみるうちに赤く染まる。 「アリオス!!」 書斎のドアを勢いよく開けて、アンジェリークはアリオスのもとへと向かった。 両手いっぱいの花束を抱え、パソコンに向かっているアリオスに声をかける。 「アリオス、ありがとう」 「無事届いたな」 「…あ、だからさっき出られないって言ったんだ…」 口の端を上げるアリオスの頬にアンジェリークは二人の間で花束が潰れないようにと 気を付けながら、キスをした。 「でもね」 頬を膨らませて彼を睨む。 「メッセージカード! …こんなこと書いて…もし誰かに見られたらどうするのよ」 「それはそれで仕方ねぇんじゃねぇか?」 「恥かしいじゃない…」 アンジェリークを一瞬で真っ赤にさせたメッセージとは… 結局、彼女が口を割ることはなかったので親友のレイチェルさえ知ることはなかったという。 「こんなお返しがあるとは思わなかったわ」 リビングで綺麗な花達を大きな花瓶に生けながらアンジェリークは微笑んだ。 「なにか隠してる様子も買い物に行く様子もなかったし…」 「同じ家にいるとその点は苦労するな」 アリオスはその様子を眺めながら苦笑した。 だいたい家が同じだから、そこらへんに隠しておいても見つかる可能性が高い。 そのうえ、彼の職場と少女の通う学校が同じなので互いの行動は嫌でも把握できてしまう。 だからアンジェリークもバレンタインのプレゼントは学校で作ったのだ。 彼の場合は考えた結果、花束の宅配に落ちついた。 実際、彼女を嬉しさに驚かすことができたので作戦は成功だろう。 「他の子達にも送ったの?」 「印刷したカードだけな」 あれだけの量を手書きで書けるか、と憮然とアリオスは答えた。 「カードだけ?」 「…お前な、俺を破産させるつもりかよ」 確かに全員に花束を送ったらとんでもないことになるだろう。 「お前だけ、特別だ」 その言葉はさらにアンジェリークを喜ばせる。 「アリオス、大好き」 「…で、プレゼントも届いたことだし、出かけるか」 アリオスは車のキーを取りながらアンジェリークを振り返った。 「どこへ行くの?」 「お前の好きなところに連れていってやるよ、どこがいい?」 ホワイトデーだしな、と微笑む彼にアンジェリークははにかんで頷いた。 そして数秒、真剣に悩む。そんな姿でさえ彼を魅了して止まない。 「うん、決めた」 ぱっと顔を輝かせて、アリオスを見上げた。 「ビリヤードやってみたい」 車を走らせながらアリオスは、そういえば昨日のバラエティ番組でビリヤードやってたな、 と思い出した。きっとそれに影響されたのだろう。 てっきり、遊園地とか水族館というリクエストが来るだろうと覚悟を決めていたのに。 行き付けのプールバーへ彼女を連れていくわけにもいかないので、 近くのビリヤード場へとアリオスは向かった。 ドアを開けるとビリヤード台がたくさん並んでいる。 友達同士で来ている者、一人で練習に来ている者、様々な客層である。 いつものバーとは違う雰囲気だが、まぁいいかと少女を連れて借りた台へと進んだ。 まず、真っ白な玉ともう一つ玉を出して、アンジェリークにキューを渡した。 「こっちの白いのが手玉。これを打って他の玉に当てる。 当たった玉がポケットに入ればOK」 すごく簡潔な説明の後、お手本として見せてくれた。 それを見習ってアンジェリークもやってみる。 「基本的に左手の中指でキューを固定して。人差し指は添える感じで」 「こう?」 「軽く前後に動かしてみろ。で、玉の中心狙って打てばいい」 打ち方だけ教えるとアリオスは玉をセットし始めた。 「あとは実際にゲームしながら覚えろ」 9つのボールを並べて言った。 「簡単なナインボールやろうぜ」 「ブレイクはやらせてやるよ」 「?」 「最初のこのかたまり崩す役。1番先頭にある玉を狙えよ」 「当たるかな…」 こん、と突かれた手玉は真っ直ぐ進んで当たったのだが、勢いが弱くてかたまりがうまく崩れない。 「あれぇ…」 「…もう1回チャンスやる。もう少し強く打ってみろ」 アンジェリークは再度チャレンジを試みる。 「…あ…」 今度は力を入れすぎて、手元が狂いとんでもない方向に転がってしまった。 「……アリオスやって」 結局アンジェリークはアリオスの手本を見ることとなった。 「…かぁっこいい…」 慣れた手つきで鮮やかにブレイクショットを決める彼をアンジェリークは羨望の眼差しで見つめる。 一瞬で玉が散らばり、弾かれ、ひとつ…ふたつ、とポケットに吸いこまれていった。 「後は1から番号順に落としていけばいい。9を落とした奴の勝ち」 そしてアリオスはキューを構えながら続けた。 「お前は手玉を落とす番号に当てることだけ考えてろ」 いい音がしてアリオスは狙った玉を見事落とした。 「本当は落としてる間はずっと続けてやれるんだが…今日は順番に打とうぜ」 俺1人でゲームが終わっちまうからな、と笑う彼にアンジェリークは頷いた。 「それじゃつまらないものね」 1ゲームを終えた頃にはアンジェリークはだいぶ慣れてきた。 性格が出るのか、狙った場所に素直に真っ直ぐ打つことはマスターしていた。 力加減を覚えたのかどれだけ距離があっても直線ならば必ず当てる。 きっとクッション、壁に反射させることを考えての技は彼女は苦手だろうな、と 一生懸命やっている少女を見下ろしながらアリオスは苦笑した。 「もう1ゲーム。なんかコツ掴んできた気がする」 「はいはい」 嬉しそうな表情をする少女にアリオスの表情も穏やかになる。 「あ、だけどブレイクはアリオスがやってね」 「まだ自信がないのか?」 「ううん」 アンジェリークは首を振ってさらりと言った。 「アリオスのブレイクショットが見たいの。カッコいいんだもん」 「………こんなとこで誘うなよ」 「ば、ばかっ、そういうんじゃないもん!」 周りに人がいるというのに、頬にキスされアンジェリークは真っ赤になってうろたえた。 かん、と力強く玉が打たれる。 その瞬間さらりと艶やかな銀髪も揺れて、瞳を奪われる。 「なに見惚れてんだ? 四六時中一緒にいるだろ」 皮肉げに笑われアンジェリークは頬を膨らませた。 「しょうがないじゃない。アリオスのせいよ」 可愛らしい言い訳にアリオスは笑った。 「え…と、次は1番狙えばいいのよね」 アンジェリークは素直に入れることよりも当てることだけを考えていた。 とりあえず当てないことには話が始まらない。 狙うべき番号にかすりもしなかった場合、相手は好きな場所に手玉を置くことができる。 つまり、勝負に関しては不利になってしまうのだ。 2人の場合はレベルの差がありすぎて勝負、という意識はまるでなかったが。 慎重に狙いを定めてアンジェリークは手玉を打った。 真っ直ぐ狙い通りに1番の玉に当たる。 弾かれたその玉は別の玉にぶつかり、それがポケットに飛びこんだ。 気持ちいいほど綺麗な流れ。 「あ、ラッキーv」 「………」 小さくガッツポーズを取るアンジェリークをアリオスはなにか言いたそうに見つめた。 「このゲームは終わりだ」 「へ?」 なんで、と続きをしようとしていた少女に転がり落ちてきた玉を見せた。 それは『9』という数字がプリントされている。 「9番を落としたお前の勝ちだ」 「え?だって…順番に落としていくんでしょ? いきなり終わるの?」 「お前は順番通り1に当てた。その結果9が落ちた。9を落とした奴が勝ちって言ったろ」 偶然ってすげーな、と苦笑するアリオスを見てアンジェリークは 信じられない、という風に笑った。 「私、アリオスに勝っちゃったの?」 それから数ゲームやって、アンジェリークは遠くの台で盛り上っている人達を見て提案した。 「私達もなんか賭けようか」 彼らは缶ジュースを賭けて盛り上っていたのだ。 賭け事は禁止、と書かれていたけれどこういうのならば許されるだろう、たぶん。 「ジュースなんて言うなよ、つまらねぇ」 アリオスは魅力的な笑みで同意を示した。 「じゃあ…負けた人が勝った人の言うことをひとつきく?」 「OK」 彼の企んでいるような笑顔にアンジェリークは慌てたように付け足した。 「あんまり無理なお願いはきかないからね」 「くっ、お前が負けるの前提かよ。お前も俺から何度か勝ちを奪ってんじゃねぇか」 「偶然、ばかりだけどね」 今までのゲーム結果を振り返ると断然アリオスの方が有利である。 アンジェリークは、なんでこんなこと言い出しちゃったんだろ、と少しだけ後悔した。 異様に盛り上ってる人々を見て、楽しそうだと思ったからなのだが…。 勝負はスムーズに流れ、残すところ最後のひとつとなった。 アリオスが打つ番。もうこれは勝負は決まったな、とアンジェリークは彼を見つめていた。 彼の瞳が獲物を狙うそれに変わる。真剣な表情。 姿勢をやや低くして、構える姿も完璧で…。 実際に彼のショットは完璧なのだ。今までミスしたところを見たことがない。 アンジェリークは見惚れながらほぅ、と溜め息をついた。 「アリオス…かっこいい…」 感情の込もりまくったそのセリフと、緊張感が達したアリオスの打つタイミングとが絶妙に重なった。 彼女にそのつもりはないが、気を逸らされたおかげで玉まで僅かに逸れた。 惜しくもそれはポケットの壁に弾かれ、入らなかった。 「…アンジェ…お前、それ分かってやってたらただじゃおかねぇ」 この場でご期待に応えてやるぜ、と脱力しながらアリオスは額を押さえた。 「? …惜しかったね…?」 彼女の表情には『?』が飛びかっている。 潤んだ瞳で、誘うような甘い声で…たとえ言われたとしても勝負中に、 それらに左右されるとは思わなかった。惑わされるとは思わなかった。 自分が思っていた以上にこの幼い少女にまいっていることを認識させられた。 悔しいから気付かない少女にわざわざ気付かせてやるつもりはないが…。 アリオスがミスしたおかげで手玉と9番ボールとコーナーポケットが一直線に並んだ。 「チャーンス」 これなら私でも入れられる、とアンジェリークは勝利を確信した。 「楽しかった〜。また行きたいな」 帰りの車の中でご機嫌な少女の言葉にアリオスは苦笑する。 「そのうちな」 「うん、素敵なアリオスいっぱい見られたのも嬉しかったの」 無邪気な笑顔でかわいいことを言ってくれる。 「あのね、ブレイクショットも好きだけど…後ろ手に打つやつ、あれも好き」 構造上どうしても打ちにくいパターンがあるわけで…そういう場合、専用器具を使ったり 左手に持ち替えたりする方法もあるが、彼は後ろ手に打つ方法を取った。 台に浅く腰掛けるようにして片足をかけ、背中越しに打つその姿は切り取って どこかにしまっておきたいくらいだった。 「…ところでアリオスは勝ったらなにを言うつもりだったの?」 お願いが思いつかず、いまだに考えているアンジェリークは参考にと彼に訊いた。 「決まってんだろ。"今夜は寝かさない"」 「……っ(///)」 アンジェリークはわざとらしく窓の外へと視線を向けた。 訊いた私がバカでした、と小さく溜め息をつく。 それでも家に着き車を停めた頃、アンジェリークは決めた、とアリオスに言った。 「あのね、花束もらって、遊びにも連れていってもらったんだけど… もうひとつもらってもいい?」 「ああ」 それが何かも聞かないうちからアリオスは頷いた。 勝負は勝負だ。男に二言はない。なんでもきいてやろう、という覚悟だった。 「…その…アリオスを、ちょうだい?」 「………」 見事なまでに赤く染まりながらアンジェリークは意外な『お願い』を言った。 「了解。朝まででも付き合うぜ?」 「それは遠慮する…」 にやりと笑う彼にアンジェリークはふいっと顔を背けた。 アリオスはそんな彼女の頬を優しく包み、振り向かせてキスを仕掛けた。 もちろんその後、部屋に帰るとキスの続きが待っていた。 「ばかぁ…朝まではいらないって言ってるのにぃ…」 「残りの分はバレンタインのお返しだ」 くっくと笑う彼を潤んだ瞳で睨む。 「いくら返しても足りないくらい愛してる…」 「アリオス…」 ここでそういう言葉を言ってくれるから彼には敵わない。 アンジェリークは結局、彼に付き合うこととなるのだった。 〜fin〜 |
今回は本当に自己満足なお話でした(笑) ビリヤード初めてやったら…ハマりました。 そして彼らにもやってもらおうと。 アリオス似合いそうだし。 ビリヤードの知識はあんまりないので 説明不足、間違ってたりしたらごめんなさい。 二人がビリヤードやってるという イメージだけ浮かべてください(笑) 作中のアンジェの行動は一部私の行動そのままです。 ブレイク直後にゲーム終わらせてしまいましたよ(笑) 落としておきながら言われるまで本人気付いてませんでした。 ラストのアンジェの『お願い』。このシリーズの アンジェでしかこれは言えませんね、きっと。 他の設定の彼女だったら絶対言ってくれないでしょう。 なんか下のハート… トロワのハートビートを思い出させる…。 見てると苦しくなりそう…(笑) |