I love you, you love me
「なぁー、アンジェリーク。 渡す奴の家で作るってのはどうかと思うんだけどな…」 家に帰るなり漂ってきた甘い匂いにゼフェルは眉を顰めつつ言った。 「だって…寮のキッチン混んでるんだもん…」 チョコレートを湯煎で溶かしていたアンジェリークは振り返る。 わざわざ手作りという危険行為に走らず、市販のチョコで勝負する少女も多いが、 心を込めて作る少女も少なくない。 故にこの時期、寮のキッチンは混雑している。 アンジェリークは作る量も多く、しかも全部同じもの、というわけにもいかないので ゼフェルにキッチンを貸してくれと頼んだのだ。 「それに今日はアリオス帰って来ないんでしょ?」 本命の彼に見られないのならばいいか、とアンジェリークは思ったのだが。 彼はしばらくロケにでかけていて明日帰ってくる予定である。 「出来あがるのに時間かかって泊まっちゃっても大丈夫。 作ったのばれないよ」 「ちょっと…待てっ。泊まる気かよ?」 「門限に間に合わなかったら、だけど」 ゼフェルをはじめとする甘いものが得意でない人用のお菓子と普通のチョコレート菓子。 そして一番力が入るアリオスへのプレゼント。 レシピを広げて説明するアンジェリークにゼフェルは額を押さえた。 学校が終わってまっすぐこちらに来たのは夕方。 そして夕食の準備もしてくれていて…。 終わるのは絶対門限を過ぎた頃だろう。 「どうしたの?」 きょとんと見つめる少女にゼフェルはしゃがみこんだまま呟いた。 「アリオスがいないのに泊まったなんて知れたら、 俺と2人っきりでいたなんてバレたら…ぜってー怒るぜ?」 この2人はどちらかといえばすでに家族のようなもの。 何も起きやしないがあの独占欲の強い男ならば…理屈抜きで機嫌が悪くなるだろう。 「まさかぁ。そこまで心狭くないよ、アリオスは」 「どうだかなぁ…」 無邪気に微笑む少女を見やり、ゼフェルは溜め息をついた。 そして、バレンタインデー、当日。 「ありがとー☆」 「ありがとうございます」 来月は期待しててね、とウインクするオリヴィエと丁寧にお礼を言うエルンストに アンジェリークは皆が愛する微笑みを浮かべた。 「お礼なんていいですよ。 ところでアリオスは…まだ、ですか?」 「もう戻ってきてもいい時間だと思うんですが」 アリオスのマネージャーであるエルンストが社長室の時計を見て首を傾げた。 マネージャーは複数の人数を受け持つことも珍しくない。 だが彼は少々珍しく、アリオスのマネージャー以外に、オリヴィエの秘書的役割もこなしていた。 ちなみに彼は現場にアリオスを届けてからすぐに帰り、そして今日は事務所で仕事をしていた。 「どーせ行く先々で女の子に捕まってんじゃないの?」 オリヴィエがティーカップを手に取りながら言った。 微かに機嫌の悪そうな表情にアンジェリークは『?』と思い、エルンストの方を見た。 「あのダンボール箱です」 部屋の端に積み上げられている箱を指してエルンストは彼女の問いに答えてやった。 「ファンから『彼』宛のチョコです。 確保していた置き場所に収まりきらず、こちらをお借りしました」 「社長の部屋を物置にするなんて失礼だと思わない?」 「あはは…そ…ですね…」 アンジェリークは乾いた笑いで頷くしかなかった。 結局あんまり社長室に長居しても邪魔になるだろう、と考えてアンジェリークは彼らに 伝言だけを頼んで部屋を出て来た。 その足ですぐ側のカティスの店に入っていく。 「こんにちは」 「やぁ、いらっしゃい。アンジェリーク」 ここは昼間は喫茶店をやっているので、今の時間はアンジェリークでも 躊躇わず入ることができた。 小さめの店内はいくつかのテーブルが埋まっている程度だった。 誰もいないカウンターへつき、アンジェリークは彼に可愛らしい包みを差し出した。 「カティスさん、これバレンタインのチョコレートです」 「ありがとう。俺ももらえるとは思わなかったよ」 「お世話になってますから」 にっこり笑う少女にカティスはオーダーをとった。 「何がいい?」 「えーと…ロイヤルミルクティーを」 手際よくお茶を入れるマスターを、じーっと見ている少女に話しかけた。 「そういえば、マルセルももらったって言ってたな…。ありがとう」 マルセルは学校に近いということでカティスのところに下宿している甥である。 「ふふ、すっごく喜んでもらえて…こっちまで嬉しくなっちゃいました」 ちなみにゼフェルには今朝、マンションで。 学校でもランディやマルセル、ルヴァ先生等の友人やお世話になっている人に配ってきている。 捕まえるのが大変なチャーリーやセイランには郵送で届けた。 本当は手渡ししたいところだが…。 彼女は残念に思ったのだが、もっと残念に思っているのは彼らの方であろう。 せっかく彼女からのプレゼントをもらえるチャンスなのに…。 「カティスさん…どれくらいもらいました?」 「なんだい? 突然…」 急にそんなことを尋ねられ、カティスは一瞬迷った。 本当の数を言うべきか…手頃な数字を言っておくか…。 何気にここのマスターはファンが多いのである。 迷っている間にアンジェリークが次の言葉を発してくれたので、結局は言わずにすんだのだが。 「アリオス…ダンボール箱いっぱいもらってるんですよ! ひとつのダンボール箱にいっぱいじゃないですよ。 たくさんのダンボール箱いっぱいなんです!」 国内外問わず、様々な年齢層から。 彼は世間に顔が売れてるし、人気も半端ではないから 仕方がないといえば仕方がないのだが…アンジェリークは心中穏やかではない。 「人気があるのはいいことなんですけど…でも…」 その表情を見て、ああこれが以前サラが言っていた彼女のやきもちか…。 確かに男ならこれはたまらないなぁ…とのんきに思い出しながら、カティスは苦笑した。 「別に気にする必要ないんじゃないかな?」 「……そ…ですか…?」 「だいたいどれだけもらおうと、彼は気にしないと思うよ。 唯一気にするのは君からもらえるものだけじゃないか?」 カティスの諭すような言葉にアンジェリークはぱっと頬を染めた。 それを見てから、湯気をたてるカップを彼女の前に置き、彼は包みを持ち上げた。 「それでは…さっそく開けさせてもらおうかな」 「どうぞ。あ、でも…味は自信ないかな」 カップを両手で持って微笑む少女にカティスはおや、と眉を上げた。 「料理は得意じゃなかったかい?」 「だって…カティスさんプロじゃないですか。 ここのケーキとかすっごくおいしいし…」 アンジェリークは比べられたらとても敵わない、と首を振った。 「これもおいしいよ」 アンジェリークの作ったトリュフをひとつ口に入れ、カティスはお世辞抜きで感想を述べた。 「本当ですか?」 少女はカウンターから身を乗り出して、輝いた表情を見せた。 「実は…アリオスの―――」 「ずいぶんと楽しそうだな」 後ろから聞き間違えようのない声が聞こえ、アンジェリークは振り向いた。 そこには肩にバラの花束を担いだ恋人がいた。 「アリオス…」 一枚の絵画、もしくは映画のワンシーンみたいで思わず見惚れてしまった。 アンジェリークは、なんで花束なんか持っているんだろう、と思うよりも先に どうして彼はバラの花背負ってるのが様になるんだろう、と思ってしまった。 なかなかそんな人はいないはず…である。 だからほんの少し、彼の声に不機嫌さが混じっていたのに最初は気付かなかった。 「俺がいなくても十分楽しそうだな」 「アリオス…?」 皮肉げな笑みに少女は首を傾げた。 どうして機嫌が悪いのだろう? 「あ…」 機嫌が悪い、というキーワードでアンジェリークは昨日のゼフェルとの会話を思い出した。 「なんで、昨日マンションに泊まったのバレちゃったの?」 「…んだと? 俺がいないのにか?」 さらに不機嫌度が増す様子を見て、言わなくても良かったことを言ってしまったのだと気付いた。 「あ…あれ…?」 彼女の天然ボケにカウンター内のカティスが苦笑した。 これ以上少女が墓穴を掘らないうちに答えを出してあげよう。 「アリオス…俺達ただ『仲良く』話してただけだぞ」 「え…それって…」 カティスとアリオスを交互に見つめて、アンジェリークは考えた。 アンジェリークは言われるまで気付いていなかった。 カウンター越しに会話している自分達がどれだけ打ち解けていて… 穏やかな2人の空気を作っていたかということに。 特にアリオスが来たあたりは、アンジェリークは瞳を輝かせ、話が盛り上っていた。 「ちょ…と待ってよぉ…それだけで…怒んないで?」 アンジェリークは困ったように独占欲の強い恋人に微笑んだ。 「それだけじゃないよな? 俺のいないマンションにも泊まったんだろ」 静かに微笑むアリオスの瞳が怖い…。 「キッチン貸してもらいたかったんだもん…」 「ああ、そうか…。じゃああとは」 「まだあるの〜」 「オリヴィエやエルンストが俺より先にお前から何かもらってんのはまだいい。 なんだってロケに同行してたオスカーが俺より先にもらってんだよ」 カメラマンである彼とは帰りは一緒ではなかったのだが…。 先程、社長室からアンジェリークの伝言を聞いて出たところ、 ちょうどオリヴィエに用事のあったオスカーに会ったのだ。 …自慢げにアンジェリークからプレゼントをもらったと聞かされた。 女性には多大な効果をもたらす彼の微笑は、当然アリオスには効かなかった。 むしろ、彼のイライラを促進させた。 ただでさえ、しばらくのアンジェ断ち(笑)でイラついているというのに。 「14日…ほら、オスカーさんって急がしそうじゃない…? だからその前後にでも暇な日ありますかって訊いたの」 会えそうもなければ、チャーリーやセイラン同様郵送、ということにするつもりだった。 「そしたらオスカーさん…ロケの帰りに学校寄ってってくれるって…」 『わざわざお嬢ちゃんに足を運ばせるのは悪いからな、俺が行くよ』 そう言ってわざわざ出向いてくれたのだ。 ちなみにオリヴィエの所に顔を出した後、夜のデートに行くらしい。 「…というわけなの」 説明し終えた後、アンジェリークは両手を腰に当てて、頬を膨らませた。 「でもっ、どうしてアリオスが妬くのよー! 妬きたいのはこっちなんだからっ。 アリオス、ホントにたくさんチョコもらってるし… あんなにいっぱいの人がアリオスのこと好きなのに…」 カティスに諭され落ち付いていたはずのもやもやが浮上してしまった。 「たくさんの人がアリオスのこと好きで…私より素敵な人もきっといっぱいいるはずで… 本当に私でいいのかな、て不安になっちゃうよっ」 いつもは見せないようにしている不安。 大人な彼に似合う、自分よりも素敵な女性が現れてしまうこと。 いつかその人のところへ行ってしまわないだろうか。 彼が自分を愛してくれているのは信じているけれど。 信じさせてくれるけれど。 それは『今』の話。 いつかの『未来』までは自信が持てない。 「私がアリオスのことずっと好きでいるのは自信持てるけど… アリオスがどうなるかなんてわかんないもん…」 「………」 さらりとすごい告白をされ、アリオスは不覚にもすぐに言葉が見つからなかった。 「その花も…もらったの?」 「…んなわけねぇだろ」 アリオスは苛立たしげに息を吐くとアンジェリークの細い腕を掴んだ。 「とりあえず行くぞ。 店んなかでいつまでも痴話ゲンカやる趣味はねぇんだよ」 「あ、え…待って。 まだお金払ってないの…ってそれよりまだ全部飲んでないの〜」 この状況でずいぶんとのんびりしたことを言う少女に、カティスは 今度来た時に改めて奢ってあげるから、と手を振った。 「カティス、うるさくして悪かったな」 ひとこと残してアリオスは少女を連れて出て行った。 店の前に停めてあった車に乗り、アンジェリークは頭を整理しつつ思い切って言った。 「え、とね…。私はアリオスが好き。 これだけじゃダメ?」 まだ怒ってる?と訊く少女が可愛くて機嫌の悪い表情はもはや保てなくなってしまった。 アリオスはふっと笑った。 「だから他の人と仲良くしてても怒る必要ないの…」 「それはお前にも言えるぜ」 「?」 「俺にどれだけファンがいようと関係ない。 お前だけだ」 「私は…アリオスみたいに怒ったりしないもん。 今日はアリオスにつられて怒っちゃったけど」 「俺のせいかよ」 「アリオス、すぐ怒るから」 アンジェリークはくすりと笑った。 彼は独占欲故に…。 彼女は不安故に…。 確かにお互いを信じているが気持ちは揺れる。 だから、素直に言葉に直して伝える。 言葉だけじゃ足りないから触れる。 「これで仲直りだ」 優しい手で彼女の頬を包み、久しぶりのキスを贈った。 「ん、わかった」 そして、微笑む少女に花束を渡した。 「え?」 「お前のだ」 「…?」 なぜ自分がもらえるのか分からない少女は首を傾げた。 「俺がロケに行ってた国ではな、14日、男からも花とプレゼントを贈るんだと」 「そうなの?」 真紅のバラの花束を嬉しそうに抱きしめる彼女を見ながら微笑んだ。 「女に贈るならやっぱバラだろ」 彼女にはもっと清楚で可憐なものも似合うと思うが…。 こういう時に渡すならこちらだろう。 「花言葉…知ってるか?」 「なんていうの?」 「まぁ…後で調べろよ」 「で、こっちがプレゼントだ」 アリオスは小さな箱を差し出した。有名ブランドだと包みで分かる。 そういえばアリオスが行った場所は本店があったな、と思い出した。 中はたぶんアクセサリーだろうという予想の通り、可愛らしい 淡い色彩の貴石が入ったリングだった。 「わぁ…」 いつものように中指にはめようとするが入らない。 「アリオス…サイズ間違えた?」 せっかくもらったのにごめんなさい、と情けなさそうな顔をする少女が可愛くて、 ハンドルに突っ伏して笑ってしまった。 「ばーか、俺がそんなミスするかよ。 お前が間違えてんだ」 貸してみろ、とアリオスに言われアンジェリークは素直に渡した。 そして彼はアンジェリークの薬指にはめてやった。 「ぴったりだろ」 「…どうして知ってるの? 私自分でもサイズ知らないのに」 「お前のことは誰よりも知ってんだよ」 「………(///)」 「本物を贈るまではそれにしとけ」 「婚約指輪の予約リング?」 頬を染めてクスクスと笑う少女の肩を抱き寄せた。 「これが証拠のひとつにならないか?」 「?」 「俺の未来の気持ち」 「アリオス…」 未来のことなんて何一つ確かじゃないけれど…。 どんなに言葉で言っても不安にさせてしまう時もあるけれど…。 「不安になって…俺が傍にいてやれないときはこれを見ろ。 俺はこの先ずっとお前の横にいる。その誓いだ」 「アリオス…ありがとう、大好き」 車を走らせ始めたアリオスにアンジェリークは話しかけた。 「昨日ね、アリオス用にケーキ作ったんだ。たぶん味は保証できると思う」 「へぇ」 「アリオスが来た時カティスさんとその話してたんだけど…。 トリュフはOK出たから」 アンジェリークが彼用に作ったのはトリュフが入った小さなパウンドケーキだった。 バレンタインに合わせてココア生地で、外はチョコレートクリームでデコレーションして。 「…なんだか私のほうがもらっちゃった気がするけどね」 花束を抱えて苦笑するアンジェリークを横目に、アリオスはハンドルを切る。 「気にすんな、うちに帰ったらちゃんともらうから」 「うん。すぐにケーキ切って、お茶淹れるね」 さっきカティスさんのロイヤルミルクティー飲み損なっちゃったし…。 彼がにやりと笑って言ったセリフの含まれた意味に気付かず、アンジェリークはのんびりと マスターの美味しいお茶に思いを馳せていた。 一方、そのマスターは仕事の休憩に来ていたオリヴィエとエルンストと一緒に話していた。 「やっぱりあれは欲求不満かな」 「でしょーねー」 「まぁ…確かに…。 離れていた日数を考えると…妥当でしょうね…」 あえてそれ以上口に出すことはなかったが、 3人、それぞれの胸中でアンジェリークに同情していた。 今夜は大変だろうな…と。 〜fin〜 |
日付けにして3日間の遅刻…! リクエストで欧米版のバレンタインも読んでみたいと ありまして書いてしまいました…。 遅刻しましたが(笑) この設定はみなさんに好評なので やっぱりこの2人のバレンタインも書いたほうがいいかな、と。 バレンタイン創作第1弾ではアンジェ余裕 があったので、こっちで妬いてもらいました。 しかし…なぜかアリオスさんまで妬いてるし…。 まったくいつもいつも読めない人です。 また勝手に動いてしまいました。 きっとあの後、アンジェも大変だったでしょうが ゼフェルも気の毒なことになったんでしょうね(笑) バレたから…。 |