ピンポーン、と高い音で鳴るチャイムでゼフェルは目を覚ました。
ベッド脇に置いてある時計は10時をいくらかまわったところ。今日は日曜日。
せっかくの休日なので寝坊しようとアラームは11時にセットしていた。
「…ったく、誰だよ。
こんな朝っぱらから……」
とても朝っぱらと言える時間ではないが、予定より早く起こされたため
少々不機嫌になりながらベッドから出て行く。
一緒に住んでいる兄は起きやしないだろう、と分かっているので自分が出るしかないのだ。
間を置いて2度目のチャイムが鳴りかけたところでゼフェルはドアを開けた。
「はいはい、待たせたな…と、アンジェリーク?」
ドアの向こうにいたのは栗色の髪に、海色の瞳をした少女。
はた目にもお洒落してきたな、とわかる格好で立っていた。
いつもとはちょっと違うそのスタイルが似合っているのは珍しく大人っぽい口紅のせいだろうか?
「あ、おはよう。ゼフェル。
……アリオスは?」
見られたのが気になったのか口もとに手をあて、アンジェリークはゼフェルの兄の名を出す。
「あ?
まだ寝てると思うけど…」
「もぉ、やっぱり…。
本当に寝てるんだから……」
彼女が来た理由がわかり、ゼフェルはとりあえずあがれよ、と言うしかなかった。 「何時に約束したんだ?」
「9時30分。起こして文句言わなきゃ」
そんな言葉とは裏腹にアンジェリークの表情は柔らかい。
「でもわざわざ来なくてもTELすりゃ良かったんじゃね―の?」
「んー、だって…家に電話するとゼフェル起こしちゃうでしょ?」
ゼフェルの生活リズムを知っているアンジェリークは当然のように言う。
「アリオスの携帯はねぇ、寝てる時はかけても無駄だから。
電源切ってるか、ついてても音鳴らないようにして出ないから、
留守電にしかつながんないの」
経験済みと言わんばかりの口調である。
「だから直接来ちゃった。
結局ゼフェル起こしちゃったね、ごめんなさい」
「別にいーけどよ。おめーこそご苦労なことだな」
理由を知れば起きた時の不機嫌さもとんでいた。
というよりも来訪者が彼女であるとわかった時にすでに機嫌は直っていた。
「わりィのはアリオスだもんな」
「そんなことないよ」
すかさずアンジェリークは否定する。
おや、という顔でゼフェルが見ると、アンジェリークは笑って言った。
「だってアリオス帰ってきたの遅かったでしょ。
私寝る前に電話で話してたけど、その時まだ仕事終わってなくて、
明け方家に着くと思うって言ってたもの」
だから、待ち合わせ時間を遅らせようかと提案したのだが、アリオスは起きられたら行く、
もし少し経っても来なかったらマンションに来ればいいと言ったのだ。
そのため待ち合わせ場所はアリオスのマンションからすぐの駅前だった。
「というわけで…まぁ一応予定通りの行動だから別にいいの」
「予定通り…ね。んでこれからどーすんだ?」
ずいぶん適当な予定だな、と思いつつ、じゃあその後はどうなってんだ?
とも思ったので聞いてみた。
「えっと。早く会えてたらそこから朝一の映画観に行って、その後ごはん食べたりショッピング。
でもそれダメになったから…ここで支度するの待って、ショッピングとかして、
人の少なそうな最後の回の映画観に行く」
「……極端だな」
「映画はできるだけ人少ない時間にしたかったからね」
「顔が売れてると面倒だよなぁ」
アリオスは仕事上、世間に顔が知られている。
ショッピングなど動き回れるものならいいが、
映画館のように2時間近くじっとしている所では気を使う。
「たかがデートで苦労すんだもんな。
結局お前迎えに来させるし」
「いいのよ、そんなの。
いつもは車で迎えに来てくれるし…それにせっかく1ヶ月ぶりのデートなんだもん、
待ち合わせ時間遅らせて一緒にいる時間減らすよりは、
こっちの方がずっといいじゃない?
それに…来なかったらここに来る、て保険があったから
アリオス安心して寝てるんだと思うし」
そういって微笑む彼女はとてもかわいくて、綺麗で、輝いていて…
あのルックスだけは良くて性格悪魔の兄にはもったいない、と思うゼフェルであった。
そして自分もこんな彼女がほしいなぁ、と思うのだ。
アリオスを起こしに行くアンジェリークの後ろ姿を見ながらゼフェルはつくづくそう感じた。
それなのに何故、アンジェリークをアリオスと奪り合おうという気にならないのかというと…。
「アリオスっ。起きてよ」
遠慮なく揺さぶるアンジェリークの姿が見える。
もしこれを自分がやったら、間違いなく殴られている。
彼女の場合はどうなのだろう、と一応気を使って部屋の外から見守る。
「アリオスってば…」
「……と少し…」
珍しく寝起きの悪い彼の声と表情にどきりとする。
そして、疲れているなら起こしてはいけないのかも、とも思ってしまう。
「もー…アリオスぅ…」
アンジェリークの困った顔と声。彼女の手が止まった瞬間、アリオスは彼女を抱き寄せた。
「きゃあっ」
アンジェリークはそのままキスしようとするアリオスを必死でくいとめる。
「待っ……ゼフェルが…」
「茶ぁいれてくるわ。コーヒーでいいか?」
「う、うん…ごめんね」
「さっさと行け」
顔を真っ赤にして頷くアンジェリークと、彼女を抱いたまま涼しい顔して冷たいセリフを言う
アリオスを部屋に残して、ゼフェルはミネラルウォーターを飲みながらコーヒーの準備を始めた。
「ずるい…寝たフリなんかして」
「いやならやめてやるけど?」
「う…ヤじゃ…ないけど…」
「クッ。素直じゃねぇなぁ」
「素直なだけじゃつまらない、て前言ってなかったっけ」
「さぁな。口の減らない奴だな」
言い返そうとしたアンジェリークの口唇を自らのそれで塞ぐ。
「…ん……」
「悪かったな。結局お前を来させて…」
そしてアリオスはお詫び代わりにもう一度キスをした。
(だーかーら、ドア閉めてやれよ、バカップルが…。丸聞こえなんだよ)
キッチンでゼフェルは赤くなりながら諦めのため息をつく。
つまり、何故、アリオスからアンジェリークをとってしまおう、と思わないのかというと
彼らが傍から見て付け入るスキの全くないカップルだからである。
(付け入るスキがない、ていうか…そんな気おきねーんだよな)
幸せそうな二人を見ていると自分まで嬉しくなる、そんな感じがするのだ。
しばらくしてキッチンにやってきたアンジェリークにコーヒーを渡す。
「ありがと。お礼に朝ごはんつくってくね」
彼女の顔は来た時以上に明るい。
こんなふうにできるのはアリオスだけだと確信できる。
「気にすんなって。早くデート行っていいぞ」
「ううん。やっぱり朝はちゃんと食べないとでしょ」
と、しっかりした奥さんになれそうなことを言う。
「んじゃ頼むぜ」
「うん」
冷蔵庫にある物で簡単な朝食を二人分作り、それを片付けた頃には12時近くになっていた。
「お前の今日の予定は?」
「あー、もう少ししたらダチんとこ行くけど。
なんだったらそのまま泊まってこようか?」
「バカ」
玄関でそんなことを話していると、靴を履き終えたアンジェリークがあーっと声をあげた。
彼女は玄関に置いてあった鏡を見ていた。
「リップ落ちちゃってる」
慌ててバッグから取り出す。
「そりゃ落ちるようなコトしたからだろうが」
「な、あれは…アリオスが…」
「ほら、さっさとしろよ」
「アリオスが話しかけるからできないんでしょお?」
「あー、もー、貸せ。やってやる」
アリオスは彼女からリップを奪う。
「ほら、上向け。少し口開いて」
「え…うん」
その光景はそこら辺のキスシーンよりもよっぽど色っぽくて、ゼフェルは固まってしまった。
「これ、速攻で落としたのは、そこで突っ立てる奴に見せたくなかったんだよ」
「え…」
「動くな」
は―い、とアンジェリークはおとなしく従う。
解放されてからアンジェリークはゼフェルに説明を付け足した。
「あのね、このリップアリオスが誕生日にくれたの。
私こんな大人っぽい色買う勇気なかったしね」
確かにいつもはもっとかわいい感じのピンクだったな、とゼフェルは思いだし頷いた。
「アリオス以外の男の人の前ではつけるな、て忠告つきで」
いかにもアリオスが言いそうなことだな、と再度頷く。
「それ、今日初めてつけたのよ」
またうん、と頷きそうになって、え、ちょっと待て、と思い止まる。
「おめーの誕生日から一月近く経ってんぞ!?」
「そういうこと。せっかくの久しぶりのデートで、しかもちょっとした約束つきのお洒落、
1番最初に見たのゼフェルだったから、アリオスちょっとむーってなっちゃったのよ」
「そこまで話してやる必要ないだろーが」
「なんだよ。俺ヤツアタリされてただけかよ?
もとは起きねーアリオスが悪いのに!」
いつにもまして扱いがぞんざいだったのはそういうことだったのだ。
「アンジェリーク。
こんな性悪男、早いとこ見捨てちまえっ」
「それはないな。こいつは俺に惚れてるからな」
「アリオスってば…」
アリオスは見せつけるようにアンジェリークの頬にキスをする。
「あー、もう! 外でそんなバカップル振り披露すんなよ?
さっさと行ってこいっ」
幸せそうな二人を送り出して、ゼフェルはさぁてと伸びをする。
「俺は俺で遊びに行くか」
遊び相手は男ばかりなのが寂しいとこだが。
「俺も早いとこ彼女見つけよ」
一方、アリオスとアンジェリークは―――――
目的地に着き、車から降りようとしてアンジェリークがまた声をあげる。
「またリップ落ちちゃってるっ。アリオス、口紅ついてるっ!」
「俺の隣でぐーすか寝てるからだぜ」
素知らぬ顔でアリオスは答えた。
「も、も〜……アリオスっ!」
「今度は落ちないやつにするか」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ(///)」
アンジェリークは言い返すことばも出てこない。
こうして久しぶりのデートはにぎやかに始まった。
〜fin〜
|