治らぬ病



アンジェリークは授業の終了を告げるチャイムが鳴り終わると同時に立ち上がった。
「ゼフェル。ちょっといい?」
机に行儀悪く突っ伏している彼の顔を覗き込む。
「ぅわっ。…なんだよ?」
突然のアップにゼフェルは飛び退る。
そんな彼にはおかまいなしにアンジェリークは彼の額に手を乗せた。
「やっぱり…」
アンジェリークは呆れたように呟いた。
「ゼフェル、熱あるじゃない」
どうして普段サボろうとするくせに、休養が必要な時には休もうとしないのだろう、と。
「あー…これくらい平気だって」
「だーめ。保健室行くよ?」
有無を言わせずアンジェリークは親友のレイチェルと一緒に
ゼフェルを強制的に連れていった。



「ディア先生ー」
レイチェルが元気に保健室のドアを開ける。
「あら、いらっしゃい。どうしたの?」
とても保健室のお世話にはならないような彼女にディアは問いかけた。
「私じゃなくて、こっちなんです」
後ろからふらふらと入ってきたゼフェルを指してレイチェルは言った。
「あらあら…」
明らかに足元のおぼつかない彼をアンジェリークが連れて来ている。
「とりあえずベッドに寝て…。
 熱を計りましょう」
「たぶんすごく高いです。
 かなり熱いもの…」
心配そうな顔でアンジェリークが答える。案の定、彼の熱は高かった。
「三十九度〜?
 よく授業中平気だったね」
「レイチェル…平気じゃなかったよ…。
 ずいぶんだるそうだったじゃない」
アンジェリークが溜め息をつく。
「もう、具合悪いなら悪いって言ってくれればいいのに」
「変なトコで強がりだからねぇ…」
「うるせー…」
ゼフェルは枕元で繰り広げられる会話に弱々しくも抗議する。
しかしレイチェルはいつものことながら、アンジェリークも病人には厳しかった。
「我慢するとこ間違ってるよ?
 心配するじゃない」
「………教室戻れよ。授業始まるぞ」
「わーかってるよ。行こ、アンジェ」
「うん」
アンジェリークはレイチェルに頷き返した後、ディアに言った。
「放課後までよろしくお願いします。今帰っても家には誰もいないし…。
 ゼフェルだけだとなんにもしなさそうで心配だし」
確か今日は、ゼフェルの兄でアンジェリークの恋人でもあるアリオスは
夜遅くの帰宅か明け方の帰宅になる予定である。
ある程度ゼフェルの性格と恋人のスケジュールを把握している少女は
彼の拘束をお願いした。
「分かったわ」
こうして本人の意思は無視して彼の処遇が決まったのである。

そして、放課後アンジェリークはゼフェルを連れてマンションへと帰ることとなった。
「状況によっては泊まりかも…」
彼の具合が良くなっているようだったら、もしくはアリオスが早く帰ってきたら戻るから、
とレイチェルに言う。
「OK。寮にはうまく言っとくよ」
「うん、お願いします」




帰ってすぐベッドに潜らせ、氷枕を作る。
「これで良し、と。…何か食べられそう?」
そろそろ夕暮れ時、夕食を作る時間なのでアンジェリークはアリオスの部屋に置いてある
彼女専用のエプロンを持ってきながら問いかけた。
「…ああ」
「ちゃんと食べてお薬飲まないとね。
 おかゆかな、おうどんあったっけ…」
「アンジェリーク」
ぶつぶつと献立を考えながらキッチンへ行こうとする少女にゼフェルは声をかけた。
「悪ぃな…」
「もう、当たり前のことじゃない。
 それにこういう時はありがとう、の一言でいいのよ?」
ふわりと笑う彼女の笑顔を見て、ゼフェルはすぐに眠りについた。


ゼフェルはキッチンから漂ってくる良い匂いに目を覚ました。
眠りが深かったのか大分寝た気がするが、それほど時間は経っていなかった。
額の上の濡れたタオルをどかし、いつの間にか枕元に置かれていた
スポーツドリンクを一口飲んで呟いた。
「少しは楽になったみてぇだな…」
頭が重いのは相変わらずだが、少しだけ意識がクリアになっている。
そこへ小さなノックの音と共に声が聞こえた。
「…起きてる?」
「ああ」
「じゃあ、今持ってくるね」

「ふと思ったんだけどね…」
「ん?」
兄と違っていろんな物が置かれている部屋の椅子に座ってアンジェリークが話しかけた。
ゼフェルは熱いおかゆを冷ましながら食べている。
「私がでしゃばらずに『アンジェリーク』を呼んだ方が良かったかな…?」
「っ!」
不意打ちのそのセリフにゼフェルはむせた。
彼女の言うアンジェリークとは金の髪のアンジェリークである。
仲は良い方だが、現在友達以上恋人未満の状態である。
こっちの方面では兄とは正反対な彼はこの状態がずいぶんと長く続いていた。
「だ、大丈夫?」
「ンだよ、いきなり…」
「え、だって…ほら、…ねぇ」
頬を染めて答にならない答を返すアンジェリークにつられてゼフェルまで赤面する。
「くだんねーことに気ぃ使うなよ」
自分よりもあの少女の方が適役なのでは、と
思いを巡らすアンジェリークにゼフェルは言った。
「んー、アンジェリークに看病してもらった方が嬉しいんじゃないかな…てね」
「あいつにこんなとこ見られたくねぇな…」
「そう?」
弱ってる自分を見せたくないという意地っ張りなところが彼らしい。
これがアリオスならば、ここぞとばかりにわがままを言うことだろう。
そして自分はきっとそんなわがままを喜んできいてしまうのだろうなぁ、と思う。
容易に想像できてしまい、くすりとアンジェリークは微笑んだ。
「私には見られても平気なんだ?」
「だってもうお前は家族みたいなもんだもんな」
「ふふ、ママ?
 それともお姉ちゃん?」
くすくすと笑って食べさせてあげようか、と言う少女に言い返してやる。
「未来の義姉だろ?」
途端にアンジェリークの方が真っ赤になる。
「なっ…ゼ、ゼフェルっ?」
「照れんなよ」
形成逆転、とばかりにゼフェルがにやりと笑う。
「〜〜〜っ」
赤い両頬を押さえて睨むアンジェリークは何か言い返せないかと考える。
兄にも弟にも言い返せないなんて…やはり似た者兄弟だ、と思いながら。
「…分かった。じゃあ、お義姉さんが食べさせてあげるね」
「い、いいっ。いらねーよ!」
反撃とばかりにアンジェリークはにっこりと微笑んだ。
「遠慮しなくていいのよ?」



「ずいぶんと楽しそうだな?」
おかゆが乗ったトレイを挟んだ実に静かな攻防戦を止めたのは
心地良く響くテノールの声だった。
いつのまにか帰宅していた彼はゼフェルの部屋の戸口に立っていた。
攻防戦に負けてスプーンを銜えていたゼフェルが固まる。
アンジェリークが持っていなければ布団の上に落としていただろう。
「あ、アリオス。お帰りなさーい」
そのアンジェリークは帰ってきた恋人の不機嫌オーラに気付かず嬉しそうに笑う。
「いったいどうしたんだ?」
今日は来ないはずの少女がいるのは嬉しいが、弟とじゃれているのは楽しくない。
「見ての通りよ。ゼフェルすごい熱があってね。
 看病してたの」
「風邪ひいてるにしちゃあ元気そうだな」
「あ、ああ…。おかげで大分良くなったからな」
どことなくぴきぴきと緊迫している彼の空気に遅まきながら気付いた少女は
腰に手を当てて、アリオスに言う。
「今日はゼフェル、病人なんだから。特別なのっ」
だから怒っちゃダメ、と独占欲の強い彼に忠告する。
「わかってるよ」
「本当ね?」
念を押してからアンジェリークは食事が終わったから薬持ってくる、と部屋を出た。


「で? 具合はどうだ?」
「あー…大分楽になった。後は寝てれば治るだろ…」
かけられた言葉は意外にも優しげなものだった。
「あいつがああ言うからな。今回は見逃してやるよ」
アリオスはアンジェリークがさっきまで座ってた椅子に腰掛け、長い足を組んだ。
「俺の女に看病させたんだ。さっさと良くなれよ?」
その言葉に脅迫めいたものを感じるのは気のせいだろうか…。
早く良くなれという彼の言葉を好意的に受け止めるべきだろうか…。


「ゼフェル? どうしたの?」
戻ってきたアンジェリークは首を傾げながら薬を渡した。
「これ飲んでゆっくり休んでね」
「…ああ。サンキュ」





彼を寝かせるため、部屋を出てアンジェリークはアリオスに尋ねた。
「ごはん食べてきた?」
「いや、まだだ」
「よかった…。一応ね、アリオスの分も作っておいたの。
 私もまだ食べてないから一緒に食べよ?」
その可愛らしい笑顔にアリオスの機嫌が一気に直ったのは言うまでもないだろう。


アンジェリーク特製のシチューやサラダ等をテーブルに並べ、
彼女が席につくのを待ってから二人一緒に食べ始める。
「そう言えば…俺はお前に食べさせてもらったことねぇぞ」
突然の話題にアンジェリークはスプーンを落としそうになる。
そして…やはりさっきのあれが気になってたんだな、と思った。
「だって…恥ずかしいじゃない」
ゼフェルの場合は単なる遊びのような、仕返しのような感覚だったから平気だったが…。
「ゼフェルと違ってアリオスだと照れちゃうよ…」
「どうしてだよ?」
普通逆じゃねぇか?と首を傾げる彼にアンジェリークは言った。
「どうしてもっ」
特別な人だからこそ照れくさくてできない、などとは言えなかった。
それでもそんな風に気にする彼がなんだか可愛く思えて宥めるように付け足した。
「…アリオスが寝込んだらしてあげるから」
赤くなりながらも約束してくれる彼女を見てふっと笑う。
「楽しみにしてるぜ」
「バカ…。私はアリオスに元気でいてほしいわ」
「…ああ、そうだな。健康でなきゃできねぇもんな」
「へ?」
「今日泊まってくだろ?」
彼の言わんとしてるところをようやく察し、アンジェリークは明らかにうろたえる。
「ダメだよっ。だってゼフェル…病人が寝てるのよ?」
「カゼ薬飲んでんだろ?
 起きやしねぇよ」
「だからってダメだよぉ…」
「あいにく今夜は逃がす気ねぇんだよ」
なんだったら外へ行ってもかまわないぜ、と不敵に笑う。
この男ならば本当にそんな理由でスイートルームくらい取りかねない。
「……………」
真っ直ぐ見つめられてそんなことを言われて…それでも拒める人がいるなら
ぜひお目にかかりたい、そうアンジェリークは思った。
「今夜はって…いつも逃がしてくれないじゃない…」
ぷいっと顔を背けて、どうしようどうしよう、とぐるぐる考える。
そんな様子でさえ、彼を楽しませていることに彼女本人は気付いていない。
「大丈夫。気付かれねぇよ」
「だって…声、聞こえちゃったら…」
たとえ薬の副作用でぐっすり眠っていようとそういう心配もあって…。
「安心しろ。俺が口塞いどいてやる」
「っ!」
さらりとすごいことを言われてアンジェリークは硬直する。
「…アリオスのバカ」







翌明け方ごろ、ゼフェルはすっきりと目を覚ました。
昨日のアンジェリークの看病のおかげか、体調は良くなったようである。
「シャワー浴びて…学校行けるな」
ゼフェルがバスルームに入ろうとしたところ、そのドアが開きアリオスが出てきた。
「アリオス…珍しく早いじゃねぇか」
「今から寝るんだよ」
「…あ、そ」
アリオスの濡れた髪を拭きながらの答えにゼフェルは頷く。
自分も明け方まで起きてるのはよくあることだ。
「もう大丈夫なのか?」
「ああ。学校行ってくる」
自分を気遣う言葉に珍しいな、と思いつつゼフェルは頷いた。
「そうか、ちょうど良かった。
 今日はあいつ遅刻か休みだって伝えといてくれ」
「…風邪移しちまったか?」
「いや、あいつもさっき眠ったところなんでな」
「!!
 信じらんねぇ…」
俺が起きたらどうする気だったんだとか、
学校があるというのに寝かさないのはどうかとか、
どうせ強引にコトを運んだんだろうとか…言いたいことは山ほどあった。
さっきは自分も明け方まで起きてることがあるなぁ、と共感というか理解していたが
兄のこの真似だけは絶対できない、しないと思った。
うっすらと頬を染めて非難めいた視線を送る純情な少年に対抗してアリオスは微笑んだ。
「お前だけいい思いしてんのは許せねぇんだよ」
「………」
その微笑みはとてもとても怖かった。




「あれぇ、アナタだけ?」
教室に入ってきたゼフェルを見つけたレイチェルは不思議そうに尋ねた。
「あー…俺は治ったんだけど…。ちょっと、な」
「なに?
 今度はアリオスに移ってまた看病してるとか?」
「…まぁ、そんなもんかな」
本当のことはとてもレイチェルには言えないから曖昧に答えておいた。
(あながちウソってわけでもないし…いいか)
兄はどんな名医でも治せない病にかかっている。
唯一の特効薬の名はアンジェリーク、である。



 後日談
  ゼフェルは兄の恋人にしっかり看病してもらったということで
  治ってからの兄の報復を覚悟していたらしい。
  当の本人は少女に言われた通り、今回だけは見逃すことにしていたのだが…。
  アリオスの日頃の行いが悪いせいだろう…。
  しばらくゼフェルは無駄に緊張する日々が続いたとか。


                                     〜 fin 〜

                           初出 2001.07.10発行 『Sweet Memory』



昔の作品をUPするっていろんな意味で
羞恥プレイな気がします(笑)
書き直したいところが色々と…。
でも、それやるとキリなくなりそうですね。

楽しんでいただければ、嬉しいです。




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