矛盾のない倫理規範は可能か

「人を殺してはいけない」という倫理命題Aが真であるとします。殺人犯人はこの倫理命題Aに違反したので、悪です。しかし、犯人も人ですから、死刑にすることは倫理命題Aに違反するので、死刑にするべきではありません。

 さて、テロリストが人質をとって立て籠っているとします。テロリストを狙撃して射殺すれば人質を救うことができますが、それは倫理命題Aに違反します。射殺しないでいるうちに、テロリストは人質を殺してしまいました。このとき、射殺しなかったことは倫理命題Aに違反していないでしょうか。

 まあ、これは意地の悪い問題なので、いくらでも反論が可能でしょう。ここで言いたいのは、矛盾のない倫理規範を組み立てるのはけっこう難しいということです。これは「あちら立てればこちらが立たず」という言い方で日常生活によく現われる、倫理的な問題の一つです。

 ところで、今言ったことをすぐに覆えすようですが、まったく矛盾のない倫理規範を作ることは、実は簡単です。

「すべて尊師のおっしゃるとおりにする」

 この規則一つだけで成り立つ倫理規範はまったく矛盾を含みません。この倫理規範に従っていれば、人は自分の行動についてまったく悩む必要がなくなります。

 私は差し当たりこの倫理規範について、その善悪を論じることはしません。ただ、ここで一つ指摘したいことがあります。それはこの倫理規範が「弱い」ということです。

 一見、あらゆる反対意見を一蹴できるこの倫理規範は非常に「強い」ものに思われる可能性があります。しかし実際にはこの倫理規範はごく限定された機能しか発揮できません。それは日常生活のあらゆる局面で「尊師」が判断を授けてくれるわけにはいかないからです。

 この倫理規範を持っている(と自分で思い込んでいる)人は、現実には自分が意識していない常識的な倫理規範に従って生活しながら、指示された部分についてだけ「尊師」に従う、あるいは迷ったときに「尊師」の判断を仰ぐ、その判断を授けてもらえないときは、「尊師」の代理の者に従う、それも得られないときは「尊師」の判断を憶測して代用する、そのようなことをするだろうと思います。

 物理学の理論でも、広い範囲の現象を矛盾なく説明できる理論が優れているとされるわけで、そういう道具としての強力さも、倫理規範それ自体の価値を論じる際の一つの指標になるのではないかと思います。


部屋に戻る 次へ進む