1 「ビビデバビデブ」
「アンジェ、どうしても頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
いつに泣く低姿勢な親友を訝しげに思いながら、アンジェリークはコクリと頷いた。
「よかった! あのね、土曜日の晩から、"クイーンズ・ロイヤル”で、親善ダンス・パーティがあるんだけど、ワタシの代わりに行ってくれない?」
早口でまくし立て、勢いで否が応でも賛成させようと、レイチェルは躍起になる。
「そんな"クイーンズ・ロイヤル”に入れるような服なんて持ってないし」
アンジェリークは栗色の髪をサラリと揺らしながら、頭(かぶり)を振った。
"クィーンズ・ロイヤル・ホテル”といえば、世界一のサーヴィスを売りにしている最高級のホテルで、平服での出入りの許されないところとしても知られていた。
そんな場所に、苦学生の身分の自分がいけるはずがないとアンジェリークは思う。
「大丈夫! これ、バイトだから!」
「へ?」
ウィンクと微笑をくれた親友の言葉に、思わず耳を欹てる。両親を亡くして、何とかその僅かな遺産とバイト代で慎ましく生活をしているアンジェリークにとっては、少し魅力的な話に映った。
「ね、それホント?」
アンジェリークの期待に満ちた表情に、レイチェルは苦笑する。
「うん。ワタシのパパが受けてきたバイトで、来場者の方々に"パンフレット”を渡す仕事なの。それが終われば、後は自由行動。帰ってもいいし、テーブルにあるごちそうだって、食べていいらしいの。ま、節度は弁えないといけないけど。なんだったら、有名企業の御曹司とか、オーナーさんも沢山来るらしいから、逆ナンパとかもいいけど☆」
レイチェルの言う通りであるならば、これはかなり美味しいアルバイトかもしれないと、アンジェリークは思った。逆ナンパはともかく、夕食にありつけるかもしれない。最早、身寄りがなく、学生用の自炊の寮で暮らしてる彼女にとって、これは大きかった。
「ホントにそんなのでいいの?」
「うん。実のところ言えばね、良家の娘さんたちと名門企業の御曹司やエリートの顔見せみたいなものらしいの」
「そんなところだったら、レイチェルが行ったほうがいいじゃない」
彼女の表情から期待が見る見るうちに萎縮していくのが、レイチェルにも判り、慌てる。
「違うの! ワタシは数合わせだもん。今回この仕事に欠員が出て、パパが頼まれたらしいの。ワタシが無理だといったら、アンジェちゃんに行ってもらえって行ったからよ」
「ホント?」
「うん! 大事なアナタに嘘吐く訳ないじゃん」
再びアンジェリークの表情が明るくなり、レイチェルはほっと胸を撫で下ろす。
「日給で1万円。出席するときのドレスは、皆お揃いのものを支給されるから安心して。午後5時にホテルに集合で、仕事自体は、7時から8時まで。どう?」
レイチェルが出してくる条件は申し分なく、断る理由はどこにも見当たらない。それどころか、感謝して余りある内容だ。
「判った、受ける」
一も二もなく、アンジェリークはしっかりと頷いた。
「有難う〜、これでエルンストとデートが出来る〜」
レイチェルの顔は満面、笑顔に覆われ、思わずアンジェリークの華奢な肩に抱きつく。
「ううん、こっちこそ有難う!!」
アンジェリーク花のような笑顔を彼女に返した。、
本当のところ用事など特にないのだが、楽で実入りのいいバイトに行ってもらうことで、彼女の経済的負担を軽くしてあげたかったのだ。これはレイチェルの父も同じで、最初からアンジェリークに行かせる為に、わざわざ娘の名前を使ってこの仕事を取ってきたのだ。
そんなこととは知らなかったが、アンジェリークは、このような仕事をもってきてくれた親友に感謝していた。
「これ、詳細ね」
レイチェルから封筒を貰い、アンジェリークはそれを大事そうに受け取ると、もう一度感謝を込めて、親友に言う。
「本当にどうも有難う!!」
「こちらこそ、よろしくね!!」
この封筒が、アンジェリークにとって、シンデレラの"魔法使いのおばあさん”と同じ力を持っているとは、誰も知らない----
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2 「眠れる森の天使」
"クィーン・ロイヤル・ホテル”での、"親善ダンスパーティ”の日がやってきた。
アンジェリークは、学校が終了後、めまぐるしいスケジュールをこなした。
1時に学校が終わった後、30分だけ図書室で勉強をし、移動方々パンと牛乳で昼食を済ませ、2時から2時間だけティータイム時のカフェでバイトをした後に、ホテルへと駆け込んだのだった。
制服でも大丈夫だといったレイチェルの言葉を信じ、ホテルの中に入ったが、さして何も言われずほっとしたのもつかの間、アルバイトの集合場所に行って度肝を抜かれた。
みんな、ブランド物に身を包んでいる〜!!
そこにいる、ほとんど総ての少女たちが、仕立てのいいブランド物の服に身を包んでおり、アンジェリークは一人場違いな感じがした。
ざっと会場には、同年代の少女たちだけで30名はいた。
アンジェリークは気後れしながら席につき、仕事についての詳細を聞く。
仕事は、アンジェリークともう一人の少女でプログラムを配り、後の少女たちがゲストたちを会場に案内するのだ。
これを聞いて、自分ともう一人のプログラムを配る少女以外は、全員良家のお嬢様だということが判り、棲み分けがされていて、彼女はほっとした。
この最初の仕事が終われば自由行動ということもレイチェルが言っていたことと同じで、アンジェリークは、夕飯を少しお呼ばれしたら帰るつもりでいた。
詳細はざっとこんなもので、説明が終わると、ドレスに着替える時間となった。
メイク担当もきちんとつき、説明から仕事へのインターバルの長さはこれだったのかと、彼女は納得する。
用意されたのは、白いシンプルなデザインのドレスだった。肩が出るデザインで、胸元にはビーズがあしらわれ、スカート部分はオーガンジーが何枚も施されたバルーン型の膝丈のものだ。
今まで、今なドレスに袖を通したことのないアンジェリークは、少女らしい興奮に包まれ、袖を通す。
軽くメイク担当に化粧をしてもらい、髪はいつものように黄色いリボンを着けていたが少しアレンジしてもらい、彼女はそれだけでもう充分すぎるほど満足だった。
しかし、案内係の少女たちは、御曹司やパワーエリートとの顔見世ということで、気合が入っていた。
「ねえ、アリオス様とチャーリー様はお越しになるかしら」
「チャーリー様はウォン財閥の御曹司、アリオス様はアルヴィースコンツェルンの御曹司だもんね〜」
ウォン財閥も、アルヴィースコンツェルンも共に、世界有数の大企業だ。もちろん結婚すれば、玉の輿である。
「ダメよ。私がアリオス様を案内するんだから」
「いえ、私よ!!」
"アリオス”という青年が、彼女たちの中では一番人気なのだと、この騒ぎで、アンジェリークにも理解できた。
まあ、私には関係ないけどね・・・。
彼女は、無関心にもその時は、そう思っていた。
少女たちが、一斉に、同じドレスを着てホテルの大広間に整列する姿は、可憐で、圧巻だった。
しかしその中でも、アンジェリークが、生まれもって持ち合わせている清楚な美しさの輝きを放って、一番目を引いていたことを、本人は知らない。
7時から、ひたすら笑顔でプログラムを配りつづけ、アンジェリークのその姿はまるでお人形のようだった。
「あっ、チャーリー様よ!!」
背の高い、碧の髪の端正な青年が会場に入ろうとすると、それこそ案内係の少女たちは目の色を変えていた。
だが、アンジェリークはあまり興味がなくて、プログラムを配るのに集中していた。
チャーリーにプログラムを渡したとき、彼が関西弁でお礼を述べたことだけが、印象に残り、それがアンジェリークには好ましかった。
ようやくプログラム配りの仕事が終わり、自由時間が告げられると、不意に、アンジェリークは眠気が襲った。
今朝からずっと動きっぱなしだったからだろう。
夕食だけを軽くつまんで帰ろうと思ったが、食欲より睡魔に勝てず、彼女はとうとうロビーのソファでうとうとし始めた。
どれぐらい心地よいまどろみに身を任せていただろうか。
ふいにソファがきしむ音がして、端に誰かが座ったのが判った。
「おまえ、今ごろ来たんかいな」
頭の上から、聞いたことのある関西弁が聞こえる。
あ、チャーリーさんだっけ・・・。
「ったく、仕事の付き合いがらみじゃなかったら、だれがこんなとこ来るかよ?」
低く艶やかな魅力的な声が、ソファの横から聴こえる。
いい声・・・。子守唄みたい・・・
アンジェリークは、そのままソファへと倒れこんでゆく。
「あ、アリオス、横の女の子」
「チッ、しょうがねーな」
アリオスと呼ばれた青年は、軽くした内をすると、彼女に腕を伸ばした。
倒れかけたアンジェリークは、逞しい腕に掴まれ、支えられた。
「おい、大丈夫か?」
深く響く声に導かれて、アンジェリークは、うっとりとゆっくり目を開けた。
「あ・・・」
そこには、銀の髪と翡翠と黄金の不思議な瞳を持つ、整った容だちの青年がおり、彼女はその容姿の完璧さに息を飲む。
そして、青年も、彼女の 無垢で可憐な美しさに、暫し見惚れる。
二人は互いを見つめあった。
ほんの数秒だったかもしれない。
だが、二人にとっては、長い、長い時間のように思われた----
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3 「シンデレラの黄色いリボン」
「踊らねえか?」
「えっ」
突然踏み込むように見つめられ、誘われて、アンジェリークは息が出来ない。ましてや、動くことも出来ず、頭だけがコクリと無意識に頷いていた。
「行くぜ?」
力強く腕を引っ張られて、アンジェリークは引きづられるようにして大広間のダンス会場に入っていった。
少し乱れたタキシード姿の彼はくらくらするほど魅力的で、彼女の心を翻弄する。
それはアリオスも同じだった。
彼女は、誰よりもこのドレスが似合い、そのすれていない可愛らしさが彼を誘う。
「ダンスは大丈夫か?」
「あ・・・、学校のフォークダンス程度・・・」
はにかんだ笑顔を彼に向け、恥ずかしそうにする彼女の姿が、彼を魅了して止まない。
「俺にリードは預けろ」
「あ、はい」
ぐいっと腰を掴まれアリオスに体を寄せられて、アンジェリークの体に甘い旋律が走り、顔を赤らめる。
その初々しさが可愛くて、アリオスは喉を鳴らして笑ってしまう。
「あの・・・、笑わないで下さい」
「クッ、悪ぃな」
「もう!!」
彼のリードに合わせて、アンジェリークはたどたどしくステップを踏む。
「まだ名前を訊いてなかったな。俺はアリオス」
その名前を聞いて、アンジェリークは納得する。良家の令嬢たちがアリオスについてあれほど騒いでいたことを。
「あんたは?」
「名前は・・・、名乗れません・・・」
アンジェリークの切羽詰った暗い声に、彼は僅かに眉を上げた。
「了解。詮索は止めよう」
「すみません」
遅い時間のアルバイトは、それこそ学校に知れたら大事だし、その飢え、本日は"レイチェル・ハート”としてここに来たため、本名が名乗れなかった。
パートナーチェンジをすることもなく、アリオスとアンジェリークはずっと踊りつづけていた。
「アリオス!! 上手くなったでしょ?」
次第にアンジェリークはダンスに慣れてきて、軽やかにs轍鮒が踏めるようになり、太陽のようでいて、守ってあげたくなるような笑顔をアリオスに向ける。
その笑顔に、彼は、一瞬、息を呑み、動けなくなる。
何によっても抗うことが出来ない笑顔に、彼は魅了されていた。
こんな気持ちは今まで味わったことはない。俺は、この少女にどうしようもなく惹かれている・・・。
「ね、ちょっと! あんな楽しそうに踊るアリオス様を今まで、見たことがないわ! 悔しいけど、お似合いね」
二人の雰囲気がぴったりだと思わないものなど、最早誰一人としていなかった。
音楽が変わった。
「チークタイムだ」
「えっ」
先ほどよりもさらに引き寄せられ、息がかかる位置まで彼と接近し、アンジェリークは、耳朶まで顔を赤らめる。
「おまえのそういったところが、可愛いんだよ・・・」
「えっ」
気づいたときには、もう手遅れだった。
アリオスは、アンジェリークに覆い被さるようにして口づける。
彼女の花のような唇に自分の唇を割り込ませ、奪うように、激しく、そして時には甘く口づけた。
彼女は頭が白くなるのを感じる。
いつの間に体の力が抜け落ち、彼の首に腕を回していた。
「は・・・ん・・・」
ようやく唇が離され、二人が欲望の煙る瞳で見詰め合ったときだった。
大広間の時計が10時を示す鐘を鳴らし始めた。
アンジェリークははっとした。
彼女が住む寮の門限は11時。門限を破れば、退寮しなければならない。今の彼女にはそれが出来ない。
着替えていればもう時間がない。
「ごめんなさい・・・!!」
アンジェリークは、アリオスの腕をすり抜けると、そのまま駆け出した。
「おい! 待てよ!」
アリオスが手を伸ばした瞬間、彼女の髪から黄色いリボンがすり抜け彼の手にひっかかる。
リボンのことなどなりふり構わず、アンジェリークは走り抜ける。
引っかかったりボンを彼が握りなおしている間に、彼女は視界から消えた。
「くそっ!!」
辺りを探したが、もう彼女はいなかった。
アリオスは、呆然と、残された黄色いリボンを握り締め、それを唇にもっていった。
ある決意を秘めて。
アンジェリークは、こっそりとアルバイト控え室に戻り、ドレスを制服に着替えて、お給料の手続きを手早く済ませ、ホテルを後にした。
外に出て、ようやく自分お気持ちに正直になったのか、涙がとめどなく溢れてくる。
「アリオス・・・」
一緒に過ごしたのは、ほんの短い時間だったのに、アンジェリークは、最早どうすることも出来ないほどに恋に落ちていた。
もし、自分が、普通の環境に置かれていたら、きっと彼とずっと一緒にいれたかもしれない。
そう思うとやりきれなくなる。
「彼とあなたとは、住む世界が違うのよ、アンジェ・・・。シンデレラの魔法が解けたのよ・・・」
彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。