花嫁のライセンス (後編)


 翌朝、アンジェリークは複雑な気持ちを抱えたまま、アリオスの部屋を訪れた。
 顔を合わせづらいのは山々だが、仕事を放り出すわけにもいかない。
 しかし、意を決して入ったその部屋には誰もいなかった。
 「アリオス様…?」
 いつもなら…とっくに身支度を整えた彼が笑顔で迎えてくれていた。
 ただベッドの上に置き去りにされていた指輪が朝日を受けて輝いている。
 「…っ……」
 その指輪を拾い上げ、アンジェリークは声を殺して泣き出した。
 こうなったのは自分のせいだとは分かっていたが、それでも悲しかった。
 (やっぱり…昨日のこと…怒って……)
 中途半端に流された自分が悔しかった。
 あのまま彼のことだけ考えていれば…。
 もしくは、最初からきっぱりと拒んでいれば…。
 「ふぇ……私のばかぁ……こんなに…アリオス様のこと、好きなのにっ…」
 
 「それを最初から素直に言えよ」
 突然聞こえた愛しい声にアンジェリークは顔を上げた。
 第二の通用門とも言うべきバルコニーからの扉の脇に、彼は立っていた。
 「…っ…いつから」
 「たった今帰って来たところだ。我ながらタイミングの良さに感心してるぜ」
 アリオスは、危うくその言葉を聞き逃すところだった、と苦笑した。
 その優しい笑みをアンジェリークは不思議に思った。
 
 「アリオス様…怒ってないんですか…?」
 「なにを?」
 「だって…昨日、あんなこと…」
 俯きがちになった少女の顎を捕らえ、優しくその顔を上へ向けさせた。
 「腹が立ったのは事実だな…。俺自身に」
 「え?」
 「持って生まれた爵位とか、それを忘れさせてやれない自分とか…」
 頬に残る涙を拭ってやりながら、アリオスは言った。
 「そんな…アリオス様は悪くなんか…私が」
 自分を責める彼女の言葉は触れるだけのキスで遮った。
 「アリオス様?」
 「お前は悪くない」
 「………」
 アンジェリークは何をどう言えばいいのか分からなくて、ただ彼を見上げることしかできなかった。
 では、何がいけなかったのだろう…と考えた。
 アンジェリークは彼が悪いとは思わない。
 彼もまたアンジェリークは悪くない、と言う。
 ただお互いに好きだという気持ちを抱いてるだけだ…。
 
 「アンジェリーク」
 沈黙を破ったのは彼の方だった。
 「はい?」
 「とりあえずそれは預かっておく」
 「あ…ごめんなさい」
 ずっと握り締めていた彼の指輪をアンジェリークは慌てて持ち主に返した。
 「そのかわり、お前はこっちを持ってろ」
 「?」
 彼に左手を取られ、その細い薬指に煌く指輪がはめられた。
 「アリオス様!?」
 プラチナの台に輝く碧色の貴石。
 光の加減によって、彼の瞳の色にも少女の瞳の色にも見える石。
 「お前に似合うと思って、石だけは以前から用意していた」
 
 「アリオス様…これって…」
 まだ信じられない、といった様子で指輪と彼を交互に見るアンジェリークの髪を
 アリオスはくしゃりとかきまぜた。
 「お前以外の女にやる気はない。
  だから、いらないなら捨ててもかまわないが…」
 「そんな、捨てるなんて…するわけないじゃないですか!」
 「だったら…お前も覚悟決めろよ?」
 アリオスは不敵に笑って彼女の瞳を覗き込んだ。
 「俺はお前しか愛せない」
 「………アリオス様」
 「そのうちお前をもらうからな」
 アリオスは彼女の手を取り指先に口接けた。
 頬を染めて自分を見つめる少女を抱き締め、耳元に囁く。
 「お前を愛してる…誰がなんと言おうと」
 「…私も……アリオス様を…愛してます」
 アンジェリークも嬉しさに涙を零しながら、昨日は言えなかった言葉を伝えた。
 「泣くな。お前は笑ってろ」
 「はい…」
 優しく口接けられ、アンジェリークは朝日の中でふわりと微笑んだ。

 「アリオス様…私、そろそろ仕事に戻らないと…」
 夜会の準備をこれからしなくてはならないのだ。
 彼は今夜どうするつもりなのだろう…そう考えてアンジェリークの胸は痛んだ。 
 欠席は許さない、何があっても今夜は彼を連れてくるように、と
 アンジェリークはきつく言われていた。
 そして、彼がちゃんと出席すれば、継母お気に入りの女性と会わせられる。
 下手な対応をすればアリオスの立場が悪くなってしまうだろう。
 どちらを選んでもあまり嬉しくない事態になってしまう。
 (やっぱり…私なんかアリオス様には似合わない…かな…)
 不安に曇る表情をアリオスが気付かないわけがない。
 だから部屋を出て行こうとする彼女を一度だけ、引き止めた。
 「『アンジェ』…」 
 「アリオス様?」
 なんでしょう、と振り向く彼女にアリオスは微笑んだ。
 「もう俺に敬語を使うな。アリオスでいい」
 
 
 
 舞踏会の招待客がほぼ全員見えた頃、アンジェリークはチャーリーに呼びとめられた。
 「チャーリーさん? どうしたんですか?」
 正装姿の彼に手を引かれながらアンジェリークは首を傾げた。
 「あの…私、あんまり長くは抜けられなくて…」
 繋いでいない方の手でしっかり抱えている銀の盆に視線を落とした。
 ドリンクや料理を並べたり、空いたグラスや皿を下げたりしなくてはならない。
 「あー、それはアンジェちゃんの代理用意しといたから…大丈夫」
 広間から近い一室に入り、チャーリーはパンッと両手を合わせて少女に頼んだ。
 目の前にあるのはピンク色の可愛らしいパーティードレス。
 「悪いんやけど…今夜これ着て夜会に出てくれへんかな」
 「ええ?」
 「ハニーが出張中で今夜は来れなくてなー…」
 驚いていたアンジェリークだが、その言葉を聞いて納得が言ったように頷いた。
 「ダンスのパートナー役を務めればいいんですね?」
 「OK?」
 「…私なんかで良ければ」
 
 アンジェリークの準備を待って、チャーリーは着飾った少女をエスコートして広間へと向かった。
 「本当に私なんかでいいんですか…?
  ……私パーティーに出席できる立場じゃないですけど…」
 よく考えればとんでもないことだ、とアンジェリークは躊躇いの表情を見せる。
 「チャーリーさんならお相手いくらでもいるじゃないですか…」
 「アンジェちゃんが良かったんや。
  こーんな素敵なレディ、エスコートする機会なかなかないで?」
 朗らかな笑顔を見せる彼にアンジェリークは恥かしそうに微笑んだ。
 が、すぐにそれは曇る。かすめた思いが抜けぬ刺となって胸を刺した。
 (…アリオスの側には…あの人がいるんだろうな…)
 
 
 
 一方アリオスは、不機嫌さを上手く隠した表情で継母と対面していた。
 「今夜はちゃんと出席してくれて嬉しいわ。
  あなたそういう格好似合うんだから積極的にこういう場所に出ないと」
 触れようとする彼女の手をそれとなくすり抜け、微笑んだ。
 「あいにくと苦手なんでね」
 華やかすぎる舞踏会も、自分を息子として見られない継母も…。
 父親と継母の年は離れていた。むしろアリオスと彼女の年のほうが近かった。
 そして魅力的な彼に惹かれない女性の方が珍しい。
 だからアリオスは彼女を避けていた。
 両親と三角関係など絶対にごめんである。
 
 「そうそう…あなたもそろそろ浮いた話が出てきても良い頃ではなくて?」
 「心配には及ばない。俺が噂にさせないだけだからな」
 来るだろうと思っていた話題に『女には不自由していない』と牽制をしておく。
 「あら、ではこの子と一度噂になってみない?」
 それでも彼女は強引に一人の女性を紹介した。
 「はじめまして、アリオス様」
 「私のいとこでローズというの。年もちょうど良いと思うわ」
 「………」
 何気なく付け足された継母のひとことがけっこう刺さった。
 アンジェリークにとってこの点だけは不利かもしれない…と。
 艶やかに微笑む彼女は確かに継母似の美しい女性だった。
 (自分は無理だから…代わりにこいつと俺をくっつけようってことか…)
 アリオスは明後日の方を向き、溜め息を噛み殺した。
 
 
 そこへチャーリーがアンジェリークを連れて広間へとやってきた。
 周りの皆が正装した少女に目を奪われていく。
 その視線を感じ、アンジェリークはチャーリーを見上げて言った。
 「チャーリーさん…私ヘンですか…?
  あ、それともお仕事さぼってるのがばれて…」
 かわいい不安にチャーリーは彼女の肩を抱く手を震わせて笑った。
 「…チャーリーさん?」
 「あー…ごめんな。たぶんバレてへんよ。それにどっこもへんやない。
  みーんなアンジェちゃんに見惚れてるだけや」
 そして迷わず、広間の奥の方へと進んでいく。
 「あ…」
 向かう先には彼がいた。
 美しい公爵夫人と彼女に負けず劣らず輝く美女と並んで。
 (あの方が…ローズ様…すごく綺麗…)
 「あ…チャーリーさん。…私」
 これ以上先に進みたくない。彼が他の女性と一緒にいるところなど…。
 覚悟はしていたのに…見たくない。
 止まろうとする少女にチャーリーは励ますように笑って言った。
 「せっかく綺麗にしたんや。あいつに自慢してやらな」
 
 
 「妙な偶然だな、継母上?
 実は俺も紹介しようと思う奴がいたんだ」
 彼らがこちらへとやってくるのを見ながらアリオスは不敵に笑った。
 「チャーリー…。てめぇ調子に乗って気安く触んな」
 「これぐらい目ぇ瞑ってくれてもええやんか。
 ここに来るまでは俺がパートナーやで」
 少女の白い肩を抱く手を軽く睨み、アリオスは少女の腰を抱き寄せた。
 「え、え?」
 アンジェリークは二人のやりとりについていけず戸惑うばかりである。
 「アリオス…どういうことかしら?」
 公爵夫人は説明してちょうだい、と言いながらアリオスではなく
 アンジェリークを見つめていた。
 その視線がとても敵意に満ちていて…アンジェリークは怯えたようにアリオスを見上げた。
 「アリオス…私もどういうことかわからない…」
 アリオスは心配するな、というように彼女を抱く腕に力を込めた。
 
 「言った通りだ。こいつを紹介しようと思ってた。俺の妻となる女だ。
  あんたには足を運ばせてしまっただけ悪かったな…」
 ローズに視線を向けアリオスは本心から謝った。
 継母にけしかけられたとはいえ、体面を傷付けてしまったのは事実である。
 「これが正式なお見合いでなかった分お互い助かった、ってとこだけどな。
  親父が視察中で良かったな」
 浅く笑うとアリオスはアンジェリークを抱いたままその場を離れた。
 悔しそうな公爵夫人と呆然とする令嬢を残して。
 
 
 
 「…アリオス…。どうなってるの?」
 まだ状況が飲みこめないアンジェリークは、テラスに出てからアリオスに問いかけた。
 彼は柵に腰掛け、夜空を背景に微笑んでいた。悪戯を成功させた少年のような笑み。
 「あっちに先手を取らせなかった。まずまずの出来だな」
 「?」
 「あのままおとなしくお見合いやってみろ。すぐに式の日取りが決まるぞ?」
 「……きっとね」
 「だからそうならねぇように、正装させたお前を紹介した。
  これであっちの計画はだいぶ崩せたと思わないか?」
 来いよ、と腕を差し出す青年の正面にアンジェリークは進んだ。
 いまだに不思議そうな表情のまま彼の腕に抱かれて、少女は呟いた。
 「いつからそんな計画立ててたの?」
 「昨夜お前に逃げられてからに決まってんだろ」
 アリオスは柔らかな栗色の髪に頬を埋め、苦笑混じりに言った。
 「あ…」
 身を起こしてアンジェリークは彼と目を合わせた。
 「あの…昨日は…本当にごめんなさい」
 「もういい。気にすんな」
 
 「昨夜お前が漏らしてくれた情報のおかげだしな…。計画が立てられたのは」
 アリオスは思い出すように呟いた。
 「はじめてお前を見た時…メルとお前が庭の茂みで話してた時だ。
  お前は半月から一月は忙しくなるから辞める事はない、と言っていた。
  だから何かがあるんだろうとは思ってたが…まさか俺の見合いが仕組まれてたとはな」
 「アリオス…」
 「相手が何を仕掛けてくるか分かれば対策の立てようもあるだろ」
 アリオスは指輪とドレスをさして言った。
 昨夜、街へ出かけたアリオスは真っ先にチャーリーのところへ行き、
 そこから知り合いの職人に繋ぎを取った。
 そして急遽、彼女へ贈る石に合わせて台を作らせたのだった。
 その後、ドレスも彼女に似合いそうなものを見繕い、今日の夕方までに仕立て直してもらった。
 「いざとなったら身分よりも人脈の方が役に立つってことだな」
 普段から街へ出かけ、懇意にしている連中が多かったおかげで急な頼みにも
 応じてくれる人を見つけることができた。
 
 「このドレス…アリオスが…?」
 「当たり前だろ? 他の奴が選んだ服なんか着させてたまるか」
 少年のような表情にアンジェリークはクスクスと笑い出した。
 「私てっきりチャーリーさんが用意してくれたものだと…」
 「まぁ、あいつにも世話になったけどな」
 昨夜、夜中だというのに彼の店の中で彼女に似合うドレスはこっちだ、あっちだと
 論争していたのを思い出しアリオスは苦笑した。
 「よく似合ってる」
 「ありがとう…アリオス。チャーリーさんにも後でお礼言わなきゃ」
 「あいつへの報酬はもうやった」
 「そうなの?」
 「俺の女を一瞬とはいえ自分のもののように振る舞えたんだ。それで十分だ」
 「アリオス……」
 それはちょっとあんまりでは…と思うアンジェリークであった。
 
 「アンジェ…これから少し大変になると思うが…。がんばれるな?」
 「うん」
 そう、明日からのことを考えると怖気付きそうになってしまう自分がいる。
 だけど彼の側にいるためならがんばれる。
 意思の強い瞳が月の光に負けずに煌く。
 「アリオスのこと…諦めたりしないから」
 「いいコだ」
 アリオスは良い返事を聞いて、優しく微笑んだ。そして誓約のように唇を重ねた。
 
 
 
 翌日は来客、ローズを迎えての狩猟大会のようなものが催された。
 ある時期に行われる各自の腕を競う大会に似せた小さな催し。
 だけど、各々真剣に取り組んでいる。小さな舞台だが公爵家主催。
 ここでの評価はのちのち自分のプラスになるだろう。
 公爵夫人やローズをはじめ、貴婦人達は狩りに出た人々が戻る所でお茶を楽しんでいた。
 もちろん、アリオスもこの場に出席していた。そしてアンジェリークも手伝いで来ていた。
 狩りのスタイルで馬上の人となった彼を見上げ、アンジェリークは微笑んだ。
 「いってらっしゃい」
 「ああ」
 アリオスも彼女だけに向ける微笑みで答えて森の中へと駆けていった。
 
 「アリオス様って本当に素敵ね」
 「ローズ様…」
 不意に聞こえた声に振り向くとすぐ側に彼女が来ていた。
 長い金髪に、見惚れてしまう美貌。大人の女性らしい優雅な物腰。上品なドレス。
 何もかもが完璧で…何一つ敵わない、と思わされる。
 だけど逃げないと決めたから。
 アンジェリークも微笑んで頷いた。
 「はい。彼以上に素敵な人、私は知りません」
 その真っ直ぐな言葉にローズは鈴を転がすように笑い出した。
 「かわいい人ね…あなたって」
 「?」
 「だからかしら…。あの人、あなたといる時だけ優しい表情してるの」
 「ローズ様…?」
 彼女の意図が読めなくてアンジェリークは首を傾げた。
 「私ね、前から彼を知ってるの。ずっと見てた…。
  だけど…昨夜と今日、あなた達見てたらばからしくなっちゃったわ」
 彼女はアリオスが消えた森の方へと視線を移し呟いた。
 「あの人、あなたしか見てないんだもの。
  つけいる隙なんてなさそうだから諦めるわ」
 それだけ伝えたかったと笑ってローズは貴婦人達の輪の中へと戻っていった。
 「ローズ様も…やっぱり素敵な人…」
 
 
 しばらくしてアンジェリークは風に飛ばされた公爵夫人の帽子を探す手伝いを頼まれた。
 「森の入り口の方へ飛ばされたって言ってたよね…」
 即席のサロンとなっている場所から離れ、アンジェリークは森の中へと入っていった。
 「…確か白だった、よね…? 見つからないなぁ」
 もっと奥まで行こうかと身体を動かした時、すぐ側で一発の銃声がした。
 「!」
 皆がいる森の入り口で、不用意に銃を撃つ者などいないと思っていただけに驚いた。
 その後に、ちり、と焼けるような痛さにアンジェリークは頬を押さえた。
 指先には鮮やかな真紅が付いていた。
 はっと気付き、アンジェリークは後ろを振り向いた。
 おそらく銃弾が飛んできたであろう方向を睨みつける。
 (罠だ…)
 狩りの最中のアクシデント。それできっと処理されてしまうだろう。
 「丸腰の人間を撃つなんて誰!? 姿を見せなさいよ!」
 次の弾が来ないという保証はない。怖くないわけがなかった。
 だけど怒りの方が強かった。珍しく厳しい瞳でアンジェリークは叫んでいた。
 
 「どうして…こんなことっ」
 「どうして? 分かりきったことを言うのね…」
 「奥様…」
 一人の従者を連れて出て来たのは公爵夫人だった。
 「私のかわいいメルの次はアリオスかしら?
 公爵家の後継ぎ達をたぶらかしてくれて…」
 冷たい瞳と向けられる銃口にアンジェリークは緊張しながら答えた。
 「たぶらかすだなんて…」
 「目的はお金?宝石?地位?」
 「そんなもの欲しくありません」
 「だったら…どうしてメルやアリオスばっかりお前を欲しがるんだろうね?
  そう…あの有能な貿易商もお前に夢中だったわ」
 「そんなこと…私に聞かれても」
 なぜ自分を気に入ったのか、それは自分のほうが彼らに聞きたいくらいなのだ。
 「彼らの持ってるものが欲しかったからじゃないの?
  卑しい身分の者でも玉の輿に乗れば…ねぇ?」
 アンジェリークは首を振った。

 「アリオスは渡さない。自分の身分をわきまえなさいな。
  もう二度と彼に近付かないと言うのなら見逃してあげるから」
 私も人殺しはしたくないし、と微笑む美女を前にアンジェリークは深く息を吸って答えた。
 「お断りします。彼を諦めないと私は約束しましたから。
  それに…アリオスはあなたのものじゃない」
 静かな、落ちついた声が余計に夫人の心を逆撫でた。
 「あなた自分の命が惜しくないの?
  素直に財産目当てだと彼に言えば許してあげるのに」 
 そうすればアリオスの彼女への気持ちもすぐに消えるだろう。
 「死にたくないけれど…嘘はつきたくありません。
  本当に財産なんていらないっ。私が欲しいのはアリオスだけですっ!
  どうしても信じられないのなら、公爵家から彼を攫っていきます!」
 何も持たない彼だけを連れて出ていく。
 そう言いきる少女の気迫に何も言い返せなかった。
 「奥様なら…その気持ち分かってくださると思ってた…
  好きだから公爵様と一緒になられたんじゃないんですか…?
  財産目当てだったんですか?」
 「…っ」
 
 返す言葉が見つからず、公爵夫人は従者に目で合図を送った。
 銃口がアンジェリークに合わせられる。
 (アリオス…二度と会えなかったら…ごめんなさい)
 アンジェリークは負けまいと相手から視線を逸らさないまま祈るように彼の名を呼んでいた。
 「そこまでだ。少しでも引き金引く素振りしてみろ。
  その前にこっちの弾が飛ぶぜ。試してみるか?」
 「アリオス!?」
 「なぜ…ここへ」
 従者の後頭部に銃口を押し当てるアリオスに口々に声がかけられた。
 「人が大勢いる側で銃声が聞こえたから気になった。
  いくらなんでもこんな手荒な真似するとは思ってもなかったぜ」
 冷たい声と表情に公爵夫人はその場へ座りこんでしまった。
 「あなたのためを思って…
  こんな小娘を嫁にしてもなんのプラスにもならないではないの…」
 裏にある彼への気持ちはあえて言わなかったけれど…。
 アリオスもそれには触れなかったけれど…。
 
 アリオスはアンジェリークの側へ走り寄った。
 「アリオス…髪が乱れてる…」
 珍しく乱れている銀糸にそっと触れ、アンジェリークは微笑んだ。
 「それどころじゃなかったからな…」
 どこかのんびりしたセリフにアリオスは彼女を抱きしめながら答えた。
 彼女の姿を見るまで不安でしょうがなかった。
 間に合わなかったら…と。
 「傷…消えるかな」
 彼女の頬に触れ、その傷口を癒すように口接けた。
 「かすっただけだからたぶん大丈夫よ」
 
 「どうして…そんな子供がいいの…。血筋も良くない…
  周りへの評判も悪くなり、公爵家にとってはお荷物になるだけなのに」
 「俺の妻となる女はな、血筋とかそんなものいらねぇんだよ。
  俺が愛した女であればそれでいい」
 それが彼の花嫁になるための唯一の資格だと言い放った。
 そして抱きしめた彼女を見下ろし、もう一つだけ付け加えた。
 「そうだな…それに俺を命懸けで愛せる女なら言うことなしだな」
 
 
 
 
 
 結局公爵夫人の企みは、他の者にはばれなかった事もあり、
 アンジェリークの希望もあって、なかったこととなった。
 「アリオスのことが大好きだったからこの事件は起きちゃったのよ…」
 「お前…甘すぎるぞ。死ぬかもしれなかったてのに…」
 「生きてるからもういいの。それにもう奥様はあんな事しないもの」
 これからアリオスは領地の視察から帰ってきた公爵にアンジェリークを紹介するところである。
 

 父の部屋に向かう途中、メルがエールを送りに来てくれた。
 「兄様! がんばって父上を説得してきてね!」
 「ああ」
 「アンジェリークがメルの姉様になってくれたら嬉しい!」
 「お前…俺のことはどうでもいいのか」
 無邪気にアンジェリークに微笑む異母弟にアリオスは溜め息をついたのだった。
 
 
 「ったく…お前は本当に強いよな…」
 扉を開ける前にアリオスは傷の消えた少女の頬に触れ、微笑んだ。
 許せる強さを持つ少女。自分にはない強さだ。
 「…今はすごく緊張してるけどね」
 舌を出して笑うアンジェリークを抱きしめてアリオスは意地悪く笑った。
 「反対されたらまたあの言葉聞かせてくれよ?」
 「なに?」
 「俺を攫ってくって啖呵切っただろ」
 「え、やだっ…聞いてたの〜」
 「期待してるぜ?」
 「アリオスの意地悪…」
 

 その後、速やかに二人の結婚式への準備が進められていくこととなる。
 もともとローズとの式を密かに手配していただけあって、
 驚くほどのスピードで事態は進行していった。
 
 「こんなに早く進むとは思わなかったわ…」
 神父の前で、隣に立つ青年にアンジェリークは信じられない…と呟いた。
 「あっさり結婚OK出ちゃうし…」
 実は事前に視察中の公爵の元へアリオスからの手紙が行っていたのだ。
 その内容は、『この結婚、認められないようだったら家を捨てる』という簡潔なものだった。
 アリオス自身は家を出た後、チャーリーと組んで海を渡るのも
 面白いかもしれないと思っていたらしいのだが…。
 自分の下で(特に街へ出向いて)動いてくれる有能な息子が
 いなくなるというのは公爵にとってかなりの痛手である。
 ある意味脅迫状とも言える手紙を読んで、公爵は彼のわがままを聞く決意をしたという。
 
 「邪魔がないってのはいいことだろ」
 「それはそうだけど…心の準備が…」
 「そう言って今夜は逃げんなよ」
 「……バカ」
 そしてアリオスは彼女のヴェールを上げ、その海色の瞳を見つめた。
 「愛してる、アンジェリーク」
 「アリオス…私もよ」
 
 誓いのキスにしては少々長すぎたそれに新婦と周りの人間達が慌てたとか慌てないとか…。
 その後の二人の新婚生活に周囲のものは砂吐きっぱなしだったとか…。
 それはまた別のお話。
 
                                       〜fin〜
 

 


なんだか下手に長くなってしまった感じがしますが…。
このお話ではチャーリーさんが
けっこうがんばってくれました。いい人だ…。
ちなみに出張中の彼のハニーは
レイチェルという設定でした。
長くなるので削ってしまいましたが…。

アリオス、後編ではおめでとう(笑)
前編では逃げられたからね…。
アンジェは前・後編とも
おつかれさまって感じでしょうか。