LIFE - 1

彼女は執務が終わると、女王陛下ではなく、ただのアンジェリークに戻る。
私室で大好きな人とくつろぐ大切なひととき。
そんな時、彼女が口にしたのは彼の仕事のことだった。
「ねぇ、アリオス…また昇進蹴ったんだって?」
アンジェリークはお茶の用意をしながらアリオスに問いかけた。
彼女自らのお茶を飲める数少ない幸せものは
大きなソファの上で横になっている。
そして嫌そうに眉をしかめた。
「もうお前に伝わってんのか?」

泣きつかれちゃったわ、とくすくす笑いながらアンジェリークは
二人分のお茶をテーブルに乗せ、アリオスの隣に座る。
「王立派遣軍の方達にね…」
昼間、アンジェリークは王立派遣軍のトップ、総司令官殿と
それを支える三人の幹部と話をしていたらしい。
アルカディアでアンジェリークと再会したアリオスはその後、
彼女の宇宙にやってきた。
彼女の傍にいるためにとりあえず軍に入り、宮殿警護、
つまり護衛官の任についている。
しかし、彼の戦闘能力・状況判断能力・カリスマ性は抜きん出ていた。
口の悪さのわりに面倒見が良く、
敵も多かったが彼を慕う人間も少なくなかった。
どちらかといえば下の地位である宮殿警護ではなく、もっと上の仕事を、
というありがたい勧めをアリオスは再三断っていた。
「俺は肩書きが欲しいわけじゃない」
アリオスは仰向けに寝たまま、すぐ傍の栗色の髪を梳く。
そしてそのまま彼女の頭を引き寄せた。
「分かってるわ…」
アンジェリークは導かれるまま彼へと唇を落とした。


それから数日後、執務室でアンジェリークはまた彼らと話をしていた。
「彼の才能を考えると警備などではなく、幹部クラス…私の片腕に
 なってもおかしくないのです」
むしろ私が片腕になってもいいくらいに…。
熱弁をふるう総司令官を前に、アンジェリークは困ったように微笑む。
「それほどまでに…?」 
「はい、ですが彼は頑なに断り続けて。その理由だけでも、
 と問いただしたところ…なんと答えたと思います!?」
強い口調で訊かれ、アンジェリークは分かってはいるが答えられず、
なにかしら、と首を傾げて先を促すしかなかった。
「図々しくも、陛下のそばにいられないから、というのですよ!」
それなりの地位につけばそれなりの働きをしなければならない。
様々な土地へ行かなくてはならなくなる。
長い滞在になることも少なくない。

『俺はあいつのそばにいてやる、と約束したんだ。
 破る気はねぇよ』
誰もが喜んで飛びつきそうな役職に彼は目もくれなかった。
アリオスは言葉少なにそう答えて、その話はそれきりになってしまった。 
想像通りの答えにアンジェリークは頬を染める。
そして、今は仕事中、と心の中で呟き火照る頬を冷まそうと努力する。
そんな可愛らしい仕種に難しい顔をしていた彼らは苦笑する。
アリオスとは違い、いかにも軍人といったしっかりとした体格の
男達にも優しい笑みが浮かぶ。
彼女は人を和ませる特技を持っている。
「陛下から…なんとか言ってはもらえませんか…?」
あなたの言葉なら聞く耳をもつだろう、という期待のこもった言葉。
「分かりました……。
 …でも、私が言っても変わらないかもしれないですよ?
 彼、頑固なところありますから」
文句言っちゃ嫌ですよ、と彼女が微笑んだ時、ノックの音が響いた。

「陛下ー?そろそろアルに会いに行ってほしいんだけど…」
レイチェルの言葉にアンジェリークは時計を見る。
「いけない、もうこんな時間?」
行ってきますね、とアンジェリークは皆に挨拶をする。 
「さっさと行くぞ」
レイチェルに続き、入ってきたアリオスの姿を見つけて
アンジェリークは嬉しそうに頷いた。
「アリオス!陛下に向かってなんて口のきき方を…」
彼の上司があまりにも無礼な物言いにお説教を始めようとしたが、
最初のひとことを言い終える前に二人の姿は部屋から消えていた。

「言っても無駄だと思うけど…?」
レイチェルが肩をすくめてみせる。
「それで? 彼の話はどうなったの?」
「相変わらずですよ」
「そっかー…」
そこへ、再び室内にノックの音が響いた。
「どうぞ」
今はレイチェルが部屋の主である。
彼女の声を合図に現れたのは王立研究院の主任だった。
「…どうしたの?」
「アリオスが軍を辞めるというのは本当ですか?」

「へ?」
「な、何をバカなことを」
レイチェルと総司令官が同時に声を上げる。
「そんな噂を聞き、陛下と補佐官殿にお話がありまして」
主任の言葉を焦った声の総司令官が遮る。
「アリオスは軍を辞めてなどいないし、その予定もありませんぞ」
まぁ…確かに彼にこれ以上うるさくするなら軍を辞めるぞ、
とは言われたが。
それがどこからか尾ひれがついてこんな噂になってしまったのだろう。

「単なる噂…ですか?」
「で? お話って?」
レイチェルがとりあえず聞くだけ聞こう、と主任に問いかけた。
「彼が軍を辞めるなら…ぜひ研究院に来てくれないか、と…」
戦闘能力に定評のあるアリオスだが、実はその頭脳も
人並はずれた素晴らしさがあった。
以前研究院に軍の仕事で立ち寄った時、そこで起きていた問題事は
彼のアドバイスで切り抜けた…という過去があるらしい。
つまり、研究院のブレーンとしても将来有望だということである。
「軍からも研究院からも…人気者だね、アリオス」
レイチェルは天井を見上げて大きな溜め息をついた。

一方、そのアリオスは扉の外でアンジェリークが出てくるのを待っていた。
扉の向こうは別の世界。限られた者だけが入ることを許される。
そこは聖獣アルフォンシアがいるところ。
アンジェリークはここでアルフォンシアと話し合い、
これからの宇宙の導き方を考える。
「お待たせ、アリオス」
「終わったか」
人気のない方角にあるその部屋への送り迎えが
アリオスの仕事のうちのひとつでもあった。
女王の一人歩きはさせられない、ということでレイチェルが
彼に任命したのだ。

宮殿の中心部に戻る途中、アンジェリークは微笑んで言った。
「宇宙の発展は順調みたい。アルが喜んでた。
 アルが喜んでくれると私も嬉しい」
アリオスは嬉しそうに頬を染めるアンジェリークを見やり、
面白くないという感じで呟いた。
「あいつは…どっちの姿でお前と話してんだ?」
かつて人型のアルフォンシアを見たことのあるアリオスの
考えていることが分かり、アンジェリークはくすくすと笑う。
「聖獣の姿の時が多いよ。小さかったり大きかったり…。
 たまに人型をとることもあるけどね」
「今日は?」
「小さい方よ」
こんな、腕に抱けるくらい、とアンジェリークが手振りで示してみせる。

「もう、アリオス。アルは聖獣よ?」
「聖獣だろうがなんだろうが、俺を外で待たせておいて
 お前と二人きりってのは許せねぇよな」
「アリオスったら…。知ってるでしょ?
 私が好きなのはアリオスよ」
「行動で示せよ」
口の端をわずかに上げてアリオスが微笑む。
何か企んでいる表情だ、そう思うよりも先に唇を奪われた。
「…ん…こんな…トコで…」
先程とは違い、いつ誰が通りがかってもおかしくない廊下での
激しいキスの合間にアンジェリークは息を乱しつつ非難する。
「だったら場所を変えようぜ。
 どうせ今日の仕事はお互いこれで終わりだろ?」
さすが超有能な補佐官が組んでくれたスケジュールである。
忙しいはずの女王陛下と軍の人間。
なのに二人の時間は確保されていた。

二人が散歩がてらに来たのは約束の地だった。
しばらく歩き回った後、大樹の下に腰を下ろした。
樹に背を凭せ、アンジェリークの肩を抱き寄せる。
アンジェリークは素直に彼に体を預け、頭を彼の肩に凭せかけていた。
さわやかな風に揺れる木の葉の音だけが聞こえる静かな空間。
言葉などなくても幸せを感じることができる。
このまま彼の腕の中で眠れたらいいのに…。
そんな穏やかな沈黙を破ったのはアリオスの方だった。
「…またあの話してたのか?」
「ん?」
「執務室で」
「うん。アリオス才能あるのにもったいないって…。
 本当に断っちゃって良いの?」
「その方が良いと思ったんだ」
「?」

アリオスは自嘲気味に言った。
「俺は以前と違って…今の人生では、お前と幸せになることを
 第一に考えてる」
「アリオス…」
金と碧の瞳に見つめられ、アンジェリークは動けない。
「お前のそばでお前を守り続ける。お前の大切なものなら
 ついでに守ろうと思っただけだ。
 宇宙を守りたい、とか役に立ちたい、とかいう献身的な
 気持ちがあるわけじゃない」
「………」
「お前のことしか考えてない。
 そんな奴が要職につくのはどうかと思うが?」
だけど…とアンジェリークは首を振る。
「でも…アリオスなら…。
 きっと一度就いたお仕事はちゃんとこなしてみせるわ」
「だから上司の話を受けろって?」
「…きっとそれが良いと思うの」

アリオスは俯きがちに言ったアンジェリークの肩を掴み、
彼女の背を幹に押し付けた。そして顔を上げさせる。
真っ直ぐに海色の瞳を見つめる左右色違いの瞳。
「本音を言ってみろよ」
いまさら建前なんか言うな、と。
後ろは大樹、左右は彼の腕、正面には真摯な瞳。
逃げ場はない、とアンジェリークは息をつく。
躊躇いながらも話しはじめた。
「…本当は私もずっとそばにいてほしい。
 いつもそばにいてこうして触れていて…。
 でも…私が…女王が…そんなわがまま言っていいの…?
 アリオス…他の人からも必要とされているのに」
女王と少女の間で揺れる気持ちが、涙とともに零れ落ちる。
「私にあなたを縛る権利なんてあるの…?」
言い終わる前に唇は塞がれていた。
激しいくせにどこか優しい彼のキスにアンジェリークは溜め息をもらす。
「アリオス…?」
「ちゃんと言えるじゃねぇか。ご褒美だ」
「え?」
アリオスはいつもの不敵な笑みを浮かべる。

「俺は頭も悪くねぇし、けっこう強い。一緒にいて損はしないぜ」
初めて会った時のセリフとともに差し出された小さな箱。
その蓋は開けられていて、中で輝く指輪が見える。
「アリオスっ…」
「そばにいてくれないか?」
今度は嬉しさのため、涙が溢れた。
言葉にならなくて彼に抱きついて、何度も頷いた。
アリオスはアンジェリークを受け止めて、強く抱きしめる。
彼女の柔らかな髪に頬を埋めながら囁いた。
それは彼がこの人生のなかで唯一抱く願い。
「そばにいてほしい」
「うん」

「嬉しい…。こんなことありえないって思ってた。
 あっても女王の使命を終えて、下界へ下りるときだと思ってた…」
アリオスに左手の薬指に指輪をはめてもらい、
頬を染めてアンジェリークは微笑んだ。
「どっちにしろこうなるんだ。なら今からでも別にかまわないだろ」
「アリオス…」
「これでお前は俺を縛る権利あるんだぜ?
 同時にお前は俺に縛られるけどな」
冗談めかして言われた言葉にアンジェリークはくすくすと笑う。
「それってとっても幸せよ…」

そのまま二人はたぶんまだレイチェルがいるだろう
執務室へと向かうことにした。
「結局お仕事の方はどうするの?」
「しょうがねぇ。受けてやるさ。なるべく聖地にいられるようにするけどな。
 たとえ、どこへ派遣されてもすぐに片付けて戻ってきてやる」
「頭も剣の腕もいいし?」
「そういうことだ。形式的にお前を手に入れるんだ。
 ひとつくらいあいつらの言い分も聞いてやる」
自分の執務室の前で、緊張した面持ちで足を止めた少女の
手を握り、微笑んで軽く口接けてやる。
「普通はおまえの両親に言うもんだけどな」
「レイチェルが私のパパとママの代わりね」
緊張がとけたのか、アンジェリークはふわりと微笑んだ。

「レイチェル?」
ノックをした後、二人で執務室へと入る。
「あれ? どーしたの? 今日二人とももう仕事ないよね」
レイチェルの目の前には書類の山があった。
「うん。話があって…。…その書類なに?
 私、目通してないような気がするけど…?」
「あーこれね、ついさっき作ったんだ。後でアナタにサインもらうから。
 それで話ってなに?」
アンジェリークははにかみながら薬指にはめた指輪を見せた。
「それって…」
「うん。ダメ…かな?」
目を丸くしていたレイチェルだが、数秒で立ち直った。
大切で大好きなアンジェリークが幸せになるのだ。
応援こそすれ、反対などするわけがない。
にっこりと笑って、おめでとう、と言った。

「そのかわり…アリオスに条件があるよ」
「仕事の話か?」
しょうがないからおとなしく聞いてやる、とアリオスは頷いた。
「うん。とりあえずアリオスは王立派遣軍クビね」
「は?」
「レイチェル? どうして…」
思ってもみなかった言葉に二人とも次の言葉が見つからない。
「でー。アリオスには新しく女王付きの騎士になってもらうから」
「…どういうことだ?」
説明しろ、とアリオスの瞳が細められる。

「アリオスさー、軍からも研究院からもスカウトされてんだよね」
「研究院からも…?」
アンジェリークが知らなかったわ、という声で聞き返す。
「うん、私も今日知ったんだけどね。でも、アリオスは
 このコのそばを離れないからどうせその話蹴るじゃない?」
「まぁな」
「最近この宇宙の発達のスピードも速くなってきてさー。
 正直私一人でアンジェリークの補佐するのってけっこうキツくって…」
まだ人材の問題とか、こっちのシステム完全じゃないし、と舌を出す。
「そこで女王と補佐官のサポートしてくれる人が欲しかったんだよね」
「それが俺か」
「そ。軍でも研究院でも活躍できる私達とのパイプラインが必要なの」
女王陛下のいなくなった執務室で、軍と研究院のトップ、
そして補佐官の三人で話し合った結果がこれである。

「えーと、レイチェル…それってつまり…。
 私達これから三人で一緒にお仕事できるってこと?」
「そういうこと。やることは騎士って言うより補佐官、に近いかな」
「言っとくが俺に騎士道なんか似合わねーぞ」
「それもそうだね」
あっさりと言われ、アリオスはおい、と思う。
しかし日頃の行いが行いだからしょうがないだろう、とも思う。
「じゃ、女王付きの剣士、でOK?」
さらさら、とレイチェルは先程の書類に書き加える。
「アンジェリーク、これにサインをお願い」
「レイチェル…これ…」
それはアリオスの異動命令の書類の束だった。

アンジェリークはレイチェルに抱きついた。
「レイチェル! ありがとう! 大好きよ」 
「こら、アンジェリーク。お前、抱きつく相手を間違えんな」
「へーんだ。結婚したからってアンジェは
 アナタだけのものじゃないもんね」
アンジェリークをぎゅっと抱きしめてレイチェルは舌を出す。
アンジェリークの頭の上で二人が火花を散らす。
レイチェルとアリオスの戦いはまだまだ続くことになりそうである。 


                           〜to be continued〜



なんかこんなんで良いんでしょうか…?
トロワその後、プロポーズ編です。
はじめはプロポーズのシーンだけだったのに
文章増やしたら状況説明ばっかりに…。

いや…アリオスに「あの言葉」を言わせようとしたら
そういう背景も書かなきゃかなぁ、
という気もしてきちゃいまして…。
悩んだ末のプロポーズの言葉がアレです…。

プロポーズってこともありちょっと
シリアスっぽい雰囲気も入っちゃって…。
リクエストの趣旨に反しているかも。
新婚話の方がバカップル度高いです。

 

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