LIFE - 2

「少し休憩するか」
執務室の時計を見て、アリオスは必死に書類と格闘している
アンジェリークに声をかけた。
「うん…」
アンジェリークはうーん、と伸びをする。
机の上にぱたりと伏せて窓の外を見つめている。
瞳に映るのは昼下がりの暖かな雰囲気。
「いいお天気…。お散歩したら気持ちよさそう」
今はとてもではないがそんな余裕はないけれど。
「抜け出すか?」
「もう…そんなこと出来るわけないじゃない」
彼が本気で言ってないことが分かるから、くすくすとアンジェリークは笑う。
「だいたいこんなに忙しいのは私達のせいなんだから」


アンジェリークとアリオスは皆に祝福されて結婚式を終えた。
一度は遠慮したものの、一週間の新婚旅行もプレゼントされた。
しかし、その前後がかなり忙しくなってしまったが…。
一応、旅行中でもレイチェルがフォローをしてくれているから
宇宙の育成に問題はない。
ただアンジェリークがやらなければならない仕事は溜まってしまう。
結果、旅行を終えた二人を待ち受けていたものは膨大な量の仕事だった。
この一週間働き詰めである。
土の曜日である今日もずっと仕事をしている。
「それでも…アリオスと旅行に行けたのは嬉しかったな…」
素敵なプレゼントをくれたレイチェルにはいくら感謝してもしきれない。
「次はいつ行けるか分からないものね」
「行きたければまた連れてってやるよ」
いつのまにかアンジェリークの執務机に浅く腰掛けていた
アリオスが優しく微笑んで、身を屈めた。
アンジェリークは瞳を閉じてそれを受け入れる。

「入るよー?」
元気な声とともにノックの音がした。
「そろそろ休憩の時間だし、お茶用意してきたよ」
「あ、ありがとう。レイチェル」
アリオスからぱっと身体を離し、アンジェリークは真っ赤になりながら
お礼を言った。
そんな可愛らしい彼女の様子を見てレイチェルは苦笑する。
「まーったく…いくら夫婦だからって、場所をわきまえなよね」
レイチェルはアリオスの方を見て、忠告した。
「みんな最近、執務室に入るの怖がってんだから」
「え…?」
きょとんとするアンジェリークに対してアリオスはクッと笑っている。
「なら入ってくんな、って言っとけよ」

宮殿の人間の中で広まりつつある噂があった。
この新婚カップルは時間は選ぶが場所は選ばない…と。
アリオスは執務中はどれだけ長い間、部屋に二人きりでいようと
決してアンジェリークに手を出さない。
だが、執務時間外となると話は違った。
もともとアリオスは他人の目など気にしないのである。
以前二人が恋人同士だった時は、一部の人間以外には
知られないようにしていたが、関係が公になってからは
仲睦まじい二人の目撃談は増える一方であった。
ちなみに部下達が困ったランキングベスト1は
「休憩中と知らず、執務室に足を運んでしまった時」である。


「うー…やっと片付いた…」
休憩後、三人で仕事を続け、なんとか来週からは通常通りの執務に
戻れそうな目処がついた。
食事もお風呂も済ませ、あとは寝るだけ、とアンジェリークは
ベッドに倒れこむ。栗色の髪がベッドの上に散らばる。
「ったく…ある意味、軍の仕事よりハードだったぜ…」
「アリオスは私よりもずっと仕事の量、多かったもんね」
隣で横になるアリオスにごくろうさま、と微笑む。
事実アリオスのこなした量は半端ではなかった。
女王側の仕事と軍・研究院に関わる重要事項など、仕事を受け持つ
範囲が広い為、それはもう馬車馬の如く働かせられた。
確かにアンジェリークのそばにいられる時間は増えたが、
三箇所で働くはめになり、実はいいように使われている、
という気がしないでもない。
アリオスにそれができるだけの実力がある、というのがそもそもの
原因でもあるのだが。

「それなりの報酬は期待してもいいんだろうな?」
アリオスは口の端を上げて笑う。
「え?」
「明日は休みだろ」
「ちょ、アリオス…待っ…」
「一週間も待たされたんだぜ?」
さすがに旅行の疲れをとる間もなく執務に追われ、倒れこむように眠る
彼女に無理をさせるのはよくない、と寝顔を見守るだけにしていたのだ。
まぁ、旅行中、連日可愛がりすぎた、という自覚があったせいもあるが。

結婚する前よりも減ってるのはどういうことだ?と囁く。
「そんなこと言われても…」
真上から見下ろされ、アンジェリークは顔を赤らめて困ったように
視線を逸らす。
その仕種がどれだけ、彼をその気にさせるか本人は気付いていない。
「無茶はさせねぇよ」
どんな宝石にも負けない金と碧の瞳に見つめられ、甘くて低い、胸に
響く声で囁かれ、優しく口接けられたら抵抗などできない。
「本当?」
せめてそう言うのが関の山、である。
とことん自分は彼に甘い、と思う瞬間であった。

「アリオス…も…ダメ…」
際限のない欲望にアンジェリークはストップをかける。
「明日…お休みだけど…、大事なお客様…
 来るのよ…?  もうこれ以上は…」
「俺としてはまだまだなんだけどな…」
「ず、ずるい…」
無茶させないって言ったくせに、という言葉は唇とともに遮られる。
「そんなに大事な客かよ?」
「ええ。アリオスにとってもそうじゃない?」
あっさり肯定され、アリオスは面白くなさそうに眉をしかめる。
「これより優先するべきこととは思えねぇ」
「や…アリオス…だめだってば…も、寝るのぉ」
「これが最後だ」
「だって…これ…何回目の最後よぉ…」
本当に自分は彼に甘い、いいかげん学習しなくては、とアンジェリークは
本気で思ったが、それが実現できる確率はまだまだ低そうである。


「………」
カーテンを閉め忘れたせいで、朝の日差しが入ってくる。
鳥のさえずりにアンジェリークは目を覚ました。
自分をしっかりと抱きしめているアリオスの寝顔を見つめる。
こんな時、幸せだなと思う。
以前はちゃんとアリオスの部屋もベッドも別にあったのだ。
こういう朝を迎えても、彼は皆に見つからないうちに戻らなきゃ
いけないとか、なんだかいけないことをしているような気がする…
という後ろめたさがどこかにあった。
今は彼がここにいるのが当たり前。
そんな毎朝がとても嬉しい。

「でも…どうしよう…」
嬉しいことは嬉しいが彼に抱かれているせいで
ベッドから抜け出すことができない。
下手に動くと起こしてしまうだろうし…と困っていると
ますます強く抱きしめられた。
「なにがどうしようなんだ?」
「な、アリオス…起きてたの?」
「お前より早く起きてないとお前の寝顔が見られないだろうが」
「………バカ…」
「そのバカをついさっきやってたのは誰だよ?」
低い笑い声を直接肌に感じ、アンジェリークは頬を赤らめる。
「いいのっ、私は。それより準備しないと…」
今日のお昼は大事な客がくるのだ。
「できれば俺は会いたくねぇな…」
「またそんなことを…」
「俺はあいつらからお前を奪ったんだぜ?
 なに言われることか…考えたくねぇ」
「みなさん祝福してくださったじゃない…?」
「鈍いお前にはわからねぇよ」
きょとんとしている彼女に、アリオスはおはようのキスで誤魔化した。

やっと彼の腕から解放され、シャワーを浴び、用意していた服に
袖を通してアンジェリークはあることに気付いた。
「……アリオスのバカ〜!」
どうしてくれるの?というアンジェリークの瞳に
彼女ほど準備に時間はかからないということで、いまだにベッドの
中から彼女を見守っていたアリオスは喉を鳴らして笑う。
「『大事』な客なんだろ?
 それにふさわしい服装にしたらどうだ?」
「……いじわるっ」


アンジェリークが言っていた大事な客とは故郷の宇宙の守護聖達だった。
一応結婚式の時にあちらの代表ということで、ジュリアス、クラヴィス・
ルヴァと、年長組がお祝いに来てくれたが、休日に他の守護聖も
お祝いをしに来てくれることとなったのだ。
「ホントびっくりしたよ〜☆ いきなり結婚したなんて聞かされて」
非公式の集まりなので、気軽に昼食を皆で食べながらの再会となった。
「ちゃんと陛下達には言いましたよー」
レイチェルはオリヴィエに笑って言い返した。
姉とも慕う彼女達には絶対伝えなくては、と真っ先に知らせたのだ。
しかし、向こうの彼女達は誰にもそのことを言わなかったらしい。
代表として来た三人でさえ
『ちょっとしたお祝い事があるの。行ってきてくれない?』
としか聞かされていなくて、いきなり二人の結婚式を目の前にし、
かなりうろたえたという…。

そんな金の髪の女王の意図は…
『だって言ったらきっとみんな大騒ぎすると思ったんですもの』 である。
確かに皆、この天使を愛しているし、誰か一人のものにするなど
断じて認めなかっただろう。
幸せそうな彼女を目の前にした今は素直に祝福できるが。
「しかし…前代未聞だな…。女王陛下の結婚とは…
 なぁ、お嬢ちゃん」
「…まずかった…ですか?」
不安そうな表情にオスカーは苦笑する。
「いや。その決断力に感心してるんだ。
 かなり勇気が要っただろう?」
もちろん、彼が嫌になったらいつでも俺のところにおいで、との
誘いもかけておく。

「だけどよー、話聞いたんだけど。アルカディアにいた時点から
 お前ら一緒にいたんだってな」
「あ、日の曜日のデートの相手ってアリオスだったんだ」
「俺達、全然気付かなかったな。言ってくれれば良かったのに」
ゼフェル・マルセル・ランディの言葉にアンジェリークは
ごめんなさい、と微笑んだ。
「あの時はいろいろと大変な時期でしたからね。
 もめごとを増やさないようにとの配慮から隠されていたんでしょう」
優しいリュミエールの言葉にアンジェリークは感謝する。

「で、どうなのさ。新婚生活ってのは」
興味津々なオリヴィエの問いにアリオスは憮然と答える。
「仕事漬けでそれどころじゃねーよ」
この一週間のアリオスのだいたいのスケジュールをレイチェルが
説明し、皆その量に感心する。
内心ざまぁみろ、と思っている輩が何人いることか…。
「やっと休みかと思えばあんた達が来るってんで、
 なにかと忙しいし…」
非公式とはいえ、宇宙の要人のおもてなし。
それなりの準備や手はずは必要で…。
そういったものの大部分がアリオスの仕事となるのである。
「それはそれはご苦労様☆」
「心がこもってねー」
「それぐらいやってもらわないと割が合わないだろ?
 お嬢ちゃんを手に入れたんだぜ?」
「まぁな」
やはりそうきたか、とアリオスは不敵に笑って受け流す。

「ところでアンジェ。暑くない?」
見えない火花が散っている時、ふとマルセルがそんなふうに聞いた。
「え?」
アンジェリークはなぜか固まってしまう。
「だって、レイチェルに比べて着こんでるし…」
体調悪いんなら無理しなくていいよ、と気遣ってくれる。
そんなアンジェリークの格好は、淡いピンクのハイネックの
ロングワンピース。上に羽織っているのは薄手の長袖カーディガン。
対してレイチェルはノースリーブで短い丈のワンピース。
季節は初夏、別にレイチェルが薄着をしているわけではない。
アンジェリークはぎくりと首もとに手を当てる。
「だ、大丈夫ですよっ…ホントに」
その無意識の仕種がなにを指すか…。
気付いた二人…オスカーとオリヴィエは苦笑する。

本当なら夏物のワンピースを着るはずだったのだ。
しかしアリオスのせいでそれは着られなくなってしまった。
首筋にはしっかりと所有の証が刻まれていて…。
それだけではなく、腕や脚にまで。
おかげで、薄い長袖のカーディガンと
ロングワンピースで誤魔化すことになった。
たぶん昨夜言った『大事な客』という言葉がいけなかったのだろう、
とアンジェリークは推測している。
「やだやだ、仲のよろしいことで。 ごちそうさま♪」
「しっかり楽しんでそうじゃないか。無理させるんじゃないぞ」

他の人々が首を傾げるなか、オリヴィエとオスカーの
アリオスへの言葉にアンジェリークは真っ赤になった。
隣にいる彼を見上げて上目使いに睨む。
「…アリオスの…バカ…」
「言ってろよ」
誰の言葉もさして気にせず堂々と微笑む彼が一番のつわもの
かも知れない、とアンジェリークは思った。
なぜか笑みがもれてしまう。

今度こそ二人で幸せになろう。
ずっとずっと一緒に生きていこう。

                                  〜fin〜



お待たせしました新婚編です。
結婚式も新婚旅行もすっとばして
新しい二人の日常です。

こんな二人でよろしければtinkさまに捧げます。

 

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