Muse-1

「アリオスせんせー、メル今度はもみじ描いてくるね」
「あ、僕も。公園にすごい立派な樹があるからそこで描こうよ」
絵画教室のアトリエから元気な少年達の声が聞こえる。
今から現場へ行きそうな勢いの二人にアリオスは苦笑しながら言った。
「おいおい、次に来る時までの宿題なんだぜ?
 そんなに焦んなくても大丈夫だろ。もう日が暮れるぞ」
はーい、と声を合わせて返事をする、最後まで残っていた絵画教室の生徒、
メルとマルセルを送り出してアリオスは一息ついた。

そのとたん聞こえる押し殺した笑い声。
「意外に似合ってるんだね。アリオス先生」
「なんだよ、またあんたか。セイラン」
アリオスのセリフにセイランはわざとらしく悲しげな表情をする。
「歓迎してくれないのかい?
 我がいとこ殿は冷たい人だね。僕はここが気に入ってるのに」
「来るのは構わないが…教室は勘弁してもらいたいもんだな。
 まぁ、茶ぐらいは出してやるよ」
二人は広い屋敷の住居区の方へと移動した。
ちなみにアリオスが教えている教室は、屋敷の端に作った大きなアトリエである。

「初めて見たけど、けっこういい先生してるみたいだね」
「別に。仕事だからな。ガキのお守りとも言うが…」
自分の分のインスタントコーヒーを淹れかけて、
お前は紅茶の方が好きだったな、ともうひとつのカップには彼の好きな銘柄
の紅茶を淹れる。
「どうも」
ソファで優雅にお茶を飲みながら、セイランは今日来た目的を言った。
「新しい絵、描いた?」
「依頼されてたのは描いたが」
「自分のは描いてないんだね…」
アリオスはキャンバスを入れた平らな箱をセイランに差し出した。
中身を確かめ、セイランは溜め息をつく。

「本当にもったいないよ。これほどの技術はあるのに…」
「俺はお前とは違うんだよ。若き天才画家さん」
アリオスは皮肉げに微笑んだ。
「技術は努力すりゃ身に付くもんだ。
 ましてやうちの家系はそういう人種だしな」
アリオスの言う通り、彼の家系は画家や芸術関連の世界で成功している
人間が多い。もちろんアリオスの両親も例にもれない。
そしてアリオスも幼い頃からの英才教育は十分に自分のものにしていた。
いとこのセイランもそうである。
そしてセイランはすでに天才画家として世間に認められている。
「努力だけで身につくものでもないって…。
 先生やってて気付かないわけないだろう?」
アリオスには素質がある。
セイランの断言する視線とさりげに生徒に失礼な発言にアリオスは苦笑した。

「俺にはまだ描きたいものが見つからない。
 お前の言う伝えたい感情ってのが分からない」
「君は素質はあるんだよ。だから先生もやってられるし、依頼も来る」
「たいしたもんじゃねぇけどな」
確かに小さな仕事ばかりである。
どちらかと言うと絵画教室の方が収入は多い。
セイランはもう一度、渡された絵を見つめた。
それは繊細な飾りが施された花瓶に生けられた美しい華。
「こんなに綺麗に空間を写し取ることができるのに…
 それだけなのが残念だよ」
これじゃ写真とたいして変わらない、と辛辣な言葉を平然と受け止める。
彼の性格を知っていればこれくらい当たり前だし、
そして何より自分の弱点は自分でよくわかっていた。

「お前ならそこに感情とやらを吹き込めるんだろうが、
 俺にはそれがわからない」
「そのものを見て感じたことを描けばいい。
 自分の感動を絵で伝えようとすればいい」
「…ってことはあんたはかなりの感激屋なんだな」
クールな外見でいつも何かに感動している。
茶化して言うアリオスにセイランはそうさ、と頷いた。
「そこにあるだけでそれには意味がある。
 その発見を感動というんじゃないのかい?」
「そんなもんかね…」

わからん、といった表情をするアリオスを見ながら
セイランはティーカップをソーサーに戻した。
それを合図にアリオスは口を開いた。
「ところで…お前締め切り明日じゃなかったか?
 出来たからここに来てんだろうな?」
「…あまり根詰めたらいい作品はできないよ」
のっている時は食事も睡眠も放り出す奴の言うセリフではないだろう…。
「お前なぁ…気分転換にここに来るクセどうにかしろよ…」
「息抜きに散歩してたらこっちに足が向いちゃったんだよ」
アリオスは彼の屋敷にいるメイド達に同情した。
今ごろ大慌てでセイランを探し回っていることだろう。
「さっさと仕事に戻れ…。俺も買い物があるんだよ」
「ついでに散歩してきたら? 新しい発見があるかもしれないよ」


確かにセイランの言ったことは事実だった。
これを新しい発見というのだろう…たぶん、とアリオスは思った。
絵画教室で必要な画材を注文し、すぐに必要なものだけを
その場で包んでもらった帰りだった。
生徒の言葉を思い出したせいか、アリオスは公園に寄り道をしていた。
例の立派なもみじの樹を見てみようとそこへ行ったら…
すぐそばのベンチで一人の少女がうたた寝をしていた。

「………」
ここの治安は悪くないが、それでも年頃の少女がこんなところで
寝こけているのはどうだろう…。
それ以前にそろそろ日が暮れる。風邪をひく可能性は高い。
見ず知らずの他人だが、起こすべきなんだろうな、と思った
その時、強い風が通りぬけていった。
少女の栗色の髪と衣服をはためかせ、膝の上に置かれていたものを
吹き飛ばす。
アリオスは風になびく前髪を掻き揚げながらそれを見つめた。
彼女に歩み寄り、足下に落ちたそれを拾う。
それはスケッチブックだった。

ついでに表紙をめくってみようと思ったアリオスの動きを止めたのは
小さなくしゃみだった。
「…お目覚めか? 眠り姫」
少女は大きな海色の瞳を瞬かせてアリオスを見上げている。
「あなたは?」
「ただの通行人だ。わざわざ俺の目の前で落とすから
 拾わざるをえなくなったんだよ」
ほら、と差し出されるスケッチブックに少女は頬を赤らめる。
「あ、や、やだっ…私ったら…いつの間に寝て…」
自分の状況をようやく思い出し、彼女はうろたえながらも微笑んで
アリオスからスケッチブックを受け取った。
「ありがとうございます」
それはふわりとした、人の心を溶かすような笑顔だった。

「こんなとこでのんきに寝てんなよ?」
からかうように言われて少女は真っ赤になって答えた。
「あ、その…最初はここの紅葉をスケッチしてたんですっ。
 でも…日差しが、暖かくて…」
その必死な様子にアリオスは、くっと喉を鳴らして笑う。
そして彼女の隣に腰掛けた。
少女はそんな彼の様子をじっと見つめている。
「絵を…描いてんのか?」
彼女の視線を受け止め、アリオスは見返しながらきいた。
「はい。すぐ近くのアルカディアに通ってます」
少女は国内でも有数の名門美術学校の名をあげた。

純粋に彼女がどういう絵を描くのか興味を持って、アリオスは
少女が抱えているスケッチブックを指して言った。
「見せてもらえないか?」
「え…」
彼女の躊躇う表情を見てアリオスは意地悪く笑った。
「落とし物の礼は確か一割だったよな」
「………見せるだけなら」
とてもあげられるもんじゃありません、と謙遜した微笑みで
少女はアリオスにスケッチブックを渡した。

「………へぇ」
それは少女らしい優しい雰囲気の絵だった。
見るものの心を暖かくするような明るい風景。
今いる公園のいろんな光景が描かれていた。
眩しい若葉をつけた木々、噴水の側で遊ぶ子供達、
穏やかに光を反射する湖、etc。
「この公園ばかりだな。………?」
ページをめくっていったアリオスの形の良い眉が顰められる。
「何に迷っている…?」
アリオスの言葉に少女は驚きの表情でただ彼を見つめる。
「どうして分かるの?」
「俺もこの世界の人間だからな…」
「画家…なの?」
「売れてねぇけどな。絵画教室の講師の方がメインかな」
苦笑するアリオスを見ながら少女は問われた内容を語り出した。
「本当は…こんな話、人に聞かせるものじゃないんだけど…」

きっと通りすがりの他人だったから話せたのかもしれない、と少女は笑った。
「私は絵を描くのが好きで…進学の時、美術学校はアルカディア
 一本に絞ったの。ここがダメだったら、絵は趣味にするだけにして
 普通の学校へ行こう、と思って」
しかし、見事彼女はアルカディアの試験をパスした。
「すごく嬉しかった…。いろんなこと覚えて…上達が目に見えて
 現れてくれたりすると…」
だけど、と少女は輝いていた表情をふいに曇らせた。
「母が入院してしまって…。長いことベッドの上で暮らしてる」
最初のうちはそんなに長引くものじゃないだろう、という見解だったので
気楽に少女は母親の好きなこの近所の公園を母親の代わりに訪れ、
その景色をスケッチブックに納めて見せていた。

「でも…命に別状はないけれど、そんなにすぐ治るわけでもない、という
 ことが判明して…」
そこまで話すと彼女は自分の家族構成を説明した。
「父親は…私が小さい時に亡くなって…。
 母と私を叔父が面倒見てくれてたんだけど…」
少女は言いにくそうに話を続けた。
「絵を描き続けるには…美術学校に通い続けるには、その…
 すごくお金がかかるじゃない? そして治療代も同様で」
経済面では彼に頼るしかない、と少女は申し訳なさそうな
悔しそうな表情をする。
「叔父は芸術に関心のない人だから、最初は美術学校に入ることも
 反対してたの。将来なんの役に立つんだ?って…
 なんとか説得して、名門アルカディアに入学できるほどの
 実力があったら認めてやるって…。
 賭けに勝った私は今も通ってるけど…」
少女は小さく溜め息をついた。
「時々不安になる。絵を描くのは好き。
 でも、将来に繋がるほどの絵を描けるのか…そんな自信はなくて」
アルカディアに入った自分の実力を信じて、伸ばして、 
絶対望む未来を手に入れる、と頑張ってはいるものの
周りのレベルもやはりとても高くて、焦燥感は隠せない。
「…きっとそれが絵に出ちゃったんだね」
彼女は苦笑した。
「最近になって、そういうこと考え出したから…」
アリオスが目を止めたスケッチは後ろの方の数枚である。
つまり、つい最近の絵である。

「でも…すごいね。一瞬で見抜いちゃうんだ」
空気を変えようと少女は明るく感心したようにアリオスを見上げた。
「まぁ一応、見る目とそれなりの技術はマスターしてるからな」
「そうなんだ…」
ふぅん、と頷く少女はまたくしゃみをした。
「引き止めて悪かったな」
返さなくていい、と言ってアリオスは彼女にマフラーをまいてやる。
「でも…あ、私、たいていここで絵を描いてるから…。
 気が向いたら取りに来て?」
少女はいい考え、といわんばかりの表情でぽんと手を叩いた。
そして立ちあがり、いまさらだけど、と尋ねた。
「あなたの名前、聞いてもいい? 私はアンジェリーク」
「アリオス、だ」

そう、と嬉しそうに頷くとアンジェリークは急いで帰らなきゃ、と
駆け出した。しかし少し離れて立ち止まる。
「アリオス! ありがとう、話聞いてくれて。
 頭整理しながら話してて気付いたわ。
 私、やっぱり絵を描くの好きだから手放せない!
 叔父に認められるような絵をきっと描いてみせるわ」
彼女の前向きな意思と眩しい笑顔にアリオスは頷いた。
「なら…教えてやる。お前の絵、悪くない。
 技術はまだまだだが、優しくて暖かい。
 母親に伝えたい気持ちってのがちゃんと伝わってくる」
俺には描けないものをお前は描けている。
あのまま絵を諦めるようなら言うまいと思ったが…。
どうやら見込みはあるようだ。
「本当? 『アリオス先生』にそう言ってもらえるとなおさら頑張れるわ」
ふふ、と笑ってアンジェリークは駆けていった。
暇な時はこの公園に来てね、という言葉を残して。

「アンジェリークか…。面白いやつだな」
また会うのも悪くない、とアリオスは珍しくそう思った。
…この時点ではただ単純にそう思っていた。
そして、あいた時間は彼女と二人で公園で過ごすのが日課となった。

                        〜to be continued〜

 

またもや1話完結できませんでした…。
説明的文章だけで終わってしまいました。
しかもtinkさまのリクエストされた
「明るいけど陰のあるアンジェ」
が上手く表現できてないような…すみませんー。
そして私…美術に関してはまるっきりのど素人です。
深い話はわかりません…。
その点はご容赦を…(笑)


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