シンデレラのプレゼント

アンジェリークは慌てて口を押さえ、赤くなって周りに小さく頭を下げた。
広間に響く大声ではなかったにしろ、周囲の注目を浴びる程度にはなってしまった。
「アンジェリーク?」
アンジェリークは父親に小声で訪ねられ、戸惑いの瞳を上げた。
「なんで…アリオスがあそこにいるの…?」
「…ってアンジェちゃん、アリオスと知り合いだったんか?」
「知り合いっていうか…さっき言ってたそのうち紹介したい人って彼なんだけど…」
「「!!」」
少女の爆弾発言に2人は目を見張った。


「よぉ。やっぱり俺が見立てただけあるな。似合ってるぜ」
アリオスは挨拶を終えると彼と話したがっている人々の間をすり抜け
アンジェリークのところへとやってきた。
タキシードを着こなし、堂々としていてそれでいて優雅な空気を纏っている。
普通の店員っぽくないと初めて会った時に感じた違和感はこれだったのか、と
どこかで納得している自分もいるが、いまだに驚きが消えないアンジェリークは
アリオスを見つめて口をパクパクさせている。
「なんだよ。
 見つけたら声かけてやるって言っただろ?」
「言ってた…けど…」
こんな風に会うとは思っていなかった。
てっきりラグナの社員としてこの会場で働いているのかと思った。
まさかこのパーティーの主役だったなんて…。
アンジェリークが口篭っているとチャーリーが自分の質問をアリオスに投げかけた。
「アリオス、なんであんたがこの子と知り合いなん?」
「前にうちの店に来たんだよ」
「それだけ?」
「別にいいだろ」
なんで言わなきゃならないんだ、と眉を顰めるアリオスにチャーリーはつい小声で聞いてしまう。
アンジェリークの父親も側にいるのだ。
「言えないようなことなん?」
アリオスは大きく溜め息をついて答えてやった。
「そんなんじゃねぇよ。
 たまたま俺がロザリアのところに行って今日のタキシード作っていて…。
 その時、こいつが1人でドレス選びに困ってたから俺が見立ててやった」
「で、同時に口説いてたんか」
にっと笑うチャーリーにアリオスは不機嫌も露に声を低める。
「てめー、いい加減にしろよ?
 ラグナの名を落とすようなことするわけねぇだろ」
「どう考えてもそれでどうして付き合うまでになるんだか…不思議やろ?」
「知るか」

これ以上教えてたまるかと話を打ち切ってアリオスはアンジェリークの方を向く。
「ここじゃうるさい。
 静かなところにでも行くか」
「え…でも…」
自分はともかくパーティーの主役が抜け出していいのだろうか。
そんな思いがアンジェリークを躊躇わせた。
その躊躇いを正しく読んだのか読んでいないのか…
アリオスはああ、と気付いたように立ち止まった。
アンジェリークの父親に優雅に礼をする。
「ミスター・コレット。貴方のお嬢様をしばしお借りしてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ…。それはかまわないが…」
「アリオス…」
アンジェリークを見つめてふっと笑うと再び彼女の父親と向き合う。
「つい先日からアンジェリークと付き合っています。
 願わくば認めていただきたい」
誰にも頭を下げる必要のないアリオスの丁寧な申し出に彼は戸惑いを隠せない。
しかし、そのけじめに好感は抱ける。
大事な一人娘を奪おうという男だというのに。
なんでも自分の思い通りになると思っているただの傲慢な人物だったなら
いくらラグナの社長でも許さないつもりだったが…。
「うちのアンジェリークでいいのか?」
大切に育てた娘を卑下するつもりは毛頭ないが、
彼には彼に相応しい女性達が大勢いるしここにも集まっている。
この後一波乱あるのは目に見えている。
確かめるように問うとアリオスは不敵に笑ってみせた。
「アンジェリークがいいんです。他の女では駄目だ」
「アリオス…」
「…娘をよろしく頼むよ」
「お任せください」

アンジェリークの父親とチャーリーに一時の別れを告げて2人はテラスに出ていた。
アリオスは飲みかけのワイングラスを置きながら声をかけた。
「どうした? 食わねぇのか?」
テーブルにはアンジェリークのお気に入りの料理達が並んでいる。
ここまで来る通りすがりに取ってきたものだった。
しかし、アンジェリークはそれらに手を付けられなかった。
「アリオス…。どうして何にも教えてくれなかったの?」
先程まで感激に瞳を潤ませていたのに今は怒っている少女にアリオスは小さく肩を竦めた。
「俺も聞きたいぜ。
 どうして自分の行くパーティーの詳細を知らねぇんだよ」
「う…」
痛いところを突かれてアンジェリークは視線を逸らす。
「ラグナの新しい社長さんの就任パーティーとしか聞いてなかったし
 招待状とか関連書類すら見せてもらえなかったのよ」
今思えば、チャーリーの話によるとシンデレラの舞踏会のような招待状だったのだ。
父親が自分に見せたがらないのも分かる気がする。
彼はそういうのを望む人間ではない。
「せめて主役の名前ぐらい勉強しとけよ?」
「それは…反省してます」
ラグナなら自分にも父の会社にも特に親密な繋がりはない。
どうせ自分には関係のないものだと勝手に判断して調べなかった。

「それでも…私が何も知らないの分かってて黙ってるなんてひどいよ…」
アンジェリークが俯いてぽつりと呟く。
「何がひどいんだよ?
 お前は俺が社長だろうとなんだろうと気にするやつじゃないと思ったんだがな。
 俺の見当違いか?」
この少女なら社長の肩書きに臆する弱さもなく、
社長夫人の座に瞳を輝かせる強欲さもないと思った。
素の自分を見せられるし、向き合える女だと思った。
そうアリオスが言うとアンジェリークは呆然とアリオスを見上げた。
「アリオス…そんな風に見てくれてたんだ」
からかわれてるだけじゃなかったんだ、と安心したように笑う。
「あ、でも見当違いは当たってるかな?」
「?」
「私の怒ってる理由。
 私…アリオスのこと店員さんだと思ってたのに、実は社長さんだっていうのを
 黙ってたのずるいと思うけど…そんなことじゃないよ」
「じゃあなんだよ?」

「誕生日!」
びしっと指を突きつけてアンジェリークはアリオスを上目遣いに睨む。
「なんで今日だって教えてくれなかったの?」
「は?」
予想外の責めにアリオスは眉を上げた。
「まだ出会ったばっかりだし、情報不足なのは仕方ないじゃない。
 私、アリオスの誕生日がいつかなんて知らなかった。
 教えてくれなきゃわかんないよっ」
「………」
泣きそうな顔で怒る少女をアリオスはただ見つめる。
「私には…お祝いさせてくれないの…?」
今にも涙を零しそうな表情でまっすぐ見つめる姿も、小さく紡がれた問いも
なにもかもが愛しくてアリオスはアンジェリークを抱きしめた。

「アリオス…?
 なに、いきなり…?」
不意を突かれてアンジェリークはぱちぱちと彼の肩越しに夜空を見上げることしかできない。
「アリオス〜。
 もう、離してよっ。私、怒ってるんだからね?」
じたばたと逃げ出そうとする少女をアリオスはさらに強く抱きしめる。
「くっ…」
「なんで笑うのよ〜」
彼がくっくと笑っているのを耳に届く声と身体に伝わる震えで感じる。
「…さすが俺の選んだ女だよ」
「な…笑って言っても説得力ない〜」
肩書きとかそういったものを気にしていたのは結局
自分の方だったのかもしれない、と気付かされた。
周囲など気にせずアンジェリークはアンジェリークのしたいように愛してくれる。
「悪かったな…」
謝罪のキスを額に贈る。
「…分かったならよろしい」
機嫌を直してくれたアンジェリークを抱き直しながらアリオスは息をついた。
「だけどなぁ…。聞かれたならまだしも、自分から言えるかよ?
 まるで祝ってくれって催促してるみたいじゃねぇか」
そんな彼の言葉がどこかかわいく思えてアンジェリークはくすくす笑った。
「意地っ張りなんだから」

月と星の光とガラス戸の向こう側から漏れる光が一つに重なる影をつくる。
「アリオス…。
 好きな人の誕生日はね、お祝いさせてもらえるだけでもすごく嬉しいの」
キスの合間にアンジェリークが囁いた。
「お祝いしてもらうのも嬉しいけど、好きな人の誕生日を側でお祝いさせてもらえるのって
 すごく幸せだなって思うの」
「そういうもんか…」
私もアリオスと出会ってから気付いた気持ちだけどね、と微笑む少女の唇に再度触れ、
そしてアリオスも微笑んだ。
「…そうかもな。俺もお前の誕生日は何よりも祝ってやりたいと思うぜ」
「ありがとv」

でも…とアンジェリークが笑顔を曇らせて呟いた。
「私、本当になにも用意してないのよ?」
ラグナの社長宛てに父との連名で花とメッセージを送ったが、それは文字通り社交辞令。
「お前が祝いたいって言ってくれて側にいるだけで十分だけどな」
ついでに泊まってくか、と低い声で囁かれてアンジェリークは頬を染めた。
「もう…。
 前のデートで…その…しなきゃよかった、かな…」
聞かせるわけでもなく小さく小さく呟いたアンジェリークの独り言を
聞きとがめてアリオスは眉を顰めた。
「なんでだよ?」
後悔させるようなコトは誓ってしなかった…はずだ。
……まだ、今は。
と、心の中でアンジェリークが青ざめそうなことを考える。
「ほら…えーと…だからっ…」
そんなケダモノ的考えを読めるはずもなくアンジェリークは頬を染めて
アリオスを見上げた。
「……はじめてだったら…プレゼントにも…なったかなぁ…って」
「………。…っく」
数秒の沈黙の後、アリオスがくつくつと笑い出す。
「な、なんでまた笑うの〜」
「お前、可愛すぎ…」
後でしっかり受け取ってやるよ、と耳元に囁かれ、ついでとばかりに
耳朶を噛まれてアンジェリークは身体を竦ませた。
「泊まるって言ってないじゃない〜。
 それに、こんなんじゃプレゼントにならないよ…」
「『お前と過ごす誕生日の夜』ってのでいいじゃねぇか」
あっさりと言うアリオスにアンジェリークは首を振る。
「だって…それって、あの…特別なことじゃないじゃない?」
言外にこれからも一緒に夜を過ごすという少女の意思に
アリオスは笑みを漏らす。

「私としてはなにか…もっと納得のいくものプレゼントしたいんだけどなぁ。
 でも準備する時間もないし…」
自分へのプレゼントを一生懸命に考えてくれる少女が愛しい。
特に感慨もなかった自分の誕生日を素直に嬉しいと思える。
「別に形ある物じゃなくていいんだぜ?
 その気持ちで十分だ」
「う〜ん…」
恋人となってはじめてのイベント。
もっとしっかり準備して楽しい思い出にしたかったアンジェリークは
アリオスの言葉は嬉しかったが、それでも頷きかねた。


「アリオス様。ここにいらっしゃったのですか」
ふいに声がして2人は広間の方を振り向く。
おそらく、最初の挨拶だけしていなくなった主役を探していただろう部下の1人。
「悪いかよ?」
悪びれもなく問い返すアリオスをアンジェリークは窘めるように軽く睨む。
「ご挨拶をしたいと仰る方々がアリオス様をお待ちです」
「アリオス、お仕事行ってきて。
 私ならプレゼント考えて過ごしてるから」
意外に拘る少女を可愛く思いながら、アリオスはその頭に手の平を乗せた。
「ま、パーティーが終わるまで気の済むまで考えてろよ。
 なんだろうと受け取ってやるぜ?」
「うん。いってらっしゃい」
そこまで考える少女が何をプレゼントしてくれるのだろうか、という楽しみも増えた。
どうせ内容のない挨拶だが、仕事と割り切って行ってくるかという気にもなる。

少女は気が付いていないだろうがアリオスには分かっていた。
挨拶と言っても、役員達が選んだ女性達、その親達との顔合わせだろう。
アンジェリークに出会った今、それは無意味でしかない。
(人除け代わりにチャーリーを側に置いとくか…?)
広間に戻り、人々の注目を浴びながら歩いていたアリオスは
仮にも優良企業の社長を思い浮かべ、とても失礼なことを考えていた。
(ああ、それよりミスターコレットの方がいいよな)
有益な時間を過ごせることを考えると彼が1番である。
切れ者と名高いうえに本気でアンジェリークに惚れたアリオスならば
すぐにでも結納、式の段階まで話を進められる(笑)
しかし、生憎彼を待っていたのは『シンデレラの舞踏会』を催した役員の面子だった。
アリオスはうんざりしながら小さく息を吐き出し呟く。
「アンジェリークも連れてくればよかったか…?」
自分は彼女を選んだと宣言したい気分で一杯だった。
だが…まだ彼女にその覚悟があるかどうかは確認していない。
アリオスの方から手放すつもりはないし、
アンジェリークも離れる気はないと思えるが…
それとラグナの社長夫人になることはまた話が別である。


アリオスが広間に戻ってからアンジェリークは手摺りに体重をかけ、
綺麗に整えられた庭園を眺めながら悩んでいた。
(今、私が持ってるもの…)
しかし、普通の外出以上に荷物が少ない今、それは考えるだけ無駄だった。
持ってきた小さなカバンの中に入っているのはハンカチや口紅など
必要最低限のものだけである。
(今から何か買いに行くわけにも行かないし〜……)
そんなアンジェリークの思考はふいにかけられた声に中断された。
「ちょっといいかしら?」
振り向けば数人の女性。
誰もが明らかにアンジェリークよりも年上で美人で威圧感がある。
きっと…傍から見れば彼と釣り合うだろう大人の女性。
声をかけた彼女が中心核なのだろうな、と分かった。
「なんでしょうか?」
やや緊張しながらアンジェリークは周囲を見回す。
アリオスが密談用に選んだ場所だけあって広間からここは見えない。
今はガラス戸の内側はカーテンも閉められていておそらく誰かに
気付かれることはないのだろう。
(どうしようかな…。なんとか穏便に済ませた方がいいんだよね…?)
この後の展開が読める分、いくらか冷静でいられた。

「確か貴女…ミスターコレットのお嬢さんよね?」
語尾は訊ねているくせに瞳と口調は確信したそれである。
「はい。…よくご存知ですね」
アンジェリークにとってこれが初めてのパーティーだと言うのに…。
「この世界、情報はとても大切よ?
 たとえそれがどんなに些細なことであってもね」
「………」
含むような笑みで彼女が一歩近づくと甘いがきつい香りが漂う。
「本当に些細なことだけど…貴女が最近アリオス様の周りでよく見かけると聞いてね」
「噂ですよ。週に1度くらいしか会ってないもの」
事実2人が会ったのはまだたったの4回。
意図的に会った回数ならさらに減って2回。
誇張された噂に過ぎない。
そう伝えたかったが、女性の表情はさらに険しくなった。
「じゃあ、言い方を変えてあげるわ。
 最近アリオス様に気に入られている者がいる、と。
 あの多忙な方と週に1度も会えるのは光栄なことなのよ」
「……そうだったんだ…」
まったくそんな素振りを見せないから全然気付かずにいた。
素直にアンジェリークが呟くと女性は苛立たしげに綺麗な柳眉を顰める。
「まったく…なにも知らないのね。貴女なんかあの方には似合わないわ。
 側にいても足を引っ張るだけじゃない…。
 ただ単に見慣れない毛色の雑種が珍しくて構われてるだけなのよ。
 遊ばれてるだけなんだから分をわきまえなさい」
さすがにこの言葉にはアンジェリークもむっとした。
自分が上流階級の人間でないことは認めるが今の言葉は許せない。
(アリオスは遊びであんなこと言わない…しない…)
それは何より自分がよく知っている。
なんとか怒りを抑えようとアンジェリークは努力した。
「情報が大切って貴女は言ったけど…肝心なことは知らないのね。
 貴女の大好きなアリオスは趣味が悪いのよ。
 血統書付きよりも雑種が好きなんだから」
抑えきれずに先程言われた皮肉が混ざってしまったけれど…。

「貴女ねぇっ」
かっと怒りに頬を紅潮させた彼女が声を荒げるのと冷たい衝撃が来るのが同時だった。
テーブルの上に置かれたままのアリオスのワイングラス。
その中身がアンジェリークにかけられていた。
「…っ…」
「そこまでだ」
アンジェリークがまっすぐ相手を睨み返そうとしたその時、
邪魔が入ったと言うべきか、助けが来たと言うべきか…アリオスが戻ってきた。
「アリオス…どうして…」
意外に早く戻ってきた彼にアンジェリークは目を丸くする。
「イリーナ。これはやりすぎだろ。
 いくらお前の親父さんだろうと誤魔化すのが大変なんじゃねぇのか?」
「アリオス様!」
言い募ろうとする女性を低い声と鋭い視線が止めた。
「こいつに手を出すな」

「アリオスっ」
ふわりと抱き上げられてアンジェリークは声を上げた。
「離して。アリオスまで濡れちゃうよっ」
それにこんな目立つことをして広間を突っ切っては
後で大変なことになるのではないだろうか。
「黙って運ばれてろ。なんなら泣いてもいいぜ?」
「アリオス?」
なにか企んでるようなその顔をアンジェリークは抗議も忘れて見つめていた。


宿泊用客室の1つに運ばれてアンジェリークは怒ったように言った。
「アリオス、狙ったようなタイミングで来なかった?」
タオルでアンジェリークを拭いてやりながらアリオスは苦笑した。
「まぁ、間に入るタイミングを図ってたのは否定しねぇな」
どうしてもと呼び出されて言ったもののそこにいたのはイリーナの父親だけ。
彼はラグナの重役でもあるから別に不自然ではないのだが…。
しかしアリオスには引っかかった。
さりげなく問いただしてみれば娘にせがまれてアリオスを呼んだにも関わらず
その本人はどこかに行って戻ってこないと言う。
急いでアンジェリークのところに戻ってきてみれば予想通りだった。
「なら、もう少し待ってくれても良かったのに…」
アンジェリークが悔しげに呟く。
「あと一瞬遅ければ私が仕返ししてたのに」
「ばーか。だから止めたんだ」
アンジェリークの手がオレンジジュースのグラスに伸びるのを察して
黙ってやられるだけの少女ではないのだな、と感心しつつアリオスは止めに入った。
「どうしてっ?」
「お前は完全な被害者でいろ。
 向こうに付け入る隙を与えるな」
「?」
「アレを敵に回すのはあまり得策じゃねぇんだよ。
 俺は痛くも痒くもないが、お前んところはちょっとまずいだろ」
「…そうか…そうだね」
「だからお前はあいつに手を出すな」
「でも…じゃあ、私は黙ってるしかないの?」
そんなのは悔しい。
「今は泣いてる振りでもして被害者を演じてろ。
 あっちを完全に加害者にするんだ。後でしっかり反撃させてやるから」
「……この世界って面倒臭い…」

不満げな表情にアリオスは苦笑する。
「でも、お前も負けてなかったよな」
思い出したように笑う彼をアンジェリークはきょとんと見上げる。
「俺は趣味が悪いんだって?」
「………?」
ぱちぱちと瞬いて数秒。
「あっ! ああああの、アレ聞いてたの?」
「しっかりと聞かせてもらったぜ」
「ご、ごめんなさい〜」
「お前を選んで趣味悪ぃと言われるかどうかは疑問だけどな」
「え?」
周囲の男達から向けられる視線の意味に気付いていなかった
アンジェリークは首を傾げていた。


「ドレスはもうダメだな。
 代わりの用意させるから着替えろよ。
 いつまでも濡れてる服着てると風邪ひくぞ」
しばらくワインの紅い染みを取ろうとしていたがけっこう広範囲に渡っているうえ
薄い色合いのドレスに深紅の染みは目立つことこのうえない。
「……やっぱりお返ししておけばよかった」
アンジェリークはソファに座ってぽつりと呟いた。
「アンジェリーク」
咎めるようなアリオスの声にアンジェリークは反論する。
「分かってる。そんなことしない。でも…悔しいよ。
 アリオスやイリーナさんにとってはドレスの1着くらいたいしたことないかもしれないけど…。
 このドレス…私には特別なの…。
 なのにもう着られない」
言ったとたん我慢していた涙が滲んできた。
「アリオスが選んでくれた…
 アリオスと出会うきっかけになったドレスなのに…」
ずっとずっと大事にしようと思っていたのに初日でダメにしてしまった。
ぽろぽろと涙を零すアンジェリークをアリオスは抱きしめて背中を撫でてやる。
「アンジェリーク…。物に執着するなよ。
 どうせいつかは壊れたりなくなったりするんだ」
「でも…」
アリオスとの思い出の品だと思うとそんな風に割り切れない。
そう言いたげに見つめる潤んだ瞳を覗き込みながらアリオスはにやりと笑った。
「そんなもんに向ける余裕があるなら、もっと俺自身に執着持てよ」
「………アリオスったら」
ようやくアンジェリークはくすくすと笑い出した。

「ほら、着替えるんだろ。手伝ってやるぜ?」
「や、アリオス…ダメだよっ」
ようやく笑ってくれた少女。2人きりの部屋。
このシチュエーションをアリオスが見逃すはずはない。
「まだ…パーティー終わってない……んっ」
「美味いな。ワインの味がする」
「やだ、えっちっ」
肌蹴た胸元に口接けるアリオスをぽかぽか叩いて
アンジェリークはなんとか抵抗しようとする。
「プレゼントはコレでいいぜ」
ぴたりとアンジェリークの抵抗が止む。
意外に効いたか、と思いながらアリオスが少女の表情を窺うとアンジェリークは
小さく舌を出した。
「残念でした。プレゼントはちゃんと考えたもん」
「へぇ…なんだよ?」

押し倒されていたアンジェリークはリボンと一緒に飾っていた深紅のバラを手に取った。
まとめていた髪もさらさらと零れ落ちてくる。
そっとその花弁に口接けてアンジェリークはアリオスに差し出した。
「赤いバラの花言葉、知ってる?」
「まぁな」
バラは色によってその意味が変わるが赤の場合は『真実の愛』。
「アリオスに誓う」
アンジェリークはアリオスを見つめて微笑んだ。
「ずっとずっとアリオスのことを好きでいる。
 アリオスが望んでくれる限り側にいる」
「アンジェ…」
「正直どっぷり浸かりたくない世界だし大変そうだなぁ、とは思うんだけど。
 まぁ、アリオス手に入れるためなら頑張れるよ」
ふふ、と笑うアンジェリークにアリオスも微笑み返した。
「いいんだな?
 お前を巻き込んで」
アリオスもその辺は少々悩んでいた。
手放す気はないが表立ってアンジェリークの存在を公表するべきかどうか…。
面倒なことになるのは分かりきっているので、少女が頷かなければ
誰にも知られないように関係を続けていくだけだと思っていた。
ただ、それはそれで少女が悩みそうでどうしたものかと思っていたのだ。

「うん。シンデレラになってあげる。
 アリオスをシンデレラの『皇子様』にしてあげる」
「なんだそれ?」
「チャーリーさんが言ってたの。
 今日はシンデレラの舞踏会みたいなものだって」
「なるほどな…」
招待状云々のいきさつを知らなかった当の本人はアンジェリークからの
説明を聞いて面白そうに頷いた。
「さしずめ俺はその皇子様と魔法使いの爺の二役か?」
確かに舞踏会へ行く準備を整えてくれたのはアリオスである。
「アリオス、お爺さんじゃないもん」
「ちょうどいいじゃねぇか。
 魔法が解ければドレスも消える。このドレスは諦めろ」
「う〜…そうきたかぁ…」
「代わりに『ガラスの靴』を用意してやるから」
「え? どんなの?」
「後でのお楽しみだ」
今は別の楽しみがあるだろ、と囁く。
「だ、ダメだってば〜」
「パーティーが終わるまでに終わらせればいいんだろ?
 まだ時間はあるぜ」
何もなかった振りをして皆の前で平気で終宴の挨拶ができるのだろう、アリオスは。
しかし、アンジェリークにそれは無理な相談である。
コトの直後に父親やチャーリーに会ってもボロを出すだけだろう。
「私、アリオスみたいに図太くないもん…」
「ほぉ、言うじゃねぇか」
しまった、と口を押さえるがすでに遅い。
「図太い俺が親父さん達には上手く言っといてやるよ。
 お前の気分が悪くなったから休ませとく、とか理由つけてな」
「ア、アリオス…?」
「だから覚悟しろよ?」
「アリオス〜…ごめんなさいってば〜。
 ほら、シンデレラは12時には帰らないとっ! ねっ?」
なんとなく…まずいことになった、と直感で気付いたアンジェリークは
逃げようとしたのだが、もちろんこの皇子様が逃がしてくれるはずはなかった。
「知るかよ。
 あっさり逃がした童話の王子と俺を一緒にしないことだな」
結局その晩はこの部屋からアンジェリークが出ることはなかったとか。





翌日。
パーティーに招待された客の半分程は用意された部屋に泊まり、再び広間に集まっていた。
この日は社長に就任したアリオスの企画が発表されるのである。
代々ラグナは社長就任の儀式の1つとして自分の企画を用意する。
これを成功させられなければ社長の在位期間は短いと言われている。
逆に成功させれば社が繁栄すると言われている。
皆が見守る中、アリオスは新しいタイトルを出すことを宣言した。
「タイトルは『Angel』。
 これをイメージしたシリーズをオリヴィエにデザインを担当してもらって用意した」
そしてショーケースに入ったいくつかの見本が舞台に運ばれる。
「今までラグナになかったタイプの服だ。これが当たるはずだ」
カジュアルなものやエレガントものが多かったレディースだが、
今度は一転して少女らしい甘いイメージのものが並んでいた。
そしてアリオスはにやりと笑って言葉を続けた。
「それともう1つ。
 どうやらお前達は俺のパートナーをどうするか勝手に悩んでるようだから
 ここではっきりさせてやるぜ」
その発言にラグナの関係者やマスコミ記者達の顔色が変わる。
「やはりイリーナ嬢ですか?」
イリーナを始め、有力社長夫人候補の名が記者達から上がる。
「この『Angel』のイメージモデルをできるやつが俺のパートナーだ。
 できると思うやつは来いよ」

ざわついていた場がしんと静まる。それもそのはず。
今までアリオスの花嫁候補だった女性達には向かないジャンルだった。
彼女達はモデルとしては申し分ないが『Angel』のイメージとは明らかに違う。
本人達もそれが分かるから名乗りたいのにできない。
いったい誰を…?と再び場内がざわめきだす。
「誰もいないのか?」
アリオスは不敵な笑みを浮かべた。
「だったら俺の方で探したモデルを出すが?」
舞台の袖を見てアリオスは手を差し伸べる。
「来いよ。アンジェリーク」
アンジェリークは皆の注目を集め、緊張しながらアリオスの隣に歩いていく。
『Angel』シリーズのワンピースを着て。
周囲にほぉ、と感嘆の声が上がる。
「このアンジェリーク以上に『Angel』のモデルに向いてるやつはいないだろう」
アリオスの言葉と実際にそれを着たアンジェリークには
納得させるだけのものがあった。
「自分こそは、ってやつがいれば試してみてやってもいいが…
 勝ち目はないだろうな」
アンジェリークの肩を抱き寄せ、アリオスは宣言した。


会見が終わった後、アンジェリークは控え室のソファに沈み込んだ。
「緊張したよ〜」
「くっ、ご苦労さん」
「アリオスずるいよ〜。
 こんなこと一言も聞いてなかったよ」
朝眠い目をこすりながらアリオスに言われるままに
用意された服を着て会場に案内され…舞台に上がることになった。
「アンジェちゃん。ムダムダ☆
 アリオスのマイペースはちょっとやそっとじゃ直んないって」
そのうちこっちが慣れるからさ、とあまり嬉しくないことを
会見に参加した担当デザイナーのオリヴィエが言ってくれた。
「オリヴィエさん〜」
「なんたって今回一番大変だったのはワタシなんだからね☆
 突然アンジェちゃんをイメージしたシリーズを作れって言われて…。
 制作期間一月なかったよ☆」

アンジェリーク以上に『Angel』シリーズのモデル適任者がいるわけはないのである。
『Angel』シリーズそのものがアンジェリークをイメージして作られたものなのだから…。
アンジェリークと出会ったその日にアリオスは社長就任企画を変更した。
今まで考えていた企画はそのうち機会を見て出すことにして
『Angel』シリーズの立ち上げに切り替えたのだ。

「俺はちゃんと昨日言ったぜ?」
「ウソだぁ」
「『ガラスの靴』用意してやるって言っただろ?
 シンデレラ?」
「………」
アンジェリークは口をぱくぱくさせるだけで何も言い返せない。
「なるほど〜。上手いこと言うね☆
 確かにアンジェちゃんはシンデレラガールだよね」
シンデレラしか履けなかったガラスの靴=『Angel』シリーズのイメージモデル。
昨日の2人のやりとりを知らないオリヴィエでさえもしきりに頷いている。

「で、でもっ…アリオスの社長生命賭けた大事な企画なのに…」
自分なんかをモデルにしてしまって大丈夫なのだろうか…?
不安げな瞳のアンジェリークにアリオスはいつもの傲岸不遜な笑みを浮かべる。
「俺が売れるって言ってマスコミがそれなりに書き立てれれば
 流行りなんてどうとでもなるもんだ。
 おまけに話題性は十分あるしな」
『Angel』シリーズは世間も注目するラグナの社長就任企画でもあり、
その社長の婚約発表さえも兼ねている。
純粋な商品価値としても自信があるうえにこの話題性。
売れないはずがない、とアリオスは断言する。
「マスコミなんてのはこっちが利用するんだよ」
ゴシップ記事を恐れるのではなく利用させてもらう。
そう不敵に笑うアリオスは有能な社長なのかもしれない、と複雑な気持ちで
アンジェリークは思うしかなかった。
「それにこれでもう俺達のことに口出しできるやつはいないだろ?
 一応他のやつにもチャンスはやって、なおかつお前が選ばれたんだ」
「アリオス…」
「ま〜ったく…ホンネはそっちでしょう。
 アンジェちゃんを認めさせるために…」
「え?」
目を丸くするアンジェリークにオリヴィエはウィンクをした。
「まぁ、売れるって確信もあったんだろーし。
 ワタシも楽しめる仕事だったから引き受けたんだから気にしないでよ?
 お礼は立派にイメージモデルを務めてくれればいいからさ☆」
「う…それプレッシャーですよぉ」
「大丈夫!
 ワタシとアリオスがいるんだし。楽しもうよ」
それじゃ、ごゆっくり〜。という言葉を残してオリヴィエは
気をきかせたのか退室した。


「パパ…びっくりしてるかなぁ」
「ああ、平気だろ。昨日のうちに話しといたぜ」
「いつの間に…」
「お前が寝てる間に」
「っ…」
その瞬間、アンジェリークの顔は真っ赤になる。
眠っていた時間といえば、パーティーが終わる頃に一度アリオスが
アンジェリークを部屋に残して抜けた時か明け方のほんの数時間である。
「あの後、パパと普通にお話できたの…?」
散々した後にその父親と仕事の話ができるとは…。
良く言えば切り替えが早い。悪く言えば面の皮が厚い、とも言える…。
「お前にもこれくらいになってもらわねぇとな。
 未来のラグナの社長夫人?」
「む、ムリ! 絶〜対ムリ!」
「俺が望む限り側にいてくれるんじゃなかったのか?」
「うん…誓った」
それは紛れもない真実の気持ち。
「だったらそのために強くならねぇとな」
優しいキスをもらって「もしかしたらとんでもないプレゼントをしてしまった
のかもしれない」と思いながらもアンジェリークは頷いた。
「アリオス程にはなれないだろうけど…頑張るよ」
そう、とりあえず周囲の人間のプレッシャーやマスコミに負けない程度には。
…アリオス並に強くなってしまったらそれはそれで大問題である。
というか大迷惑。
周囲が望むのはアリオスの手綱を握る強さだろう。
そしてそれは近い将来に現実となる。


さらに翌日。
会見や事後処理で忙しかったアンジェリークはようやくレイチェルに電話をかけた。
「は〜?
 モデル? 婚約発表? 記者会見?」
「うん。なんかあっという間にそういうことになっちゃって…」
そしてレイチェルに求められるまま、事の次第をアンジェリークは説明した。
「あ、あの男手早すぎっ!
 っていうか確信犯!」
なんで私のアンジェといきなり婚約話にまでいくのよ〜、とレイチェルがなぜか悔しがる。
「あ、あの…レイチェル?」
「それで、アナタはそれでいいの?
 流されてるわけじゃないのね?」
「うん。アリオスと一緒にいたいの」
電話越しに聞こえるおっとりとした幸せそうな声はその表情までも想像できて…
レイチェルは溜め息をついた。
「あ〜あ。本当にエルの言った通り思いっきり巻き込まれちゃったよ」
「レイチェル?」
「あー、なんでもないヨ。とりあえず、おめでとう!
 また明日学校でね。ちゃんとお祝いしてあげる!」
「うん。ありがとう〜v」

あののんびり少女が婚約…。
本人はそこまで考えがいってないのだろうが学校では大騒ぎになるだろう。
「ある程度のことはあの男が手を回すんだろうけど…。
 その他の細かいフォローは私がするしかないじゃない」
アンジェリークのファンは多いだけに気が重くなる。
「アリオスのやつ〜、会ったらいっぱい文句言ってやるんだから」
突然少女の心を奪ってしまったことから始まって…
ラグナの騒動に巻き込んでしまったところまで。そしてこれからの心配事。
いくらでも言いたいことはある。
そしてうんざりさせるほどの長い文句の最後の最後に一言だけ付け加えてやるのだ。
「アンジェリークを幸せにできるのはアナタだけだからよろしくネ」と。
これくらいの意趣返しは許されるだろう。
そう1人で頷くレイチェルだった。


                                    〜 fin 〜





ようやく終わりましたです。

しかし、アリオスさんやりたい放題ですね。
まぁ、お誕生日創作なのでいつもよりも
その傾向強い…いや、いつもあんな感じか…(笑)
つられてアンジェもちょっとだけ強かったり…。
そしてレイチェルも強い。あとが怖いだろうな…(笑)
なにはともかくアリオス、お誕生日おめでとう〜♪




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