Fairy Tale



満月の晩のおまじない。
真夜中に月を紅茶に浮かべて祈る。
『妖精さん、どうか私のところへ来てください』





「今日はどのお茶にしようかな〜」
アンジェリークはパジャマ姿で鼻歌まじりにお茶の用意を始めた。
数年前亡くなった父親から聞いたおまじない。
妖精が現れて、願い事を叶えてくれる。
絶対的に信じてるわけじゃないけれど…
すでに習慣になってしまっている今、あえて止めるつもりはなかった。
この話が本当かどうかなんて分からない。
ただ…好きで飲んでいるお茶にこんな逸話がある。
それだけで楽しめる気がした。
「ん〜…あれもこれも試しちゃったよね…。
 あとは…」
棚に並んだコレクションを見上げながらアンジェリークは首を傾げた。
そしてふと目に入ったワインの瓶。
「ちょっとくらいいいかな?」
温かい湯気を上げる紅茶にポートワインと少しのハチミツとレモンを垂らして、ベランダに出る。
春の夜も大分過ごしやすくなってきた。
髪を撫でる風が心地良い。
お茶請けのクッキーも数枚お皿に準備した。
夜中に物を食べるのはあまり良くないはずだけど…満月の晩だけは例外ということで。
「いただきま〜す」
ティーカップの中に満月を浮かべて覗き込む。
「紅茶の妖精さんかぁ。
 もしも本当にいるのなら、会ってみたいな…」
数秒覗き込んで、ふっと笑う。
「なぁんてそんなこと起きるわけないか」
飲み頃になっただろう、とアンジェリークはカップに口を付けようとしたがそれはできなかった。
「きゃ…なに?」
辺りには目も眩むほどの光。
近所のどこかが光っているわけでもなく、空が光っているわけでもない。
正体不明の光が眩しすぎて…つい怖くなってしゃがみこんでしまった。
「おい」
「………」
少し低い、耳に心地良い男の声が聞こえた気がしたが、
まさか自分に声をかけられているとは思わなくて、アンジェリークはそのまま動かなかった。
「呼び出しといて無視するか?」
皮肉げな響きにアンジェリークはぱちぱちと瞬きながら顔を上げた。
夜空と月の光が似合う青年。
銀髪がゆるやかに月光を弾く。
神秘的な金と翡翠の異色の瞳と見惚れるほどの美貌。
なのに手の平に乗ってしまうほど可愛らしい姿。
テーブルの上に立ってアンジェリークを見下ろしている。
(呼び出し…って…まさか…)
「妖精さん!?」
「そうだ。俺はアリオス。
 お前が俺の主人だな。名前は?」
てきぱきと話を進める彼のペースにアンジェリークは呆然と答える。
「アンジェリーク…」
「ふぅん…。天使、か…。
 いいんじゃねぇ?」
「ありがとう」
自分の名を誉められるのは純粋に嬉しい。
アンジェリークはふわりと微笑んだ。



「あの…あなた、本物?
 これ、現実…?」
とりあえず落ち付けそうな自分の部屋に戻ってアンジェリークは彼に尋ねた。
まだ現実の事だと認識できない。
夢かもしれないと思ってしまう。
戸惑っている少女にテーブルの上に座っていた彼は苦笑した。
「ああ、本物だ。
 知ってて呼び出したんだろ?」
「そうだけど…。
 まさか本当に来るなんて思ってなかったから…びっくりした…」
「驚いたのはこっちだぜ。
 久々にお呼びがかかったんで来てみればお子様じゃねぇか」
「…あなたに言われたくないんだけど」
手の平サイズのその容姿は整いすぎている美貌を差し引いても可愛い人形のようで。
自分の子供っぽさを少々気にしているアンジェリークは頬を膨らませた。
「くっ、なに言ってやがる。
 こう見えてもお前よりずっと長く生きてるぜ?」
小さな肩を竦めてアリオスは言った。
「それにそういう意味じゃなくて…俺を呼ぶタイプじゃないように見えたんでな」
「タイプ?」
アンジェリークは不思議そうに首を傾げた。
栗色の髪がさらりと揺れる。
アリオスは目の前の自分と同じくらいの大きさのティーカップを視線で示した。
「紅茶にもいろいろあるだろ?
 その種類によって、呼び出される妖精は違うんだ」
紅茶の種類だけ妖精はいる。
そして、それとは異なる領域での妖精も存在する。
「俺はちょっと特殊でな。酒を入れた茶の担当だ。
 お前にまだ酒は早いだろ」
そう言われてアンジェリークは納得した。
「うん、確かにいつもは飲まないなぁ…」
家にあるもので試したことのないお茶はもうそれくらいしか思いつかなかったのだ。
未成年だし、お酒はあんまり好きじゃないから。
「でも…あなたに会えたから…これくらいなら好きになれそうよ」
花のように微笑む少女にアリオスも口の端を上げた。

いつまでもパジャマのままうろうろしていては風邪を引きかねないので
アンジェリークはベッドに潜って話を続けた。
枕元にあるくまのぬいぐるみの横にアリオスは座る。
「で、本題に入るぜ」
「本題?」
またまたきょとんとする少女にアリオスはわざとらしく息をついた。
「呼び出したクセに知らねぇのか?
 俺はお前の願い事を三つ叶えてやれる」
「あ…そういえばそんな風に聞いてたわ。
 でも…お願い事…ねぇ…」
誰もが一度は夢に見るおとぎ話によくある場面だが…
現実に起こってしまうと意外に考え込んでしまう。
「なんでも叶えてやるぜ?
 お前、ラッキーだったな。
 俺みたいなレアなやつは他のヤツらよりも魔力が強い」
「う〜ん…」
それでも悩み続ける少女にアリオスは呆れたように長い前髪をかきあげた。
「願い事があるから俺を呼んだんじゃねぇのか?」
「え…?
 あ、や、その…」
「なんだよ?」
アリオスは口篭るアンジェリークを左右色違いの瞳で見上げた。
「言っても怒らない?」
「さぁな」
とりあえず言ってみろよと促され、視線をさ迷わせた後にアンジェリークは白状した。
「お願い事なんて…考えたこともなかったの…」
「は?」 
「…妖精さんが本当にいるなら会ってみたいと…思っただけなの…」
頬を染めて呟く少女はそれは可愛らしかったが、アリオスはそれどころではなかった。
「…んだとぉ?
 俺はお前の願い事を叶えるまで帰れねぇんだぞ!」
彼の様子からしてさっさと叶えてさっさと帰る気だったのだろう。
だからアンジェリークは言うのを躊躇ったのだ。
「ふぇ〜ん…ごめんなさい〜」
短気な妖精にアンジェリークはひたすら謝った。



   ☆  ★  ☆



「まだ思いつかねぇのかよ」
数日後…登校途中のアンジェリークの肩に乗ったままアリオスは不機嫌そうに言った。
彼は自分の世界に帰るに帰れず、仕方なく少女と生活を共にしていた。
いつ願い事を叶える機会があるかもしれない、と
他人には姿を見えないようにして学校にもついていっている。
「ごめんね」
アンジェリークは小さく舌を出して苦笑した。
「いざとなると出てこないものね…」
「三つなんてどいつもこいつもあっという間に言うぜ?」
「ふぅん…」
青空を見上げてからアリオスに視線を転じ、アンジェリークは尋ねた。
「他の人達はどんなだった?」
「金だったり、恋愛だったり、家族のことだったり…
 けっこう人それぞれだな」
そして面白そうに口の端を上げた。
「なんでも叶えてやれる。
 ちなみに前回のヤツは宇宙征服したぜ?」
「へ?」
あまりに現実離れした単語にアンジェリークは目を丸くする。
「お前が住んでる次元とは違うけどな。
 タイミング図りながら俺をうまく利用した」
まぁまぁ楽しめたな、と浮かべるよくない笑みは妖精と言うよりも…別のものを想像させた。
「アリオス…実は妖精ってウソでしょう?
 悪魔の方が似合ってそう」
「くっ、失礼なヤツだな」
アリオスはくすくす笑うアンジェリークの髪を一房引っ張った。





「おっはよー☆」
元気な声にアンジェリークはアリオスとの会話を中断して振り返った。
「おはよう、レイチェル」
「アナタ、ま〜た独り言言ってたよ。
 ホントにここんとこ多いよね」
「そ、そかな…」
最近急激に増えた親友のそれにレイチェルは心配そうに覗き込む。
アンジェリーク本人にしてみれば、独り言ではなくアリオスとの普通の会話なのだが…。
「なんか悩み事?」
アンジェリークの肩に乗っている、レイチェルの視界に入っておかしくないはずの妖精が見えていたならば
その疑問は解消されたのだろうが、生憎彼の姿はアンジェリークにしか見えないらしい。
「レイチェルったら心配しすぎだよ〜。私元気よ」
悩みがないと言えば嘘になるが今は言えない。
願い事を叶え終わるまでは他人に話すな、とアリオスに言われたのだ。
それに…なんでも叶えてもらえるという願い事が思いつかなくて悩んでいるだなんて
信じてもらえたとしても怒られそうだ。
(っていうか呆れられちゃうだろうなぁ)
ここ数日で口の悪いアリオスに何回トロいと言われたことか…。
(なんで皆そんなにすぐお願い事が決まるんだろ…?)
「ほら、今みたいにぼ〜っとしてることも多いし」
「こいつの場合、いつもだろ」
すかさずアリオスが突っ込んだ。
「ひどい〜」
レイチェルの前なのについアリオスの意地悪、と続けようとしてアンジェリークは慌てて口篭る。
「…そんなことないもん」
「ま、そういうことにしといてあげるヨ」
「そういうことにしといてやるか」
図らずも苦笑しながら同時に紡がれたセリフは同じものだった。
「………」
万人におっとりしている印象を与える少女は黙り込んでしまった。
「じゃあな」
校舎に入る前にアリオスは一度アンジェリークと別れる。
授業中は気が散るだろうと離れているのだ。
アリオス曰く、『狭苦しい教室に詰められてわざわざ勉強に付き合う気はない。
その辺で昼寝している』なのだが。
アンジェリークは好意的にそう解釈している。
「願いが決まったらすぐに呼べよ?」
『うん』と頷いてアンジェリークはレイチェルと教室へと向かった。





(お願い事お願い事…)
アンジェリークは暇さえあれば考えているが、なかなか思いつかない。
「ね、レイチェル。
 もし願い事を叶えてもらえるとしたら何をお願いする?」
「ナニ? 突然…」
レイチェルがまとめていた生徒会の書類から顔を上げた。
アンジェリークは生徒会の人間ではないが所属している部活もなく、
割と自由な身なのでよく親友の手伝いをしている。
いつの間にか生徒会のメンバーにも臨時要員として可愛がられていた。
今日も書類整理を任されていたが、アリオスに言わせると雑用係である。
「ん〜、なんとなく…」
「そーだねー…私だったらやっぱ素敵なカレシが欲しいかな〜」
「俺が叶えてやろうか? お嬢ちゃん達」
「おかえりなさ〜い」
「オスカー先輩…」
一仕事終えて戻ってきた副会長を二人は出迎えた。
「面白そうな話だな」
女子生徒を魅了する微笑みもウィンクも片方には軽く受け流され、
片方にはその意味にすら気付いてもらえない。
「あはは、遠慮しとくヨ。苦労の方が多そうだし」
レイチェルは他の子ならば喜んで頷きそうな誘いをあっさり断る。
「相変わらずつれないな」
だが、そんなやり取りももはや日常茶飯事で…。
「こっちのお嬢ちゃんはどうかな?」
懲りずにアンジェリークに薔薇でもバックについてきそうな微笑みを向ける。
しかし相手はアンジェリークである。
「え〜と…」
ぱちぱちと瞬いてオスカーを見上げている。
「今のところ間に合ってます」
「………」
まるでなにかの勧誘でも断るようなセリフ。
そうオスカーとレイチェルの脳裏に同時に思い浮かんだ。
いつものふわりとした笑顔付きだから、勧誘のように嫌がっているわけではないのだろうが。
「あはは、アンジェってば最高!」
「え、え〜?」
「ふっ、お嬢ちゃんには敵わないな」
アンジェリークはなぜ笑われているのか分からず、不思議そうに二人をきょときょとと見比べていた。
あとでアリオスにも話して『どうしてだろう?』と聞いたら笑い声だけが返ってきた。





「彼…かぁ」
帰り道、レイチェルと別れてアンジェリークは呟いた。
「なんだ。そういう相手がいるのか?」
「ち、違うよ〜」
一つ目の願い事かとアリオスが尋ねると、アンジェリークは頬を染めて否定した。
そのはにかむ仕種は可愛らしい。
「好きな人自体いないからね。お願いのしようがないなぁ」
くすりと笑ってアリオスに尋ねる。
「がっかりした?
 早く帰してあげられなくてごめんね」
「別にかまわねぇよ」
アリオスは偉そうに腕を組んで言った。
「つい急かすように言っちまうけどな。どうせお前はさっさと願い言えねぇだろ。
 もう付き合う覚悟はしたからのんびり考えとけ。
 待っててやるから」
「ありがと」
「それに願いがすぐに思いつかねぇのは現状にほぼ不満はないってことだろ?
 悪いことじゃねぇよ」
「…アリオス」
まじまじとアンジェリークに見つめられ、アリオスは少女を見返した。
「なんだよ」
「優しいんだねぇ」
「………」
今まで会ったどんな人より態度はでかいし口も悪いけど…。
それでも好意を覚えてしまうのは願いを叶えてくれる妖精だからではなく、
本質的な優しさのせいだとアンジェリークは思っている。
しかしアリオスとしては真っ直ぐな瞳でしみじみと言われてしまうと居心地が悪い。
自分は本来そういうキャラではないはずだった。
眉を顰めてふいと顔を背ける。
「何言ってんだ」
「あ、照れてる〜?」
くすくすと笑う少女にアリオスはすぐにいつもの彼に戻った。
「ばーか。俺は人の願いを叶えてやる妖精さまだぜ?
 優しいに決まってんだろ」
「あ、そうだよね。優しくなきゃできないよね。
 あれ、どうしたの? アリオス?」
「………」
軽口のつもりで言ったのに妙に納得されて、アリオスは今度こそ大きな溜め息をついた。
この超マイペース少女といると自分のペースが狂わされる。
我ながら珍しいことだと思うと同時に直感的にやっかいな主人だと思った。





                                    〜 to be continued 〜







back      next