Fairy Tale
「アンジェリーク。あなた最近ネコでも拾ってきた?」 「え?」 「最近冷蔵庫の中身減るの早くない?」 お風呂上りのアンジェリークは明日の朝食とお弁当の下ごしらえをしていた母親に 尋ねられ、ぎくりと固まる。 母親は仕事でほとんど家にはいられない。 自然と夕食はアンジェリークが作り、今までは一人で食べていた。 だがアリオスが来てからは夕食のテーブルが賑やかになった。 さすがに母親がいる朝食の時は堂々と彼がテーブルにつくことはないが…。 小さな妖精の分も作るようになった。 量としてはそれほど違わないのだが、もともと女性二人分の食材など たいした量ではないので、その分僅かな変化も目立った。 「ネコ? 拾ってないよ」 内心ドキドキしながら笑って誤魔化す。 「じゃあイヌ?」 「拾ってない拾ってない。 イヌとかネコとか動物は拾ってないよ」 ふるふると首を横に振る。 誓って動物は拾ってない。 妖精は呼び出してしまったけれど…。 「そう? 気のせいかしら…」 「そうそう。もしいたら隠しててもすぐ見つかっちゃうよ」 「それもそうね」 「ママ疲れてる? お茶淹れてあげるからそれ飲んでゆっくり寝てね」 「ふふ…。ありがとう、アンジェ」 部屋に入るなりアンジェリークはティーカップを持ったまま器用にもずるずるとしゃがみこむ。 「あ〜。びっくりした〜」 「くっ、あれくらいのことでだらしねぇな」 二人のやりとりを見ていたアリオスが喉で笑うと、アンジェリークは拗ねたように頬を膨らませた。 「食材のことはなんとでも誤魔化しがきくから別にいいんだけど…」 反撃とばかりにアリオスを可愛らしく睨む。 「それ!」 アリオスがアンジェリークの部屋に持ちこんでいるワインボトルを指差す。 「お酒の減りに気付いちゃったら誤魔化せないなって思って焦ったのっ」 身体のサイズのわりにはけっこう飲む彼のおかげで アンジェリークの家のアルコール類は徐々に減っている。 「ああ。明日にでも補充しておいてやるから心配すんな」 アンジェリークの指摘に肩を竦めるとなんでもないことのように言い切った。 「補充って…」 アンジェリークはその方法が気になったが聞くべきではないかも…と思い直した。 アリオスが現れてからアンジェリークは少しだけ夜更かしをするクセができてしまった。 彼との話はとても弾むので終わらせるのがもったいないと思ってしまうし、 彼の故郷の話もまるでおとぎばなしのようで楽しみだった。 今夜も散々話した後、アンジェリークはベッドの中で呟いた。 「ホントはね…お願い事、ないわけでもないんだ」 「だったらさっさと言えばいいじゃねぇか。 三つあるうちのまだ一つ目だぜ?」 アリオスが心底呆れたように肩を竦める。 「思いついたんだけどね…でも、なんか違うと思ったから…」 今にも眠りそうな声で続きを紡ぐ。 「試しに言ってみろよ」 アンジェリークはアリオスに促されて少しだけ躊躇ったものの頷いた。 「パパに会いたいな…って」 父親が亡くなってすでに久しい。 ふと昔のことを思い出して無性に寂しくなる。 「でも…願い事にするにはなにか…ちょっと違うと思って」 そろそろ限界だったのか、アンジェリークの瞼が閉じかかる。 「お前がやれと言うならやってもいいけどな…」 本来ならば禁忌だが。 それ以前に人を甦らせるほどの魔力を持っている者は限られるが。 幸いと言うべきか…彼は時と場合によっては平気で常識など無視できるし、 それだけの飛び抜けた力も持っていた。 それでも真摯な眼差しで告げる。 「だが、解ってるようだな。 願いは今生きている者の為にある」 過去に囚われるようなものはごめんだ、と。 すでに夢の世界に入りかけている少女に柔らかい眼差しを向ける。 「お前、ばかだけどばかじゃねぇな」 起きている時に聞いたならあんまりだと頬を膨らませただろうが、今は違う。 ほとんど意識はないうえに、アリオスの雰囲気は言葉とは裏腹に とても優しくて穏やかだったから…。 「アリオス…?」 声にならないくらいに小さく囁いただけだった。 アリオスは宙に浮いたまま、眠る少女を見つめていた。 いつものからかう表情はない。 ばかだけどばかじゃない。 本当にそう思った。 あれだけ一生懸命考えていて願い事が思いつかないさまも、 人とはズレている、しかし決して不快ではないトロさも… 今までの人間とあまりに違いすぎて、呆れさせられたり驚かされたりする。 (救いようのねぇ馬鹿はたくさんいたけどな…) 今まで叶えてやった願いはそれこそ星の数ほどあるけれど…。 醜い願いも少なくはなかった。 それでも契約だからと叶えてやった。 『アリオス…実は妖精ってウソでしょう? 悪魔の方が似合ってそう』 ふと少女の言葉を思い出す。 あれはあながち嘘でもないな…と。 他の妖精と違ってどんな願い事でも叶えてやれる分、それに見合う人間が少なかった。 調子に乗って悪事に手を染め自滅した人間もいた。 強すぎる執着に死者を甦らせてやったこともあった。 結局すでに死んだ者と生きている者の格差はどんな魔力でも 埋めることができず、悲劇を生んだだけだったが。 最初のうちは警告や忠告をしていたが、いい加減アリオスもうんざりしてきた。 そのうち、期間限定の付き合いなのだから、後がどうなろうと知ったことじゃないと…。 そう割り切って主人の願い、というより欲望をただ忠実に叶えるようになった。 そうすればすぐに別れられる。 (いいヤツは少なかったからな…) それでも好ましい人間がいたからこそ、まだこの仕事を続けていられる。 そしてアリオスは確信していた。 今度の主人もそっち側の人間だと。 だから下手な願い事に泣く姿を見たくはない。 「お前の方がよっぽど妖精や天使だろ?」 出会ってから今までの少女とのやりとりを思い出し苦笑する。 「ああ、そういや名前自体『天使』だったか」 「ん…」 寝返りをうった拍子に掛け布団がずれる。 「まだまだガキだけどな」 ぱちんと指を鳴らすと、それはアンジェリークの肩まで引き上げられた。 あどけない寝顔にアリオスは見守る者の瞳で囁いた。 「おやすみ。俺のご主人様」 ☆ ★ ☆ そろそろアリオスを呼び出してから一月が経つ。 やはりアンジェリークはいまだに願いが思いつかずにいた。 ふ、と息をついて黒板から目を逸らす。 (どうしようかなぁ…) のんびり屋の自分でもいい加減どうにかしなければ、と思う。 (アリオス…早く帰りたいよね) そう考えて少し胸が痛んだ。 あまりにも自然に彼と一緒に過ごしてきたから、一人での過ごし方を忘れてしまってそうで…。 楽しかった分、寂しくなりそうで…。 「コレット…アンジェリーク・コレット」 考え事をしていたせいで、教師が自分の名を呼んでいる事に気付くのが遅れた。 「は、はいっ」 どの問題を当てられたのだろう、と慌てて立ち上がる。 「?」 しかし、すぐに教室のざわめきに違和感を覚える。 「レイチェル?」 後ろの親友に問いかけても分からないと首を振るばかり。 「そこの内線電話が鳴って先生が出て…で、アンジェを呼んだの」 逆に心当たりは?と尋ねられたが、もちろんそんなものはない。 ないのに…嫌な予感がする。 聞きたくない。 担任でもあるいつも明るい教師が難しい顔をしている。 「急いでアルカディア病院に行きなさい」 アンジェリークが教卓の側に行くと、皆に聞こえないような小声で言われた。 「病、院……?」 「お母さまが交通事故にあわれたらしい…」 「!」 その報告にアンジェリークは凍りついた。 「…や……やだ…」 思い出すのは父親のこと。 彼も交通事故で帰らぬ人となった。 立ち尽くすだけで動けない。 少しでも動いたら座り込んでしまいそうだった。 「アンジェリーク…」 気遣わしげな教師の声も遠いものに聞こえる。 「この馬鹿! ぼーっとしてんな。 さっさと行くぞ」 教室のドアが開く音と共に遠慮のない声が響く。 「アリオス…?」 根が生えたように動けないアンジェリークの手を引っ張って教室から連れ出す。 突然現れた長身の青年に教室中がざわめく。 「ま、待ちなさいっ…。…どうして…」 驚いた表情の教師が慌てて呼び止める。 学校関係者でもなければ、少女の保護者でも血縁関係でもない青年。 完全な部外者がなぜここにいて彼女を連れ出すのか。 教師の問いにアリオスは不敵な笑みで告げた。 「俺はこいつの僕なんでな」 事故のことを知らないクラスメイト達はこのとんでもない言葉を残していった 美形青年のアンジェリーク連れ去り事件を好奇心の目で見守っていた。 「アリオス…」 震える手を引っ張られ、うまく動かない足をなんとか動かして彼の後についていく。 なぜ玄関ではなく屋上に連れていかれているのか疑問にも思わずに。 いつの間にか涙が溢れて止まらなかった。 「ママが…」 「知ってる。重体だ」 「!」 教師にすら伝わっていなかった新しい情報を告げられて、アンジェリークは倒れそうになる。 「しっかりしろ」 「…だって…」 かつての恐怖に思考も身体も強張る。 (パパは…助からなかった…。 そのうえ重体だなんて…) 「アンジェリーク。落ちつけ」 叱るような少し低い声でアリオスは少女の頬を包み込み、上を向かせる。 「なんのために俺がいる?」 「え…」 「俺を使え」 金と翡翠の真剣な光がアンジェリークを捕らえる。 「あ…」 ようやく彼の意図を悟り、アンジェリークは一つ目の願いを口にした。 「ママを助けて…」 「了解。行くぞ」 「え?」 ふわりと一瞬の浮遊感。 気付けばそこは病院だった。 「ア、アリオス?」 少女の聞きたいことは分かるだろうに、ふっと笑っただけで受付へ歩き出してしまう。 それでも手を離さないでいてくれたのが嬉しかった。 案内された手術室の前でアンジェリークは不安げな顔をアリオスに向ける。 「俺を誰だと思ってる? 心配すんな。 ここに来る前に命を取り止めるようにはしてある」 相変わらずな余裕の笑みは安心をもたらしてくれる。 アンジェリークの髪を宥めるようにかきまぜる。 「すぐに戻る。いいコで待ってろ」 アンジェリークを椅子に座らせて彼は姿を消した。 アリオスは宣言した通り、すぐに戻ってきた。 そしてアンジェリークの隣に腰を下ろして説明を始めた。 「さっきも言ったが命に別状はない。 ただもう手術が始まっちまったから、下手に回復させるわけにもいかなくてな」 医者達の目の前で無傷の状態にまで治すことはできない。 やっかいな損傷部分や痕が残りそうな部分の治療だけをしておいたと告げた。 「ありがとう…」 「もっと早く気付けたなら、ここに運ばれる前に完璧に治してやれたんだがな…」 主人であるアンジェリークになにかあったならば 即座に察知できるが、それ以外の相手となるとそうはいかない。 「しばらくは入院することになるだろうよ」 悪かったな、と頭を撫でる手が優しくて、アンジェリークは再び泣き出してしまった。 「すごく…すごく感謝してる」 助からなくてもおかしくなかったのだから。 「一人じゃ…きっと恐くてここにも来られなかった。 アリオスは連れて来てくれて…助けてくれて…十分してくれた」 顔を覆って泣きじゃくりながらも感謝の意を伝える。 アリオスは震えるその肩を抱き寄せた。 「じゃあ、ついでだ」 胸を貸してやる。 泣き場所を作ってやる。 「好きなだけ泣けよ」 「ありがとう…。恐かった…。 アリオスがいてくれて本当に良かった」 そしてアンジェリークはアリオスに抱きついて思い切り泣いたのだった。 「アンジェリーク」 「ん…」 背中を叩かれてアンジェリークは目を覚ました。 泣き疲れてそのままアリオスの腕の中で眠ってしまったらしい。 「あ、あの…ごめん、なさいっ」 わたわたと身体を起こして謝る。 そんな様子に苦笑しながらアリオスは言った。 「そろそろ手術が終わるぞ」 「分かるの?」 「ああ。特に問題もなく終わりそうだな」 「良かった…本当にありがとう」 「どういたしまして」 ふっと笑うと大きな手がアンジェリークの瞼を覆う。 少し冷たいその感覚が気持ち良い。 「アリオス?」 「くっ、まるでウサギだったぜ?」 泣き腫らした目のことだと気付いてアンジェリークは真っ赤になった。 「そ、そんなみっともなかった?」 魔法ですぐに治さなければと思うくらいに…? 「さぁな」 「ア、アリオスってば〜」 手術も無事に終わり、入院の手続きをして、一度家に戻ることにしたアンジェリークは 先を歩く彼の後を追って…そしてふいに止まった。 だから怪訝そうにアリオスが振り返った。 「どうした? もうすぐ家に着くぞ」 「アリオス…おっきくなれたんだ…」 「………………」 今更ながらのセリフにアリオスは珍しく絶句した。 「お前なぁ…」 確かにこの姿を見せたのは今日が初めてで、しかもタイミングがタイミングだっただけに この質問が出るのは多少遅くなっても…落ちついてからでも無理はないと思った。 もしくは質問する間もなく順応するか…。 だが、目の前の少女は本当に今気付いたとばかりに瞳を丸くしているのだ。 「…今まで何見てたんだよ」 「…そうだよね…」 呆れた素振りを隠しもせずに言ってやるとアンジェリークも頷いた。 両手で頬を押さえてポツリと呟く。 「よっぽど…混乱してたのかな…」 ショックが大きすぎて頭がどこか麻痺していたのかもしれない、と思った。 彼に手を引かれてここへやって来たというのに。 その手は大きくて簡単に自分の手を包みこんでしまえた。 彼の腕の中で眠っていたのに。 広い胸と頼りになる腕に守られるように抱かれていた。 「………っ」 そこまで考えてアンジェリークは青ざめるべきか赤くなるべきか本気で迷った。 「ア、アリオスっ」 「今度はなんだよ」 「どっちが本当の姿?」 真剣に問う少女にアリオスはわけがわからないまま答えてやる。 「どっちも本当だけどな…それがどうかしたか?」 人間に呼び出される時はあの小さな妖精としての姿だし。 故郷では基本的に今の姿でいるし、人間に仕えている時も場合によってはこの姿でいる。 そう告げるとアンジェリークは小さな拳でアリオスをぽかぽかと攻撃する。 「どうかするよっ。 アリオスのバカ〜。えっち!」 「おい…」 聞き捨てならないセリフと行動にアリオスが不機嫌も露わに眉を顰める。 整った顔だけにそれは迫力があるのだが、今のアンジェリークには通用しない。 「今までずっとお風呂もベッドも一緒だったじゃない〜」 もしこの場に通りがかった人間がいたらぎょっとするかもしれない言葉だが、 アンジェリークは気付いてもいない。 アリオスは気にもしていない。 なんでもないことのように肩を竦めた。 「俺は最初に遠慮しただろうが」 『いい。自分でできるから俺のことは放っておけ』 『だって、アリオス。どうやってお風呂使うの?』 手の平サイズの姿の彼しか知らなかったアンジェリークは平然と言ったのだ。 サイズがサイズだけに男の人と言うより、小動物か人形のような印象しか持っていなかった。 今思えばどうしてそんな印象を持っていたのだろう、と自分を疑ってしまう。 『誰もいないはずのお風呂場とか洗面所から音が聞こえてくるのもまずいし』 それではまるで怪談だし、母親も不審に思うだろう。 だから…。 『一緒に入っちゃおうよ』 そう言い出したのは自分である。 寝る時も然り。 アリオスはその辺のクッションでもベッド代わりにしようとしていたのだ。 『アリオスが入るくらいの余裕はあるよ?』 『お前なぁ…警戒心とかねぇのかよ』 呆れたようにアリオスに言われて首を傾げて…アンジェリークはこう笑ったのだ。 『大丈夫。 そんなに寝相悪くないから潰しちゃったりしないと思うよ』 『そっちの警戒じゃなくてだな…………もういい』 アリオスは溜め息をつき、おっとりしすぎている少女を説得するのは諦め、 役得は役得として享受することにしたのだ。 「……ってことは私が悪いの〜?」 「お前の意見を通した結果だろ?」 アリオスは涼しい顔でアンジェリークの抗議を受け流す。 「だって…だって、アリオスこんなだって知らなかったんだもん!」 「こんなとは失礼なやつだな。 安心しろ。ガキは対象外だからな」 ぽんぽんと子供をあやすように頭を叩いてアリオスは家の中に入っていく。 『ガキ』の部分にむっとしながらアンジェリークも玄関を開ける。 「そんなに子供じゃないもん」 「なら今度は大人らしく風呂やベッド使ってみるか?」 どうせしばらく二人きりだしな…。 意地の悪い笑みを浮かべて言われた誘いに冗談と分かっていても顔が赤くなる。 「もうアリオスとは一緒にお風呂もベッドも入らない!」 過去の事実も消したいくらいだ。 「その姿も極力禁止!」 かっこよくて素敵だと思うけれど、 今までのように四六時中一緒にいることを考えると心臓に悪い。 壁に張りついてアリオスとの距離を最大限に取りながら叫ぶ。 そんなアンジェリークのパニックぶりをアリオスは本当に可笑しそうに笑っている。 願い事はあと二つ。 (心臓保つかしら…) ばくばくとなる鼓動を気にしながら、アンジェリークはちらりと思った。 「どうせお前があと二つ願いを言うまでは帰れねぇんだ。 楽しくやろうぜ?」 アリオスの腕がとん、とアンジェリークの顔のすぐ脇の壁に置かれた。 「っ!」 頬にキスされてアンジェリークはずるずるとしゃがみこむ。 (ぜ、絶対、おもちゃにされてる…) その証拠にアリオスは今もアンジェリークの反応を面白がっている。 「楽しいのはアリオスだけでしょっ。 アリオスのばか! いじわる〜」 やっぱり自分の心臓は保たないかも…と思ってしまうアンジェリークだった。 〜 to be continued 〜 |