Honey



出会いは偶然だった。
だが、後から思い返せば必然だったのだろうと頷ける。



真夜中。
アリオスは向かっていたパソコンから意識を逸らすとひとつ伸びをした。
「こんなもんだろ…」
一息つくかとデスクを離れる。
しかし…つい忘れていた。
締め切りを破った罰だとかで担当編集者にアルコール類は取り上げられていたのだ。
しばらくの半監禁生活でコーヒーも切らしている。
「となると……」
ほぼ空に近い冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターか。
そう考えたところで担当がアルコールの代わりに置いていったものを思い出した。

アリオスが自分で紅茶を淹れるのは珍しい。
彼はどちらかと言えばコーヒー党である。
しかし緑茶好きの担当が勧めるくらいなのだから
味は信頼できるのだろう、と試してみることにしたのだ。
「私も普段は緑茶なんですけれどねぇ。
 これは自信を持ってお勧めします」
「それはいいが、どうしてこんなもんまで一緒なんだよ」
別に紅茶が嫌いというわけでもないので、それほど抵抗はなかった。
ただアリオスが問題視していたのは茶葉に添えられた小さなビンだった。
「俺が甘いの苦手なのは知ってるだろ」
「ええ、もちろん。
 それでもお勧めしますよ」
気に入らなければ二度と口にしなくてもいいから一度は試してみてくれ、と
微笑まれて仕方なく受け取ったもの。
とろりと光るそれは蜂蜜だった。
そこまで言うのだからとりあえず試してみるかと
ティースプーン一救い分取って、琥珀色の液体をかき混ぜる。
「……っと」
ふいに吹き込んできた風にデスク上の書類が飛ばされ、
運良くアリオスの方へと来たので床に落ちる前にキャッチする。
「窓、開けっ放しだったか」
アリオスはカップを持ったままベランダへと続くガラスドアを閉めに行った。
そして何気なく夜空を見上げ、今夜が満月だと気付く。
中秋の名月と呼ばれるものだ。
そのままベランダへ出て、なんとなく次の小説の題材を考える。
「ありふれてるが月でもいいかもな」
今まで口を付けずにいたティーカップの水面に月を浮かべて呟いた。
ゆらゆらと揺れるそれをスプーンでかき混ぜ壊す。
「ルヴァのお勧めとやらを味わってみるか」
口に合わなかったら没収された倍の酒でも用意させてやろうか、などと企みながら。
しかし、それは実現することはなかった。
後々感謝してやってもいい、とすら思ったほどだった。



「!」
突然の目も眩むほどの光が辺りを包む。
その直後に耳と心に心地良い澄んだ声が聞こえた。
「はじめまして、ご主人様。
 私、アンジェリークと申します」
「………」
「ご主人様?」
(ちょっと待て……)
アリオスは何とかこの突拍子もない目の前の現実を
常識的な頭で整理しようとしたが無駄に終わった。
栗色の髪に海色の瞳。
愛らしい顔立ちと人形のようなピンクのドレスと王冠。
そして掌に収まるまさに人形のようなサイズの少女がふわりと浮かび、
わざわざアリオスと視線を合わせられるようにして微笑んだのだ。
「どうしたのですか?」
凍りつくハメになった元凶に無邪気に尋ねられ、正直アリオスは戸惑った。
ただ、不審なことこのうえないが、悪意がなさそうなのは明らかなので
とりあえず会話は続けることにした。
普段の彼ならあっさり無視していたかもしれないが
この少女にそれをやるのはなぜか気が進まなかった。
「お前、何者だ?」
少女は大きな目をぱちぱちと瞬いて答えた。
「アンジェリークです」
「そうじゃなくてだな……」
アンジェリークと名乗った少女はぽんと手の平を合わせて頷いた。
「ではご主人様は偶然私を呼ばれたのですね」
「呼んだ?」
俺がいつお前を呼んだんだよ、という
訝しげな表情のアリオスにアンジェリークは告げた。
「満月の晩の魔法です。
 紅茶に月を浮かべることでこちらと私達の世界が繋がります。
 そして私達はその呼び出した方にお仕えし、三つの願い事を叶えるのです」
すらすらと説明されたもののどうにも理解しがたい。
自分が書く小説なんかよりもよっぽど現実離れしている。
ずいぶんと都合の良い話だと思うものの、現実に起こっている以上は否定もできない。
こんな手の込んだ悪戯を仕掛ける人間にも心当たりはない。
半ばやけのようにアリオスは言った。
「へぇ、お前が俺の願いを叶えるって言うのか?」
「はい!」
皮肉げな彼の表情も気にせずに少女は嬉しそうに頷いた。
「………」
毒気を抜かれるとはこのことである。
純粋で真っ直ぐすぎる。
しかし……。
「別にこれといって叶えて欲しい願いなんてねぇよ」
「え?」
信じられない、と言いたげに少女が目を見開くのを眺めながらアリオスは肩を竦めた。
ないものはないのだ。
人に叶えてもらうような願いなんてアリオスには本気で思いつかなかった。
望みがあるなら自分で叶えるものだと彼は思っているし、実際にそうしてきた。
周囲の人間はいつも彼が見せる余裕の態度から、
努力などという単語は似合わないと思っているが…。 
「本当に? ひとつも?」
さらに重ねて問うその必死な瞳に期待に副えられなくて悪い気がしてくる。
してくるが……どうしようもない。
だから素直にそのままを告げる。
「ああ。
 悪いが特に思い浮かばねぇ」
「そう、ですか……。
 でも、私…ご主人様の願いを三つ叶えるまで帰れない」
「叶えたことにして帰ればいいだろ?
 当事者の俺が許してやる」
そう提案したら少女は思いっきり首を横に振った。
さらさらの髪が左右に散らばる。
「それはイヤ。ご主人様に喜んでもらってもないのに……帰りたくないです。
 何もしないで帰るのはイヤ」
少女には少女の信念があるらしい。
きっぱりと言い切った。
「ご主人様が心からの願いを見つけるまで待ちます。
 ここにいても良いですか?
 ちゃんとお仕えします!」
小さな拳を握りしめる仕種がなんだか可愛くてアリオスはふっと笑った。
「そんなちびが何できるってんだよ?」
自分に『ご主人様』など似合わない。
彼女がいても良いが別に仕えなくてもかまわない。
そう言おうとしたら……。
「ちゃんとご主人様のお世話できますよ」
少女はにっこり笑って一瞬後には普通の人間サイズになっていた。



「紅茶女王?」
「はい。紅茶の妖精です。
 ……と言っても私の場合、ちょっと特殊でティーハニーのですけれど」
これか、とアリオスは指先でテーブルの上の小ビンを弾く。
「ご主人様はこのティーハニーを入れたので私が来ました。
 こっちだったら私の親友が……。もう一つのだったら私の先輩が来ていましたよ」
アリオスの部屋に戻って二人は席について紅茶を飲みながら話していた。
「普通は茶葉の種類によって紅茶王子や紅茶王女がいるものなんですけれどね。
 私達みたいな特殊型もいるんです」
「特殊型、か……」
こんな御伽噺みたいなこと自体が十分に特殊型とも思えるが、と
半ば呆れながらアリオスは呟いた。
「ええ。紅茶女王は四人しかいないんですよ。
 それに紅茶女王の呼び出し方は普通の紅茶の精の方法ほど
 広まってないので呼び出せる人もなかなかいないんです。
 だから私達もこちらに呼ばれる機会があまりなくって……」
そしてふわりと微笑んだ。
「貴方は私のはじめてのご主人様なんです。
 一生懸命お仕えしますから、よろしくお願いしますね」
「ああ、よろしくな。
 ……アンジェリーク」
少女が本当に嬉しそうに笑うから……。
アリオスもいつになく穏やかな気持ちになって微笑んだ。
とたんにアンジェリークが頬を染めてぱっと顔を輝かせる。
「なんだよ?」
「ご主人様、はじめて私の名前呼んでくれました!」
それだけのことで……と苦笑するアリオスに
アンジェリークはふるふると首を振る。
「大事なことです。
私を認めてくれた証拠です」
仕事に真面目で一途、でもどこか微笑ましい少女との会話は
アリオスにとってとても心地良かった。





「いやぁ〜、本当に呼び出すとは思わなかったですよ」
アンジェリークを呼び出した翌日は原稿の締切日だった。
原稿を取りに来たルヴァはそれらを確認しながら、にこにこと笑って言ったのだ。
「呼び出す方法を知らないでしょうし、
 ティーハニーを入れるかどうかも賭けでしたからねぇ」
「ならなんで俺にそんなもん渡したんだよ」
「なかなか貴重な体験ができたでしょう?」
作家が様々な経験をすることは作品に生かされることもある。
暗に次の原稿も期待していると告げられ
アリオスは前髪をかきあげながら肩を竦めた。
「まぁ、貴重は貴重だけどな……」
「それに、彼女達は幸せを運んでくれます。
 余計なお世話でしょうが貴方には必要だと思いましてね」
必要以上に他人に関わろうとしないアリオスに
単なる仕事相手としてではなく心を配ってくれる青年。
彼の穏やかな笑顔には勝てないものを感じる。
「ったく、別に俺は現状に不満はないってのに……」
呟きかけてアリオスははたと止まった。
「ずいぶん詳しく知ってるよな。それに彼女…達?」
アリオスの浮かべた疑問を察したようにルヴァは頷く。
「ロザリア。出てきてください」
「はい」
ルヴァの言葉に合わせて目の前に長い髪の上品な女性が現れる。
「ああ〜っ、ロザリア様!」
アリオスが驚くよりも前にお茶を用意してきたアンジェリークが声を上げた。
「お久しぶり、アンジェリーク。
 貴女が呼び出されていたのね」
ロザリアと呼ばれた女性はアンジェリークに微笑みかける。
「……ってことはやっぱり……」
「はい。私もロザリアを呼び出していたんですよ」
彼の場合は色々な文献に目を通していた時に、この召喚方法を知って試してみたと言う。
そしてロザリアに他の紅茶女王を呼び出せるティーハニーを
いくつか教えてもらいアリオスに渡した。
その時にちゃんと召喚方法を説明しなかったのは
アリオスの性格を把握している故である。
教えたところで素直にやる彼ではない。
むしろ、意地になってでもやらないかもしれない。
まだ偶然の方が呼び出す確率は高いと踏んでいた。
そしてその読みはまさしく正しかったのである。
結果、アリオスはアンジェリークを呼び出した。

「ロザリア様は私の先輩にあたる紅茶女王なんです」
アンジェリークが思わぬところで再会して嬉しそうな表情でアリオスに話した。
「私と私の親友が新しく紅茶女王になって……
 その前の代で紅茶女王になった方がロザリア様ともう一人の方なんです。
 まさかこちらで会うとは思わなかったです」
「ふふ。私も会えて嬉しいわ。
 レイチェルやもう一人のアンジェリークは元気にしているかしら?」
「ええ、とても元気です。
 私を見送る時に二人とも自分が行きたいって言ってたくらいですよ」
和やかなティータイムを終えてルヴァ達が出版社に戻る時に
ロザリアがアンジェリークに優しく言った。
「初仕事、頑張りなさい。
 何かあったらいつでも相談に乗るわ。
 私は大抵ルヴァ様と一緒に出版社で働いているから」
「ありがとうございます。ロザリア様」
アンジェリークは素直に頷く。
「というわけで、ご主人様。
 一生懸命頑張りますからこれからもよろしくお願いしますね」
花のような笑みにアリオスは願いなど到底思い浮かばないのに頷くしかなかった。
その横でルヴァは呑気に「やっぱり華があるとこの部屋も違いますねぇ」と微笑んでいた。

二人が出て行った後、片付けをしながらアンジェリークはアリオスに話しかけた。
「お仕事一段落着いたんですよね……?
 お散歩行きません?」
「俺ここ数日まともに寝てねぇんだぜ?」
「あ、ごめんなさいっ。やっぱりまた今度でいいです。
 この辺の地理を知りたかっただけなので……。
 あの、お買い物とかに困らないようにって……でも、一人で適当に見てきますからっ。
 ゆっくり休んでください」
正直睡眠不足でこのままベッドに行きたい気分だったが、
慌てて前言撤回する少女を見ていたら気が変わった。
苦笑しながら少女の背を軽く押して玄関に向かう。
「くっ、案内してやるよ。
 お前一人で行かせたら迷子になりそうだしな」
「ご主人様っ、私そんなに子供じゃないですよ。
 ちゃんと帰ってこれますっ」
アンジェリークは不満げに頬を膨らませた。
だがすぐにふわりと笑う。
「でも……一緒に行ってくれるのは嬉しいです。
 ありがとうございます」
その笑顔にルヴァが言ったように殺風景な生活から
華がある生活になるかもしれない、とアリオスは思った。



                                    〜 to be continued 〜







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