Honey
「おはようございます。ご主人様っ」 数日後……夜型生活だったアリオスはやたら健康的な生活を送っていた。 その原因は目の前にいる少女。 「あ〜、寝ちゃダメですってば。 今日は原稿仕上げるって言ってたじゃないですか。 今日中に渡さないといけないって……」 エプロン姿の少女に起こされて、アリオスは仕方なく起き上がる。 彼女の姿を見て、もうすでに朝食は準備できているのだろうと 分かるから起きないわけにはいかない。 「目が覚めないならシャワー浴びてきます?」 「いや、メシ作ってあるんだろ? 冷めちまうだろ。先に食う」 そのままタオルや着替えの服を用意しに行こうとした少女をアリオスが止める。 「ありがとうございます。 一緒に食べましょう?」 並みの新婚生活や同棲生活よりも尽くされてるんじゃないかと思うアリオスだった。 この世界の一般常識をよく知らなかったため、最初は戸惑っていたが 今では家事一般は完璧にこなしている。 煩すぎない、丁度いいレベルの気配りもアリオスには有り難かった。 何かと干渉してくる女はアリオスの苦手とする人種だった。 「不思議なやつだよな……」 「え? 私、またなにかヘンなことしました?」 まだこの世界に来て一週間も経たない少女は様々なことをしでかして楽しませてくれた。 「そういう意味じゃねぇよ」 くっと喉で笑って栗色の髪をかき混ぜる。 「着替えたらすぐ行く」 「二度寝したらダメですよ」 「分かってる」 キッチンに戻る少女の後姿を見送りながら、アリオスは我ながら不思議だと思っていた。 この自分が他人と、しかも一応女と暮らせるなどとは……。 面倒だという理由であまり深い付き合いはしてこなかった。 しかしアンジェリークとなら当たり前のように傍にいられる。 一緒にいるのが心地良い。 これが妖精のなせる業なのかアンジェリークだからなのかは、 まだ分からないが……。 午後……チャイムの音にアンジェリークが顔を上げる。 インターフォンで応答すると約束していたアリオスの担当編集者だった。 「今、開けますね」 ドアを開けるとルヴァとは違う別の出版社の編集者が立っていた。 赤い髪の長身の青年を見上げてアンジェリークはにっこり笑う。 「どうぞ」 「……ああ」 驚いたような表情の青年をアンジェリークは不思議そうに見つめる。 「あの……どうかしましたか?」 「ああ、すまない。 こんな可愛いお嬢ちゃんが出迎えてくれるとは思わなくてな」 芝居めいたセリフとウィンクにアンジェリークはくすくすと笑う。 「オスカー様、でしたよね。 面白い人ですね」 普通なら頬を染めて照れるなりするものだが、この少女はそんな気配はない。 オスカーはそれが新鮮だと思った。 そして、ついいつもの癖が出てしまう。 興味を惹かれたら口説かずにはいられない。 「俺は本気で言ってるんだがな。 お嬢ちゃん?」 リビングへと向かう途中で、熱く見つめて壁と両手で閉じ込める。 「え?」 しかし、きょとんと見つめ返す無邪気な少女と危険なまでに距離を詰めたところで邪魔が入った。 「人ん家でなにやってんだよ」 「ご主人様っ」 「ご主人様ぁ?」 声の主を振り返ってアンジェリークが迫られていた緊張感など跡形もなく (もともと危機感など感じていなかったのだが)ぱっと顔を輝かせる。 その言葉にオスカーも驚きながらアリオスを振り返った。 「ほらよ、原稿ならできてるぜ」 「確かにな」 ざっと目を通して確認したオスカーはキッチンでお客様用のティーセットを 用意している少女に目を走らせ、小声で話し出した。 「アリオス、これは犯罪だろう」 「……何がだよ」 アリオスは眉を顰めて聞き返す。 「あのお嬢ちゃんのことに決まってる。 まったく、俺が一月来ない間に……」 納得いかない、といった表情でオスカーは腕を組んでいる。 「どう見ても高校生くらいだろ? しかも思いっきり清純派。 なんでお前みたいな男と同棲が許されてるんだ」 「同棲なんかじゃねぇよ」 セリフの最中に引っかかるものはあったもののアリオスはさらりと返すだけにした。 「嘘つけ。一緒に暮らしてるのは部屋を見れば一目瞭然だぜ?」 確かに以前よりも大分明るくなったのは明らかである。 「それになんだよ? 『ご主人様』ってのは」 「言葉の通りだ。 俺はあいつの主ってことになってる」 主従だから同棲じゃないだろ?とアリオスは皮肉げに笑ってみせるが……。 「あんたがそういう趣味を持ってたとはこの俺でも気付かなかったぜ……。 まぁ、ああいう子相手にそういうシチュエーションも燃えるだろうが」 「……おい、誤解すんなよ? っていうかお前と一緒にするなよ」 ぶつぶつと真面目に呟く内容が内容なだけに さすがに誤解させたままにしておくつもりはなかった。 アリオスは仕方なくちょうどお茶を持ってきたアンジェリークを 席に座らせて最初から全部説明をした。 「へぇ……妖精、ね。 道理で普通のお嬢ちゃん達とは違う魅力を持ってたわけだ」 オスカーは信じているのかいないのか…… 話を聞いた後、そう言って笑った。 「そして、あくまでも主従関係ってことは 俺が口説いてもかまわないってことだよな」 「オスカー様?」 念を押すように言うオスカーにアンジェリークは首を傾げる。 アリオスはアリオスで余裕の笑みを浮かべ、長い足を組み直しながら言った。 「できるもんならやってみろよ。 こいつ鈍いうえに俺以外は眼中にねぇぞ」 「ふっ……面白い。 じゃあまたな、お嬢ちゃん」 オスカーが出て行くのを見送ってからもアンジェリークは展開が掴めずにいた。 「あのぉ……ご主人様?」 「くっ、絶対無理だってのに……。 お前が俺以外の誰かのものになるわけないのにな?」 金と翡翠の瞳に見つめられて、アンジェリークの鼓動が早まった。 「はい。私の主はご主人様ですもの」 彼は主人。 自分の仕える相手。 そういう契約である。 内心をどうか悟られないように、と思いながらアンジェリークは微笑み返した。 あれからオスカーは仕事の打ち合わせと称して頻繁に訪れるようになった。 ルヴァとロザリアの二人も何かと口実を作って足を運んでいる。 アリオスのマンションは以前に比べてずいぶんと賑やかになりつつあった。 そしてアリオス自身にも変化は生じていた。 「ご主人様。お時間あるなら一緒にお買い物行きましょう?」 こうしてねだられるのも嫌ではない。 以前の自分だったら……他の女相手だったら絶対に応じなかった。 買い物に行ったり、どこかへ連れて行ってやったりと 傍から見れば恋人にしか見えないのだろう。 どれだけ否定しても周囲の人間は同棲中の恋人同士だと 信じ込んでいるので、もう放っておいている。 真実を知っているオスカーは懲りずにアンジェリークを口説いているが 一向に進展はないようだ。 いつだったか冗談交じりに言っていた。 「いいよな。 あんな可愛いお嬢ちゃんにご主人様とか呼ばれてかいがいしく奉仕してもらって。 アリオス、その役俺に譲らないか? どうせ願い事なんて思いつかないんだろ?」 「……てめーが言うと奉仕の意味が違って聞こえてくるんだよ」 アリオスは眉を顰めて即断った。 「生憎あいつをやる気はねぇよ」 狼に羊を差し出したら食べるに決まっている。 「確かに叶えてほしい願い事なんてないが、譲る気はないぜ。 あいつは俺のものだ」 反応がいちいち面白いし、一緒にいて居心地が良い。 アリオスがアンジェリークを気に入っているのは事実である。 アリオスはそこまで考えてふと閃いた。 「アンジェリーク」 「はい?」 出かける支度をしていた少女が振り返る。 「俺の女になれよ」 「ふぇ?」 大きな目をさらに大きくしてアンジェリークは固まる。 アリオスはその表情を苦笑混じりに見つめていた。 我ながら唐突だとは思う。 少女が驚くのも無理はない。 ましてや、そっちの方面にはとことん疎そうな少女である。 「えー…と…?」 「一つ目の願い事だ。 それともこういうのはナシか?」 別に強制する気はアリオスにはなかった。 ならば惚れさせればいいだけだと彼らしい考えでいた。 長期戦覚悟で訊ねてみたらアンジェリークはふるふると首を振った。 「そういう決まりはないです」 そして頬を染めてあっちこっちに視線をさまよわせてからアリオスを見上げた。 まっすぐな眼差しがぶつかる。 「その願い事……。 私も…嬉しいです」 一見冷たそうに見えて実は優しい人。 主人に対してあるまじき感情を抱き始めて、焦っていた少女はふわりと微笑んだ。 「じゃあ、決まりだな」 「はい、ご主人様」 「もうご主人様はナシだ。 敬語もいらない」 そういうプレイを楽しむ者もいるが、アリオスはそれには該当しないし この少女とは対等でいたかった。 「じゃあ、アリオス……?」 「それでいい」 アリオスの腕の中で楽しそうに笑う少女に頬を寄せる。 二人は当たり前のように唇を重ねた。 「大好き」 アンジェリークは照れながらも綺麗に微笑んだ。 「ご主人様なのに……好きになっちゃって…どうしようって思ってたの」 必死でこんなのはダメだと自分を諌めていた。 「なんだよ。 じゃあ、わざわざ願わなくてもよかったんじゃねぇか」 「そうかも……」 「せっかく願い事見つけたってのに。 一つ分損したな」 二人は視線を合わせてくすりと笑った。 「こんにちは、オスカー様。 ごめんなさい、今日はまだ原稿出来上がっていないんです」 上がって待っていてください、とオスカーはリビングに案内された。 「もう少しで終わりそうって言ってましたから そんなにお待たせしないと思うんですけれど…」 「全然かまわないさ。 その間お嬢ちゃんが話し相手になってくれれば、な」 「もう。オスカー様ったら」 「……と、言いたいところなんだが…実は俺も徹夜明けでね。 寝ながら待たせてもらえれば有り難い」 「確かになんだかお疲れのようですね」 半ばソファに沈むように座っている彼の様子にアンジェリークも心配そうな顔をする。 「ベッドの方が良いんでしょうけど……」 ベッドのある部屋は今はアリオスが使っている。 「気を使わなくても大丈夫。 職業柄ベッドに入れないことはよくあるからな。 ソファで十分だ」 「でも……」 「なんならお嬢ちゃんのベッドにご招待してくれるか?」 多くの女性を陥落させる笑みもアンジェリークには通用しない。 「ふふ、無理ですよ。 私のベッド、ありませんから」 のんびり笑顔の大胆発言にオスカーは一瞬言葉を探す。 「あー……お嬢ちゃん、それはつまり……」 「私のベッドは要らないですから。 妖精サイズになれば、そんなに場所とらないので……」 「ああ、そういう意味でか……」 十八禁想像をしていたオスカーはほっとしたように頷いた。 しかし、アンジェリークは嘘は言っていないが 真実も半分ほどしか言っていなかった。 確かに最初のうちは妖精サイズでアリオスのベッドに潜り込んでいたので アンジェリーク用のベッドを買う必要はなかった。 だが、今はちょっと違う。 一つ目の願い事を言われてからはそのままの姿で一緒に寝ている。 オスカーの危惧はしっかり当たっていたが さすがにアンジェリークの口からそれは言えなかった……。 「ソファでごめんなさい。 今、毛布持ってきますね」 赤くなった顔を隠すようにアンジェリークはぱたぱたと毛布を取りに行った。 「俺が隣の部屋で仕事してたってのに こいつはぐっすり寝てたわけか……?」 しばらくして原稿を書き上げたアリオスは ソファで熟睡しているオスカーを見つけて不機嫌そうに呟く。 「でも、アリオスが待たせるから寝ちゃったのよ」 アンジェリークはなんとかオスカーのフォローをする。 そしてぽんと手を合わせた。 「あ、そうだ。何か飲む? お茶淹れるわ」 「コーヒー」 「………」 今度はアンジェリークが何か言いたげにアリオスを見上げる。 人の好みに口を出すつもりはないが、紅茶の精である少女には少々寂しいらしい。 彼女の思考が手に取るように解ってアリオスは笑みを浮かべる。 「紅茶はまた後でな」 「浮気もの〜。 この私がコーヒー淹れてあげるんだからね……」 アリオスを見上げていた瞳をそっと閉じる。 アンジェリークの『おねだり』にアリオスは応えてやる。 「ああ、頼む」 少女の顎を軽く持ち上げ、触れるだけのキスをする。 「ん」 アンジェリークはすぐにご機嫌な表情に戻って微笑んだ。 「ちょっと待っててね」 「時と場所を選んでやってほしいぜ」 「何だ、起きてたのか」 「気付いてたくせに……」 少女がキッチンに行った後、オスカーの愚痴をアリオスは軽く受け流す。 威嚇代わりにわざわざ見せつけてやったのだ。 忠告されて素直に聞くわけがない。 「ずいぶん変わったな」 アンジェリークもアリオスも。 二人共を指してオスカーは言ったのだが、 アリオスはアンジェリークのことを言われたのだろうとしか思わずに頷いた。 自分の変化には疎いものなのかもしれない。 「ああ」 話し方もかなり砕けてきたし、キスまでねだるようになった。 感心したように言ったオスカーにアリオスはふっと笑った。 「そうなるように育てたからな」 なかなか言葉遣いが直らないアンジェリークのためにルールを作った。 アリオスのことをうっかり『ご主人様』と呼ぶ毎にキス一回、 敬語を使う度にキス一回、とアンジェリークにさせるようにした。 アリオスにかなり都合のよいルールなのだが、 根本的にご主人様には逆らえないのかアンジェリークは素直に従った。 そしてそれだけではなく、アリオスはなにかと条件をつけてはさせていた。 なかなか朝起きないアリオスを起こそうとしたならば…… 「もぉ〜、そろそろ起きてよ〜」 「お前がキスしたら起きてやる」 買い物に誘おうとしたならば…… 「お買い物行こ?」 「してくれたらな」 ……という状態である。 言葉を覚えたての子供のようにアンジェリークは自然にキスをするようになった。 今では逆に自分が何かしてあげる時にアリオスにねだるほどである。 難を言えば、まだお子様キスしかできないという点だろうか。 「……この悪人が」 「なんとでも言えよ。 あいつも好きでやってるんだぜ?」 そう仕向けている張本人のくせに しれっと口の端を上げる彼はどう見ても『良い人』とは言えなかった。 後にこの二人のベタ甘状態を目にしたロザリアが 故郷にいるアンジェリークの親友がこのことを知ったらどうなることか…と頭を抱えたとか。 しかし、当の本人達はそんなことは考えもせずに甘い生活を続けている。 「ねぇ、アリオス」 眠そうな声で甘えるようにアリオスの腕に抱きつきながら アンジェリークは問いかけた。 アリオスは返事の代わりに少女の額に口付ける。 「もうすぐ誕生日だよね。 なにかリクエストはある? なんでも言って?」 「お前」 お約束と言えばお約束な答えに、それでもアンジェリークは頬を染める。 「……それじゃいつもと同じじゃない」 彼が原稿に追われている時以外は毎晩のことである。 おまけに最近では夜も昼も関係なくなってきている。 「今だってしたばっかりなのに……」 「くっ、お前がいれば十分だってことだ」 「でも……」 「そうだな…じゃあ…」 「なぁに?」 本来、人の願いを叶える妖精であるだけに楽しそうにきらきらと瞳を輝かせる。 そんなアンジェリークを抱き寄せ、さらさらの髪を弄びながらアリオスは一瞬考えた。 そしていいことを思いついたとばかりに口の端を上げた。 「いつもとはちょっと違った趣向で楽しませてくれよ」 「え……」 最初はきょとんとしていた表情があっという間に赤くなる。 「あ、あの…それって…」 「言ったろ? お前以外に欲しいものなんて別にねぇんだよ」 「アリオス〜……」 喜ぶべきか困るべきか本気で迷うアンジェリークだった。 「……というわけなんです。 私どうしたらいいんでしょう……?」 困りきった様子でアンジェリークは溜め息をつく。 特に打ち合わせや原稿取りなどの約束はしていないが、 近くまで来た為ふらりと寄ったオスカーも明後日の方を見て密かに溜め息をついた。 (あの男は……) 「だって考えてもそんなことわからなくて…… でも、リクエスト聞いた手前、無視するわけにもいかなくて」 真面目に悩む少女を心底かわいいと思う反面、その内容に頭が痛くなる。 「いつもと違うことって言われても……」 アリオスとしか経験がなく、その全てを彼に教え込まれたアンジェリークに 『それ以外』のことを求めるのは無理と言うものだろう。 知らないものはどうしようもない。 「オスカー様ならアドバイスもらえるかな、と 一大決心して聞いてみたんですけれど……」 確かにこの少女からそんな話題が出てくるのには驚いた。 一大決心というのは嘘ではないだろう。 終始顔が真っ赤である。 そこまでして彼の為に考えてくれる少女は愛らしい。 惜しむらくはその相手があの傲岸不遜な捻くれ者であることだが……。 なぜあの男のためにこんな相談に乗ってやらなければならない……? そう思った直後にオスカーは何を閃いたのか 通常よりも二割増フェロモンをばらまきながらふっと甘く笑った。 「そうだな。 お嬢ちゃんの頼みとあらば教えてやってもいいぜ」 「本当ですか?」 話の内容に似合わぬ無邪気で純粋な笑顔が浮かぶ。 「ああ。この俺が実演してやろう」 「え?」 ぽすん、とソファに押し倒されアンジェリークは目を丸くする。 「ちなみにアリオスとはどんな風にしてたんだ? それ以外の方法をお嬢ちゃんに教えてやらなければならないからな」 「あ、あああのっ、ダメですっ。オスカー様っ!」 アンジェリークは思いっきりうろたえている。 「怖がる必要はないぜ。お嬢ちゃん。これもアリオスの為だろう? さぁ、愛のレッスンを始めようか」 少女本人は無自覚とは言えこの誘いとも取れるべきシチュエーション。 百戦錬磨のオスカーが見逃すはずはない。 あっさりと少女の動きを封じて微笑む。 「俺はアリオスよりも上手いぜ?」 「あの、オスカー様……」 「なんだい、お嬢ちゃん?」 「……後ろ」 意外に冷静なアンジェリークの言葉にオスカーは後ろを振り向いた。 「……………」 そこには出かけていたはずのアリオス。 もちろんその背後では雷雲が広がっている……ように見える。 「ほぉ……いい度胸だな。オスカー」 「アリオス……」 美形が凄むとそれはもう怖い。 ましてや表面上は微笑んでいたりしたら……。 「ま、待てっ。話せばわかるっ」 「じゃあ、話してもらおうか。人ん家で人の女押し倒してた理由とやらを。 黙って聞いてりゃ俺より上手いだと? それにお前ができるようなことはとっくに全部こいつには仕込んであるぜ?」 「あ〜……アリオス。 どこから聞いてたんだ?」 「ほぼ最初からだな」 「だったらさっさと出てくれば良かったじゃないか」 オスカーは言い訳のしようがないとばかりに肩を竦めた。 「大体ことの始まりはあんたの無茶な注文のせいなんだぜ? 俺は親身になって相談に乗っただけだ。なぁ、お嬢ちゃん」 「何が相談だよ。 目の前にある餌に食いついただけだろ」 すでにオスカーは開き直っている。 アリオスと渡り合うにはこのくらいでないとやっていけないのだろう。 今まで何度もアリオスの担当編集者が変わってきたが オスカーで落ち着いているのはこういうことなのだろう。 アンジェリークは収拾のつかなくなってきた事態を呆然と見ているしかなかった。 レベルの低い、不毛なやりとりを終わらせたのはアリオスの冷静なようでいて冷静でない一言だった。 「アンジェリークに手を出したら、原稿は全部ルヴァに渡す」 つまり別の出版社に彼の原稿は全て行ってしまうことになる。 本人はこんなだが、作品は実に売れている。 おまけに見た目も良いので女性読者も多い。 今、アリオスの原稿が手に入らなくなるのは非常に痛い。 真面目で厳しい金髪の編集長を思い浮かべ、オスカーは敗北を認めざるをえなかった。 あの上司に痴話喧嘩が原因でアリオスと縁を切られたとは口が裂けても言えない。 「また何かあったら、相談に乗るぜ。 お嬢ちゃん」 今回の負けを認めたものの懲りてはいないようだったが……。 「アンジェリーク、お前にも隙があるからだぞ」 オスカーが帰ってからもしばらくアリオスの機嫌は悪かった。 「だって……」 しゅんとしてアンジェリークは俯く。 「アリオスのリクエスト難しいんだもの……。 どうしたらアリオスが喜んでくれるのかわからない」 アリオスと気の合うオスカーならばヒントをくれるのではないか、と思ったのだ。 事実はヒントをもらうどころか逆にアンジェリーク自身が頂かれそうになったのだが……。 自分のことを想ってのことだとアリオスも解っているからいつまでも仏頂面は保たない。 警戒心皆無のその行動は頭を抱えたくなるが、溜め息を吐いて言い聞かせた。 「俺以外の男にそういう話題振んなよ?」 「どうして?」 「誘ってると取られても文句は言えねぇぞ」 「………? そうなの?」 「そうなんだよ。俺の心臓が保たねぇ。 いつも助けてやれるとは限らねぇだろ」 純粋すぎるのも問題なのかもしれない。 自分の魅力を把握していない少女を見て、アリオスはまた一つ大きな溜め息をついた。 「大丈夫よ」 自信満々にアンジェリークは微笑む。 「どこからくるんだよ。その自信は」 「あら、だって私これでも妖精よ? しかも女王クラスの」 ふふ、と笑ってぱちんと指を鳴らす。 「あ?」 次の瞬間、アリオスは身体の自由が利かなくなったことに気付いた。 「この世界では私は主人に仕える僕だけど……。 私に触れられるのは私が許す人だけよ」 そこには『女王』の威厳や誇りが垣間見えた。 「私が触れてほしいのはアリオスだけよ」 頬を染めて告白する姿はただの少女にしか見えないのに。 アンジェリークがそっとアリオスにキスをすると魔法が解けた。 「キスで魔法が解けるってのは嘘じゃねぇんだな」 「そうだね。 魔法は何でもあり、ていう感じだけど……」 ちょっと視線を逸らせてアンジェリークは呟いた。 「キスは人間でも使える魔法だね」 「へぇ」 「よく御伽噺に魔法を解く方法としてあげられるし……。 それに……」 「それに?」 口篭る少女の続きを促すようにアリオスは尋ねた。 「アリオスのキスも魔法みたい……なんだもの」 「へぇ……」 恥ずかしさに俯いている少女の頬に手を添えて、軽く上向かせる。 流れるような仕種でそのまま何度も口付ける。 口内を愛撫して、舌を絡ませて、少女の身体から力が抜けるまで止めない。 「は……ぁ…」 濡れた口元を拭ってやりながらアリオスは口の端を上げた。 「キスが魔法だったら、その先はなんなんだろうな?」 「……っ…そんなの、わかんないよ……」 首筋を降りてくるキスに『その先』をするつもりなのだと察して アンジェリークはアリオスの背に腕を回した。 〜 to be continued 〜 |