花葬 〜flower funeral
chapter 1

 

「アンジェリーク!」
職員室から出て来た少女の周りに友人たちが駆け寄ってきた。
「学校やめるって本当なの?」
「うん…。今手続きしてきた」
儚げに微笑むアンジェリークを友人はぎゅっと抱き締めた。
「しばらく学校来られなくて…やっと来たと思ったらこんな…」
別の少女が涙ぐむ。
そんな友人たちを見ながら、励ますように微笑むアンジェリークの瞳が
彼女らの中でもっともしっかりしていた。
それはもう決断した者の瞳だった。
「大丈夫だよ。ちょっと遠いけど…絶対会えない距離じゃないんだし」
「どこへ行くの?」
「…エレミア、よ」

翌日、アンジェリークは彼女を慕うクラスメイト達が開いてくれた送別会で最後のお別れをし、
エレミアへと旅立った。
「どんな人達に出会えるかな…」
大きな不安と僅かな期待を胸に、アンジェリークは生まれ育った街が小さくなっていくのを
汽車の窓から見つめていた。


  
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


通された広くて立派な応接室でアンジェリークは小さく溜め息をついた。
やはり不安の方が的中していたようだ、と旅装から着替えさせられた略式だが
上等なドレスに視線を落とした。
そして窓の外に広がる整えられた庭をぼうっと眺めた。
のどかな暖かい午後の光がそこには溢れていた。

アンジェリークは先日両親を亡くしてしまい、遠い親戚にあたる家へと行くことになった。
家系図で見たとしても本当につながりがあるのか…というくらいの『親戚』だが。
(もともと親戚なんて誰一人会ったことないしね…関係ないか…)
アンジェリークの母親は貴族の生まれだった。
だが、決められた婚約者よりも屋敷に仕えていた庭師と駆け落ちをしてしまった。
以来、血縁者と会うことはなかったのだ。
しかし、両親が亡くなった今、お荷物でしかないはずの自分をぜひ引き取りたい、という
話を聞かされちらりと思ったのだ。
母の血が関係するのか…? と。
予想は外れなかった。
だから今、自分は領主に仕える筆頭騎士様の屋敷へ挨拶に来ている。
彼の花嫁候補として…。


「あのコはあんな失態を犯したが、お前は大丈夫だろう?」
優しく微笑む伯母だという初老の貴婦人にアンジェリークは曖昧に返事をした。
母親を悪し様に言われて、友好的な態度をとれるほど人間ができてはいない。
「お前は確かに血筋は良いし、器量も良い。
 ぜひともあの方の花嫁となっておくれ」
ましてや自分を成り上がるための道具に利用しようとする人になど…。
(その騎士団長だという人と私が上手くいけば、あの家はさらに名が上がるものね…)
世話になってる以上、拒むことはできない。
アンジェリークは窓際で二度目の溜め息をついた。
そこへノックの音が聞こえた。

「はい」
緊張して振り返ると、そこにいたのは長い金髪の快活そうな同じ年頃の少女だった。
褐色の肌に強い光を放つスミレ色の瞳。
「待たせちゃってごめんね。お茶持ってきたんだ」
にこりと笑う少女にアンジェリークは警戒を解いた。
「ありがとう。あなたは?」
「私はレイチェル。彼の仕事仲間ってとこかな。これからもアナタと顔会わせると思うよ。
 よろしくね」
はきはきしたセリフとともに差し出された手をアンジェリークは握り返した。
「私はアンジェリーク。よろしくね」
「彼、急な仕事が入っちゃってね…。それを伝えに来たんだ。
 もうそろそろ来ると思うんだけど」
そして少しだけ視線をさまよわせたあと、レイチェルは言った。
「えーと…。多少問題はある人だけど…良い人だよ。
 気休めにもならないかもしれないけど、あんまり深く考え込まないで?」

このような田舎では噂の浸透率はそれはもうすごい。
街から来る少女、アンジェリークのことは村中の者が知っていた。
そして皆、それぞれの好きなように彼女に同情したり、嫉妬していたりするのだ。
単なる好奇心ではなく、ちゃんと自分のことを思ってくれているレイチェルの
言葉にアンジェリークはありがとう、と微笑んだ。
「でも…本当に問題はありそうね……」
アンジェリークは僅かに頬を染めて、窓の外を指した。
「ん?」
そこから外を見下ろしたレイチェルの目には立派な馬車が映っていた。
馬車の紋章と、その傍に立つ男女、そして挨拶にしてはやけに長いキスに眉をしかめる。
「ソフィア様…。これから花嫁候補に会おうって時に…」
「どんな人?」
「彼に夢中になっている女性の一人よ。…侯爵家の令嬢。そっかー…侯ったら、
 今日の突然の呼び出しは口実か…。本当は娘と会わせたかったんだ」
アンジェリークと会うのを知った侯が慌てて、彼を呼び寄せたのだろう。
納得がいった顔をしているレイチェルを振り返り、アンジェリークは言った。
「そんなにモテるのに、なんで私と会うことになったのかしら…」

不思議そうに呟くアンジェリークをかわいい、と思いながらレイチェルは説明した。
「まぁ…半分は周囲から強制的に。遊びまわっている彼にいいかげん
 相応の伴侶をってね」
アナタを引き取った家はともかく、母上は公爵家の人間だし…と付け足された
言葉にアンジェリークは目を丸くした。
「そうだったの?」
それにはレイチェルの方が驚かされた。
「知らなかったの?」
「うん。もう関係ないことだからって…教わらなかったし、聞かなかった……」
「ふーん…。まぁ、メンドくさいもんねぇ、貴族階級って。関わらないに
 越したことはない…とごめん、すでに関わってるアナタに言うことじゃないね」
ごめんね、と舌を出すレイチェルの憎めない仕種に、アンジェリークは笑って首を振った。
「いいのよ。それで…もう半分の理由って?」

「…あの人の守備範囲って『女性』だから…。つまり誰が持ってきた話でも、
 どんな女性でも恋愛の対象になるのよ。
 だからどんな状況でも出会いのチャンスとして捉えているみたい」
レイチェルは肩を竦めてみせる。
「…積極的に『特別な人』を探してる…ってこと?」
あまりに善意的な解釈にレイチェルは吹き出してしまった。
「レ、レイチェル…?」
なかなか笑い止まないレイチェルをアンジェリークは首を傾げて見つめた。
そんなに自分はおかしなことを言っただろうか…?
「や、もー、サイコー。彼にはもったいないよ」


彼が来るまで、二人はお茶を飲みながら話に花を咲かせていた。
お互い、今日初めて会ったとは思えないくらいウマが合った。
「レイチェル?」
ふいに立ち上がったレイチェルをアンジェリークは見上げた。
しー、とレイチェルは人差し指を口元にあて、ドアへと歩み寄る。
そして、勢いよくドアを開け、叫んだ。
「オスカー!レディを待たせたわね!」

ドアまで2、3mくらいのところまで来ていた彼は魅力的な微笑みで返した。
「さすがはレイチェル…気配を読むのは相変わらずだな」
「足音に気付いただけよ」
レイチェルはたいしたことではない、と受け流した。
そして彼、オスカーはアンジェリークに声をかけた。
「すまなかったな、お嬢ちゃん…。アンジェリーク、といったかな」
多くの女性を魅了して止まない笑みを受けとめ、アンジェリークも柔らかな微笑みを返した。
「気にしないでください。まだ非公式の挨拶段階ですし…」
その春の日差しのような微笑みにオスカーの方が目を奪われた。
そして次の、にっこりと微笑んだままの彼女の言葉に心を奪われた。
「できればこの段階で終わらせたいですね」
「!」

この百戦錬磨のオスカー、会うなり断られたのは初めてである。
思わず絶句する彼の肩をレイチェルが笑いながら叩いた。
「さっきまで侯爵令嬢といちゃついてたバツよ」
そして一瞬の硬直から立ち直ったオスカーは苦笑した。
「まいったな。会う前に姫君を怒らせてしまったというわけか…」
さっきの笑顔よりも、その感情を滲ませた表情の方にアンジェリークは見惚れ、
その後、慌てて首を振った。
「あ、あの、ごめんなさいっ。言い方が悪かったですね。
 怒ってるわけじゃないんですっ。
 ただ…あなたに恋をしてる方がたくさんいる、と聞きました。
 なにもその方達を悲しませてまで…私が選ばれる必要はない…と思って…」
懸命に説明しようとする思いやりのある少女に、オスカーは自然と微笑んでいた。
彼女の手を取り、海色の瞳を見つめる。
アンジェリークはきょとんとその優しくて真摯なアイスブルーの瞳を見つめ返す。

「ご期待に添えなくて残念だな…。俺はもっと君のことが知りたい。
 それからどうするか考えても遅くはないと思わないか?」
「………」
頷く理由も断る理由も…決定的なものがなくてアンジェリークは答えに困った。
「じゃあ…とりあえずここの案内がてら遠乗りにでも行くか。
 返事は急がなくていい」
まだこの地をよく知らないだろう? と微笑む彼を見てアンジェリークは今度は頷いた。
「オスカー。アンジェに下手に手を出さないでよ」
アンジェリークとすでに強い絆を確立したレイチェルはオスカーに釘を刺した。
「アンジェが幸せになるなら良いんだけど…泣かしたら許さないから。
 その時はこの私を敵にまわすってこと…覚えといてよね」
「レイチェル…」
「肝に銘じておくよ」
いつもの『遊び』なら許さない。
そう言うレイチェルにオスカーは自信に満ちた顔で頷いた。
花のような笑顔で今まで誰も見せなかった反応をする少女…
遊びのつもりなど毛頭なかった。


それからオスカーは時間があくと、アンジェリークのもとを訪れるようになった。
この日もまた、彼の愛馬で遠乗りに出かけていた。
「オスカー様…ソフィア様が最近ちっともかまってくれない、と泣いているそうですよ。
 他の方々も…」
オスカーは草原に寝転がったまま、隣に座るアンジェリークを見て苦笑した。
「お嬢ちゃんはなかなか手強いな」
「?」
「他の女性からは手を引いて、君だけのもとへと通っているのに…
 彼女達が泣くから行ってやれと?」
オスカーは起き上がり、彼女の顔を覗き込んだ。
「いったいいつになったらお嬢ちゃんは俺に惚れてくれるんだろうな」
燃えるような赤い髪に、対称的な冴えたアイスブルーの瞳。
甘い微笑にアンジェリークは頬を染めて呟いた。

「オスカー様のこと好きですよ?」
「だけどそれはレイチェルと同じ『好き』だろう? 恋じゃない」
うーん、とアンジェリークは考え込んでしまった。
「恋ならいちいち他人を…ライバルを気遣ってやる余裕なんかなくなる。
 まわりが見えなくなって、冷静な判断もできなくなる」
「…私の両親のように……?」
彼らは何もかもを捨てた。地位も財産も家族も…。
ただ二人で一緒にいるためだけに。
「そうだな…。傍から見れば愚かなことかもしれないが…想いを貫いて、
 幸せになったんだってな」
「はい。貴族みたいな暮らしはできなくても、幸せでしたよ」
嬉しそうにアンジェリークは微笑んだ。
「私もそんなふうになりたい」
「その相手が俺だと嬉しいんだけどな」
「オスカー様…」
はにかむようにアンジェリークは頷いた。
爽やかな風が通り抜け、草原の草を揺らした。
しかし、そんな穏やかな日々は残念ながら長くは続かなかった。




「待ってください!他に方法はないのですか!?」
若き領主ジュリアスに、珍しくオスカーの意義が申し立てられる。
窓は激しい雨と風に叩かれ、静かな部屋にその音だけがやけに響いた。
ジュリアスは苦悩に満ちた表情で頷いた。
「話し合った結果だ……。家族も本人も承諾している」
「俺は承諾できません。彼女は俺の…」
「……まだお前の奥方ではない」
「…っ」

オスカーは言葉に詰まった。確かに最有力花嫁候補でしかないのだ。
この時ばかりは彼女の意思を尊重していた自分に後悔した。
彼女の気持ちに合わせて婚約しようと、悠長に待っていた自分が許せなかった。
こんな目に彼女をあわせるくらいなら、多少強引にでも
ことを進めれば良かった、と唇を噛んだ。
「…レイチェルは?」
彼女の親友でもあり、ジュリアスの補佐役でもある少女の名を出した。
「彼女には…まだ知らせていない。終わったあと……知らせる」
オスカーは彼のあまりに辛そうな表情に何も言い返せなかった。


ここ数日、近年見ない嵐が続いている。激しい雨と風、そして雷。
これ以上続くとこの土地が崩れる。そんな異常気象に見舞われていた。
自然の猛威に対してささやかな整備対策を立てていた時、その案は出された。
生きた伝説に賭けてみないか、と。
かつてこの地は何度か少女の血と引き換えに救われたことがある。
山奥の古城に住んでいるという吸血鬼。その人外の力に頼ろうと。
これが単なる伝説ならば笑い飛ばすところだが、
領主の館の蔵にはその記録がしっかりと残っている。
人間ではどうしようもない自然災害でも、少女を差し出せば助かる。
だが、倫理的な問題で、会議はなかなか決定を下せなかった。
しかし、一向に弱まる気配のない嵐に領地の民は不安が強まり、
しまいには、アンジェリークを差し出すから、と彼女の保護者が提案してきたのだ。



「アンジェリーク…」
「ごめんなさい、オスカー様…」
馬車に乗る時、アンジェリークの方が先に謝った。
「なぜ…君が謝る?」
「私…あなたに愛される資格なかった…。
 あんなに優しくされてたのに…想いを返せなかった…」
これからの自分のためにではなく、彼への気持ちのため、涙が滲んだ。
「ごめんなさい…。自分とあなたと…この地の人達のこと考えて…
 出した答がこれだったんです。
 あなたの言ったように恋をしてたら、一緒に逃げようと言えたかもしれないのに…」
微笑もうとする少女をオスカーは強く抱きしめて、苦しげに言った。
「さっさと俺のものにしておけば良かった…。
 アンジェリーク…君をこんな目にあわせるなんて…すまない」
それは初めて見せる心の底からの彼の本音。
物分りの良い大人の部分を捨てた彼のことば。
「オスカー様…。今までありがとうございました。
 エレミアに来て…あなたとレイチェルに出会えて良かった…」
アンジェリークは彼の頬にキスをすると、馬車の中へと駆けて行った。


その後、アンジェリークは数人の騎士達に送られ、城の門前まで来ていた。
本来ならオスカーも来るべき役職なのだが、彼はアンジェリークを逃がしかねない、と
館で軟禁状態にあった。
「ありがとうございました。ここまででいいです」
アンジェリークはコートを羽織って、馬車を降りた。
そのとたん、風と雨が華奢な身体に強く叩きつけられる。
「っ」
「大丈夫ですか」
思わずよろめいた身体を一人の騎士が支えた。
「ありがとう。…みなさん気をつけて帰ってくださいね」
つたを象った銀の門を抜け、アンジェリークの姿が暗い城の中へ消えるまで
彼らはその場から動けなかった。
最後まで穏やかに微笑んでいた少女の笑みが頭から離れない。


アンジェリークが重そうな扉に触れると、それだけで彼女を招き入れるように扉は開いた。
そして真っ暗な廊下の壁に明りが灯っていく。
「?」
不思議に思いながらも、その光をたどってアンジェリークは最上階へと上っていった。
ひとつの部屋の前で立ち止まり、深呼吸をしてからその扉を開ける。
そこには漆黒の色を纏った長身の青年がいた。
その時、雷光のおかげで影になり、彼の瞳が一瞬だけ驚愕の色に見張られたことも…
雷鳴のおかげで彼が呟いたエリス? という名も…
アンジェリークは気付かなかった。


                                  〜to be continued〜

この回、彼はほとんど出て来ません。。。
がっかりされた方、いるでしょうか…?(笑)
ごめんなさい。

この話はしばらく続きます。
お付き合いくだされば嬉しいです。

その前に一言…。
今回、本っ当にオスカー様、振られます。
レヴィアスとオスカー様…選ぶとしたらオスカー様を選ぶ、
という方は読まないほうが良いかも…。
…昔、〇〇様も好きだしー、と思って
振られアリオス読んだらちょっと…いや、かなり
ヘコんだことがありまして…(バカ…)
私の場合、そんな経験が何度かあったんで、先にご忠告だけでも。

私、オスカー様好きですよ。(念の為/笑)