花葬 〜flower funeral〜
chapter
2
「あなたが…吸血鬼…なの?」 「他にそれらしき人物がいたか?」 冷たい返事にアンジェリークはくすりと笑って、首を振った。 「いなかったわね。ただ…思ってたのとずいぶんイメージが違うな…って驚いただけ」 アンジェリークは躊躇うことなく、部屋の中へと足を踏み入れた。 そこは薄暗いという点を除けば、ごく普通の貴族や王族のような部屋だった。 アンジェリークはしっかりとした足取りで彼の目の前に進んだ。 壁際にある微かな光源と、時折光る雷光を頼りに彼の整った顔を見上げる。 漆黒の髪に金と碧の双眸。その不思議な光に吸いこまれそうな感覚を覚えた。 「…どうすればいいの? 血を与えるっていっても…具体的には分からない」 迷いのない表情に彼は皮肉げに笑った。 そんな笑顔でさえ、とても魅力的で見惚れずにはいられなかった。 「自己犠牲の精神か…それとも悲劇のヒロイン気取りか…。 どちらにしろ自ら死のうとしてる者の血など願い下げだな」 「不味そう…?」 真面目に小首を傾げる少女を見て、彼は面白そうに笑った。 「…でも、私の代わりはいないし…我慢してもらうしかないわね…。 村の人も嵐が止むのを待ってることだし」 自分の命がかかっているというのにどこかのんきな言葉に、彼は興味を引かれた。 「それほどまでに村が大切か?」 人間は自分が一番大切な生き物だろう、と意地悪げに問う。 「んー…まだ来たばかりだし、別に村にそんなに思い入れはないけど… 大切な人達がいるし…。ただ単純に計算しただけ。 たった一人の犠牲で多くの命が助かるならいいじゃない?」 あのままでは、村の崩壊も避けられない。 「ほぉ…自分の命は惜しくないと」 人の命、自分の命までをも冷静に勘定できる…そんなに簡単に割りきれるドライさが意外だった。 アンジェリークの瞳をのぞきこみ、その言葉に偽りがないことを確信する。 「だって…私の死は無駄にはならないでしょ?」 ただ死ぬだけよりはずっといい、とアンジェリークは悲しそうに微笑んで言った。 「それにあなたに殺されるなら悪くない、って思ったの」 「?」 「こんなに綺麗で優しい人にならかまわないわ」 彼の瞳が不思議そうに揺れ、アンジェリークはくすくすと笑った。 微かな変化だが、けっこう表情は豊かなのだな、と分かってなぜか嬉しくなった。 「だって…いくら生贄を与えられたからって村の人達の言うこと聞く義務なんてないじゃない? わざわざ助けてあげてること自体、人間に甘いと思うし…。 お話の中で知ってる吸血鬼って好きなように人を襲ってたわよ?」 村人達は長年言い伝えられている伝説に何の疑問も抱いていなかったようだが、 アンジェリークにはそれが不思議だった。 そう思うのは自分が余所者のせいだろうか、と解釈していたが…。 それに、とアンジェリークは嬉しそうに笑って言った。 「私があの門をくぐった時から、雨も風も感じなかったわ」 相変わらず地面は激しい雨に叩きつけられ、周りの植物は風に薙ぎ倒されそうに なっていたというのに。 「勝手に開いた扉も私一人じゃ重くて開けられなかったし、順に灯っていった明りがなければ ここに来る前に迷子になってたわ」 勝ち誇るようにアンジェリークは彼を見上げ、言い切った。 「あなたは優しい人よ」 「…お前はおかしな人間だな」 呆れたような呟きにアンジェリークはそうかしら、と微笑んだ。 「あなたの名前…きいてもいい?」 自分を殺す相手の名くらい知っておきたい。 別に返事を期待したわけではなかったが、それでもきいておきたかった。 「…レヴィアス、だ…」 「レヴィアス…」 確かめるように繰り返した少女の鈴のような声は彼の心を波立たせた。 「? どこ行くの?」 アンジェリークは突然背を向け、歩き出した彼の後を追った。 レヴィアスはそのままテラスへと移動していく。 そこからは暗い空と、今は雨に煙っている緑溢れる景色、そして今までいた村が小さく見えた。 そこかしこに、この大雨で出来た即席の川が流れている。 アンジェリークは事態の深刻さを改めて知った。 「………」 彼もやはり、外へ出たというのに風や雨に打たれることはなかった。 「この嵐を収めるのだろう?」 「…うん。そうしてほしいけど…」 アンジェリークはわけが分からず、ただ部屋の中から彼がすることを見守っていた。 「…あ…」 それは不思議な光景だった。 彼の身体を不思議な淡い光が包んでいく。 次第にその光は彼の掌に集中し、直視できないほど強くなっていく。 激しい嵐にびくともしなかった、彼の漆黒のマントがゆらりと翻る。 マント同様になびく黒髪も、静かな光を宿す色違いの瞳も、神聖ささえ感じた。 そして、彼の掌サイズの球形の光に真っ黒な雲が吸いこまれるように導かれていった。 小さな光球が雲を取り込んでいくと同時に、星空が見え始める。 しばらくすると、先程までの嵐が嘘のような穏やかな光景が眼下に広がっていた。 信じられない光景にアンジェリークは目を丸くするばかりである。 これが人外の力なのだ、と肌で感じた。不思議と怖いとは思わなかった。 部屋へと戻ってくるレヴィアスにアンジェリークは微笑んだ。 「ありがとう…。先に願いを叶えてくれるとは思わなかった」 覚悟を決めてアンジェリークは彼へと歩み寄る。 「レヴィアス!?」 だが、彼は部屋へ入ってくるなり、すぐ側の壁に背を預けた。 もともと血の気のない顔だが、明らかに顔色が悪くなっている。 気怠げな表情でそのまま壁に凭れ、座る様子にアンジェリークの方が慌てた。 彼の側にしゃがみこみ、思わず頬に触れ、その冷たさに驚いた。 「レヴィアス…」 「ばか…もともと体温などない」 アンジェリークの泣きそうな声に彼は疲労の色が濃い苦笑を返した。 「…自然のエネルギーは御し難い。特に今回は今までに見ない類のものだった。 我の力も消耗する…」 「だから…私が血を与えるんでしょう?」 「頭の回転は悪くないようだな…」 ふっと笑った表情は今にも消え入りそうで、アンジェリークは不安にかられた。 「だったら、先に私の血を奪るべきだったんじゃないの? なんでこんなことになってるのよっ?」 彼のシャツの胸元を握り締め、アンジェリークはうっすらと涙を滲ませた。 「最初に言ったはずだ…。お前の血など…要らない」 「だって…こんな…あなたはどうなるの?」 「別に…どうもならない。力が戻るまで眠るだけだ。 目覚めるのは数日後か…数年後か…」 それとも数世紀後か。 半ば瞳を伏せて、なんでもないことのように告げられた内容はとても人には理解できないもので…。 「どうしてそこまでしてくれるのよ? これじゃ損なタダ働きじゃないっ。 私の血を吸えばいいだけでしょう? なんで…」 閉じようとする瞳を妨げるため、アンジェリークは小さな拳で彼の身体を叩いた。 「…きっと…お前の血は…我にとって麻薬となる…」 頑なに拒む彼の身体がぐらりと傾いだ。 「なによそれ…わかんないっ。やだ!レヴィアス…!」 倒れかかった彼の身体を抱き止めてアンジェリークは泣き叫んだ。 「おねがい…一人にしないでっ!」 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 あれはよく晴れた日のことだった。休日だったので、アンジェリークは母親と一緒に昼食を作り、 現場で働いていた庭師の父親のところへと届けに行ったのだ。 そこまでは家族三人幸せな風景だったはず。あの事故が起こるまでは。 「今はどんなことをしてるの?」 仕事場でもある広い庭で一緒に昼食をとり、アンジェリークは訊いた。 「さっき花壇を作り終わったから…今度は入り口にアーチを作るんだ」 木材で骨組を作り、そこにバラを絡ませる。 父親の説明にアンジェリークは瞳を輝かせて聞いていた。 「もう少しで素敵な庭が完成するんだね…」 食事が終わり、アンジェリークは作りかけの庭を見てまわっていた。 そんな時、両親の切羽詰ったような声がアンジェリークを呼んだ。 「え?」 側に積んであった木材をまとめるロープが弱っていたのか傷ついていたのか…。 切れてしまったのだ。運が悪かったとしかいいようがない。 だが、それだけで終わらせてしまえる問題でもなかった。 アンジェリークは上から降ってくる木材を見つめ、逃げきれないと思った。 「…つ…」 衝撃の後、走る痛みにアンジェリークは瞳を開けた。 しかしその背に当たる感触は木材の固さではなくて…。 アンジェリークは背筋が凍る思いで後ろを見上げた。 「お父さん! お母さん!」 両親が自分の上に庇うように重なっていた。 父親の仕事仲間が駆けつけて、すぐに上の木材を取り除け、彼らを助けようとしたが手遅れだった。 アンジェリークはもう二度と目覚めない彼らの前で泣くことしかできなかった。 「やだっ…。こんなの……」 ―――――私を一人にしないでっ…――――― 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 「あ…」 現実に起こった悪夢にうなされてアンジェリークは目を覚ました。 「…っ……ふっ…」 そのまま涙を零す。 あの日以来、時折見る。自分を助けるために亡くなった両親の夢。 事故とはいえ、自分が彼らを殺したようなものだ、とアンジェリークは自分が許せなかった。 あの時あの場に自分がいなければ、歩き回らずじっとしていれば…。 何度そう思ったことか。 たった一人残された辛さもあり、後を追いたいとも思ったが、彼らが命がけで助けたものを 簡単に投げ出せるほど愚かにもなりきれなかった。 …それからは、自分の中のどこかに空虚な部分を感じた。 引き取られて、花嫁として利用されようとしても、生贄にされても別に嫌だとは思わなかった。 自分がそこにいる意味があるなら…存在理由があるならば、かまわなかった。 むしろやっと死ねる、と安心した。 しかもこんな自分の命で他の人々が助かる、と知って絶好の機会だと思った。 彼女は両親を殺したという自責の念に捕らわれていた…。 「?」 顔を覆って泣いていたアンジェリークの手になにかが触れ、彼女は顔を上げた。 そういえば、どうして自分はベッドで寝ているのだろう。 自分はなんでまだ生きているのだろう、と起きあがって辺りを見まわした。 そこは、昨夜訪れた彼の部屋だった。朝の光が室内を照らしている。 あの時は暗くてよく分からなかったが、けっこうこの部屋が広いことを知った。 大きなベッドの上、アンジェリークの脇には銀色の獣がまるまっていた。 先程彼女の手に触れたのは、その優しい鼻先だった。 その瞳を見てアンジェリークは笑みをもらした。 「ご主人様とおそろいね」 躊躇わず、金と碧のそれを覗き込み、きゅっと抱き締めた。 温かい舌がアンジェリークの頬に残る涙を拭った。 「優しいこね…あなたのご主人は?」 あの時…倒れる彼が両親の姿と重なって…。 目の前で誰かを失うのはもう二度と見たくなくて…。 半ば祈るように叫んだのだった。 そして、彼はようやくそっとアンジェリークの胸元のリボンを解き、白い首筋と肩を露にした。 冷たい唇が首筋に触れたところまでは覚えている。 アンジェリークに答えるかのようにその銀の獣はひとつ吠えた。 それが合図だったのか、すぐに彼は現れた。 「目が覚めたか…」 最初に見た時のような、悠然とした動作で近付いてくる彼を見てアンジェリークはほっとした。 「もう平気なの?」 「我よりも他に気遣うべきことがあるだろう?」 アンジェリークの言葉にレヴィアスは不思議そうに言った。 「あ…そうね…。あれから結局どうなったの?」 途中で意識を失ってしまったようで、ある部分からの記憶がない。 「…なんで私生きてるの?」 「別に致死量に至るほどとらなかっただけだ。回復させるのにそれほどの量は要らない」 「…仲間にされたわけでもない、よね…?」 「簡単に我の血を与えるわけがなかろう?」 同族にするなら、互いの血の交換をしなくてはならない。 ベッドの傍らに立ち、高貴な笑みを浮かべアンジェリークを見下ろす。 「じゃあ…どうして…」 「言い伝えとは歪むものだ」 レヴィアスは簡潔に言い捨てた。 「…いつから願いの代償が少女の死になったのだろうな」 「我は願いをきいてやった。お前も代償を払った。あとは好きにするがいい」 考えていたのとはずいぶんと違う事態にアンジェリークは戸惑った。 だいたいこれからの事など考えて来なかった。 考える必要などないと思っていた。きっと村の皆もそうであろう。 いまさら戻ることもできないだろうな…そうアンジェリークは思った。 「ねぇ、レヴィアス。本当に好きにしていいの?」 「どこへでも行くがいい」 「じゃあ、ここにいてもいい?」 アンジェリークの申し出に彼は絶句した。 それは彼にとって本当に珍しいことである。 「…ダメ?」 捨てられた子犬のような表情で再度訊かれ、レヴィアスはひとつ息を吐いた。 「お前のような人間は初めてだ…。ここにいたいと言う物好きがいるとは思わなかった」 「だって、行く所ないもの…」 アンジェリークは視線を落とし、きゅっと白いシーツを握り締めた。 「それに…あなたの側にいたいと思ったの」 はじめて吸血鬼の話を聞かされた時、どんな化け物だろう、と思った。 あの門をくぐってからこの部屋に来る途中、不思議な現象に気付き、 どんな性格なのだろうと考えた。 この部屋に入って彼を一目見て、なんて綺麗な人なんだろう、と惹かれた。 ほんの少しの間だが、会話を交わしてその仕種を目の当たりにして、失いたくないと気付いた。 いつのまにか彼のことをもっと知りたい、側にいたい、と望んでいた。 あとね、と無邪気な少女の笑顔でアンジェリークは続けた。 「このわんちゃん気に入っちゃった」 ベッドの上でずっと彼女に寄り添っていた獣の首を抱き締めてそう言った。 それを見てレヴィアスは先程よりも大きな溜め息をついた。 「よく見てみろ…。それは狼だ」 「え?」 彼に指摘され、まじまじと抱えていたものを見つめる。 勝手にグレードを落とされたせいか、その瞳が訴えるようにアンジェリークを見上げていた。 「あはは…ごめんねぇ」 誤魔化すような笑みでアンジェリークはその銀の毛並みを梳いてやる。 狼と知っても恐れることなく、その態度は変わらない。 「お前は変わってる…」 「…何度も言わなくてもいいじゃない」 アンジェリークは拗ねたように彼を上目使いに睨んだ。 「我に血を飲ませようとしたのも、こんなことを言ったのもお前だけだ…」 「だって……」 そんなことを言われても何も言い返せない。 自分でもまさかこうなるとは思っていなかった。 どうしようもなく彼に惹かれていた。理由なんて分からない。 「あなたの側にいたいと思っちゃったんだもの…」 困ったように眉を寄せてアンジェリークは呟いた。 「いつまた血を吸われるか…殺されるか…わからないぞ?」 「血ぐらいあげるよ? もともと死ぬつもりで来たから別にかまわないけど?」 きょとんとした顔で平然と言い返す彼女にレヴィアスは内心頭を抱えた。 彼女が普通じゃないのか…それとも何世紀も人間から離れていた自分の感覚が違うのか。 戸惑う、といった感覚を実に久しぶりに経験させられた。 予想もつかないことをしでかしてくれる少女に興味を引かれなかったといえば嘘になる。 「…すぐに使える部屋などないが?」 「大丈夫! 急いでお掃除するから」 初めて見せた良い返事かもしれない言葉にアンジェリークはぱっと顔を輝かせた。 そして善は急げとばかりにベッドから下りようとした。 「…れ?」 しかし、思うように身体が動かせず、そのまま柔らかな羽根布団の上に倒れこんだ。 「吸血鬼に血を奪られた自覚ぐらい持て。すぐに動けるわけがないだろう」 レヴィアスは呆れたような表情で彼女を軽々と抱き上げ、再び彼女をベッドの中に閉じ込めた。 「レヴィアス、やっぱり優しい。大好きよ」 ふふ、と微笑むアンジェリークに彼は皮肉げな笑みを返した。 「ばかも休み休み言え」 「ひどーい」 それでも彼の瞳は優しかったから…アンジェリークは穏やかに笑い続けた。 「おとなしく寝ているんだな」 そんな言葉を残してレヴィアスは部屋を離れようとした。 しかし途中で一度足を止めた。 「?」 「…お前の名をまだ訊いていなかったな」 背中を向けたままの彼の声にアンジェリークは頬を染めて、嬉しさを顔に表した。 〜to be continued〜 |
ようやく彼の出番です。 皆様の期待を裏切っていないことを祈ります…。 …しかしアンジェ、浮世離れしてるというかぼけぼけしてるというか。 辛い過去持ってるわりに… それとも、そんな過去があるからこそでしょうか? 本当はもうちょっとシリアス度高いはずだったのに(苦笑) そして初登場の銀狼…。 もし、アリオスヴァンパイアを書くことになってたら これが黒になってました(笑) どちらにしろこのコの出番はこれからもあるのですよ。 話を作った時点からこれは考えてました。 |