花葬 〜flower funeral〜
chapter 17
「なんてことを…」 アンジェリークほど詳細に知ったわけではないが、 それでも真実を知ったレイチェルは眉を顰めて呟いた。 「…馬鹿げてる」 つまりは吸血鬼を悪者に、領主や唆された民達が殺したエリスは吸血鬼の犠牲者に 仕立て上げたということだった。 そして、その後は素知らぬフリをしていた。 吸血鬼の報復すら記述になかったのは 下手に記録を残して、そこから事実が露呈するのを恐れたためだろう。 そして、皮肉にも今また似たようなことを繰り返そうとしている。 「あれ…? でも、なんでそれだけイヤな目にあったのに彼はここにいるの?」 もしこれが自分ならば、二度とこの地を訪れたりしないだろう、と レイチェルは首を傾げた。 「彼女の遺言があったから…」 「エリスさんの?」 「自分の代わりに領主になる弟と、その弟が治めるこの地を見守ってほしいって」 「それだけ?」 少年は頷いた。 「彼にはそれで十分だった」 「……分からなくなる…」 「?」 首を傾げる少年にレイチェルは苦笑した。 「魔族は人間の敵。 ワタシ達にはそれが常識だよ」 「………うん」 「でも、今の話を聞いている限り悪いのはこっち側ダヨ」 泣きそうな顔で笑うレイチェルに少年は微笑んだ。 「おねえさんは優しいね」 「魔族の全部が良いものだと思うほどおめでたくない。 でも、全部が悪いものじゃないのは確かだ…」 「人と同じだね」 「………そうだね」 彼の声と頭を軽く撫でる仕種が優しくて、レイチェルは少しだけ泣いた。 しばらくすると彼は立ち上がった。 「僕はもう行くけれど…おねえさんはどうする?」 その瞳がここを出たいか?と聞いている。 「ワタシも出られるの?」 「おねえさんが望むなら」 レイチェルが呼んだというこの少年はなぜか協力的である。 出られるものなら出た方が良い。 一刻の猶予もないのだ。 (エルンストは…手間取っているのカナ…) 彼を待たずに脱走すれば後々問題になるだろうけれど、今はそれどころじゃない。 「そうだね。ワタシも一緒に…」 少年の手を取ろうとした時、離れたところでエルンストの声が聞こえた。 「レイチェル!」 「来たみたい…。 ありがとう、ワタシは大丈夫。出られるみたい」 「そう…。 じゃあ、気をつけて」 「色々ありがとう」 足音が近付いてくる。 エルンストの影が見える前に少年はふっと姿を消した。 「レイチェル…」 「どうしたの…? そんなに息切らして」 いつも冷静な彼が珍しい…と鉄格子の側へ近付いた。 「本隊はまだ出ていませんが…少数の先方部隊がすでに出立しました」 「なっ…!」 そんな計画はなかった。 驚くレイチェルに頷いて、エルンストは続けた。 「私もたった今、知りました」 彼は自嘲気味に呟いた。 今まで別の仕事を任されていた。 そしてこの後もここでやるべきことを指示されていた。 「貴女だけではなく、私も警戒されていたのかもしれませんね」 ぎゅっと鉄格子を握るレイチェルの手に力が入る。 「ジュリアス様達の許可は頂いていません。 ですが、鍵は手に入れました」 「………珍しく強引じゃない?」 「人間、切羽詰まると何をしでかすか分かりませんね…」 不本意そうに彼が呟くので、レイチェルはこんな状況なのに笑ってしまった。 「間に合わないかもしれません。 逃げ出すことにより、罰があるかもしれません。 それでも、行きますか?」 「行くよ」 躊躇いもせずに答えた。 「大丈夫。アナタが手引きしたとは言わないよ」 いたずらっ子のように、にっと笑うとエルンストは苦笑した。 「言わなくともばれるでしょう」 地下牢に鍵を外す音が響く。 「貴女の馬は屋敷の裏で待っています」 「ありがとう!」 「どうか、無事に帰ってきてください」 エルンストは金色の髪をなびかせる少女の後姿を見送った。 「アンジェ…! どうか、間に合って…」 屋敷を駆け抜け、愛馬に飛び乗る。 (山道を使わない最短ルートで追いつけるか…) 少数部隊で行ったということは彼らも獣道を使っているかもしれない。 だが、山の中の厳しい道では馬を走らせることができない。 そこで追いつけるかもしれない。 レイチェルはひたすらに馬を走らせた。 後程…地下牢で会った少年の手を取れば良かったと後悔するとは思いもせずに。 アンジェリークの膝の上に頭を乗せていた銀狼がぴくりと動いた。 音もなく立ち上がるとテラスの方へ向かう。 「どうしたの?」 アンジェリークも慌てて銀狼の後を追った。 銀狼が見ている方向、眼下に広がる景色を見ても特に変わった様子はない。 普通の夕暮れ時の山の景色である。 「招かれざる客が来たな…」 「レヴィアス?」 部屋にはいなかったはずのレヴィアスもいつの間にか側に立っていた。 その横顔を見つめていると、何も分からないままに不安になった。 ぎゅっと彼の服を掴む。 「いったい…なに…?」 上手く言葉が出てこない。 嫌な感じがする。 冷たく光る金と碧の瞳が山の一点を捉えていた。 「レヴィアス…」 彼は小さく息を吐くと、安心させるようにアンジェリークの肩を抱いた。 「少数だが、武装した奴らがここに向かっている。 十数人といったところか。 ああ…山の麓では本隊が控えているな」 「っ!」 それはまるで、見てきた過去の場面を再現するかのようで…。 アンジェリークは声も出せずに彼を見つめるしかなかった。 「城を荒らされるのも逃げるのも御免だ」 迎え撃つ気でいるレヴィアスをただ見上げる。 「見逃してやったというのに…。 次は命の保証はないと言ったはずだがな」 「…戦うの?」 たった一言を口にするだけなのにとても難しかった。 「ここで逃げるわけにもいかぬだろう」 「やだ…」 アンジェリークが子供のように勢いよく首を振ると栗色の髪がさらさらと揺れた。 「やだよ、レヴィアスが危険な目に合うのは…。 逃げちゃダメなの? あと1日。 ここを離れて時間を稼いで…そしたら私、レヴィアスの仲間になれるから。 それからあなたの世界に行くのはダメ?」 どうしても避けられないのか?と訴える。 「向こうが争いを望んでいるからな。 我も引く気はない」 「そんな……」 「この状況で魔王たる我が逃げるわけにはいかぬよ」 レヴィアスは苦笑するとアンジェリークの頬に触れた。 「他の者に示しがつかぬ」 「……………でも…」 立場的に引けないのだと言われてしまうと何も言えなくなるが、 そんな理由で危険を冒してほしくない。 頬に触れた彼の手を今にも泣きそうな顔で握る。 「いや…」 「アンジェリーク…」 潤んだ瞳を覗き込むように視線を合わせる。 「奴らは我を退治してお前を取り戻すつもりだ」 「……………」 「オスカーに決着を付けさせてやれ」 「…っ……」 他人事みたいに言わないでほしい。 その相手をするのはレヴィアスなのだ。 「負けるつもりはない。 信じられぬか?」 アンジェリークは小さく首を振った。 「そう。だから、案ずるな」 零れ落ちそうな涙を止めるかのようにレヴィアスが瞼に口接ける。 「レヴィアス…」 「我とて争いごとは好まぬが… お前を奪おうというなら話は別だ」 もう敵は目前まで来ている。 「お前は銀狼とここにいるように…」 一言だけ残して、すぐにも去りそうなレヴィアスの腕をアンジェリークは捕まえた。 「一人で行くの?」 「十分だ。 それよりも何があるか分からぬ。 銀狼はお前から離すべきではない」 「……………」 「大丈夫だ。ここまで踏み込ませたりしない」 刃物のように鋭い光を放つ瞳が一瞬だけ和らいだ。 「ここで全てを片付けて…明日を迎えよう」 明日の儀式が終わったら。 共に永遠を過ごせる。 誓うように唇を重ねた。 オスカーは騎士達を引き連れて、城門にたどり着いた。 力尽くで門を開ける。 広がる庭。その後ろにそびえる城。 それらの前に一人の青年がいた。 夕闇の中、佇む彼の表情は見えない。 「一応聞いてやろう。 何用だ?」 最初から解っていたとばかりに、動じる様子はかけらもない。 彼が纏う静かな空気は背筋が冷えるほどのものだった。 するどい眼差しにそれ以上前へ進めない騎士達に言い置くと、 オスカーだけがレヴィアスの前へと近付いた。 「無用な争いは御免だが?」 「大人しくアンジェリークを返して、村には二度と現れないというなら 退いてやってもいいぜ?」 「話にならぬな」 レヴィアスは冷たい微笑を浮かべる。 「返せとは不思議なことを言う。 彼女が選んだ居場所は我の側だ」 「…っ…。 それでも、彼女は人間。人の世界で生きるべきだ」 オスカーは怯まずに彼を見据えた。 たとえ、少女が自分のものにならなくても…それは仕方ない。 だが、彼女を闇の世界の住人にすることだけは避けたかった。 愚かな選択だけはしてほしくない。 (…アンジェリーク…) 穏やかな日々を過ごしていた時の会話を思い出す。 ただ二人で一緒にいるためだけに、何もかも捨てた彼女の両親。 それでも幸せそうだったと言っていた。 自分もそうなりたいと笑っていた。 その相手がよりによって吸血鬼。 危険すぎる。 オスカーはひとつ息を吐くと、剣を抜いた。 「多勢に無勢は俺も好かん。 サシで勝負を願おうか」 「ほぉ…そこにいる奴らはただの見物人か?」 オスカーの後ろにいる騎士達を見やり、レヴィアスは面白そうに瞳を細めた。 「こちらも立場上色々あるんだ。 全て俺の希望通りに動けているわけじゃない」 「それなのにここへ来て勝手に動くと?」 「俺も無用な争いは御免だ。 下手に死傷者を出すよりも、一対一で結果を出した方がいい」 「よかろう。相手をしてやる」 彼が宙に手を伸ばすと、一振りの剣が現れた。 「お前に合わせて剣のみでな」 「はっ、余裕ぶってると痛い目見るぜ?」 「…レヴィアス…オスカー様」 二人が剣を構えた。 アンジェリークはテラスからそれを見ていた。 オスカー達がやってきた時、やっぱり仲裁しようと部屋を出て行きかけたが 銀狼が許してくれなかった。 その体でアンジェリークの行く先を阻んだ。 (こんな離れたところから見るしかできないなんて…) まさに高処の見物状態である。 剣が激しくぶつかり合うのを見ることしか出来ない。 詳しいことは知らないけれど…騎士団長であるオスカーの剣は一流である。 しかも、攻める事に迷いがない。 対するレヴィアスに関しては剣を扱うことすら初めて知ったくらいなのだ。 普段の彼は剣など触りもしない。 それでも、互角に打ち合っているように見える。 (無事でいてほしい…) そして自分勝手ながら、殺してほしくない、とも望んでしまう。 レヴィアスには何をいまさら、と苦笑されそうだが… 彼には人を殺してほしくなかった。 二人を見つめているアンジェリークの視界の端で銀狼が動いた。 アンジェリークとは違う方をじっと見ている。 「?」 もう日が沈んでいて、闇が濃い庭の茂み周辺は見えにくい。 「……あ!」 しかし、うっすらと小さな明かりが動いているのが見えた。 おそらく目立たないよう、覆いをしているだろう灯り。 「どうして…」 正門から来た者達は二人の戦いを見守っているのに。 自分の心臓の音がやたらドキドキと大きく聞こえる。 「オスカー様ですら、囮…?」 その場所はレヴィアス達のいる場所からは見えない位置だった。 テラスから身を乗り出して、目を凝らす。 ぼんやりした小さな灯りから、いくつもの火が生まれた。 「火矢…!?」 レヴィアスの注意をオスカーが引き付けている間に別方向からの襲撃。 少なくとも庭と城には被害が出る。 一生懸命世話していた薔薇園は火の海になるだろう。 石造りの堅固なこの城はそうそう炎上はしないだろうが、 窓から火が入れば、部屋の物は燃える。 一階部分を燃やされたら、アンジェリークの逃げ場がなくなる。 (つ、つまり…燻製とか蒸し焼き気分…?) 切羽詰まっている状況なのに… 切羽詰まっている状況だからこそなのか、そんな考えが浮かんだ。 銀狼がテラスの柵に器用に上がった。 城内を通らず、ここから一気に向かうつもりらしい。 「私も行く」 さすがに銀狼の真似はできないので、アンジェリークは普通に下りようと 部屋のドアへ向かおうとした。 「っ!」 一歩も歩けなかった。 アンジェリークの服を銀狼が咥えている。 「だって…!」 動くな、と言いたげに銀狼は短く吠えた。 真っ直ぐな金と碧の瞳にそれ以上何も言えなくなった。 レヴィアスと同じ瞳。彼の分身。 アンジェリークの安全を最優先に考える彼ら。 宥めるように銀狼がアンジェリークの頬をぺろりと舐めた。 次の瞬間には彼はテラスから飛び下りた。 下の階のテラスや屋根を足場に風のように下りていく。 「………」 見送るしか出来ない自分が歯痒かった。 (…どうすればいい…?) レヴィアスとオスカーが剣を交えるのを見つめる。 まだどちらが優勢というわけでもなさそうである。 次に、銀狼が向かった先に視線を転じる。 やはり普通の獣とは違うのだろう。 火を恐れるような素振りは見せず、真っ先に火を持つ者に飛び掛かっては 次々と得物をその牙で封じていく。 だが、一対一で相対しているレヴィアスと違い、銀狼は囲まれている。 不利ではないだろうか。 (でも、私が行くと…かえって邪魔になる…) 助けたい。 だけど、動かない方がいいはず。 でも、じっとしているなど耐えられない。 「…もう、やだ………」 どうして、と泣きたくなる。 放っておいてほしい。 何故わざわざここに乗り込んでくるのか。 「私達…そんなに悪いことをしたの…?」 ただ一緒にいたいだけなのに。 〜to be continued〜 |
ようやくラストが見えてきました。 |