未来確定図



アンジェリークは飛行機の窓からぼんやりと離れていく街並みを眺めていた。
思い出すのは先程までのやりとり。
長い夏休みの一部を両親のところで過ごすこととなり、
アリオスとゼフェルが見送りに来てくれた。
「去年は両親がこっちに来てくれたから…。
 今年は私が行くの」
ずっと持ってもらっていた大きな荷物をアリオスから受け取り
アンジェリークは言った。
「そういえば、去年の夏…両親が帰った日にアリオスと逢ったんだよね。
 もうすぐ一年かぁ…早いね」
「そうだな…」
人の多い空港で抱きしめられ、アンジェリークはいつものごとく抗議しようとした。
しかし、壊れものを扱うようにそっと抱く彼の様子がいつもと違ってできなかった。
「帰ってきたら一周年のお祝いしよ?」
しばらく会えないからかな…と考えて元気付けるように提案する。
「ああ。楽しみにしてるぜ?」
空いている席にアンジェリークを座らせ、飲み物でも買ってくると行ってしまった。
「……?」
ちょうど入れ違いで戻ってきたゼフェルにアンジェリークは尋ねた。
「…なんかアリオス変じゃない?」
「あー…。アリオス飛行機苦手だからな…」
「え、うそ…?」
彼は仕事で国内外問わず、しょっちゅう飛行機を利用している。
信じられない、という表情で聞き返すとゼフェルは説明を付け足してくれた。
「自分が乗るのは平気なんだけど、人が乗るのはちょっとな…」
「………?」
「俺ら、飛行機事故で両親亡くしたから」
さらりと言われた事実にアンジェリークは息を飲んだ。
「事故で亡くなったのは聞いてたけど、飛行機だったんだ…。
 言わせてごめんね」
「俺はまだガキだったからあんまりぴんとこねぇんだ。
 気にすんなよ」
「…うん」
ちょっと考えてアンジェリークは言った。
「ゼフェルにとってアリオスは親代わりでもあるんだね」
逆らえないわけだわ、と笑うとゼフェルは憮然とした表情になった。
「ふん、でかいツラしてられんのも今のうちだぜ」
確かに自分を育ててくれた事実はあるし、尊敬も感謝もしている。
ただそれ以上に兄の特権でいいように使われているというか、
虐げられている気がしないでもない。
「そうか…」
後ろから聞こえた声にゼフェルは恐る恐る振り向いた。
「ぜひともこの俺より稼いで楽させてくれよ?
 そしたらでかいツラさせてやるぜ」
彼の頭の上にアイスコーヒー入りの紙コップを乗せ、
もうひとつはアンジェリークに手渡した。
「ありがと」
ゼフェルはコップをひっくり返さないよう、そろそろと頭の上に手を伸ばす。
そんな様子を見てアンジェリークはくすくすと笑う。
「やっぱり仲いいよね」
「どこがだ?」
「下手すりゃコーヒーかぶってたんだぞ」
二人、声を揃えて嫌そうに言った。


「アリオス、私何があってもちゃんと戻ってくるわ。
 心配しないで」
搭乗アナウンスがかかり、アンジェリークは立ち上がって微笑んだ。
アリオスはその言葉にゼフェルが話したんだな、とすぐに察した。
ふっと挑戦するように笑みを返した。
「約束してくれ。今ここで」
「?
 ………っ!」
「「バカっ!」」
公衆の面前で…、と今度はゼフェルと唇を片手で覆ったアンジェリークの声が重なった。





一週間が経ち、アンジェリークは実家でのんびりと過ごしていた。
両親は相変わらず忙しそうで今も出勤しているが、
それでも夜などは家族水入らずの時間を満喫していた。
そろそろ二人揃って帰ってくる頃だろう。
「何がヤってわけじゃないんだけど……。
 …会いたいな…」
外は暑そうだが家の中はクーラーで適温に調節されている。
テーブルの上にはアイスティーと読みかけの本。
ぱたりとテーブルの上に突っ伏してそう呟いた。
そんな時、リビングの電話が鳴り響いた。
「…アリオス?」
受話器から聞こえてきた声は会いたい人のものだった。
彼には前もって連絡先…電話番号や住所を教えてあった。
「今ね、会いたいなーって思ってたの。
 すごいタイミングだね」
嬉しそうにアンジェリークが笑うと可笑しそうな彼の返事が返ってきた。
『そうか。なら外に出たらもっと驚くぜ?』
「外って…?」
疑問に思いながらもちょっと待ってて、と玄関へ向かった。
外の通りに出てきょろきょろとあたりを見回すと、こちらへ向かってくる青年がいた。
「アリオス!?
 え、なんで…」
「そこまで来たからかけてみた」
「え、あ、そう。
 …じゃなくて…なんでここに?」
携帯を見せるアリオスに頷きかけて…問題はそこじゃない、と慌てて訊ねる。
「こっちでショーがあるんだよ」
顔を隠すためのサングラスを外し、アリオスは口の端を上げた。
「もう…。
 会えるんだったら最初から言ってくれれば良かったのに…」
「驚かせようと思ってな」
「ホントにびっくりしたわ」
「明日、暇だったら来いよ」
「いいの?」
チケットを受け取ったアンジェリークは顔を輝かせて彼の腕に抱きついた。
「絶対行くから」
「特等席用意しといてやる」
抱きついていたせいでアンジェリークは
アリオスの何か企んでいる笑みには気付けなかった。



「うち寄ってく?」
「悪い、この近くの店で明日の最終確認も兼ねて皆集まってるんだ」
アリオスはアンジェリークから教えてもらっていた住所と店が近いことを知り
彼だけちょっと寄り道することにしたのだ。
「…もしかしてみなさん待たせてる?」
「平気だろ。
 どうせ一度話は聞いてるし、明日リハもある」
勝手に始めてるだろ、と言う彼にアンジェリークは苦笑した。
「わがままはダメよ?」
「仕事に支障ない程度だ」
それよりもこうして彼女に触れていたい。
一週間ぶりに彼女を抱きしめて、軽く唇を重ねた。
「ア、アリオス…」
実家のご近所でなんてことを…と真っ赤になる少女を抱いたまま笑った。
「くっ…やっぱりお前の側はいいよ」
「?」
「あんまり向こうに行きたくない」
何かあったのかと心配そうに見上げる少女の髪を誤魔化すようにかきまぜた。
「…仕方ねぇ、顔出してくるか。
 じゃあな」
「あ、アリオス」
「なんだ?」
彼の様子がどこかひっかかって、つい呼び止めてしまった。
「あの…」
別に何が言いたい、というわけでもなかったので急いで次の言葉を探す。
(頑張って…とかもちょっと違うし…)
「…え、と……もう一回して?」
そんな言葉しか思い浮かばなかった。
だけどそれが一番効果的なのは無意識のうちに二人とも解っていた。
「喜んで」
だから今度は長い本気のキスを彼はくれた。





アリオスと別れた後、アンジェリークは帰ってきた両親と食事に出かけた。
「明日は久しぶりに二人ともお休みが取れたの。
 どこか行きたいとこある?」
母親に尋ねられアンジェリークのナイフとフォークを持つ手がぴたりと止まった。
「明日…予定入っちゃった…」
「何があるんだ?」
少女のこちらでの知り合いは少ない。近所の住人くらいである。
珍しいな、という父親の問いかけにアンジェリークははにかんで言った。
「あのね、明日ショーがあるの。
 それに招待されて」
近所のホールの名をあげたとたん母親がピンときたようで微笑んだ。
「あー、うわさの彼ね?」
「え…?」
「だって…明日あそこであるのってファッションショーじゃない?
 確かその業界の人じゃなかったかしら」
「うん…」
付き合っている人がいる、というのはもう大分前に手紙や電話で報告してあった。
だが、いざ目の前でそういう話をするのは恥ずかしいものがある。
そんな娘とは裏腹に彼女は楽しそうに笑った。
「パパとママも行っていい?」
「ママ?」
「お前、何を…」
「だって、パパも見たいでしょ?
 どんな人か」
「まぁ…そうだな…」
「席、ないかもよ?」
「その時はその時よ。諦めるわ」
少女のようにはしゃぐ母親にアンジェリークは嫌だとは言えなかった。

アンジェリークが小さく溜め息をついた時、店の奥のスペースを仕切って
貸し切り状態にしていた団体が席を立ち始めた。
「!」
両親はそちらを背にしていたので気付かなかったが、アンジェリークはその向かい、
団体がよく見える位置に座っていた。
先頭にいた燃えるような赤い髪を持つ長身の美女。
続いて出て来た冷たい中性的な美貌の持ち主。
人目を引く派手な格好の麗人。
などなどその他アンジェリークの知っているスタッフ達がいた。
(アリオスが言ってた店ってここだったんだ…)
すごい偶然だと感心していたところに最後尾にいたアリオスを見つけた。
あれだけの美形の中でも一際目立つ存在。
ただその傍らで親しげに彼の腕に抱きついている美少女がいた。
「っ!」
『そこ』は自分の場所だ、と思った。
二人を見たままアンジェリークが動けないでいると、ふとアリオスがこちらを見た。
距離にしてかなりある。
店の端と端で一瞬視線がぶつかった。
一瞬だけだったのはすぐにアンジェリークが目を逸らしたからだった。
あからさまに顔を背けてしまった。
「アンジェリーク?」
「ん、なんでもない」
母親の声にアンジェリークは笑顔を作って答えた。
(なんで…しまった、みたいな顔をするのよ…)




「アリオス?」
腕にくっついている少女がいるにも関わらず、意識ここにあらずという状態の彼に
気付いたサラが声をかけた。
「…あいつがいた。
 ったく、タイミング悪ぃ…」
「まぁ…日頃の行いが悪いんじゃなくて?」
茶化すサラにアリオスは嫌そうに顔を顰める。
「あんな顔されるとはな…。
 …どうやら信用されてないらしい」
「二人だけで何よぉ?」
『あいつ』が分からない問題の少女は仲間外れにされた気分で頬を膨らました。
「なんでもねぇよ。
 それよりさっさと離れろよ。暑い」
そっけなく返されて少女はますますご機嫌斜めになった。
「…しばらく離してあげない」
「おい…」
サラは肩を竦めて諦めなさい、と示して見せた。




「あの子誰よ…。アリオスの馬鹿」
アンジェリークは家に帰ってベッドに勢いよく倒れこむと呟いた。
自分と同じ年頃の少女。
でもそこら辺の少女とは段違いの美しさで、正直彼と並んでいる姿は似合っていた。
釣り合う、というのはああいうことを言うのだと見せ付けられたようで…。
彼が自分のことを愛してくれているのは信じたい。
だが、なぜ彼がまとわりつく少女をそのままにしているのか、邪推してしまう。
「そう考えちゃってもしょうがないじゃない…せめて言い訳くらいしてよ」
あの状況でそれは無理だと判っていながらも、彼から説明を聞きたいと思った。
「安心させてよ…ばかアリオス」
彼の周りにはいつもあんなに綺麗な人がいるんだ、と改めて気付いた。
とても自分が相手になれるとは思えない。
涙が溢れそうになった時、ぼやける視界の中で薬指のリングの輝きが見えた。

『不安になって…俺が傍にいてやれないときはこれを見ろ。
 俺はこの先ずっとお前の横にいる。その誓いだ』
本物を贈るまではこれをしていろとプレゼントしてくれた左手薬指の指輪。
その時の彼の言葉を思い出す。
それは彼の誠意。
こういう時の為にこそ用意してくれていたのだ、と思う。
「…明日…ショーの前に謝らなきゃなぁ…」
気分的に文句を言いたいところだが、今日あからさまに目を逸らしたのは自分だ。
ちょっと心が痛む。
彼のステージの前に謝っておきたいと思った。



                                      〜 to be continued 〜





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