promise
『ずっと一緒にいようね』 確かなようで曖昧な約束。 (ずっと…って、いつまで…?) 確かな想い。 だけど、曖昧な期限。 自分とアリオスの『ずっと』が同じとは限らない。 アンジェリークは流れる水をぼんやり見つめていた。 ぼうっと考え事をしながらも手だけは次々と食器を洗っていく。 出逢ったのは去年の春。 紅茶の妖精を呼び出す満月の晩のおまじない。 真夜中に月を紅茶に浮かべて祈って…アリオスが現れた。 それから約一年一緒に過ごして、三つの願い事を叶えてもらった。 本当はそれでお別れのはずだった。 だけど、離れたくないと思った。 一緒にいたかった。 自分もアリオスも…。 だから、アリオスは新しい契約をアンジェリークと結んだのだ。 アリオスの周囲の人々の反対を押し切って。 (というか、反対させる暇もなかったんだよね…) 彼らがアリオスの不在に気付いた時には、もうすでに アンジェリークとアリオスの契約が結ばれていたので手が出せなかったらしい。 アリオスの世界で契約は絶対。 だからこそ三つの願い事を叶えた後、アリオスも強制送還させられることになった。 だが、今自分達の間にある契約の詳細は何も決まっていないのだ。 ただ一緒にいたい為に出来たもの。 彼もそれについて何も言わなかったので気にした事もなかった。 (まぁ…今は、それでいいのかな…?) アンジェリークはきゅっと水道の栓を捻って水を止めた。 「洗い物終了っと。 アリオス、終わったよ〜」 流しを片付けて、レジを閉めているアリオスに声をかける。 ここはアリオスの店。 紅茶専門の喫茶店。 いつもアンジェリークは空いている時間をここの手伝いにあてていた。 アンジェリークの通う高校も近くにあるせいか、夏休みともなると学生もよく訪れる。 ただでさえ、アリオス目当ての常連客が多いのでさらに忙しくなる。 それでも店がそれほど大きくないからと言って、アリオスは従業員を増やそうとはしなかった。 アンジェリークとしても、忙しいが二人でちゃんとまわしていけるので特に文句はなかった。 「ああ、サンキュ。帰り支度しとけ」 「うん」 鞄を取って戻ってくると、頭の上にひんやりと冷たい紙の箱を置かれた。 「なに?」 「みやげ」 「?」 そろそろと箱を下ろして中身を確認する。 すぐにアンジェリークの顔がぱっと明るくなった。 「ゼリーとムースだ! ありがとう、嬉しい〜」 この店オリジナルの紅茶のゼリーと紅茶のムースがひとつずつ。 どちらも二人で何度も試作して完成させた今夏のメニューである。 「ただの売れ残りだぜ?」 アリオスはアンジェリークの喜びように苦笑した。 「だって、いっつも完売しちゃうじゃない」 完売は嬉しいけれど自分の楽しみが減ってしまう、と唇を尖らせている。 それでも、最初から商品を取り置かないあたりがアンジェリークである。 (うん、やっぱりスタッフ増やさない方が嬉しいかな) もし他にもいたら、独り占めはできないだろう。 (それに…) ちらりとアリオスを見上げる。 「なんだよ?」 これ以上は何も出ないぞ、と笑うアリオスにアンジェリークも微笑んだ。 「なんでもないよ」 二人きりだからこそ、アリオスを独り占めできる。 「うちに帰ろう?」 亡くなった父親同士が仲が良かったという縁で、海外から戻ってきたアリオスは アンジェリークの家に下宿させてもらっている。 アリオスがこちらの世界で暮らすために作った設定だった。 当たり前のように一緒にいられる毎日が嬉しかった。 閉店少し前の客が途切れた頃。 アンジェリークはこっそり小さなあくびをした。 「オツカレだね」 「あ、レイチェル。いらっしゃい」 見つかってしまった、と首を竦めながらアンジェリークは笑った。 「そんなに忙しかったんだ? やっぱり人増やした方が良いんじゃない?」 なんならワタシが手伝おうか、と心配そうにするレイチェルにアンジェリークは慌てて両手を振った。 「だ、大丈夫。なんとかできる程度の忙しさだし。 ほら、一人増やすと今度は皆で暇を持て余しそうな感じだし」 「そう?」 アンジェリークはこくこくと頷いた。 今のあくびの原因は別にあるとは言いにくい。 というか言えない。 「昨日、ちょっと寝不足だっただけだから。大丈夫だよ」 いつもので良いかな?と確認しながらカウンターに戻る。 しかし、背中に聞こえた呟きのおかげでぴたりと固まったが。 「寝不足、ネ…。あの男、許せん」 「レ、レイチェル…?」 的確に寝不足の原因を言い当てられたアンジェリークは往生際悪く首を傾げてみせる。 「本読んでたとか、映画見てたとか…あるじゃない?」 動揺も露な表情で言ってみてもなんの説得力もなく、 むしろレイチェルの予想が当たってることを証明しているようなものだが。 「へー…」 昨夜はアンジェリークの母親が出張でいなかったので… そんなチャンスをアリオスが見過ごすはずもなく、必然的にそういう流れになってしまったのだ。 「レイチェル〜…」 真っ赤な顔でうろたえる様子も可愛いのだが、そろそろ許してあげよう。 毎日楽しそうな彼女を見ていると、多少の事は目を瞑ってあげたい気になる。 レイチェルはあっさりと追求を止めた。 「まあ、いいケド。 ところで、問題のアリオスはどこ行ったの? ワタシのアンジェを働かせといてサ」 「裏でお仕事してるよ」 アンジェリークは宥めるように笑った。 「お待たせ」 アンジェリークは親友が注文したアイスティーをテーブルの上に置いた。 「ありがと」 「大変だね。生徒会役員は…」 「文化祭の基礎部分は夏休み中に詰めとかないといけないからねー。 オリヴィエ先生も忙しそうだよ。まだなんかやってたし」 レイチェルは生徒会の仕事を終えた後、アンジェリークの顔を見にやってきたらしい。 閉店間際な時間のせいか、客も他にいないので多少の雑談は許される。 「ご苦労様。これは私からのおまけね」 ケーキをレイチェルの前に置いて、アンジェリークは微笑んだ。 「だからアンジェ大好きダヨ」 レイチェルは喜んでフォークを手にしながら、そう言えば…と顔を上げた。 「ワタシの方はあと一週間くらいすれば時間できそうだけど、アンジェはどう?」 夏休みに入ったら二人で遊びに行こうと言いつつ、 まだレイチェルの方が忙しくて実現できていなかった。 「私は別にいつでも大丈夫だよ。 用事がある時はお店に出なくても良いって言ってくれてるし」 「そうなんだ。 お店の夏休みにどこか行く予定とかはないの?」 この店の夏休みはけっこう長く取られているので、 てっきり旅行にでも行くかとレイチェルは睨んでいたのだが。 「んー…何も聞いてないけど」 「じゃあ、その頃が狙い目かな。 またあとで電話するヨ」 「うん」 「アリオス」 「ああ、閉店時間だな」 事務所兼休憩室でパソコンを触っていたアリオスはアンジェリークが来ると頷いた。 「まだ忙しい?」 とことことデスクに近付いてきたアンジェリークを抱き寄せて口の端を上げる。 「この俺が残業するほど低能だとでも?」 「…思ってません」 店を手伝っていて気付いたのだが、アリオスは残業をしないのだ。 特にデスクワークに関しては手際が良すぎる。 働いたことなどそうそうないはずなのに…とアンジェリークは不思議でしょうがない。 「それに残業なんかしてられるかよ」 少しだけ低めた声と意味深な笑みにぎくりと腕の中の少女が固まる。 「今夜もチャンスだしな」 「アリオスっ」 アリオスがいてくれるおかげで安心して家を空けられる、というのは 頻繁に出張があるキャリアウーマンの母の言だが… アンジェリークとしてはその方がよっぽど危険だったりする。 (イヤじゃないんだけど…) それでも、限度というものがある。 「今日は寝る時間くらいはやるよ」 頬を染めたアンジェリークの訴える眼差しに アリオスは悪びれもせずに少女の栗色の髪をかき混ぜた。 そのまま彼女の頭を引き寄せて。 唇を重ねようとした時、アンジェリークがはっと我に返った。 (あ、危ない危ない…流されるトコだった…) 一瞬でそういう空気を作れるアリオスをすごいと思う反面、恐ろしい。 彼のキスは好きだけど、今は流されるわけにはいかないのだ。 「ア、アリオス、ダメ、だってば…」 「別にここでやるわけじゃねぇよ」 「あ、当たり前でしょう〜っ!」 かぁっと真っ赤になって、アンジェリークはアリオスの腕の中から逃げ出した。 「そうじゃなくて、私、アリオスを呼びに来たの。 お客さんが来てるよ」 「…誰だ?」 その邪魔者は。と金と翡翠の剣呑な瞳が言っている。 「いけない、まだ名前聞いてなかった…。 アリオスの世界の人みたいだけど…」 「追い出してくる」 忌々しげに長い前髪をかきあげると、アリオスは立ち上がった。 「それはダメでしょう…」 「ぜってぇロクな話じゃねぇぞ」 アリオスは断言すると事務所のドアを開けた。 「お前は裏から片付けといてくれ。 俺もさっさと店の方を片付けてくる」 「うん」 不機嫌オーラ全開のアリオスの背中を見送って、アンジェリークは客人の苦労を思い浮かべた。 「あの人、大丈夫かな…」 心配そうに呟くと、アンジェリークはキッチンの片付けに向かった。 アリオスが店内に戻って、来訪者を目にして一言。 「帰れ」 取り付く島もなかった。 テーブルで待たされている人物を見ることもなく、店の片付けに入り始める。 「ちょっと待てや。 この俺様が出向いてやってんのにソレかよ!」 「お前だから帰れっつってんだ」 「んだとォ…」 そんな火花散る男二人の間に少女の声が割って入った。 「レオナード様! 確かにお仕事中に来た私達が悪いんですし…」 空気を読んでいないのか、読んだ上でのものなのか。 明るい声と笑顔で提案した。 「お店の片付けを手伝って、終わらせてから本題に入りましょう。 ね、アリオスさん?」 「………聞くだけだからな」 アリオスは大きく溜め息を吐くと渋々承諾した。 レオナードは国内で結構重要な位置にいる貴族である。 持ってくる話は十中八九面白くないものだろう。 彼と一緒にいる少女、エンジュはその従者。 肩書きは従者だが、実際にはレオナードの手綱捌きを認められてのことだろう。 気分屋で怠け者の彼を叱り飛ばして動かせるのは彼女くらいのものである。 使いとして宮殿にも出入りしていただけあって、アリオスとの面識もある。 皇子に対して気軽にアリオス『さん』と呼ぶ稀少な少女。 「で、何しに来た?」 手早く片付けを終え、三人がテーブルに落ち着くとアリオスがぞんざいに聞いた。 「アリオスさん、顔が怖いです」 「ほぉ…この俺に笑顔で出迎えられるとでも思ったか?」 「あははー…いえ、全然、です…」 一応皇子様の笑顔は拝めたが、瞬間冷凍できそうなくらいの冷たいそれに エンジュも引きつり笑いを浮かべるしかなかった。 「俺様の下僕をいじめんなよなァ…」 「誰が下僕ですって? レオナード様」 にっこり笑顔で問うエンジュにレオナードが肩を竦めて答える。 「お前だお前」 「ふふ、良い度胸ですねー。 そうですね。下僕らしくしっかりお仕事しますとも。 レオナード様も向こう3ヶ月程お休みなしってことで」 「あァっ!?」 「頑張って少しはお休み入れてさしあげようかと考えてたんですけれどね。 仕方ありません」 「ああ、しまった! エンジュちゃん…じゃねぇや、エンジュ様!」 主従の立場が逆のような気もしないでもないが…。 とりあえず今はこの微笑ましいやりとりを悠長に見物する気はアリオスにない。 「…帰って良さそうだな」 「あ、こら待て、アリオス!」 「だったら、さっさと話せよ。 何を言いに来たんだよ」 どうせ早く戻って来いだの、契約を終了させろだの…。 大臣達の意見を持ってきたのだろう、とアリオスは予想していた。 「では、本題を…。 各大臣からの言伝です。ちなみに皇帝陛下も了承しています」 「それで?」 うんざり、といった表情でアリオスが促す。 エンジュの言葉をレオナードが継いで言った。 「あの姫さんと結婚しろってさ」 「へぇ…………。 ………は?」 あまりに間の抜けた反応だが、それ以外に返しようがなかった。 「一応聞くが……アンジェリークのことか?」 「あれ、アリオスさんにしては鈍い…」 すぐに飲み込んでたまるか、とアリオスは内心毒づいた。 レオナードやエンジュは知らないかもしれないが、 アリオスがこちらに来てから密かに散々邪魔をしてくれていたのだ。 それらをアンジェリークに気付かれないように処理していたアリオスからしてみれば 突然手の平を返されるとかえって警戒心が働く。 「どういう魂胆だ?」 「単にじーさん連中が諦めただけじゃねェの? このままじゃ大事な後継ぎが人間になるとか言い出しかねねェって」 「そのくらいならいっそ認めてしまえってことでしょうねぇ」 「近日中に宮殿でお披露目すっから帰って来いだと」 「前回の婚約披露をアリオスさん自身が潰してますから、皆さん焦ってるんでしょう」 長年のらりくらりと躱されていたうえに、ようやくこぎつけた婚約披露。 皇子自身に潰されたとあっては、仕方がないですよ…とエンジュは溜め息を吐いた。 「そのうえアリオスさんはアンジェリークさん以外は眼中になさそうだし」 「当たり前だろ。 だが、答えはノーだ。帰るんだな」 「え?」 「おい!」 あまりにあっさりとしたアリオスの答えに二人は目を丸くした。 「ったく、何かと思えばそんなくだらねぇことかよ」 「くだらない…ってそんな…」 好きな人と一緒になれるのにどうして、と言わんばかりに エンジュが呟くがアリオスはこれ以上取り合う気はなかった。 「あいつにはこの件知らせるなよ」 「いやァ、それはもう無理かな…」 「なんでだよ?」 「レオナード様ったら、さっきアンジェリークさんに言っちゃいましたもん」 エンジュが申し訳なさそうに白状した。 たっぷりの沈黙の後、アリオスが拳を握り締めた。 「………余計なことを。 レオナード、てめえ歯ぁ食いしばれ」 「だーっ、待った! すでにエンジュに殴られたって」 「………………」 「当然です。あんなに軽く…デリカシーなさすぎです」 「悪かったって。 それにだな、ほら、後ろ…」 レオナードの指差した方を振り向けば、当のアンジェリークがいた。 従業員用の扉から店内に入ってきたところのようである。 「ふぅん…くだらないこと、ね」 「アンジェリーク?」 「そうなんだ…」 「アンジェ、お前どこから聞いてた?」 「『何かと思えば…』のあたりだけど」 なんて間の悪い…とアンジェリーク以外の三人が思った。 そのほんの少し前から聞いていてくれたら、と。 「向こうの片付けは終わったよ。 お話終わってないなら…私、先に帰った方が良いかな?」 アンジェリークはそう言うと、返事を待たずに裏口へ向かった。 「おい、アンジェ。ちょっと待て」 「? わりとフツーだな。もう少しリアクションあるかと思ったけど…」 「てめぇ………やっぱり一発殴らせろ!」 「なっ…お、落ち着け、アリオス?」 「………あいつ、めちゃくちゃ怒ってやがる」 彼女はできるだけ平静を装って微笑んで見せただけだ。 それが分からないアリオスではない。 アリオスはぱちんと指を鳴らすと店内の照明を落とし、戸締りなどを一瞬で終わらせた。 来客であるレオナードとエンジュは問答無用で外に追い出しておいた。 もうこいつらにかまってる暇はない。 「オリヴィエ様。アリオスさんったらひどいですっ。 レオナード様はともかく私まで放り出すなんて…」 「あー、よしよし。 こんなのと一緒にされるなんて気の毒にねぇ」 「お前らなァ…」 一度この少女を教育し直す必要がある…とレオナードは呟いた。 アリオスが放り出した先はご丁寧にも関係者のいる場所だった。 オリヴィエも紅茶の召喚術によってこの世界に呼び出されて主人に仕える身。 偶然にも彼を呼び出した主人はアンジェリークの通う学校の理事長。 オリヴィエは教師として学内に紛れ、アンジェリークの担任も務めていた。 アリオスとアンジェリークの一通りの事情は知っている。 「で? あんた達は結局、何しに来たワケ?」 真剣味半分、面白味半分な様子の問いにエンジュは状況を説明し始めた。 〜 to be continued 〜 |