promise



「くだらないこと、かぁ…」
アンジェリークは帰り道を一人で歩きながらぽつりと零した。
自然と声は沈んでしまう。
確かにアリオスは他の世界の人だし、ずっと一緒にいようと言っても
そんなに簡単に結婚には結びつかないことも分かっている。
そういうことを考えるのは自分にもまだ早い、と思っていた。
ただ、一緒にいられる今を大事にしようと思っていた。
それでも…。
『姫さん、アリオスの嫁さんにならねぇ?』
そう聞かれて、叶う夢なのかもしれないと期待してしまった。
しかし、当のアリオスはそんなつもりは全然ないと言わんばかりの対応だった。
「仕方ないのかな…」
アリオスにはアリオスの都合がある。
それを捻じ曲げてでも今一緒にいられるようにしたのだから、
それ以上を願うのは欲張りなのかもしれない。
「でも…」
よりによって『くだらない』とは…。
やっぱり寂しいと思ってしまう。
とても幸せな毎日を過ごしているから余計に。
毎日を楽しいと思っていたのは自分だけだったのかと疑ってしまう。
「アリオスの…バカ…」
「そういうのは本人に向かって言えよ」
「っ!」
背後からふわりと抱きしめられ、意外に落ち着いた優しい声が耳元で聞こえた。
そのおかげでアンジェリークもひとつ息を吐くと穏やかに苦笑できた。
「アリオス…普通、夜道で突然こんなことしたら変質者と間違って悲鳴上げるよ」
「普通はな。お前だから大丈夫だと思った」
「……………」
まったくその自信はどこから来るのだろう、と思ってしまう。
だけど、彼らしい。
よく、解ってる。
抱きしめる彼の腕にアンジェリークはそっと自分の手を重ねた。
自分が彼の腕と声に気付かないわけがない。
(大好き…)
こんなに好きなのだから、気付かないわけがない。

「アリオス…」
今はどんな顔をして会ったら良いのか分からない。
だから、逃げるようにあの場から退場したのに。
怒ったらいいのか、泣いたらいいのか…。
自分でも分からないのだ。
だけど、たったひとつだけ。
彼の気持ちだけは信じられる。
あんな風に言われたけれど…愛されている自信はある。
あれだけ毎日言葉と態度で示されて、信じないのは彼に失礼だ。
きっと、彼が言った事はそれなりの理由がある。
そう思うから、怒り切れない。
だけど、どうして自分には何も話してくれないのだろう。
そう思うと、やっぱり簡単には許せなくて…。
「アリオスのバカ、意地悪…また、何か隠し事、しようと…」
包み込む腕と温もりについ気が緩んだ。
強気に言うつもりだったのに、涙声になってしまう。
「アンジェ…」
抱きしめる腕が緩んで、振り向かせられそうになった。
慌てて顔を背ける。
「や…今、顔見ないで…」
いつでも真っ直ぐ見つめる金と翡翠の瞳を今は見つめ返せない。
「じゃあ、見ねぇよ」
「…っ…」
確かにアンジェリークの願い通りにアリオスは彼女の顔を見なかった。
奪うようなキスの最中に見つめ合う余裕などない。

「ず、ずるい…」
力が抜けてしゃがみこみそうになった少女の身体を片手で支えてアリオスは不敵に笑った。
「どっちがだ。
 話も聞かずに逃げようとしたくせに」
「う……」
「これくらいは当然のお仕置きだ」
「だって…」
あの場で冷静に話をできるとは思わなかった。
みっともなく取り乱してしまいそうだった。
それか、ひたすら呆然としているかのどちらかだっただろう。
聞きたいことや言いたいことがたくさんあって、何から口にすれば良いのか分からない。
「アリオス…」
アンジェリークは自分の身体を支えてくれているアリオスを見上げた。
いつもと変わらない飄々とした様子。
「私のこと…好き?」
答をもらう僅かな間がとても長く感じた。
「愛してる」
期待以上の囁きの後に唇が重ねられる。
「信用できねぇか?」
あんまり見たことのないアリオスの表情。
苦笑交じりの彼の問いにアンジェリークも困ったように微笑んだ。
「ううん…。
 信じられるから、ちょっと…戸惑ったの」
だから、一言のもとに切り捨てられたのが意外だったのだ。
自惚れていたのだろうか、と思った。
「そうか」
アリオスはふっと笑うと、栗色の髪をかき混ぜた。
大きくて優しい手。
この手は安心する。
「ちゃんと説明してやるよ」
「うん」



アンジェリークは家に着くまでの間にアリオスから色々と聞いた。
今までに何度かアリオスを連れ戻そうと接触してきた者がいたこと。
だが、今日現れた二人は全く逆の話を持ってきたこと。
「あいつ…レオナードはああ見えて国の中枢人物だからな。
 国の正式な方針と読んで間違いないとは思うが…」
「そうか、アリオスは皇子様なんだよね」
こうして普通に玄関の鍵を開けている姿を目の前にしていると忘れてしまいそうになるが。
宮殿暮らしの彼がよく庶民の一部屋で文句を言わないものだな、とヘンなところで感心してしまった。
「なんだよ」
「えぇと…普段のアリオス見てるとそれ忘れそうになるな、って。
 あ、でも偉そうなトコはしっかり皇子様だね」
「実際、偉いんだよ」
アリオスは憮然とアンジェリークの額を指先で弾いた。
「うぅ、ひどい…」
アンジェリークはおでこを押さえながら頬を膨らませた。
「ともかく、向こうの魂胆が見えねぇ以上、『はいそうですか』って頷けるかよ」
リビングのソファーにどさりと腰掛けてアリオスは呟いた。
「こっちにはこっちの都合があるってのに…」
「?」
冷たいお茶を用意していたアンジェリークにはアリオスの呟きは届かなかったらしい。
首を傾げつつも彼の隣に座るとグラスを手渡した。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
「だいたいお前、散々邪魔してきた奴等に呼ばれて行く気あるか?」
勝手に反対していたかと思えば、今度は勝手に段取りを進めているらしい。
「お前を披露する場を用意してるらしいが…何があるか分からねぇぞ」
「う〜ん…」
アンジェリークは返答に困ってしまった。
なんと言うか…なんか違う。
うまくハマる言葉が見つからないのだが…。
「とりあえず、アリオスがその人達の都合に振り回されるのが
 『くだらない』って言ったことは分かったよ」
アンジェリークが傷ついたり、悩んだりする必要はないのだと教えてもらった。
「まぁ、それが分かればいいけどな」
後は向こうで勝手に慌てるなり困るなりさせておけ、と投げやりに言う。
「アリオス…」
咎めるようなアンジェリークの眼差しにアリオスは肩を竦めた。
「知るか。今夜はイロイロ楽しむ予定だったんだ。
 邪魔されてたまるか」
「……っ…それは、アリオスが勝手に作った予定でしょう〜」
すぐ隣に座っていた為、逃げる間もなく肩を抱き寄せられ、耳元にキスされる。
そのまま首筋を辿る唇にびくりと身体を竦ませてアンジェリークが抗議した。
「嫌か?」
「…う…」
真正面から聞かれるとアンジェリークは返答に詰まった。
結局アリオスには敵わないのだ。
見つめ合いに負けて視線を逸らせて呟いた。
「………寝かせてくれないのはイヤ」
「今日は寝かせてやるって」
宥めるように頬にキスされる。
信用できるかどうか怪しい約束なのに負けてしまう。
「…………シャワー浴びてからじゃなきゃイヤ…」
アンジェリークの白旗にアリオスは彼女を抱き上げた。
「はいはい。了解」
「えっ、ア、アリオスっ?」
「一緒の方が早いだろ」
涼しい顔をして浴室に向かうアリオスの腕の中でアンジェリークはじたばたともがいた。
「ち、違う! 私、一人で…」
これではシャワーを浴びてからではなく、浴びながらになりかねない。
というか、きっとそうなる。
「ず、ずるいっ。
 昨日だけって約束で一緒にお風呂入ったじゃない〜」
「まぁな。今日はお前から言い出したんだからまた別じゃねぇ?」
「そんなの屁理屈だよっ」
結局、アンジェリークは抵抗虚しく浴室に連行されたのだった。





「…アリオスのえっち…」
ベッドの上、アンジェリークの力無い文句にアリオスは苦笑した。
「否定はしねぇよ」
少女を抱き寄せ、裸の肩にタオルケットをかける。
冷房の効いている部屋では、そのうち寒くなるかもしれない。
「お前相手だとつい、な」
「〜〜っ〜〜」
その艶めいた笑みにアンジェリークは口をぱくぱくさせるだけに終わってしまった。
こんな表情でそんな風に言われたら、これ以上何も言えない。
まるで自分だけが彼をそうさせるのだと言われているみたいで…。
真っ赤になった顔をぷいと背けて黙り込んでしまう。
「アンジェ…?」
いつもならすぐに根負けする少女が様子を窺うように振り向く。
だが、今回は違った。
しばらくの間、沈黙が続いた。
そしてその後に腑に落ちたと言わんばかりの独り言が聞こえた。
「あ〜…そうか…」
「?」
振り向いた少女は、さっきまでの紅く染まった顔ではなく穏やかな笑顔だった。
「リビングで話してた時、なにか引っかかったんだよね」
「なんだ?」
それがやっと分かったのだと言う。
アリオスの肩に頭を預けて、ふふ、と笑った。
「婚約とかお披露目とか出てたけど…私とアリオスの気持ち、置いてかれてたよね」
「………」
「アリオスは私のこと…──」
言いかけた言葉はキスで遮られた。
「もう、アリオス、話の途中で…」
「ばか、気付くの遅ぇんだよ」
「なっ…」
しかし、言葉と裏腹にアリオスの表情は珍しく素直に優しかった。
「俺がまだプロポーズしてねぇってのに、勝手に進められてたまるか」
らしくもなく状況やタイミングを色々と考えているというのに、
その最中に「さあどうぞ」と勝手に場を用意されてはたまらない。
皇族の結婚などそんなものだと言われてしまえばそれまでだが、それに倣うつもりはない。
元々例外も良いトコなのである。
慣習に合わせる必要もないだろう、と考えていた。
「アリオス…」
まだプロポーズしてないという言い方は…
そのうちするつもりだったと白状しているようなもので。
アンジェリークはアリオスをまじまじと見つめた。
「だから、それ以上言うなって。
 それなりの状況と場を考えてんだ。
 今、言わすな」
奴等の思惑に合わせてなど御免である。
意地っ張りな彼にアンジェリークはくすくすと笑い出した。
「うん、楽しみにしてる」
彼は自分が思っている以上に考えてくれている。
そして自分が思っている以上にロマンチストなのかもしれない。
(ただ単に自分のペースを通したいだけかもしれないけれどね…)
「アリオス、大好きよ」
アンジェリークはアリオスに抱きつくと、想いを込めて彼の頬にキスを贈った。





                                    〜 fin 〜







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