天使捕獲 -2
アンジェリークを乗せた車が停まったのは近くの小さな公園だった。 真夏の昼間の公園は人が少ない。 その木陰に車は停まった。 「あの…ええと…」 アンジェリークは声をかけようとしてから、彼の名を知らないことに気がついた。 アリオスは苦笑しながら答えてやった。 「アリオスだ」 「……アリオスさん…」 「アリオスでいい」 ちょっと待ってろ、と言い置いて彼は外に出ていった。 「…アリオス…」 アンジェリークはその名を噛み締めるように呟いた。 すぐに彼は戻ってきた。手には冷えた缶ジュース。 「ほら」 「あ〜〜〜っ!」 「なんだ?」 街中のポスター・CM・友人達が持っていた雑誌の切り抜きetc. それらと目の前の人物と彼の名前がやっと一致した。 どこかで会った気がしたのはこのせいだったのだろうか…。 しかし…それだけではないような気もする…。 「あのモデルの…アリオスさん…ですか?」 「クッ…いまさらそれかよ」 彼は実に楽しそうに笑って、アンジェリークに飲み物を渡してやった。 「あ、ありがとうございます」 こんな優しい笑顔もするんだ、とアンジェリークは見惚れながらお礼を言った。 「…アリオスさんにまた会えて嬉しいです」 レイチェルと話していた時、もう彼とは会えないと思う、と そう言った瞬間に、それを残念に思う自分に気づかされた。 だから素直な言葉と微笑みでそれを伝える。 その素直さが彼にはとても新鮮だった。 「アリオス、だ。敬語も要らない」 明らかに年上の男の人に向かって呼び捨てで…敬語も使わない、 というのはアンジェリークには慣れないことだったが、 彼に対してはそちらの方がしっくりするような気がした。 アンジェリークは微笑んで頷いた。 「いいコだ」 「話があるって言ってたけれど…。あ、その前にどうしてここに…?」 なぜ自分のいる場所がわかったのだろう、と訊いた。 「アンジェリーク・コレット…」 「え?」 名前はまだ教えてないはずなのに、彼の低い心地良い声に 名を呼ばれ、どきりとする。 「また会いたいとは…嬉しい言葉だな。 だったら、これは計画的犯行か?」 クッと喉を鳴らしてアリオスは彼女にあるものを渡した。 それは今朝彼が拾った学生証。 たぶん、あの騒ぎで落としたのだろう。 「あ…」 落としていたことにさえ気付かなかったアンジェリークは慌てて 受け取り、自分のものだと確認する。 「ありがとう。でも…計画的犯行じゃなくて偶発的事故」 くすりと彼女は笑った。 「…だからわざわざ学校に届けに来てくれたんだ。 本当にありがとう。今朝といい、これといい助けられてばっかりね…。 私に何かお礼できないかな?」 彼女の申し出は正直ありがたかった。 というか…これこそカモネギというのではないだろうか…。 アリオスは当初の計画よりも上手くいきそうだ、と満足げに頷いた。 「お前、明日はあいてるか?」 「? …放課後なら」 「ちょっと人手が足りねぇんだ。明日だけ手伝ってくれないか?」 「私でもできることなの?」 「ああ」 お前じゃなきゃできないことだ…。 アリオスは心の中でだけ呟いた。 「それじゃ…明日の放課後。さっきの公園で待ってる」 「うん。送ってくれてありがとう」 「もともと俺が攫ってったからな。当然のことだろ。 明日…楽しみにしてるぜ。アンジェリーク」 「学校終わったら急いでいくね。…アリオス」 はにかんだ少女の言葉にアリオスは柔らかな笑顔で微笑んだ。 「…やっと呼んだな」 不意打ちの笑顔とその言葉にアンジェリークは真っ赤になった。 「だ…だって。呼び捨てなんて、やっぱり…なんか…。 …それじゃ、また明日っ」 「じゃあな」 ぱたぱたと寮に入っていく少女をアリオスは見送った。 「可愛い奴。明日が本当に楽しみだな…」 何かを企んでいる笑み。 残念ながらアンジェリークはそんなことは露知らず、 翌日、驚きの連続を体験することとなる…。 「待たせちゃった?」 翌日、学校が終わってからアンジェリークは私服に着替え、 アリオスのところへと駆けてきた。 さすがに制服のまま行くのはまずいだろう、と思ったのだ。 クリーム色のワンピースがはためいている。 「それほどでもない」 アリオスは車の側で煙草を喫っていた。 彼女に気付き、さっさとそれを片付ける。 「私服姿ははじめてだな。…似合ってる」 アンジェリークは嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑んだ。 実は昨晩さんざん悩んで決めた服だったのだ。 車に乗りこみながらアリオスは行き先を告げた。 「ここからすぐのスタジオに行く」 「スタジオ? アリオスこれから撮影なの?」 「まぁな。…ところでアンジェリーク」 「なに?」 助手席で首を傾げる少女に、からかうように言った。 「昨日といい今日といい、そんな簡単に男の車なんか乗るもんじゃねぇぞ」 「?」 しかし彼女には意味が通じなかったらしい。 「…危ないだろうが」 呆れた表情のアリオスにアンジェリークは鈴を転がすように笑った。 「大丈夫よ。アリオスだから」 悪い人じゃないからいいの、と彼女は微笑んでいた。 「そんなに簡単に信じてるといつか痛い目見るぞ…。 とりあえず俺以外の車には乗るなよ」 「意外と心配性ね、アリオスは」 無自覚に誰をも魅了し、こんなに簡単に人を信じてしまう少女。 アリオスは本気で考えた。 どこのどいつがいつ手を出してもおかしくない。 もともと自分のものにするつもりだったが、早いうちに手を打たねば、と。 「私はなにをすればいいの?」 建物の中に入り、アリオスの後をついていきながら アンジェリークは質問した。 道中でも仕事のことには触れず、他愛無い話しかしてなかったのだ。 アリオスはある部屋のドアを開けて簡単に答えた。 「ここで、準備をしてくれ。 それが終わったらスタジオに案内させるから」 「アリオス…」 そのままどこかへ行ってしまいそうな彼の気配に アンジェリークの不安そうに揺れる瞳が彼を離さない。 その可愛らしい様子にアリオスは必死に耐えた。 「俺も準備をしてくる。スタジオで待ってるからな」 安心させるように彼女の頬にキスしてしまったのは、 やはり…耐えきれなかったせいだろう。 小さな部屋には優しそうな女性が一人、アンジェリークを待っていた。 「いらっしゃい、彼から話は聞いてるわ。私に任せてね。 …あら。冷房効いてるはずだけどまだ暑いかしら?」 赤い顔をしたアンジェリークを見て、女性はクーラーの温度設定を確認した。 「あ…いえ、大丈夫です」 まさかそこでアリオスにキスされてました、とは言えないアンジェリークだった。 「そ? じゃあ、とりあえずこれ着てね」 渡されたのは真っ白な服。 アンジェリークはきょとんとそれを見つめた。 「あの…私、何を手伝うんでしょう?」 「え?」 二人の間に数秒の沈黙が訪れる。 「なにも聞いてないの…?」 こくん、と頷くアンジェリーク。 呆然としていた女性は、くすくすと笑い出した。 「まったくもう…とんでもない人ね、彼は。 あとで本人にしっかり説明してもらいなさいね。あなた今日はモデルよ」 アンジェリークは準備が完成したものの、 なかなか外へ出て行く勇気がなかった。 メイクを担当してくれたお姉さんにその出来を絶賛されはしたが、 とんでもない所に来てしまった、という気持ちの方が強かった。 扉の陰にいたそんな少女をアリオスはすぐに見つけた。 アリオスも彼女と同様、真っ白なシャツとパンツだった。 「アンジェリーク」 「アリオス…」 一体これどういうこと? と聞こうとしたが彼の言葉に遮られた。 「予想以上だな…。やっぱり俺の目に狂いはねぇ」 華奢な身体に白いスリップドレス。 微かな風にも舞う白い裾。 大きく開いた胸元や背中も色気ではなく、神聖さを感じさせる。 そして透明感のある、どこか凛とした空気も持っていて…。 「?」 「お前、天使のイメージにぴったりなんだよ」 「天使…?」 アリオスはスタジオの端にある椅子を彼女に勧め、自分もかけながら アンジェリークに話を始めた。 「この広告は…『天使を捕まえる』、そんなイメージで作られる。 その天使役がなかなか決まらなかったんだが…。 俺は昨日お前と出会って、お前しかいない、と思った」 銀の細いチェーンに繊細な作りの十字架(クロス)。 広告の品でもあるペンダントを彼女の細い首につけてやりながら アリオスは説明をした。 「お前に協力して欲しい」 「でも…私…なんにも知らないよ? モデルなんて…」 ペンダントをつけてくれる為、アリオスの両腕が首に回される。 素肌に触れる彼の手の温かさとチェーンの冷たさにびくり、とする。 「心配要らない。お前一人でやるわけじゃない。 俺がそばにいる。俺に任せておけばいい」 真剣な瞳に見つめられて、そんなふうに囁かれたら 断れるわけがない。 アンジェリークはアリオスに連れられてセットへと向かった。 カメラを前にアンジェリークはがちがちに固まってしまった。 「もっと気楽にしてろよ。お前の顔は撮らない。 後ろ姿だけだ。だからメイクもたいしてしなかっただろ」 アリオスの言葉にアンジェリークはほっとした顔をみせる。 「ホント?」 「ああ」 そしてアリオスは少女を抱きしめた。 「ア、アリオス…っ」 「おとなしく捕まえられとけ」 くっと楽しそうに喉を鳴らす青年を見ることができず、俯いてしまう。 スリップドレスなんて着たのは初めてで…。 大きく開いた胸元や背中がスース―する。 その白い肩を包みこむようにアリオスの大きな手がまわされた。 「っ……」 恥ずかしくて今にも逃げ出してしまいたい。 「アンジェリーク」 耳元で聞こえた彼の呼びかけに真っ赤な顔を上げると 優しい笑みがあった。 アリオスは彼女の胸の上のクロスを手に取り、口接けた。 「広告のイメージ…。このペンダントで天使を捕まえるんだと」 繊細な銀の鎖で天使を捕まえて…。 捕らえて離さない。 「天使イコール恋人、とかけてな」 「なんだかロマンティックね」 「そうか? 結局は縛られるんだぞ?」 「その鎖の長さが世界を1周できるくらいならいいじゃない」 なんでもないことのように言う彼女にアリオスは苦笑した。 「自由に動きまわれるけれど、最終的には恋人の所に つながってるの。そんな感じで」 「ああ、それなら鬱陶しくないだろうな」 アンジェリークの肩を抱いてない方の手で彼女の手を捕らえた。 「お前やっぱり天使なんだな。俺だったらそれこそ手に入れて 閉じ込めて、誰にも見せたくなくなるだろうな」 「なっ…そんなこと…」 「クッ、もう緊張もなくなったみたいだな」 アリオスに言われてアンジェリークは気がついた。 彼と話しているうちに緊張などどこかへいってしまった。 アンジェリークはまさしく天使の笑顔を見せた。 「大丈夫、アリオスと一緒なら平気みたい」 撮影が終わって、アンジェリークが着替えているころ、 アリオスはオリヴィエからの電話を受けた。 事務所の看板でもある彼は実力はあるものの この業界での問題児でもあって…。 ようするに心配だったらしい。 特に彼が誰かと一緒に仕事をするなど、初めてだから。 「ちゃんと撮影は終わったぜ」 『そう? それなら良いんだけど…どこの子使ったの?』 その他、彼女についていろいろなことを聞かれ、アリオスは面倒くさくなった。 「企業秘密だ」 そのままエルンストに電話を渡し、そろそろ時間だな、 とアンジェリークのところに行ってしまった。 『ちょっとー?』 「大丈夫ですよ。撮影は順調だったそうです。 私は別の用事があって、現場に立ち会ってはいないのですけれど…。 あんなに和やかに進められるとは思いもしなかった、 自然体のいい絵が撮れた、とスタッフの方にいわれましたから」 控え室から出てすぐの休憩所でアリオスは彼女を待っていた。 「アリオス」 「今日は助かった。サンキュ」 「ううん。びっくりしたけど…あれで恩返しができたならいいかなって。 私は雑用とかやるんだと思ってた…」 でも、もうあんな恥ずかしいのは嫌だな、とアンジェリークは苦笑した。 「顔が写らなくてよかっただろ」 「もう…」 最終的に使われることとなった写真のその瞬間は、 アンジェリークはメイクでも隠せないくらい赤面していたのだ。 「これやるよ」 それは撮影の時につけていたペンダント。 「こんな…高価なものもらえない…」 「気にする必要はない。だいたい、撮影に使ったものなんて 売り物にできねーだろ?」 「…でも、アリオスのファンならこれ欲しがるかも」 彼が触れたペンダント。 それはもう、いくらお金を出してもかまわない、という人が大勢いるだろう。 「それこそごめんだな」 アリオスは苦笑すると、再度彼女にペンダントをつけてやった。 「お前が持ってろ」 「…うん。……アリオス?」 ペンダントをつけ終わっても、接近した彼がなかなか離れない。 間近で見る綺麗な顔にアンジェリークは鼓動が早くなる。 「天使を捕まえるペンダントか…。 俺なら自分の手で捕まえるけどな」 そのままそっと抱きしめられ、アンジェリークはうろたえた。 「あ、あの…アリオス…?」 うろたえたけれどもなぜか、この腕は安心できる、と思った。 初めてあった時も撮影の時も。 どこか懐かしさを感じた。 「アンジェリーク」 この少女には初めて会った時から惹きつけられた。 彼女が言っていた通り、なぜか初めて会った気がしなかった。 それは覚えていないけれど、遠い、遥か昔に魂に刻み込まれた記憶。 だから互いに、一目惚れだろう、としか思えなかったけれど。 そして鈍い少女は自分が一目惚れしていたことにさえ まだ気付いてはいなかったけれど…。 「アンジェリーク…俺の…」 いいムードになったところで元気な第三者の声が聞こえた。 「アリオスさーん、こんな所で彼女といちゃつかないでよー。 せめて部屋でやってくれない?」 命知らずなその女性はアリオスに頼まれ、 アンジェリークのセットをやってくれた人だった。 大荷物を持ってどこかへ移動する途中らしい。 「あの…私彼女なんかじゃ…」 彼の腕の中から慌てて抜け出した少女は訂正しようとした。 「そうなの? 彼が連れてきて、服のサイズやメイクの指定とか 全部指示してたからてっきりそうなんだと…」 「…余計なこと言うなよ」 まぁいいわ、急いでるからまた今度聞かせてね、と彼女は 二人を置いてさっさと風のようにいなくなってしまった。 「アリオスっ?」 メイクはともかくなぜ服のサイズまで知ってるんだと アンジェリークは頬を染めて彼を睨んだ。 「どうでもいいだろ」 「よくないっ」 じーっと見上げて諦めない少女にアリオスは大きく息をついて降参した。 もうこの場で口説くのは無理だな…と。 「駅で…一度お前を抱えた時、だいたいお前のサイズは分かった。 それだけだ」 「それだけって……アリオスのえっち!」 「しょうがねーだろ、分かるもんは分かるんだよ」 「なんであれだけで分かっちゃうのよ〜」 その後、お姫様のご機嫌を損ねたアリオスは 彼女を連れてケーキが評判のカフェに行くハメになった。 もちろんアンジェリーク本人はこれが餌付けの第一歩 だということに気付いていない。 しばらくして……街中には例のポスターや看板が見られるようになった。 「あ、ねーねー、アンジェ。 この女の子ってさ、彼の初めての共演者なんだってね」 レイチェルがポスターを見上げ、アンジェリークに言った。 「そ、そうなんだ…」 「羨ましーって思ってる子、いっぱいいるんだろーね。 ある意味、後ろ姿しか出てなくて正解だよね」 「………(///)」 そのポスターの中でアリオスは、華奢な少女の肩を抱きしめ、 もう片方の手では彼女の手を捕まえていた。 その彼の腕にはペンダントよりもしっかりしたチェーンで 同じ細工が施されたブレスレット。 彼女のペンダントはアリオスの口の端に銜えられていた。 確かに後ろ姿なので普通にしていたら、 ただのチェーンの部分しか見えないので広告にはならないのだが…。 息が触れそうな二人の距離。 アリオスの顔半分は彼女の陰に隠れていて、 彼の鋭い碧の瞳だけが真っ直ぐ前を見据えている。 見る者によって、綺麗な絵、色気のある絵、等々とらえる印象が違う と評判になった一枚である。 そしてこの女性モデルが誰なのか、という話題も世間を大いに騒がせた。 ポスターを見上げ、アンジェリークは頬を染めて胸元をおさえた。 制服の下には、『商品を見せなくてどうするんだ』とにやりと笑った 彼が口にしたクロスがしっかりと存在していた。 …天使が捕まってしまったのは言うまでもないだろう…。 〜fin〜 |
やはりスタジオ部分の話は上手く書けません。 想像力だけで書いてますから。 だからといって他の部分上手く書けてんのか、 といわれると辛いところですが…。 とりあえず今回はアリオスさん、天使の捕獲は完了です(笑) そしてこのあとキリリクの 「アンジェを落とそうと小細工するアリオス」に続きます。 もうすでにこの時点で、彼はいろいろと企んでいますが。 きっと次のタイトルは『天使陥落』か『天使のオトしかた』(笑) どっちもどっちだなぁ…。 『Night Wings』のさくら様から素敵なプレゼントがあります♪ 次のページへGOです! |