eternal colors
明日は、『彼』と戦う…。 「もう…決めたことよ………」 自分に言い聞かせるようにアンジェリークは吐息とともに吐き出した。 明日の決戦に備えて体を休めることとなり、今は空き家の一室を借りている。 ベッドの上でアンジェリークは膝を抱えて座っていた。 「アリオス…」 一人になっても泣けなくて…掠れた声だけがシーツの上に零れ落ちた。 皆の前でなど泣けるわけがなく…一人でも泣けない。 彼女が泣けるのは彼が側にいてくれる時だけだった。 もう、その人はいない。 だから泣けない。 その時ノックの音が聞こえた。 「アンジェリーク?」 「セイラン様…」 話があるんだ、と言われ、アンジェリークは彼と散歩がてらに外へと出かけた。 彼の纏う空気がなんだかいつもと少し違っているように感じて、 アンジェリークはただそのあとについていった。 しかしいつまでもそういうわけにはいかない、と彼に声をかけた。 「あの…セイラン様?」 「今の君は一大悲劇の最終幕を演じるオペラ歌手みたいだね」 「え?」 突然の例えにアンジェリークは瞳を丸くした。 それを見て、セイランはいつもより少しだけ冷たい表情で微笑んだ。 「…今の君の表情だよ。 怖い? 悲しい? つらい?」 アンジェリークのいくらか痩せてさらに華奢になった身体がびくりと強張った。 「…そう思ってるなら、今すぐ言葉にすることをお勧めするよ。 足が震えて止まらない? 僕になぐさめてもらいたい? 今すぐ逃げ出したい? まるで悲劇のヒロインを気取っているみたいだね」 「セイラン様…」 小さな手の平をきゅっと握り締め、口元を引き結んで、アンジェリークは彼を見つめた。 「どれも…くだらないね。 宇宙の女王がこんなに弱い心の持ち主だなんて、知りたくなかったな。 軽蔑するよ。呆れてものも言えない」 彼の表情以上に冷たい言葉に負けないよう、アンジェリークは視線を逸らさずじっと聞いていた。 怒りの混ざった挑戦的な視線を受け止め、セイランはそれでも言葉を続けた。 緊迫した空気が二人を包む。 「君は弱虫で自分勝手な利己主義者だ。 いつの間に…人に頼るばかりの、僕のもっとも苦手とする 『女性』そのものになったんだい?」 彼が言い終えると沈黙が流れた。 その絶えがたい空間を壊したのはアンジェリークのくすくすという笑い声だった。 「どうしたんだい? さっきまでの君の表情は怒っていたように見えたけど?」 『彼』が消えてから彼女の表情はずっと虚ろだった。 どんなに普通通りに振る舞っていても、微笑んでいても、感情がついていかなかった。 ほとんどの者がそれに気付いていなかったけれど。 それほどまでに彼女は強くあり続けようとしていたけれど…。 セイランは気付いていた。 彼女を見続けていた彼だからこそ気付いた。 内と外のかけ離れた雰囲気に正直危険だと感じた。 だから、怒りでもかまわない、彼女の本当の表情を見たかった。 このまま感情をなくす彼女は見たくなかった。 「アンジェリーク?」 「…確かにセイラン様の言葉には怒りを覚えました。 でもそれって…図星だって証拠なんですよ」 笑いを収めたアンジェリークはセイランを見つめて言った。 今あるのは穏やかな彼女特有の微笑み。 いままでの空虚な笑みではない。 「私…彼に会うまで自分がこんなに弱いなんて知りませんでした」 アンジェリークは苦笑して呟いた。 「女王として…人として…最低だと何度も思いました。 そんなこと…言われなくても分かってました」 だからこそ、苦しかった。 普通の少女のように恋の切なさに苦しむだけではなく、立場だとか使命だとか…。 自分を縛るものはいくらでもあったのに。 「それでもどうしようもなかった…立ち止まれなかったんです」 どうしようもなく好きになってしまった。 たとえ敵でも愛している。 「セイラン様…私…女王試験中に気になる方がいたんですよ」 誰とは言えないけれど…。 これはレイチェルにも言っていない密かにしまっていた気持ち。 セイランは黙って続きを待っていた。 「今から思えば恋じゃなくて『憧れ』だったのかもしれないんですけどね…」 気まぐれな彼の一挙一動に、舞い上がったり落ちこんだり…。 振り返ってみると甘い砂糖菓子のような感覚だった。 落ち込んだことさえ、日常生活のエッセンス。 「試験が終わる頃…アルフォンシアの声を無視できなくて。 育てた宇宙も愛していて…。 結局その方よりも女王になることを選ぶことができたんですから」 「そんな葛藤があったなんて知らなかったよ」 必死で隠してましたから、とアンジェリークは柔らかく微笑んだ。 「…でも、今回はダメなんです。 前回のように想いを凍らせて…封じ込めようとしていたのに。 できなかったんです」 エッセンスだなんてのんきなことを言っていられない。 そちらが本流になってしまって、気を抜いたら感情に飲み込まれてしまう。 苦しそうに言葉を紡いだ。 「いけない事だと分かっているのに…。 今なら私…彼だけを選べる。 女王となったいまさら…こんな気持ちになるなんて…」 彼女の歯痒さが手に取るように伝わってくる。 もっと違う出会いが二人に用意されていたのなら、幸せな未来を期待できただろう。 彼は誰よりもアンジェリークと過ごした時間が少なかったのに… 二人でいることが当たり前だった。 旅の間は常に彼女の側にいた。 彼女も彼の側にいて、泣いて笑って怒って…。 表情豊かな少女だとは思っていたが、 あれほどまでに目まぐるしく変化するものなのだ、と気付かされた。 それは見えない何かに殴られたようなショックだった。 彼だけがありのままの彼女の姿を引き出すことができる…。 そして、少女はいつの間にか女になっていた。 悔しくても…それでも彼女が幸せなら見守ろうと思っていたのに…。 「だけど彼は君を裏切った…」 「それも分かってます…」 浅い息を押し殺すようにアンジェリークは答えた。 「だけど…まだ好きなんです。 諦め悪いですよね」 「もう彼はいないのに…想いだけが残って、強くなって…」 自嘲気味にアンジェリークは微笑んだ。 「セイラン様、私…悲劇のヒロイン演じているように見えました…?」 「…悲壮な顔してたよ」 「言ってくださって…気付かせてくださって、ありがとうございました」 アンジェリークはぺこりと頭を下げた。 「私…さっきも言ったように諦め悪いんですよ。 悲劇になんてするつもりないんです。 そんなシナリオ変更してみせるって思ってたんです」 なのに…弱気になっていた。 自分がそんな状態では事態を変えられるはずなどないのに。 「明日…怖くはないですよ。 なぐさめもいりません。逃げたいなんて思いません。 彼に会えるんですから。説得するチャンスです」 強い光を宿した瞳でアンジェリークは微笑んだ。 ここ数日見られなかった彼女の強さ。 儚げな見かけのわりに彼女の本質はとても強靭である。 「でも…セイラン様の励ましは感謝してます」 「僕は励ましたつもりなんてないよ」 無神経を承知でひどい言葉を投げつけた。 そんなふうに感謝を述べられると居心地が悪い。 ただでさえ、本心を見抜かれて戸惑っているのだ。 (君ぐらいしか気付かないよ…。 あんな言葉が励ましだなんて…) そんな彼女だからこそ惹かれた。 手の届かない存在だと、あの時は手を伸ばすのを諦めてしまったけれど。 そんなことをしている間に、彼女の心は他の男に奪われてしまったけれど。 その厄介な恋敵の気持ちも察してしまえる自分は信じ難いお人好しだと思ってしまう。 なぜなら正体を明かした後の戦いでも、女王陛下を救うために戦った時も 彼は密かに少女を気にかけていた。 ふと見せる苦しげな、彼女を見つめる金と碧の瞳は『アリオス』の時と変わらなかった。 アンジェリークが彼の直接の攻撃で怪我を負ったことはない。 (まだ彼女を愛しているのに…アリオス…君は手放すのかい…? 僕と同じ道をたどるのか?) 「そうだね…僕からの励ましの言葉…。 言わせてもらうなら…後悔しないようにがんばるんだよ、かな」 細い綺麗な指先を顎にあて、考えるように首を傾げた。 紫紺の絹糸のような髪がさらりと揺れた。 「僕が守ってあげる、なんて甘い言葉はあげられないね。 君が甘えを覚えてしまったら……そんな甘さは戦闘の中では命取りだ。 僕は君を失いたくない」 「セイラン様…」 「屈折しているとは思うよ…それでも君には強さを持ち続けてほしいんだ」 アンジェリークは何度も頷いた。 「私、やれるだけのことをやります。 セイラン様…本当にありがとうございました!」 「いつもの君に戻ってくれたね…。 そろそろ帰ろうか。明日は早い」 「はい」 「…と、その前に。 涙を拭いてくれないかな。君の涙は…胸に痛いからさ」 言われてはじめてアンジェリークは自分がずっと泣いていたことを知った。 「…あ…」 慌てて涙を拭う。そして微笑んだ。 「あの人の前でしか泣けなかったのに…」 その言葉はセイランの心に深く刺さった。 どれだけ彼女が彼に心を預けていたかが伝わるから。 「…今夜、お話できたのがセイラン様で良かったです。 こんなふうにはっきりと言ってくださるのはきっとあなただけだから…」 今度は逆にその言葉で癒される。 もはや誰も『彼』の代わりになどなれないことは分かっている。 だったら別の位置で彼女の『特別』になりたかった。 他の誰かと一緒ではなく、自分だけができることで…。 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 しかし…彼女のひたむきさは報われることがなかった。 皇帝との戦いの後、二人きりで話すことを望み…一人で出てきた。 正確に言えば、崩れ始めた城の中で呆然としているところをむりやり助け出されたのだが。 目の前で大切な人を失った彼女は、また心のバランスが危うくなってしまった。 その後のパーティーでは皇帝からこの宇宙を救った新宇宙の女王陛下として、 見事なまでにその役目を果たしていたが…。 その瞳は何も映してはいなかった。 心が死にかけていた。 宴の途中で彼女がいつのまにか消えてしまっても…ああ、やっぱりな、と思った。 愛した男を倒した宴など悪趣味にもほどがある。 だけど不思議なことに翌日の彼女には光が戻っていた。 だから数日後、彼女が自分の宇宙に帰る時に聞いてみた。 「何があったんだい?」 余計な言葉を一切省いたその質問にアンジェリークは瞬きをして、 それから嬉しそうに笑って見せた。 珍しく薄く化粧をして隠してはいるが、目元が腫れている。 それは泣いた証。 「彼に会ったんです」 「…あの夜…?」 「はい。未来を約束してくれました。 今はまだ…悲しみが大きすぎるけれど…。 その約束があれば私は生きていける。 …がんばれます」 頬を染めて語る健気な少女が愛しくて…一瞬言わないはずの言葉を言いそうになった。 理性でそれを制し、セイランは少女にキャンバスを渡した。 「セイラン様?」 「旅が終わってから…描いたんだ。 君が帰るまでに間に合って良かった」 覆いを外して、その絵を見つめるアンジェリークの瞳に涙が溢れてきた。 どこかののどかな緑溢れる草原の風景。 だけどそこには幸せな表情をした『二人』がいた。 決して人物がメインではなく、風景の一部として溶け込んでいた。 「僕らから見た君達はこんな感じだったんだよ」 人物は描かない主義だが、今回だけは特別だった。 「セイラン様…」 アンジェリークはキャンバスを抱きしめてただ泣いた。 「涙は枯れることなんてないからね。 好きなだけ泣くといい。 でもね、悲しみにはきっとどこかに果てがあるから…」 彼がいたこと、二人が愛し合っていたことは決して夢ではなかった。 だから二人の姿を、過去を、淡い色彩で描いた。 現実にとどめておいた。 「未来は君自身で描くといい」 「はい、ありがとうございます…セイラン様」 「すごく嬉しかったです」 「君に元気がなかったら新宇宙も大変なことになるだろう?」 素直な感謝にいまだに慣れないセイランは皮肉げに言い返した。 「セイラン様ったら…」 クスクスと笑う少女を見て、思った。 彼女が笑顔でいてくれるならそれでいい。 自分の想いは表に出す必要はない。 「さよなら、とは言わないよ」 「はい。 またお会いしましょう…絶対に」 晴れやかな笑顔でアンジェリークは頷いた。 未来を見つめる瞳。 『彼』が愛した少女。 そして自分も愛していた少女。 愛しているからこそ彼女の幸せを、笑顔を望んだ。 だから彼との未来を自分も望んであげられる。 彼女への想いはキャンバスに込めたから…。 そのまま彼女とともに遠い宇宙へと送り出そう。 〜fin〜 |
アリコレなのにアリオス出てきません。 しかもセイラン様こんな役回り…。 ふられるわけじゃないんですが、やっぱ切ないですよねぇ…。 いろんな意味でupするのドキドキです。 サイドストーリー書くなら、セイラン様を アリオスの対抗相手として書こうと思ってました。 なんとなく彼の方が合うかなぁと思って…。 オスカー様にはパラレルの方でがんばっていただきたい。 ちなみにこれはキリ番の『Last Dance』や『forest』と繋がっています。 これから書いていく話をジグソーパズルのように全部繋ぎ合わせて 私なりの「天空の鎮魂歌」ができる、と。 いつ完成するか分からないですけど。 タイトルはおなじみLa'cryma Christiからです。 なんか歌詞が一部セイラン様っぽいなと思いました。 |