情熱の風
眠れる大地の惑星、リバータウン。 傾きかけた太陽の光の中、アンジェリークは川沿いの通りを歩いていた。 「あ……」 土手に人影を見つけて顔を輝かせる。 「アリオス!」 自分を呼ぶ声に視線だけ巡らせる。 予想通り子犬のように駆け寄る姿が視界に入った。 偽りだらけの自分を純粋に慕う少女。 「転ぶぞ…」 アリオスは苦笑を浮かべて寝転がっていた身体を起こす。 「きゃっ」 土手を駆けおりる少女は彼の手前で草に足をとられる。 アリオスは華奢な身体を受け止めて皮肉げに笑った。 「本当にお約束通りなやつだよな。 あのまま寝てたら潰されてたぜ…」 「…なっ…。 …でも……ありがとう」 アンジェリークは言い返したかったが、助けてもらったので 彼の腕の中、上目遣いで睨んだままお礼だけ言う。 アンジェリークは離れたくなくて、そのまま動かなかった。 アリオスも特に気にした様子もなく、彼女を抱いたまま河を眺めている。 しばらく言葉を交わすことなく座って夕日色に染まる水面を見つめていた。 時折風が吹き抜けていくのが心地良い。 「アリオス…お帰りなさい。 用事は済んだの?」 旅の途中、彼は時々行き先も告げずどこかへ消えてしまう。 「ああ。今日は宿に戻る」 「そっか…」 どこに行ってきたのか、何をしてきたのか、訊くことは躊躇われた。 なぜか触れてはいけないことだと思った。 だから追求することはなく、ただ彼の肩に凭れる。 アリオスは不安げに揺れる瞳に苦笑して栗色の髪を梳いた。 珍しく甘えるアンジェリークにからかいの笑みを浮かべる。 「なんだ、寂しかったのか?」 「………っ」 見透かされてる。 それが少しだけくやしくて瞳を逸らす。 「アリオス…」 「ん?」 今日はどんなふうにくってかかってくるのかと密かに身構える。 しかし…。 「大好きだからね」 アンジェリークは宣戦布告のように想いを告げた。 何度も言った。 その度に彼は笑って聞いていた。 キスをくれる時もあったし、それ以上の時もあった。 だけど彼の気持ちは聞いたことがない。 だから少しでも離れると不安になる。 突然の告白に瞳を見開く彼にぎゅっと抱きついて呟いた。 「アリオス…どこかに消えちゃいそうなんだもん…」 「で、なんで愛の告白につながるんだよ? それで俺が繋ぎ止められると思うのか?」 アリオスは自嘲気味に問う。 今更計画を止めることなどできない。 自分は少女を裏切る。 決まっている未来だ。 「わかんない…。ただ、言いたいの。 気持ちだけは伝えたいの…私にできるのはそれだけだから」 一緒にいられる時は嬉しいし、彼のいない夜は寂しい。 いつだって触れ合っていたい。 もう出会う前の自分には戻れない。 「いけないことなんだよね、本当は…。 それでも私は…アリオスが好きなの」 「アンジェリーク…」 瞳に先程までの不安そうな光はない。 自分の気持ちには迷いがない少女。 『情熱』なんて似合わない少女だと思っていた。 いつもはおっとりしているし、戦闘の時でさえ真剣さはあるものの こんな激しさは宿らない。 風のような少女だと思っていた。 一行を率いてはいるが旅でも戦闘でも特に役立つ存在というわけではない。 だけど絶妙のタイミングで微笑みをくれる。 回復魔法を使わずに癒してくれる。 水のように空気のように…なくてはならない存在だった。 それが今は自分だけを見つめている。 そして、それはアリオス自身にも当てはまった。 そんな『情熱』など似合わないはずだった。 昔に捨てたものだ。 今抱くのは復讐の炎だけ。 そのはずなのに…。 「泣いてんなよ…」 溢れる涙に唇を寄せ、囁いた。 「泣いてないもんっ…」 「そうかよ」 強がりを言ったら呆れたような笑い声が聞こえてきた。 そして、宥めるような優しいキスが額に落とされた。 「ところで明日の予定はどうなってるんだ? 次の目的地に発つのか?」 「え…ううん。まだしばらくここにいるけど」 「だったら今夜、俺の部屋に来いよ」 耳元で囁かれる心地良い声と言葉の意味に顔が赤くなる。 アリオスの腕の中ではにかみながらもこくりと頷く。 「あのね…してる時…好きよ?」 逃げかもしれないと思うけど…。 自分の立場とかこれからのこととか考えられないから。 彼しか感じられない時間だから。 「アリオスもこの時だけは迷子のカオしないし」 「は?」 腑に落ちない表情で聞き返す彼にアンジェリークは言った。 「アリオス…時々そんなカオしてるよ」 「………お前の目がおかしいんだ」 そう笑ってはぐらかすしかできなかった。 この少女は時々鋭い。 いつのまにか核心をとらえている。 「ひどぉい」 「でもまぁ…そうだな。 最中はお前しか見えてねぇよ」 膨れていたアンジェリークは頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。 月明かりに照らされるアンジェリークの寝顔を見下ろしながら考える。 一陣の風のようなものだと割り切って愛するのも悪くない。 通りすぎるものだと思ってしまえば…。 「『アリオス』はお前を愛していた…。 だが『レヴィアス』はお前を殺す…」 それでいい。 納得する為、そう己に言い聞かせる。 「だから…俺を煽ったりすんな」 少女の想いという風が自分の情熱を煽らないことを祈る。 復讐の炎を吹き消さないことを祈る。 祈る神などいないし、らしくないと自覚しつつ。 ともすれば感情に流されそうな自分がいることに危険を覚える。 少女と出会って見つけた本当の願いと貫いてきた信念がせめぎあう。 けれども最終的にはきっと自分の信念を選ぶ。 「その時には…俺を憎め。 アンジェリーク」 悲しむ暇などないくらい。 「俺のために泣いたりするな」 少女を見つめるその眼差しがどれだけ優しいか…。 唯一側にいる少女が眠っている今は誰も気付くことはなかった。 |