花に想いを
「あら…」 アンジェリークは緑溢れる明るい中庭で顔馴染みの庭師を見かけた。 愛想の良い初老の彼もアンジェリークに気付いて、声をかけてくれる。 「珍しいですな。こんな時間にお散歩ですか?」 「こんにちは。 今日はちょっと早めに執務が終わったんです」 決して抜け出したわけじゃないですよ、と笑う女王に彼も笑った。 時間があれば中庭を歩く彼女とは出会う機会もそれなりにあったため、 けっこう気さくに話をするようになったのだが。 彼女以外の女王を知らないが、こんなに気安い存在だとは想像もしていなかったので 最初は驚いたものだった。 「そうですか。お1人なのも珍しいと思ったので…」 たいていはもう1人、長身の男と連れ立っている。 「わ、私だって1人で散歩くらいしますよ。 アリオスやレイチェルが過保護すぎるんです」 うっすら頬を染めてうろたえる彼女が年相応に可愛らしいと思えた。 「まぁ、宮殿内とはいえ…女王陛下をお1人で歩かせるのもどうかと思いますが」 余計なことを言ってしまったか、と無防備な女王は苦笑した。 「あ、それより…今日は何をしてるんですか?」 いつもの水遣りと手入れの時とは違って、色々と仕事道具が並べられているのを見た アンジェリークは話題を変える。 「ああ、今日はこの子達を植えてあげようと思いましてね」 すでに花開き出している小さな苗達を指して彼は笑った。 「またここが一段と明るくなりますね」 アンジェリークはしゃがみこんで、その花弁に触れた。 花には癒される。 自然のままの花も、整えられた花も、花瓶に生けられた花も。 外にいた時も、たくさん花を見た。 とりわけアルカディアにいた時…あの地には花が溢れていた。 一緒にいたアリオスがやたらと花に詳しくて、それが意外でなんだか面白かった。 本人はあんまり認めようとしなかったけど、花が好きなんだと思う。 じゃなきゃ、あんなに詳しく覚えていないと思う。 香りの好みやスミレがわりと好きだとか、さらりと言えるくらいなのだから。 アンジェリーク自身にはなかなか言ってくれない言葉だったから 目の前の花がちょっとだけ羨ましいな、と思ったのは内緒の話である。 (色々…教えてもらったな) アルカディアでのデートを懐かしく思い出しながら、アンジェリークは微笑んだ。 花にまつわる話や花言葉など…。 「あ……」 思い出して、ぴたりと止まった。 「どうしました?」 「あ、ええと………これって余分にあります?」 アンジェリークはご機嫌で中庭を後にした。 その手には宝物のように大事に持っている鉢がひとつ。 庭師に頼んで苗をひとつだけ分けてもらったのだ。 慌てて鉢を探してくる、と走り出そうとしたアンジェリークを苦笑しながら止めて すぐに倉庫からシンプルで小さい素焼きの鉢を持ってきてくれた。 彼が庭への植え替えをしている横でアンジェリークもその鉢にもらった苗を植え替えた。 楽しそうに土いじりをしている女王に彼は目を細ませていたが… 終了段階になって、苦笑せざるを得なかった。 「レイチェル様に怒られてしまうかもしれませんね」 「え? ……あ、ああ〜っ」 執務服のまま、土いじりをしたおかげでところどころ服が汚れている。 「どうしよう…内緒で洗濯……は難しい気がするし… …バレたら大人しく怒られよう」 執務を離れるとごく普通の少女は小さな子供のように呟いたのだった。 「はは、その時は私も一緒に謝りましょう」 まずは自室に戻って、リボンを探した。 鉢にきゅっと巻いてラッピングする。 素焼きの優しい色に濃い目のピンクが合っている。 「うん、可愛い可愛い」 満足げに頷いて、すぐにそれを持って部屋を出る。 目指す部屋にたどり着いてノックをするが、予想通り返事はない。 多分、王立研究院…もしくはレイチェルのところにいるはずである。 「お邪魔しまーす…」 静かに入った部屋は相変わらず殺風景で…。 元々この部屋の持ち主はあんまりここで過ごさない。 生活感を感じられないのも仕方がないことかもしれない。 アンジェリークは出窓のスペースに鉢を置いた。 「これで少しは明るくなったかな」 アンジェリークは窓から差し込む日の光を浴びる花を見て微笑んだ。 「さぁて…見つからないうちに戻ろ──っ!」 振り返ろうとしたところを急に後ろから抱きしめられて声も出ないほど驚いた。 「人の部屋でなにやってんだ?」 それでも相手が誰だか確信できるから、すぐにのん気に頬を膨らませる。 「…っ……アリオスこそ音も気配も消して入ってこないでよ〜! びっくりするじゃないの」 「自分の部屋にどう入ってこようが俺の勝手だろうが」 当然驚かせるつもりでやったアリオスに反省の色はない。 「………とりあえず、放してよ?」 (うぅ…私がアリオスをびっくりさせようと思ったのに…) いきなり予定を狂わされてしまった。 「何やってたか白状したらな」 「………」 耳元で聞こえる声に降参するしかなかった。 「白状も何も…これ、持って来ただけよ。 アリオスにプレゼント」 アンジェリークが目の前の鉢植えを指して答えると 少女の上からそれを見下ろしたアリオスは訝しげに呟いた。 「なんだってまた…」 「えーと、成り行き?」 「クッ、なんだそりゃ? わけわかんねぇ」 苦笑してアンジェリークの髪をかき混ぜる。 「もぅ…」 アンジェリークは乱された髪を直しながら振り仰いだ。 「中庭を通りかかったら花の植え替えをやってたの。 それで、ひとつだけ譲ってもらったの」 「女王陛下自ら土いじりねぇ…」 頭の上から聞こえてきた苦笑にアンジェリークははっとした。 派手に汚したわけではないから、後回しにしていたが…。 「そ、そうだ。ごめんなさい! 着替えてくるべきだったね」 「なんなら今ここで脱がしてやってもいいが?」 「遠慮します……〜〜アリオスっ!」 慌てて腕の中から逃げ出そうとする少女をからかうため アリオスはさらに強く捕まえ直し、彼女が持ってきた花をちらりと見やった。 「パンジー…?」 アリオスの呟きにじたばたと腕の中でもがいていた少女がぴくりと反応した。 後ろ向き故、彼女の表情は見えないが耳まで赤い。 抱きしめた腕に伝わる鼓動が早くなっている。 (へぇ…なるほどな…) パンジーと少女とを見比べて小さく微笑う。 それはとても優しい笑みだった。 一方アンジェリークはアリオスの方を向けずに固まってしまっていた。 (…アリオス、気付いた?) 覚えているだろうか。 もう忘れてしまったかもしれない。 覚えていたなら、ちょっと恥ずかしいけど嬉しい。 忘れていたなら、ほっとするけどちょっと寂しい。 (覚えてる、のかな…?) アルカディアで繰り返した皆には内緒のデート。 花崗の路の東屋で…。 「パンジーがたくさん咲いているわね」 満開の花に目を輝かせているアンジェリークにアリオスが訊ねたのだ。 「…お前…パンジーを贈りたい奴なんて、いるのかよ?」 「パンジーを…贈りたい人?」 アンジェリークは突然の質問に首を傾げながら考えた。 色々お世話になってる人に贈るのもいいかもしれないけれど…。 目の前のアリオスを見上げる。 「アリオスよ」 「俺…?」 言ってから、そんな自分に納得したようにさらにうんと頷いた。 「贈ったら大事に育ててね」 あのアリオスが小さな花を世話しているなんて、なかなか微笑ましい光景ではないか。 くすくす笑っている少女にアリオスはなんとも言えない表情でいた。 「お前、パンジーの花言葉を知ってるのか?」 「知らないけど…?」 「クッ…そんなこったろうと思ったぜ」 ほっとしたような、気が抜けたような複雑な微笑。 「アリオス?」 不思議そうに見上げる少女の栗色の髪をかき混ぜて、 アリオスは問いたげな視線に答えるでもなく笑った。 「お前、俺以外の男にパンジーを贈ったりするんじゃねぇぞ。 これ以上ややこしくなるのは、俺はごめんだからな」 「? よく分からないんだけど…?」 結局、それから何度食い下がってもその意味を教えてもらえなかった。 だが、後日アンジェリークはその答えを知ることになった。 天使の広場を散歩していて、花屋を覗いた時に店の人と話をする機会があったのだ。 話のついでに聞いてみた。 「あ、そうだ。 パンジーの花言葉ってなんだか知ってます?」 「パンジー?」 「ええ」 「この前、話に出てきたんです。 俺以外には贈るなって言われて…。 なんでって訊いても答えてくれなかったんですよ」 だから、勝手に調べるのだとアンジェリークは拗ねたように頬を膨らませる。 店の女性は一拍間をおいた後、吹き出した。 「え、え? なんですか?」 もしかして、誰もが知ってるくらいの常識? 訊いたら笑われるくらい? 相手の様子に慌てるアンジェリークに彼女はさらに笑った。 「ふふ、誰でも知ってるわけではないと思いますよ」 詳しい人なら知っていてもおかしくないですけどね、と付け足す。 「そうですか」 「ただ…ご馳走様です、と思っただけで」 「?」 きょとんとしているアンジェリークに彼女は意味ありげに微笑んだ。 「その男の人って恋人でしょう?」 「…っ…え、どうして…そんなこと…」 うろたえる少女を手招いて彼女は小声で教えてくれた。 パンジーの花言葉を。 それを聞いた直後、アンジェリークは真っ赤になって言ったのだ。 「あのっ、今の話、忘れてください!」 「ふふ、誰にも言いませんよ」 「〜〜〜もう、アリオスの…ばか」 明後日の方を向いて、アンジェリークは真っ赤な顔のまま呟いたのだった。 アルカディアにいた時は結局恥ずかしかったし、贈る機会もなくて そのまま時は過ぎたのだが…。 中庭でパンジーを見た時に思い出した。 あの時と気持ちは変わらない。 もしかしたら、もっと強くなっているかもしれない。 だから、贈りたいと思って譲ってもらった。 しかし…アンジェリークを捕まえたまま無言になったアリオスが気になる。 「アリオス?」 恐る恐る振り返る。 いつもと変わらぬ余裕の表情。 アンジェリークが固まっていた間に彼がいつもの調子を取り戻したことなど 少女は知らない。 「俺に花なんざ似合わねぇと思うがな…」 「あの…」 似合う似合わないの問題ではなくて。 ただ花を贈りたいと思ったわけでもなくて。 その花がパンジーだったから…。 だから、自分が贈りたかっただけなのだと言おうとしたら、視線だけで制された。 「どっかで調べてきたのか? 花言葉」 アリオスの表情とその言葉で全部伝わっているのだと気が付いた。 彼は覚えている。 全部解っている。 「………うん」 アンジェリークははにかみながら頷いた。 身体の向きを変えて正面からアリオスを見つめる。 「私の気持ちだよ」 ── 私を想って ── 花に託した想い。 祈りにも似た想い。 ずっとずっと愛している。 同じように、彼にも想ってほしい…。 「ふふ、ちゃんとアリオス以外には贈ってないよ」 「当然だろ」 見つめ合って、くすりと笑い合う。 頬を触れる大きな手にアンジェリークがそっと瞳を閉じる。 直後に優しいキスが下りてきた。 「サンキュ。大事にする」 「枯れさせたりしたらダメだからね」 「だったら、俺の部屋じゃなくてお前の部屋に置いとけよ」 「ええ〜、少しでも明るい部屋になったところなのに」 面倒を見るなら、なおさら自室には置けないと言うアリオスに アンジェリークは口を尖らせた。 「この部屋に戻ってくること自体そんなにねぇだろ」 「………」 アリオスは元々任務で部屋を空ける事が多い上に、 帰ってくるのはアンジェリークの部屋である。 女王の私室に居座る彼にレイチェルは肩を竦めつつ見逃してくれている。 「それとも、お前の部屋に泊まるなって遠まわしな宣告か?」 口の端を上げてアリオスはからかいの笑みを浮かべた。 「なっ、ちが…」 「ああ、今夜からお前が通ってくれるってことか。 大胆な女王様で嬉しいぜ」 「ち、違う〜!」 真っ赤になってアンジェリークは否定したのだが…。 今夜だけは自分の部屋に帰らせてもらえなかったとか。 その後、パンジーの鉢植えは女王の私室の窓辺で見かけるようになったらしい。 〜 fin 〜 |
本作りのため、トロワをプレイした時に ネタを拾ってきました。 本で使わなかったので、こちらで採用。 天レク〜トロワのアリコレストーリーは やっぱり好きだなぁ、と思いましたです。 せっかくなのでこの流れを汲んだ エトワール設定で書きました。 ちょっと置き場所に迷いましたが、エトワールの方で。 花の名前をなかなか書かなかったくせに 背景とファイル名で最初からネタバレしていますが…(笑) いや、でもそこからトロワのパンジーエピまでは バレないだろう、と思って…。 もし、気付いてしまった察しの良い方はごめんなさい! |