『 書 』

   石渡 辰治  
 今度、小学校に習字が復活することになった。書道教室が各所に開かれて、手習いが盛んになっている。誠に結構なことである。
 一流会社の人事部長をしている後輩は、入社試験の時の感想として、此頃の大学出は、出鱈目の字を平気で書いたり、誤字が大変多いのに驚いたと、嘆息していた。
 書はその人の人柄を表わすと言われている。書には自ら、その人が誠実型、欺瞞型等人柄が内臓されているとか、恐しいことである。
 昔は楷書、行書、草書の順に手習いをしたものであるが、達筆に任せ、読めない、判じものの草書?を書く人もいる。揮毫の依頼が多くなった、ある有名人は、先ず書家について、書を学び、然る後に揮毫に応じたと聞いている。書を大切にしたのである。奥ゆかしいことである。
 年賀状の宛名など、随分乱暴な書き方をする人が多い。虚礼ならば、出さぬ方がよい。心すべきことであり、謙虚な気持は失いたくない。

                                     第 2号(昭和46年) 
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