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「岡本かの子」文学碑
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野村 禎一郎 |
東急田園都市線の溝の口に近い高津区の二子新地で下車、大山街道を横切り百米ほど行くと、青空を指して羽ばたく白い塔が見えるが、これは川崎市が生んだ女流文学者、岡本かの子の文学碑であって二子神社の境内にある。
かの子は、この神社から三百米くらい離れた街道沿いにあった旧家大貫家の長女として生まれ、小学校時代をここで過ごし、東京に出て跡見女学校を卒業、漫画家で有名だった岡本一平氏と結婚、翌年太郎を出産した。昭和4年、親子三人でパリに外遊し3年後に太郎だけ残して帰国した。
かの子は、初め短歌を学び、歌集を出版されたが、特異な個性をもった人生観に根ざした著書もある。パリから帰国後は小説に専念 「鶴は病みき」 を初め次々に傑作を出版した。
小説、和歌はそれぞれ見識と手腕を発揮し、教養の深さと表現の豊かさにおいて、昭和女流作家の一人者として極めて独特な存在だった。
生前、両親が、こよなく愛したこの多摩川のほとりに、画家として知名な太郎氏が「誇り」と命名されている。
川端康成と知り合って小説に筆を染めるようになった。歌碑には「年々にわが悲しみは深くして、いよいよ華やぐいのちなりけり」とある。
太郎の方には「この誇りを亡き一平と共にかの子に捧ぐ」太郎。と記されている。
第24号(昭和53年) |
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